闇を渡る -1-
「影渡り」。
それは"世界の狭間"から現れる、不明存在の一種だ。
外見は真っ黒なワーム状で、通常は一体30cm前後。10~20個体の群れで出現する。
基本的な行動としては、生物を喰らって、その生命力を自身の魔力に変える。人間も標的にする敵性生物のため『魔物』に区分され、駆除対象だ。
名の通り、ある程度の距離なら「影を渡る」――影から別の影へ自由に移動する能力を有するため、直接の捕獲は難しい。しかし、渡ることのできる距離は短いため、数人のグループで光源を操り、一カ所の闇に追い込む手法が確立している。
――すっかり日の暮れた夜の校門前。
まだ昼の熱気は冷めないが、風は涼しく、心地よいくらいだ。
ひなたと
祐司はひなたの説明を頷きながら聞き終わり、
「……あの、「影渡り」についてはわかりました……んですけど」
しかし、首を傾げた。
「どうして俺までここにいるんでしょう……?」
確かにここ一月ほど、特訓や練習をしているが、まだ攻撃魔法や補助魔法が使えるわけではない。
「それはねー」
にっこりと眩しい笑顔でひなたは言った。
「『青の瞳』を切り札にしてみよう! って思って」
しかし祐司はちゃんとわかっているので、
「……はっきり「おびき寄せるための餌」、と言っていいんですよ……」
「あっ、そのじっとりした視線、やっぱりいいね!」
「よくはないです」
ふう、と軽く息をつき、ひなたの箒に視線を移す。
「先輩は何をするんです? 空から監視とか?」
「ううん、防御担当の人が来るから、その人と連携して、追い込まれてくる「影渡り」を捕獲するよ。
『
「『闇喰い』って、そんなこともできるんですか?」
巨大キツネの一件を思い出し、祐司は驚く。
「一応ね。影は闇、闇は私の能力の一端。
まだ上手にできるとは言えないけど、『闇喰い』みたいに闇の中でも捕縛魔法が使えるんだ」
「「影渡り」を捕まえるのが夜なのも、そういう理由から……?」
ものを捕まえるなら、それも影を渡るものが相手なら、昼間の方が良さそうだが。
「いやいや、それは、一般の人を危険から遠ざけるためだよ。さっき市内放送でも言ってたじゃない、『夜間の一人歩き、不要不急の外出は避けましょう』って」
「確かに、今までも何度か聞いたことがありますね、よく考えれば」
その放送のむこうには、『委員長』であるひなたや、その他構成員の体を張った活動があるのだ。
祐司は、平和は誰かが守ってくれているものなのだな、と納得した。
……まだ、"自分がそれに巻きこまれている"ことには気づいてないようだが。
「で、なんで学校前に、制服でいるんですかね」
「学校には十ツ星の封印がかかってる。つまり、誰も出入りできないんだ。だから、壁の役割だね。
あと、制服に簡易な防護の魔法がかかってるって知らない?」
「えっ」
ひなたはいつものセーラー服、祐司も半袖のワイシャツにスラックスなのだが、そんな説明されたっけ?
祐司のハテナ顔に、ひなたは指を振りながら答える。
「私達は、学校に通っているだけで魔力がだんだん強くなるでしょ。勉強して、実践やって。だから、『魔物』に狙われやすいんだ。そこで、最低限は防げるように、制服が特殊な製法でできている、ってクロト先生が言ってた」
「なるほど……」
クロトはいい加減かもしれないが、肝心なところでは冗談を挟まない。
祐司はまた頷いて、最後の質問をした。
「それで、えーと、防御担当の人とは……?」
「もうすぐ来るよ。いま、攻勢の第三班が、ここへ相手を追い立てながら数を減らしてるから、私達はそれを待つだけかな。
クロト先生が、担当の人は防御や補助の魔法を適宜かけてくれるって話なんだけど……あ、来たみたい」
話しているうちに時間になったようだ。
靴音と共に街灯の下に現れたのは、中年の男性だった。
だが、
「……おい、何の冗談だ?」
