第三章 夜を渡る

部活内容:本の整理整頓と……


 いつもの放課後。

 いつもの通りなので、ひなたと祐司はやっぱり図書委員のようなことをしていた。



 返却された本を書架に戻し、祐司ゆうじが入り口のカウンターまで戻ってきた。

 数冊ある、背表紙や内容が読めず戻す棚がわからないものは、クロトに任せている。

 しかし、それが貸出に出るということは、つまりそれを読んでいる人がいるということだ。本の返却も毎日それなりにあるので、利用者はいるはずである。

 だが、


「――ひと、来ませんねー……」

 図書室にはふたりだけ。空調の音が聞こえる程の静けさだ。

 祐司の声に、カウンターで上半身を伸ばしながら、

「うーん、いい本揃えてる、ってクロト先生は言ってるけど……上級生じゃないと難しいんだと思うよ。なんていうか、図書室の使い方が」

 そうひなたが答える。

 今日もさらさらの金髪と、半袖から伸びるしなやかな腕、そして夏服の白と明るいブルーのラインとのコントラストがあいかわらずとても眩しい。

 嗚呼、やはり制服は素晴らしいな、と祐司は思いながら、


「そういうものですか……。でも、いろいろ雑誌を定期購読してくれているのはありがたいです」


 雑誌の棚から朱色が目立つ科学雑誌を手に取った。

 その隣に並べられた、ちょっと表紙がペラペラな雑誌たちにも目を向けてみる。


「それでこっちは、英語の……なんでしょう?」

「そっちは不明存在に関する、最新情報とか論文が載ってる雑誌だよ。専門用語が多すぎて、読むのにちょい修行が必要だけども」


 その台詞に祐司は目をまばたかせ、

「えっ、先輩これ読んでるんですか……?」

 尋ねると、なんでもなさそうにひなたは頷き、

「うん、チェックはしてる。論文は論文の読み方があるから、それを繰り返せばけっこうすぐ読めるよ。語学は嫌いじゃないしね」


 ほえー、と祐司が感心していると、ひなたは今度は上に伸びをしてから、姿勢と制服を正した。

「ゆーじくんは、勉強だと何が得意?」

 祐司は思い出すようにちょっと斜め上を向き、

「そうですねぇ……中間テストの結果としては、可もなく不可もなくだったので……」

「そっか、まだ一年生の出だしなんだった。早いとこ、伸ばせる部分がわかるといいね」


 にっこりとそう言うひなたを、


「――あの、この間の魔力操作の件、まだ覚えてますからね」


 じと、と半目で見る祐司。だが、ひなたは視線を堂々と受け、


「なんだい? また背中を拭いて欲しいのかい?」

「ちがう!!」

「いいね~、日に一回、ゆーじくんにツッコミされると気持ちがしまるね!」

「……遊ばれている……」


 祐司は息をつきながら冊子を戻し、カウンターを回り込んで、ひなたの隣に座った。

 ひなたは椅子を寄せてきながら、


「じゃあ、将来の夢とかはある? 『青の瞳』とその魔力は、いろんな人がほっとかないと思うけどさ、ゆーじくんの希望として」

「えー、えーと……?」


 聞かれた祐司は顎に手をやり、少し考えて、


「……――うん、とりあえず、遠めの学校に行きたいですかね」

「遠めのがっこ?」


 きょとんとしたひなたに、「あの、あれです」となぜか言い訳がましく答える。


「その、やっぱり都心まで出ないと、専門の学科って少なくて……。それに、家から通うのが、ちょっと抵抗があるというかナントイウカ」


 最後は小声で付け足し、もじもじと指をいじる祐司。

 ひなたは、以前行った立派なダイニングの家を思い出す。わざわざ、どこかに行かなくても良さそうだが。

 祐司は視線を下げたまま続ける。


「先輩と先生のおかげで、魔法が徐々に使えるようになっているので……ちゃんと勉強したいとは思っているんです。それに、まあまあ先立つものはあるんですよ。だから、ひとりで頑張ってみたいなあと、そういうことです」


