雨燦々
数日後の昼休み。
いつものように
「しかしすごいなー、対策部。俺も見てたけど、マジで天使だったの?
だんだんやること派手になってきてね?」
「まあそうかもしれないけど……お前も相変わらず壮大な昼ごはんだな」
「これくらい喰わないと、魔力が持たないのだ」
「燃費が悪すぎる」
「存在そのものが魔力のお前と違って、俺は体力使うタイプだから仕方ない」
言ってから、スパムおにぎりのパッケージを開け、恵一は少し小声で尋ねる。
「……あのさ。
委員長先輩には言うのか? お前の状況」
「……いや、できれば言わずに済ませたい」
「ん、わかった」
しかし、恵一は祐司の中学からの友人である。祐司の性格を、よくよく把握していた。
じとっ、と半目で、サンドイッチを食べる祐司を見ると、
「お前さ、ほんっとに無理すんなよ? 何かあったら、ちゃんと誰かを頼れよな」
「えーと……」
祐司はその視線から少し逃げ、
「『行けたら行く』わ」
とのたまった。
「てめぇ!」
「いだだだだ」
ちょっと本気でほっぺたを引っ張る恵一である。
「わかってるって。死ぬようなことは多分ないから、安心してくれ」
「絶対だからな! 危ないことしたら殴る」
「理不尽!」
「友情だと思え」
「わかったわかった」
祐司は笑って応え、引っ張られた頬を撫でてから、ミルクティーの紙パック開封にに取りかかった。
その放課後。
今日の不明存在対策部の活動も、特に異常はなかった。
こういうときは――いや、こういうなにもないときの方が多いわけだが――返却された本を元に戻したり、新刊を読んだり、と、図書係のようなまねをする。
実際、図書まわりの事務をする人間が存在しないので、対策部に任された仕事とも言える。
祐司もひなたも、読書は好きである。
ひなたはどちらかというとマンガ、祐司は小説が好きなのだそうだ。
「というか、面白そうだったらなんでも読みます。宇宙にはまった一時期もありました」
「そうなんだ。私はさー、最近置く場所なくて、長いシリーズものだとつい電子書籍になっちゃうんだよね。でもこう、紙をめくる感触とか、インクと紙の匂いとか質感とか、読んでる感があって好きなんだけどさ。あと、即座に読みたいシーンが読めるのが好き~」
「慣れの問題だとは思いますが、紙の本はきっとなくならないでしょうね」
などと話しながら過ごしていると、部屋が急に暗くなった。
ひなたが窓の方を見て、
「あれ、お空が真っ黒」
雨を降らせるぞ! と言いたげな黒い雲が、町を覆っているようだ。
祐司は読みかけの本を仕舞って、
「今日は早めに帰りましょうか。傘ありますか?」
「ないんだよ。朝めちゃくちゃ晴れてたじゃない?」
「ですよね。俺も持ってないです。夕立でしょうか」
「だろうね。もうそんな季節なんだねぇ、夏だね!」
言いながらも手を動かし、鞄を持って、電気を消して、図書室の鍵を閉める。
鍵は本来なら顧問のクロトに返すべきだが、クロト自身が「めんどくさいから二本用意したよ」と、コピーの鍵を渡してきた。そのため、返却の必要はない。
そんな運用でいいのかな、と祐司は思うのだが、まあ図書室に金目のものはないだろう、といつも通り鍵を閉めた。
朝は時間がないため、箒で飛んで登校するひなただが、魔力は体力にも比例する。簡単に言うと、帰りは疲れてるから空飛ぶのやめとく、ということである。
よって、帰る時は二人連れだって帰ることになる。
二人の帰宅ルートは、とても似ている。というのも、このあたりのは昔からの道が多く、分かれ道がほとんどないからだ。
校門を出て右に曲がり、十分ほど信号のない道を進む。
そして途中の「十ツ星一丁目」交差点で、本来なら祐司は左に曲がり、ひなたは横断歩道を渡りまっすぐ進む。
が、交差点に着く前に、ついに雲から、ぼた、ぼた、とアスファルトに跳ねるほどのしずくが降り出した。
二人は視線を合わせると、駆け出したが、大きな雷鳴がとどろき、一気に雨が激しくなった。ざあざあと音までしている。鞄で頭を覆うが、制服がだんだん濡れてきた。曇天もすぐには去りそうもない。
祐司が、いつもの交差点に着くと、「あの!」とひなたに言った。雨音が大きく、大声でないと聞こえないのだ。
「急な話ですけど、うちに来ませんか、すぐなので!」
「いくいく! 雨やどりプリーズ!」
二人は走り出し、三分も経たないうちに、祐司は大きな建物に入っていった。ひなたも続く。
エレベーターホールに着くと、祐司がエレベーターのボタンを押していた。
ひなたは、持ち歩いているタオルで鞄の水滴を拭いながら、息をついて辺りを見回す。
――間接照明とダウンライトで、高級感を演出されたエントランス。
ぴかぴかに磨き上げられた、各所のガラスと床の大理石。
