闇を渡る



 「影渡り」は、『不明存在』の一種だ。

 よく出現するので、一般の人は「魔物」の一種と呼んだりする。


 外見は濃い紫から黒色のワーム状で、通常は一体30cm前後。10~20個体の群れで出現する。

 基本的に、出現すると近くの生物を喰らい、自身の魔力に変え、段階を経て大型化する。

 人間や家畜も標的にするため、対策局の勧告では「駆除対象」だ。


 名の通り、ある程度の距離なら「影を渡る」――影から別の影へ自由に移動する能力を有するため、直接の捕獲は難しい。

 しかし、渡ることのできる距離は最初の小群であれば短いため、数人のグループで光源を操り、一カ所の闇に追い込む手法が確立している。





 ――日の暮れかかる、十ツ星高校の校門前。

 まだ昼の熱気は冷めないが、いまは風が涼しく、心地よいくらいだ。


 ひなたと祐司ゆうじは制服姿のまま、各々ホウキと杖を持って待機していた。


 祐司はひなたの説明を頷きながら聞き終わり、


「……あの、「影渡り」についてはわかりました……んですけど」


 しかし、首を傾げた。


「どうして俺までここにいるんでしょう……?」


 ここ一月ほど、確かに特訓や練習をしているが、まだ攻撃魔法や補助魔法が使えるわけではない。


「それはねー」

 にっこりと眩しい笑顔でひなたは言った。

「『青の瞳』を切り札にしてみよう! って思って」

 しかし祐司はちゃんとわかっているので、

「……はっきり「おびき寄せるための餌」、と言っていいんですよ……」

「あっ、そのじっとりした視線、やっぱりいいね!」

「よくはないです」


 ふう、と軽く息をつき、ひなたの箒に視線を移す。


「先輩は何をするんです? 空から監視とか?」

「ううん、防御担当の人が来るから、その人に防御かけてもらって、私が追い込まれてくる「影渡り」を捕獲するんだ。

 『闇喰やみくい』を使って、「影渡り」を引きずり出す」

「『闇喰い』って、そんなこともできるんですか?」


 大狐の一件を思い出し、祐司は驚く。


「一応ね。影は闇、闇は私の能力の一端。

 まだ上手にできるとは言えないけど、『闇喰い』みたいに闇の中でも捕縛魔法が使えるんだ」

「「影渡り」を捕まえるのが夜なのも、そういう理由から……?」


 ものを捕まえるなら、それも影を渡るものが相手なら、昼間の方が良さそうだが。


「いやいや、それは一般の人を危険から遠ざけるためだよ。さっき市内放送でも言ってたじゃない、『夜間の一人歩き、不要不急の外出は避けましょう』って」

「確かに、今までも何度か聞いたことがありますね、よく考えれば」


 その放送のむこうには、『委員長』であるひなたや、その他構成員たちの体を張った活動があるのだ。

 祐司は、平和は誰かが守ってくれているものなのだ、と納得した。

 ……まだ、"自分がそれに巻きこまれている"ことには気づいてないようだが。


「で、なんで学校前に、制服でいるんですかね」

「学校には十ツ星の封印がかかってる。つまり、人に仇なすものは出入りできないんだ。だから、壁の役割だね。

 あと、制服に簡易な防護の魔法がかかってるって知らない?」

「え」


 ひなたはいつものセーラー服、祐司も半袖のワイシャツにスラックスなのだが、そんな説明されたっけ?

