雨燦々



 数日後の昼休み。


 いつものように祐司ゆうじの机に、おにぎり四つ、惣菜パン五つ、ペットボトル二本を置きながら、赤髪の恵一けいいちが話を振ってきた。


「しかしすごいなー、対策部。俺も見てたけど、マジで天使だったの?

 だんだんやること派手になってきてね?」

「まあそうかもしれないけど……お前も相変わらず壮大な昼ごはんだな」

「これくらい喰わないと、魔力が持たないのだ」

「燃費が悪すぎる」

「存在そのものが魔力のお前と違って、俺は体力使うタイプだから仕方ない」


 言ってから、スパムおにぎりのパッケージを開け、恵一は少し小声で尋ねる。


「……あのさ。

 委員長先輩には言うのか? お前の

「……いや、できれば言わずに済ませたい」

「ん、わかった」


 しかし、恵一は祐司の中学からの友人である。祐司の性格を、よくよく把握していた。

 じとっ、と半目で、サンドイッチを食べる祐司を見ると、

「お前さ、ほんっとに無理すんなよ? 何かあったら、ちゃんと誰かを頼れよな」

「えーと……」

 祐司はその視線から少し逃げ、

「『行けたら行く』わ」

 とのたまった。

「てめぇ!」

「いだだだだ」


 ちょっと本気でほっぺたを引っ張る恵一である。


「わかってるって。死ぬようなことは多分ないから、安心してくれ」

「絶対だからな! 危ないことしたら殴る」

「理不尽!」

「友情だと思え」

「わかったわかった」


 祐司は笑って応え、引っ張られた頬を撫でてから、ミルクティーの紙パック開封にに取りかかった。




 その放課後。

 今日の不明存在対策部の活動も、特に異常はなかった。 

 こういうときは――いや、こういうなにもないときの方が多いわけだが――返却された本を元に戻したり、新刊を読んだり、と、図書係のようなまねをする。

 実際、図書まわりの事務をする人間が存在しないので、対策部に任された仕事とも言える。


 祐司もひなたも、読書は好きである。

 ひなたはどちらかというとマンガ、祐司は小説が好きなのだそうだ。


「というか、面白そうだったらなんでも読みます。宇宙にはまった一時期もありました」

「そうなんだ。私はさー、最近置く場所なくて、長いシリーズものだとつい電子書籍になっちゃうんだよね。でもこう、紙をめくる感触とか、インクと紙の匂いとか質感とか、読んでる感があって好きなんだけどさ。あと、即座に読みたいシーンが読めるのが好き~」

「慣れの問題だとは思いますが、紙の本はきっとなくならないでしょうね」


 などと話しながら過ごしていると、部屋が急に暗くなった。

 ひなたが窓の方を見て、


「あれ、お空が真っ黒」


 雨を降らせるぞ! と言いたげな黒い雲が、町を覆っているようだ。

 祐司は読みかけの本を仕舞って、


「今日は早めに帰りましょうか。傘ありますか?」

「ないんだよ。朝めちゃくちゃ晴れてたじゃない?」

「ですよね。俺も持ってないです。夕立でしょうか」

「だろうね。もうそんな季節なんだねぇ、夏だね!」


 言いながらも手を動かし、鞄を持って、電気を消して、図書室の鍵を閉める。

 鍵は本来なら顧問のクロトに返すべきだが、クロト自身が「めんどくさいから二本用意したよ」と、コピーの鍵を渡してきた。そのため、返却の必要はない。

 そんな運用でいいのかな、と祐司は思うのだが、まあ図書室に金目のものはないだろう、といつも通り鍵を閉めた。



 朝は時間がないため、箒で飛んで登校するひなただが、魔力は体力にも比例する。簡単に言うと、帰りは疲れてるから空飛ぶのやめとく、ということである。

 よって、帰る時は二人連れだって帰ることになる。


 二人の帰宅ルートは、とても似ている。というのも、このあたりのは昔からの道が多く、分かれ道がほとんどないからだ。

 校門を出て右に曲がり、十分ほど信号のない道を進む。

 そして途中の「十ツ星一丁目」交差点で、本来なら祐司は左に曲がり、ひなたは横断歩道を渡りまっすぐ進む。

 が、交差点に着く前に、ついに雲から、ぼた、ぼた、とアスファルトに跳ねるほどのしずくが降り出した。

 二人は視線を合わせると、駆け出したが、大きな雷鳴がとどろき、一気に雨が激しくなった。ざあざあと音までしている。鞄で頭を覆うが、制服がだんだん濡れてきた。曇天もすぐには去りそうもない。