来客用のソファが置いてある、落ち着いた印象のロビー――。
エレベーターも三基ある。
こ、これは……。
ごくり、ひなたは喉を鳴らした。
「
「はい、先輩大丈夫ですか? って、なぜフルネーム?」
「……君、――もしやお金持ちなのかい?」
「いや、いやいやいやいや」
ぶんぶんと自分のタオルを首に掛けながら手を振る祐司。
「これはですね、母の趣味と言いますか……」
「お母様? というか趣味?」
エレベーターが到着したので、二人は移動しながら話す。目的地は十二階だ。
「聞いた話によると、"適度に駅に近くて、少し歩けばコンビニとドラッグストアとスーパーがあり、緑の多い、ややのどかなところ"、という条件で探しんだそうです」
「その条件を満たしたマンションに住めちゃうって、……相当だよね」
祐司は困ったように眉を下げた。母親について語ると、どうもこういう顔になるらしい。
「母は、すごいんです……なんというか、バイタリティがすごいというか……こうと決めたら絶対にそれを成し遂げてしまうというか……」
と、説明しながらエレベーターを降りる。祐司について行くと、彼は廊下の隅、角部屋の玄関の鍵を開けた。指紋認証で。
ガバッとドアを開く仕草も慣れている。ひなたは心の中で(ひええ)と思った。高級住宅に慣れている人はすごい。ひなたの家は、ごくごく普通の一軒家なので。
祐司がどうぞ、と呼びかける。
入ってみた玄関がまず広い。
なんだか圧倒されて、もごもごとローファーを脱ぐ。
「制服大丈夫ですか?」
「お邪魔しますです……、あ、制服はね、割と乾いたよ」
「うーん、でも風邪引いちゃいそうですねえ……」
そのままやや長い廊下を経て、リビングに到る。
祐司が壁のスイッチで電気をつけると、ぱっとその全貌が明らかになった。
とりあえず、広い。
大きなテーブルと、それに見合う椅子が六脚。正面の壁一面は、大きな棚と、そこに入る液晶テレビがあるが、全く圧迫感を感じさせない。
観葉植物もいくつかあり、大きく育った子もいるが、みな元気そうだ。
左手は大きな窓があり、布団を干しても充分そうなバルコニーもある。
……いや、この家は布団じゃなさそうだ、と、おふとん派のひなたは思った。
「あのー」
「はい、なんでしょう?」
ひなたは一応言っておく。
「すごいね! 広いし、かっこいいね!」
「か、かっこいい? ですか?」
「思ってた洋風建築を形にしたようなリビングだ。ちらっと見えてるキッチンもすごいのがわかるぞよ」
「ちょっ……それは言い過ぎでは……」
変な言葉遣いのひなたに、ぱたぱたと手を前にして振る祐司。
「いや、だからその、母さんがすごいので……」
と、
「ただいまー」
「えっ!? 母さん?!」
「あら、帰ってたの? 偶然~」
とっとっと、と足音をさせて現れたのは、背が高く、ロングヘアを綺麗にまとめ、しゃんとしたビジネスカジュアルを着た女性だった。
にこっと、少し祐司に似た人好きのする笑顔を見せ、
「はじめまして、母の
「あっ、あの、はい、同じ部活の
髪も服もくしゃくしゃの姿に、猛烈な恥ずかしさを覚えてもごもごと言い訳をしてしまう。実に恐縮である。
それにも微笑み、
「いいのよ~。さっきの夕立すごかったじゃない?」
さらっとそう祐司の方に話を振る。
(なんてできた人なんだ……)ひなたはつくづく思った。
祐司は新しいタオルを棚から取り出し、ひなたにも渡しながら、
「母さんは平気だった?」
「私は車に乗ってたからだいじょうぶよ。
あ、これお土産なんだけど、良かったら食べちゃって」
香は、持っていた、見たことのあるようなパッケージの「かすてら」をテーブルに置いた。
「で、母さんはどしたの? めずらしいね」
「ちょっと書類を取りにきたの。下にタクシー待たせてるし、ちょっと寄っただけ。
じゃ、いつものね」
見てわかるタイプの高級ブランドの鞄(A4が入りそうなタイプ)から、厚めの封筒を取り出し、テーブルに置く。祐司はそれを見て、なぜかちょっと肩をすくめたが、すぐに向き直り、
「はいはい、それじゃ、ついでにこれも。郵便とかいろいろ」
さっきの棚の上にあったA4サイズの布袋を手渡した。
「あんまり無理しないでね」
「大丈夫よ! それじゃあまたね、来月くらいに。
神羽森さんも、ゆっくりしていってね」
じゃあねー、と手を振って、リビングから出て行った。時間差で、玄関の閉まる音も聞こえる。
「ほわー、すっごくかっこいい人だね。お忙しそうだけども」
「ええまあ……、母はあのとおりで」
また困り顔で、首の後ろに手をやりながら、祐司は答える。
「聞くところによると、仕事をしながら大学院に通っているらしいんです。
だから、この家ではないところにもマンションを借りていて……」
「えっ!? それって」
凄すぎない?