 祐司のハテナ顔に、ひなたは指を振りながら答える。


「私達は、学校に通っているだけで魔力がだんだん強くなるでしょ。勉強して、実践やって。だから、その魔力を狙われやすいんだ。

 そこで、最低限は防げるように、制服が特殊な製法でできてるんだよ、ってクロト先生が」

「なるほど……」


 クロトはいい加減かもしれないが、大事なところでは冗談を挟まない。

 祐司はまた頷いて、最後の質問をした。


「それで、えーと、防御担当の人とは……?」

「もうすぐ来るよ。いま、攻撃担当の第一から三班が、ここへ相手を数を減らしながらやってくるから、私達はそれを待つだけかな。

 担当の人は防御や補助の魔法をかけてくれるって話なんだけど……あ、来たみたい」


 話しているうちに時間になったようだ。

 靴音と共に街灯の下に現れたのは、中年の男性だった。

 だが、


「……おい、何の冗談だ?」


 感情を抑えているような低い声で、男は言った。

 寝癖のついたままのくせ毛。どこかで見た面差し。

 祐司が、思わずといったように、一歩後ろに下がった。


「――父さん!」

「!?」

「俺をそう呼ぶな!」


 顔を隠すような長い前髪の間から見える茶色の瞳は、はっきりと祐司を睨んでいた。

 一定の距離以上近づかない男を見て、ひなたはそっと尋ねる。


「ゆーじくんの……お父様なの?」

「……はい、そうです……」


 じっと見比べてみれば、確かに鼻筋と顎のラインは似ている。

 ただ、あらわれているオーラや感情は全く違う。

 戸惑いや苦々しさを発する祐司と、噛みつくような威嚇の感情を向けてくる男。

 だが、男は先に視線を逸らし、大きく息をつくと、


「――仕方がない。今日は仕事だ。それ以上のことはしない」

「わかってる……ごめん」


 そう謝る言葉も気に入らないのか、舌打ちをしてから、男は続けた。


神羽森かんばもりの『委員長』さん。瀬尾せのお要平ようへいだ。

 どうやら、近くにいたから呼ばれたらしい。

 『空飛ぶ魔女』様がお前に興味を持つのは当然だからな、『』殿」


 最後の呼び名には、強い憎しみがこもっていた。


「そうそう、一つ教えておこうか」


 癖のように片目を隠した前髪を触りながら、彼は言う。


「俺たちは『ヒトトセ』の末裔だ」

「ヒトトセ?! あの、魔力特化の……今は……」


 そこでひなたは言葉を失った。

 

「そうだよ。ありとあらゆる血を入れて、術士を入れて、結局肉体が魔力に負けたあの『ヒトトセ』だ! できあがったのは俺のような落伍者の群れ。

 ――そして、誰もが諦めたあとに残ったのが、その『青の瞳』だ!」


 ぎらぎらとした片目で、恨みも何もかもぶつけるように父のはずの男は言う。 


「俺は何も悪くない! 『青の瞳』は偶然の産物だ! ただの女のはらから、そんなものが生まれてくるはずはないだろう!? ヒトトセの秘技も血脈も、散逸して誰ももう元には戻せない! 俺は死ぬまでヒトトセに縛られるのにこいつは――!!」


 そこまで聞いて、ひなたは祐司が魔法を使えない理由に思い至った。

 使のではなく、敢えて使のだ。

 これだけ実父に言い続けられれば、ふつうの子供はそうするだろう。

 だが、それすら要平には苦痛であったはずだ。

 使わないこと、それは、「『青の瞳』を完全に制御できている」という証左でもあるから――。


 ひなたは一瞬そう考え、「影渡り」に集中しなくてはと頭を振る。


「……要平さん、言い分はわかりました。

 ですが今は、あなたも対策局の人間のはず。防御の補助をお願いします」

「――"我が名に於いて命ずる、星よ光よ、守護の力よ、あらわれよ"」


 詠唱と共に、淡い緑の光が三人を包む。

 基本的な防護の魔法だ。これで、物理攻撃ならダメージを軽減できる。


 要平は相変わらず自嘲的な響きを含ませながら、


「では失礼する、委員長さん。

 俺は後方支援程度しか出来ない。だからこれ以上手出はしない。無駄だからな」


 そう言ってこちらへ背を向けた。


「父さん! 話を――」


 祐司が叫ぶが、それを無視するように、


「俺がいる方が動きづらいだろう」

「ちゃんと報告しますよ、私はただの『委員長』ですから」

「いくらでも他人に言えばいい。

 やめたくてもやめられない。それが、この魔法の少ない世界の宿命だろう?