感情を抑えているような低い声で、男は言った。
きつい煙草臭さに、無精髭と寝癖のついたままの髪。
祐司が、思わずといったように、一歩後ろに下がった。
「――――父さん……!」
「!?」
「俺をそう呼ぶな!」
顔を隠すような髪の間から見える茶色の瞳は、はっきりと祐司を睨んでいた。
一定の距離以上近づかない男を見て、ひなたはそっと尋ねる。
「ゆーじくんの……お父様なの?」
「……はい、そうです……」
じっと見比べてみれば、確かに鼻筋と顎のラインは似ている。
ただ、
戸惑いや苦々しさを発する祐司と、噛みつくような威嚇の感情を向けてくるその父。
だが、男は先に視線を逸らし、大きく息をつくと、
「――仕方がない。今日は仕事だ。それ以上のことはしない」
「わかってる……ごめん」
そう謝る言葉も気に入らないのか、舌打ちをしてから、男は続けた。
「
どうやら、近くにいたから呼ばれたらしい」
「俺は――」祐司が話そうとするが、
「聞きたくもない」
ひと言で続きを拒絶すると、
「隣にいる『空飛ぶ魔女』がお前に興味を持つのは当然だからな、『青の瞳』」
最後の呼び名には、強い憎しみがこもっていた。
「……失礼ですけど、要平さん」
ひなたは父親に呼びかけた。家庭の事情に口を挟むなんてできないが、あんまりだと思ったのだ。
だが、それさえ遮って、要平は言った。
「上司だから、特別に説明をする。
俺の魔力量を視てみればいい。それでわかるだろう」
「…………?」
言われたとおり、ひなたは相手の魔力を視た。
一般の人間を1とすると、「魔力を持つ」と言われる人のものは大体7から8程度だ。
要平も平均的な魔力量、7程度の量であるとみられた。
だが、これは少しおかしい。
祐司の母は、ごく一般的な魔力しか持っていなかった。
強大な魔力は、大抵が血縁からの遺伝だ。
『青の瞳』となればなおさら、近親者がもっと魔力を持つはずである。
ひなたが困惑したのを察したのか、要平は続けた。
「俺の旧姓は『
「!! ヒトトセ……!?」
「まあ、こんな平凡な俺からはまったく想像も付かないだろうな」
自嘲するように父がそう言うと、祐司は俯いた。
「――先輩ならご存じでしょう。
陽杜瀬は"血を混ぜる"ことで魔力量を上げる方法を選んだ一族です。
その中でも、俺は隔世遺伝のようなものらしく……」
「変異種とも言える。陽杜瀬でも、これほどの魔力を持つことは少ない。完全な失敗作だった俺と、一般人の女から『青の瞳』が生まれるなど、誰も予想していなかったんだよ。
――まあ、だからこそ、こいつは一族に組み込まれることなく、「瀬尾」として生きていられるんだがな」
――そこまで聞いて、ひなたは祐司が魔法を使えない理由に思い至った。
使えないのではなく、敢えて使ってこなかったのだ。
そしておそらく、あの広いマンションに、父親とは住んでいない。
母親も忙しいと聞いている。祐司はきっと、ほぼ毎日をひとりで過ごしているのだろう。
わかってしまったことに、ひなたは歯噛みしそうになった。
だが、今はそのことを考えている場合ではない。まずは「影渡り」にフォーカスしなくては。
「……要平さん。それでは防御の補助をお願いします」
「――"我が名に於いて命ずる、星よ光よ、守護の力よ、
詠唱と共に、淡い緑の光が三人を包む。
基本的な防護の魔法だ。これで、物理攻撃ならダメージをかなり軽減できる。
要平は相変わらず自嘲的な響きを含ませながら、
「ではな。俺は基本的に後方支援しか出来ない。これ以上手出などししない。無駄だからな」
そう言ってこちらへ背を向けた。
「父さん!」
祐司が叫ぶが、それを無視するように、
「俺がいる方が動きづらいだろう、委員長さん」
「持ち場を放棄したことはちゃんと報告しますよ」
「いくらでも上に言えばいい。やめたくてもやめられない。
それが、この魔法の少ない世界の宿命だろう?