感情が顔に出ていたのか、祐司は少し照れくさそうに微笑んで、
「母の働きのおかげで、俺は生活して、学校に行けてるんです。とても尊敬しています……。まあ、おかげで俺の家事スキルはぐんぐん伸びてるんですけども」
「あっ、そうか、そうだよね。お母様があれだけお忙しかったら、おうちのことするのって、ゆーじくんになるよね」
「はい。生活費は充分あるので、よくある一食いくらの~、のようなのでもいいんですけど、なんだかもったいなくて……食べる分、自分で作ってます。掃除もうまくなりましたよ」
「掃除ってうまくなるものなの!?」
「はい、あれをやっていて待ち時間にこれをして……、って言うのがうまくなります」
微笑む祐司に、
(――おうちのこと、もうちょっとちゃんとやろう)
そんなことを思う女子高生であった。
ひなたの制服はまだちょっと濡れていたが、さすがにこれ以上世話になるのは辛いものがある。そのため、一度外に出て、魔法を使って軽く水滴を振り絞った。箒で雲に突入してしまった時などに使う、"水分ガード"の応用である。
さっきは慌てていて使えなかったが、よく考えると、これを二人にかければよかったな、と反省しきりだ。
部屋に戻ると、いつの間にか入れられていた(祐司の家事スキルの高さにひなたはあわあわした)温かいお茶とカステラをいただきながら、二人はしばらく話をした。
「魔法使えば良かった、ごめんね」、と言うひなたにも、祐司は微笑み、「なかなかない経験でしたよ、夕立のなか走るのも」などと言っていた。
じゃあ、次回はおすすめの本を交換しようね。
二人はそう約束して、ひなたは遅くなる前に瀬尾家を辞した。
発足してまだしばらくだが、ほとんど単なる本好きの集いとなりつつある、不明存在対策部である。
ひなたは、しかし、なんとなく、クロトにいろいろ裏で動かれているような気がしないでもない。こればかりは、勘ではあるが、そういう勘は鋭い方だ。
ゆーじくんがいざとなったら……うん、応援してあげよう。
帰り道、歩きながら、晴れつつある西空の風と光に、自身の金髪を乗せながら、そう思うひなたであった。
――――
そして、等しく訪れる、夜。
祐司は風呂から上がり、麦茶を一杯飲んだ。コップはシンクの中へ置く。
タオルで頭を拭いながら、リビングの照明を落とし、自分の部屋へと向かった。
電気もつけずに、ベッドに座った祐司の口からこぼれたのは、ため息だった。
母からの封筒を開け、中身を確認する。
今月も、きっちり四十万円。
この家は母の名義で購入してあるため、もちろん家賃は必要ない。
この金で、祐司に一ヶ月程度を暮らせということだ。
最初はもっと多かった。
小学四年の頃だったか、あまりにも多すぎる、と話し合いをし、成長に合わせて増えていく、という方式に落ち着いた。
――ひょっとするとこれは、母なりの後ろめたさからくるものなのかもしれない、と気づいたのは、やはり小学生の頃だった。
食費等の代金として数枚の札を財布にしまい、残りの多数は、通帳に挟んだ。銀行に行く時、口座に貯めるのだ。
毎月のことなので、ずいぶんな額になっている。祐司は、その金を大学へいく費用の足しにしようと思っている。
金銭はとても大事だ。どんな意味があるにせよ、それは社会に出る力になる。
瞬く「青の瞳」が、夜のあかりを返して光る。
祐司は思う。静かに夜を見つめながら。
自分は今、なにか、悩みがあるのか。
金もある、時間もある、友人もいて、学業もできている。
それなのに、なぜいま、心の中に、湧き上がる"感情"があるのか?
傷つくとはどういうことだったか。
哀しみとはどんなことだったか。
忘れてしまったと思っていたのに、どこかでまだ覚えてる。
もう平気なはずだった。
なのに家族と会うだけで――。
――「俺は出て行く」「お前が生まれてこなければ」
――「あなたが悪いんじゃない」「だから離れて暮らしたほうがいいわ、私達」
そう繰り返されるのは、誰からの言葉か。
祐司はベッドに倒れ込む。
眠ろう。
ひとりでいるには、この夜は長すぎる。
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