 それに、俺はお前の近くになど居たくないからな」


 半身で祐司を再び睨むと、その靴音は住宅街へと去っていった。

 ひなたはそれを見送ることなく、改めて祐司に向き直る。


「――よし、じゃあゆーじくん、行こうか」

「はい……」


 期せずして父親に遭ったことがかなり影響しているらしい。動揺が声にも表情にも出ている。

 ひなたはにっこり笑って、両手で祐司の両手を取った。


「大丈夫、だいじょうぶ、ゆーじくんは私が守るからね」


 ぶんぶんと腕を振ると、つられたように祐司も少し微笑んだ。


「……大船に乗ったつもりでいます」

「よろしい! では、そろそろやってみようか」

「えっと、な、なにを……?」


 ひなたは青いスカーフのリボン結びをきゅっと締め、


「まずは雑魚を倒すところから! なんせ相手は基本『群れ』だからね、どうしてもはぐれて来るやつはいるんだよ――――とか」

「!!」


 途端、祐司の影がこぼれた墨のように


「うわわ!」

「おお、ほんとに襲ってくるなんて、さすがだね」

「おっ、俺はどうすれば」


 それに応える間もなく、ひなたは動く。

 慌てたように影から出てきたのは、蛇型のうねり動くもの。

 「影渡り」だ。

 ひなたはその30cmにも満たない相手を、箒の柄を下にして、


「"星よ!"」


 正確に突き刺した。

 ちいさな白光の柱が産まれて消え、いつかのように、その手のひらの上にはこんぺいとうが浮かんでいる。

 ぱく、とそれを食べると、


「というようにね、こういう弱い個体なら私ひとりでもなんとかなるんだけど」

「は、はぁ……」

「そろそろ来るかな……?」


 ズン、と一瞬足元が揺れた。

 地震ではない、巨大なものが動いている音だ。


「えっ、ちょっと、この地響きはなんですか……!?」

「追い立ててきてくれたのと、――ゆーじくんの魔力を求めて、だね」


 街灯に照らされてできた影のむこう、かすかな残照に照らされ、その姿はようやくはっきりと見えた。


「うわ!」

「じゃーん、これが「影渡り」の群れだよ」


 それは全長5mはある、巨大な毒蛇の姿だった。

 裂けた瞳孔の瞳がはっきり見えた。濃紫の体表は常にうねうねと動いている。鎌首をもたげ、威嚇するように広げられた口には、祐司が知るように二股の舌と毒牙が見える。


 いつもなら出るような台詞も出てこない。

 襲われる恐怖の方がまさった。

 ひなたはそんな祐司に「いい?」と話しかける。


「影を渡る能力を逆手にとるのが基本的な動き。光を投下して、こうして群れをひとところに収束させる。そのまま、術士のところに連れてきて――」


 ひなたはホウキの重心を持ち、しっかりと腕を伸ばして叫んだ。


「"捕縛"!!」


 命ぜられたとおり、ひなたからあふれた速度のある白い光は、何周も巨大な「影渡り」を回り、一気に締め上げる。


「"神羽森ひなたの名に於いて命ずる、幻想よ、我らが星となれ!!"」


 ぶわり、と巨大な白光の柱が地上から立ちのぼり、「影渡り」を完全に包んだ。

 ガラスをひっかいたような嫌な高音が響く。

 そして光が、夕焼けの名残を残す辺り一帯に広がり――。


「……せ、先輩?」


 眩しさのあまり目を閉じていた祐司が、そっと目を開ける。


「はいはーい、これで処理完了だよ~」


 微笑むひなたの両手の上には、10個以上はあるだろうか、たくさんのこんぺいとうが浮かんでいた。


「うわ、すごい量ですね……これ、全部あのでっかいやつだったんですか?」

「うん、見た目は一匹だけど、一応群れだからね。いやあ、先手が取れるというのはいいことだ」


 ひなたはスカートのポケットからちいさな瓶を取り出すと、そこにコロコロとこんぺいとうを入れた。


「……先手が取れる、ってどういう事です?」

「いい質問だね。君は、魔力を糧とするものにとっては、そう『びっくり装置』なんだよ」

「――なんです、その怪しいの……」

「つまりね、私とゆーじくんがいた場合、ゆーじくんを見て、『やっべ、おいしそうなのがいるじゃん! すげえ!』って、どうしても一瞬思っちゃうんだよ。街で美人さんを見ると振り向いちゃうのと同じ状況だね」

「で、つまり」

「そう! ゆーじくんがいるから、必ずそこに隙が生まれるってこと!