 言いながら頷いている。自分で自分の台詞に納得しているようだ。


「ほうほう、独り立ち、というやつかな?」

「そうです、字のごとく独立したいんです」

「なるほど、いい心がけだね」


 ひなたは微笑んだ。自分の将来を描けていることは良いことだ。


「い、いや、そんな……ただの逃避です……」


 そんな笑顔が眩しそうに、祐司は小さくそう付け足す。

 ひなたは、はたはたと手を振って、


「謙遜しすぎだよ~。そもそも、君はまだ十五歳じゃないか、自立のこと考えてる子なんて、まだそういないんじゃない?」

「そうですかね?」


 眉を下げた笑顔で返し、祐司も尋ねた。


「先輩はどうですか? 将来の目標」

「うん、不明存在専門の医療系に就けたらなーって思ってるよ」


 あまり聞かない職業を示される。小首を傾げ、


「不明存在の医療系、といいますと……?」

「えっとね、不明存在に関わってしまった所為で、治療を受ける必要がある人たちを、精神面で支える人になりたいの」

「カウンセラーのようなもの、でしょうか?」

「そうだね、近い感じかな。

 んでも、普通のカウンセリングと違って――たとえば、不明存在って言ったって、いろんな姿形、能力や影響を持ってるでしょ? だから、まず不明存在に詳しくないといけない。もちろん、精神医学も必要だし、心理学だって必要だよね。

 それを考えると、大学に長めにいて勉強もしたいけど、実地で経験も積まなきゃだし、ちゃんとした資格も取らないと……」


 滔々とうとうと話すひなたに、祐司は再びまばたく。


「すごいですね……そんなにたくさん?」


 ひなたは笑いながら、


「そんな、言えばいくらだって知識は必要だよ。もちろん実践もたっくさんね」


 そう言う翠の瞳の意志は固い。

 それを見ると、自然と尊敬の念が湧いてきた。


「先輩は、さすがですね。将来が具体的ではっきりしてる」


 自分はまだそこまでの将来を見据えているわけではない。

 ひなたは視線を宙空にやって、話を続けた。


「うーん、なんかね、最近やりたいことを考えていて、気づいたんだよ。

 職業って、だいたいがスペクトラムなんじゃないかなあって」

「す、すぺ……?」

 聞き慣れない言葉に祐司が戸惑うと、ひなたは視線を戻して解説する。

「えーとね、『ものごとの境界があいまいで、連続してる』っていうような意味なんだけど……。

 そう、たとえば、学校の先生、『教諭』だって、授業で担当教科を教えるだけじゃないでしょ? いろんなクラスの進捗を管理したり、他の先生と折衝したり、生徒から相談受けたり生活態度を見たりするじゃない? つまり、いろんなスキルが必要なわけだよ」

「なるほど……」

 二、三度、頷く祐司。

 ひなたは「だからね」と続ける。

「どんな職業も、きっとずっと知識と経験を更新することが大事なんだー、……って、えへへ、やだな、なんか語ってしまったよ」

 照れ笑いで頬を押さえるひなたは、とてもかわいらしい。

 放課後だけの語り合いだが、彼女といると自分の思考も広がっていくようにさえ思える。

 尊敬できてキュートな先輩。そんな人がそうそう居るだろうか。

 ぜひその素敵なセーラー服のもうちょっと近くで、もっと話を――。


「――いやあ、そんなに教諭が大変だと思ってくれているとは、感激だなぁ」


 低音のいい声が突如背後から響いた。

「ぅわあ!」現れた気配と音声に完全に虚を突かれ、ひねりのない悲鳴を上げる祐司。

 ひなたは後ろを向き、呆れたように息をついて言う。

「クロト先生? その癖、どうにかしたほうがいいと思うんですが」

「はっはっは。いやあね、背中があんなに無防備だと、つい」

「つい、じゃないですよ……もう……」


 脱力する祐司。なんというか、クロトには勝てそうにない。

 ひなたが先を促す。


「それで、こんな時間にどうされたんですか? もうすぐ下校時間ですけど……」

「うん、――神羽森かんばもりひなた委員長、出番だ」


 真面目な口調に戻り、クロトが続ける。


「先ほど、"『影渡り』が出た"と連絡があった」

「また面倒なのが出ましたね……」


 渋面で首を振るひなたに、クロトは頷き、


「まったくだね。いつも通り、この地区まで追い込んで処理する。

 決行は今夜。は、学校の前で待機。防御は他に任せてあるから、多分大丈夫だ」


 祐司はその言葉に驚き、


「え、"君たち"って、俺もですか? というか、『影渡り』って?」

「悪いが説明は神羽森くんから聞いてくれ。ちょっと急ぎなんだ」

「はい、クロト先生、気を付けて」

「まかせなさい。瀬尾せのおくんも、不明存在対策部の一員として、ぜひ力を貸してくれたまえ。あまり無理はしないように!」

 言いながらクロトは手を振り、今度は普通にドアから出ていった。

 祐司はドアから視線をさまよわせ、ひなたを見る。

「あの……何が何だか、よくわからないのですが……」

「大丈夫、ちゃんと説明するよ。

 でもちょっと長くなるから、帰りながら話そうか」――――



 ――暮れようとする空の色は、熱に揺らめくグラデーション。

 だが、誰もが知っている。

 その後には光の届かない、真っ暗な夜がやってくることを。


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