それに、俺はお前の近くになど居たくないからな」
半身で茶色の瞳はこちら――祐司を再び睨み、その背は住宅街へと遠のいていった。
ひなたはそれを見送ることなく、改めて祐司に向き直る。
「――よし、じゃあゆーじくん、行こうか」
「はい……」
期せずして父親に遭ったことがかなり影響しているらしい。祐司の動揺が表情にも出ている。
ひなたはにっこり笑って、両手で祐司の両手を取った。
「大丈夫、だいじょうぶ、ゆーじくんは私が守るからね」
ぶんぶんと腕を振ると、つられたように祐司も少し微笑んだ。
「……大船に乗ったつもりでいます」
「よろしい! では、そろそろやってみようか」
「えっと、な、なにを……?」
ひなたは青いスカーフのリボン結びをきゅっと締め、
「まずは雑魚を倒すところから! なんせ相手は基本『群れ』だからね、どうしてもはぐれて来るやつはいるんだよ――――そことか」
「!!」
途端、祐司の影がこぼれた墨のように動いた。
「うわわ!」
「さすがは『青の瞳』、ほんとに襲ってくるなんて――」
「おっ、俺はどうすれば」
それに応える間もなく、ひなたは動く。
慌てたように影から出てきたのは、蛇型のうねり動くもの。
「影渡り」だ。
ひなたはその30cmにも満たない相手を、箒の柄を下にして、
「"星よ!"」
正確に突き刺した。
ちいさな白光の柱が産まれて消え、いつかのように、その手のひらの上にはこんぺいとうが浮かんでいる。
ぱく、とそれを食べると、
「というようにね、こういう弱い個体なら私ひとりでもなんとかなるんだけど」
「は、はぁ……」
「そろそろ来るかな……?」
ズン、と一瞬足元が揺れた。
地震ではない、巨大なものが動いている音だ。
「えっ、ちょっと、この地響きはなんですか……!?」
「第三班が追い立ててきてくれたのと、――ゆーじくんの魔力を求めて、だね」
街灯に照らされてできた影のむこう、かすかに残る夕陽の色に照らされ、闇の上にその姿はようやくはっきりと見えた。
「うわ!」
「じゃーん、これが「影渡り」の群れだよ」
それは全長5mはある、巨大な毒蛇の姿だった。
金色の瞳がはっきりと見えた。濃紫の体表は常にうねうねと動いている。鎌首をもたげ、威嚇するように広げられた口は、祐司が知るように二股の舌と毒牙が見える。
こんなの、俺一呑みじゃん!
いつもなら出る台詞も出てこない。
襲われる恐怖の方が
ひなたはそんな祐司に「いい?」と話しかける。
「影を渡る能力を逆手にとるのが基本的な動き。光を投下して、こうして群れをひとところに収束させる。そのまま、術者のところに連れてきて――」
ひなたは箒の柄の重心を持ち、しっかりと腕を伸ばして叫んだ。
「"捕縛"!!」
腹に響くような重低音が、ひとつ音を打った。
命ぜられたとおり、ひなたからあふれた速度のある白い光は、何周も巨大な「影渡り」を回り、一気に締め上げる。
「"神羽森ひなたの名に於いて命ずる、幻想よ、我らが星となれ!!"」
ぶわり、と巨大な白光の柱が地上から立ち
ガラスをひっかいたような嫌な高音が響く。
そして光が、夕焼けの名残を残す辺り一帯に広がり――。
「……せ、先輩?」
前回同様、眩しさのあまり目を閉じていた祐司が、そっと目を開ける。
「はいはーい、これで処理完了だよ~」
微笑むひなたの両手の上には、10個以上はあるだろうか、たくさんのこんぺいとうが浮かんでいた。
「うわ、すごい量ですね……これ、全部あのでっかいやつだったんですか?」
「うん、見た目は一匹だけど、一応群れだからね。いやあ、先手が取れるというのはいいことだ」
ひなたはスカートのポケットからちいさな瓶を取り出すと、そこにコロコロとこんぺいとうを入れた。
「……先手が取れる、ってどういう事です?」
「いい質問だね。君は、魔力を糧とするものにとっては、そう『びっくり装置』なんだよ」
「――なんです、その怪しいの……」
「つまりね、私とゆーじくんがいた場合、ゆーじくんを見て、『やっべ、おいしそうなのがいるじゃん! すげえ!』って、どうしても一瞬思っちゃうんだよ。街で美人さんを見ると振り向いちゃうのと同じ状況だね」
「で、つまり」
「そう! ゆーじくんがいるから、必ずそこに隙が生まれるってこと!
だから、魔法の発動がちょい遅めな私でも、捕縛魔法で相手の動きを押さえられるんだ」
本当におとりにされていた祐司である。
がっくりと肩を落とし、なんとなく先ほどの「影渡り」が来た方向と逆の影へ視線をやる。
――途端、瞳の青が、それを捉えた。
「――――先輩」
じり、と片足を下げ、祐司はひなたを呼んだ。
「どしたの、ゆーじくん……――」
祐司の瞳が闇の深くを見ていることに、ひなたは気づいた。
緊張を孕んだ固い声で、祐司は身構えながら、闇を指さす。
「まだです、来ます……!!」
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