 だから、魔法の発動がちょい遅めな私でも、捕縛魔法で相手の動きを押さえられるんだ」


 本当におとりにされていた祐司である。

 がっくりと肩を落とし、なんとなく先ほどの「影渡り」が来た方向と逆の影へ視線をやる。


 ――途端、瞳の青が、それを捉えた。


「――――先輩」


 じり、とひなたの前に出て、祐司は言った。


「どしたの、ゆーじくん……――」


 祐司の瞳が闇の深くを見ていることに、ひなたは気づいた。

 緊張を孕んだ固い声で、身構えながら、闇を指さす。


「まだです、……!!」



 ――さっと、冷たい夜風が吹く。


 真っ先に感じ取ったのはそこにある存在の大きさだ。

 祐司が示した地面の影……いや、影より深い闇は、身震いするように蠢き、そして水からあがるようにその巨体が現れた。

 

 先ほどの「影渡り」よりも長大で、極太の身体。

 見た目は環形動物――闇色の蚯蚓みみずに近い。

 体皮の表面は波打ち、いくつもの「影渡り」が合体した姿であることを示している。

 目も牙も捨て、代わりに合一することを選んだようだ。


「な……なんですこれ!?」


 じりじり下がりながら、ひなたに問いかける祐司。

 ひなたは箒を握り、じっと相手から視線を外さず、


「うん、いわゆる変異体ってやつだね。

 本来の群れを分割して、欲しいもののところへ直接来たんだ」

「欲しいもの……って……」

「魔力の固まり、私たちの力と、ゆーじくんの目だよ!」

「!?」


 祐司は声も出せずにおののく。


「い、いままで狙われたことなんてないんですけど、これってそんなに重要なんですか!?」

「ゆーじくんが使い方、ただあふれて消えてた魔力を、流れとして使えるようになってきたってこと!」

「それはうれし……うれしくない……!!」

「よっし、いくよ! でもちょっとこれは難しいかも……!」


 相手は蛇のように鎌首をもたげたまま動かないが、それはいつでもこちらを潰せるからだ。

 こちらの戦力はひなただけ。描いた陣を、両手を合わせて練り上げる。

 「影渡り」を包むように腕を広げると、白い光の陣が巨大な相手の身を包み込んだ。


「"捕縛"!!」

 

 ぎりり、と陣が相手を縛るが、しかし鈍い金属音と共に光は八方へ飛び散った。


「先輩!」

「魔力が足りないんだ! なんてやつ……!!」


 片腕で祐司をかばいながら、ひなたは考える。

 もうしばらくすれば、攻撃担当班が来るだろう。この巨大さでも駆除できる。

 だがそれまでにこちらが潰れる方が早い。ひなたは冷静にそこまで考えた。


 ――しかし、自分はいま背中に守るものを持っている。

 責任なら、『委員長』の肩書きと、大人が取ってくれるだろう。

 息をついて、ひなたは振り向き、祐司と視線を合わせる。


「ゆーじくん、先にむこうへ――」

「絶対に逃げませんからね、先輩」

「ちょっと!? そんなこと言ってる場合じゃ」

「俺は女の人を置いていくような、根性の足りない男ではないんです」


 強がりの顔に汗と笑みを浮かべて、


「俺と戦ってくれませんか」


 祐司はひなたの手を取った。

 息を大きく吸って、空へ叫ぶ。


「"開け、天空の瞳――!"」


 腹に響くような、一度きりの重低音。

 併せて、青の光が足元で一瞬、ふたりを包むように円弧を描いた。

 そのまま、風と共に青光の柱が立ち上がる。

 夜空まで届く巨大な柱はそのままふっと消えた。


「――!?」


 すると、どういう理屈か、膨大な魔力が滾々こんこんと繋いだ手から溢れてくる。尽きることのない、清水のように。

 じっと祐司がひなたを見る。

 なびく金髪を押さえながら、ひなたも祐司を見た。


「実は、やってみるまでどうなるかわかりませんでしたが……」


 その『青の瞳』が、わずかに発光している。

 純度の高い魔力を行使している証、魔力そのものの光だ。


「うまくいきました。だいじょうぶ……ですか」

「大丈夫、すごくうまく吸収できてるよ」

「はい。なびいてるその制服と金髪、最高にきれいです、先輩」

「――あとで覚悟しておくように」

「よろこんで!」


 仕方ねーな、とひなたは苦笑する。

 そしてぐっと箒の柄を握り直し、


「よし、これなら出力、強めでいける!

 "いざあらわれよ、我が意に従え、捕縛の陣"――――!!」


 両手を夜空に掲げると、手のひらからの光が素早く巨大な白陣を描いた。

 相手が地響きのように唸る。身の危険を感じたか、表皮から矢のように「影渡り」を飛ばしてくるが、


「っ!」


 こちらに触れる前に、軽い音を立て、光を散らしてこんぺいとうに変化した。


「えっ、詠唱してないのに……?」


 魔力の方向性、使い方を決めること、それが詠唱が必要な理由だ。

 それなのに、意思を向けただけで次々とこんぺいとうが生まれていく。


「これが『青の瞳』の本気ってこと?」


 祐司はすこし手を組み替えて、戸惑うひなたに笑う。


「いいえ、違いますよ、すごいのは先輩の才覚です。

 先輩は『魔力さえあればこのくらい楽勝』ということです! どうか、相手を頼みます」

「わかった、任せて!

 じゃあちょっと豪勢なの、いってみようか――!」


 きらきら瞳に映るこんぺいとうの光を受け、ひなたはホウキを掲げた。


「"神羽森ひなたの名に於いて命ずる、集いし幻想よ、我が星々となれ!!"」


 白い七重の捕縛にその巨体を封じられ、「影渡り」はもう何もできなかった。

 立ち上がる白光の柱に、暗い夜空が明るく照らされる。

 一気に生じた無数のこんぺいとうは夜空の星のようにやわらかく輝き、そして順にひなたの差し出した小瓶の中へと入っていった。


「…………はーっ」


 ひなたは瓶の蓋を閉めてから大きく息をついた。

 そして祐司に向き直り、腰に手を当て、


「行き当たりばったり! 考えなし! 後悔先に立たず!」

「なんだか意味がバラバラですが……」

「もう、ほんとに、君は無茶するなあ! 逃げてって言ったのに!」

「なにをおっしゃいます。先輩の勇姿を見逃すわけにはいきません。

 なびくスカートとセーラー襟に、長い金色の髪、どこをとっても最高でした」

「この制服バカ」

「その通りなので、今後ともどうぞよろしくお願いします」

「ほんとにばかなのかな……?」


 ふたりの間に、いっとき和んだ空気が流れた。


 ――が。


 『青の瞳』は、視界の端の影にそれを視た。

 ちいさく、這いずることもままならない形態だが、その「影渡り」はひなたを襲おうとしている。

 視えた瞬間、体が動いた。


「先輩!」


 とっさにひなたへ体当たりをすると、飛び出した「影渡り」は、その牙で祐司の胴深くに食いついた。


「この……っ!!!」


 青色の瞳が鈍く輝く。

 噛みつかれた痛みなどより、腹の底が燃えるように熱い。

 祐司は思い切り杖を振りかぶると、


「"――!"」


 「影渡り」とを貫いた。


「祐司くん!」


 持ち主の意思通り、「影渡り」は燃え尽きたように風に消えた。

 祐司はじっとまた影を見つめるが、もう何の気配も視えない。

 よかった。そう息をつこうとしたのに、なぜか膝から力が抜けていく。

 強い力でひなたに肩を揺さぶられるが、視線があがらない。


「ゆーじくん、しっかりして、こっちを見て!」


 声に応えられず、杖に縋りながらずるずると座り込み、自分の腹を見た。

 血は出ていないが、闇に侵されたように脇腹がすすけている。

 そこで、音が一段、かぶさるように聞こえづらくなっていることに気づいた。

 どうなっているのだろうか。

 よくわからず、左右を見回すと、


「祐司くん! 君は……!!」


 遠くの影から、走ってやってきたのは、クロトだった。

 なんともめずらしい。慌てているのかな?

 その後ろに、揃いの作業着を着た、おそらく攻撃担当の人々も見える。

 ――もう、なにやってたんですか、大変だったんですよ。

 そう声を出そうとしたが、なぜだかうまくいかない。

 そんな祐司に、クロトはいつもより優しく笑って言う。


「よく頑張った。さあ、横になって」


 言われると、どっと疲労感が襲ってきた。

 地面に身体を伸ばすと、次々と心配事がぎっていく。

 ――先生、先輩はどうしました? 「影渡り」は……? 他の人は……?


「安心したまえ、大丈夫だよ。――もう、眠りなさい」


 大きな手で視界を遮られると、祐司の意識は水底に沈むように、柔らかな暗闇へと落ちていった――――。



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