 祐司が、いつもの交差点に着くと、「あの!」とひなたに言った。雨音が大きく、大声でないと聞こえないのだ。


「急な話ですけど、うちに来ませんか、すぐなので!」

「いくいく! 雨やどりプリーズ!」


 二人は走り出し、三分も経たないうちに、祐司は大きな建物に入っていった。ひなたも続く。

 エレベーターホールに着くと、祐司がエレベーターのボタンを押していた。

 ひなたは、持ち歩いているタオルで鞄の水滴を拭いながら、息をついて辺りを見回す。


 ――間接照明とダウンライトで、高級感を演出されたエントランス。

 ぴかぴかに磨き上げられた、各所のガラスと床の大理石。

 来客用のソファが置いてある、落ち着いた印象のロビー――。


 エレベーターも三基ある。

 こ、これは……。

 ごくり、ひなたは喉を鳴らした。


瀬尾祐司せのおゆうじくん……?」

「はい、先輩大丈夫ですか? って、なぜフルネーム?」

「……君、――もしやお金持ちなのかい?」

「いや、いやいやいやいや」


 ぶんぶんと自分のタオルを首に掛けながら手を振る祐司。


「これはですね、母の趣味と言いますか……」

「お母様? というか趣味?」


 エレベーターが到着したので、二人は移動しながら話す。目的地は十二階だ。


「聞いた話によると、"適度に駅に近くて、少し歩けばコンビニとドラッグストアとスーパーがあり、緑の多い、ややのどかなところ"、という条件で探しんだそうです」

「その条件を満たしたマンションに住めちゃうって、……相当だよね」


 祐司は困ったように眉を下げた。母親について語ると、どうもこういう顔になるらしい。


「母は、すごいんです……なんというか、バイタリティがすごいというか……こうと決めたら絶対にそれを成し遂げてしまうというか……」


 と、説明しながらエレベーターを降りる。祐司について行くと、彼は廊下の隅、角部屋の玄関の鍵を開けた。指紋認証で。

 ガバッとドアを開く仕草も慣れている。ひなたは心の中で(ひええ)と思った。高級住宅に慣れている人はすごい。ひなたの家は、ごくごく普通の一軒家なので。

 祐司がどうぞ、と呼びかける。

 入ってみた玄関がまず広い。

 なんだか圧倒されて、もごもごとローファーを脱ぐ。

「制服大丈夫ですか?」

「お邪魔しますです……、あ、制服はね、割と乾いたよ」

「うーん、でも風邪引いちゃいそうですねえ……」

 そのままやや長い廊下を経て、リビングに到る。

 祐司が壁のスイッチで電気をつけると、ぱっとその全貌が明らかになった。

 とりあえず、広い。

 大きなテーブルと、それに見合う椅子が六脚。正面の壁一面は、大きな棚と、そこに入る液晶テレビがあるが、全く圧迫感を感じさせない。

 観葉植物もいくつかあり、大きく育った子もいるが、みな元気そうだ。

 左手は大きな窓があり、布団を干しても充分そうなバルコニーもある。

 ……いや、この家は布団じゃなさそうだ、と、おふとん派のひなたは思った。


「あのー」

「はい、なんでしょう?」

 ひなたは一応言っておく。

「すごいね! 広いし、かっこいいね!」

「か、かっこいい? ですか?」 

「思ってた洋風建築を形にしたようなリビングだ。ちらっと見えてるキッチンもすごいのがわかるぞよ」

「ちょっ……それは言い過ぎでは……」

 変な言葉遣いのひなたに、ぱたぱたと手を前にして振る祐司。

「いや、だからその、母さんがすごいので……」


 と、

「ただいまー」

「えっ!? 母さん?!」

「あら、帰ってたの? 偶然~」


 とっとっと、と足音をさせて現れたのは、背が高く、ロングヘアを綺麗にまとめ、しゃんとしたビジネスカジュアルを着た女性だった。

 にこっと、少し祐司に似た人好きのする笑顔を見せ、


「はじめまして、母のかおりでーす。よろしくね」

「あっ、あの、はい、同じ部活の神羽森かんばもりひなたです、よろしくお願いします。すみません、いま、なんだかこんな格好で……」

 髪も服もくしゃくしゃの姿に、猛烈な恥ずかしさを覚えてもごもごと言い訳をしてしまう。実に恐縮である。

 それにも微笑み、


「いいのよ~。さっきの夕立すごかったじゃない?」


 さらっとそう祐司の方に話を振る。

 (なんてできた人なんだ……)ひなたはつくづく思った。

 祐司は新しいタオルを棚から取り出し、ひなたにも渡しながら、


「母さんは平気だった?」

「私は車に乗ってたからだいじょうぶよ。

 あ、これお土産なんだけど、良かったら食べちゃって」


 香は、持っていた、見たことのあるようなパッケージの「かすてら」をテーブルに置いた。


「で、母さんはどしたの? めずらしいね」

「ちょっと書類を取りにきたの。下にタクシー待たせてるし、ちょっと寄っただけ。

 じゃ、いつものね」


 見てわかるタイプの高級ブランドの鞄(A4が入りそうなタイプ)から、厚めの封筒を取り出し、テーブルに置く。祐司はそれを見て、なぜかちょっと肩をすくめたが、すぐに向き直り、


「はいはい、それじゃ、ついでにこれも。郵便とかいろいろ」

 さっきの棚の上にあったA4サイズの布袋を手渡した。

「あんまり無理しないでね」

「大丈夫よ! それじゃあまたね、来月くらいに。

 神羽森さんも、ゆっくりしていってね」


 じゃあねー、と手を振って、リビングから出て行った。時間差で、玄関の閉まる音も聞こえる。


「ほわー、すっごくかっこいい人だね。お忙しそうだけども」

「ええまあ……、母はあのとおりで」

 また困り顔で、首の後ろに手をやりながら、祐司は答える。


「聞くところによると、仕事をしながら大学院に通っているらしいんです。

 だから、この家ではないところにもマンションを借りていて……」

「えっ!? それって」

 凄すぎない?

 感情が顔に出ていたのか、祐司は少し照れくさそうに微笑んで、


「母の働きのおかげで、俺は生活して、学校に行けてるんです。とても尊敬しています……。まあ、おかげで俺の家事スキルはぐんぐん伸びてるんですけども」

「あっ、そうか、そうだよね。お母様があれだけお忙しかったら、おうちのことするのって、ゆーじくんになるよね」

「はい。生活費は充分あるので、よくある一食いくらの~、のようなのでもいいんですけど、なんだかもったいなくて……食べる分、自分で作ってます。掃除もうまくなりましたよ」

「掃除ってうまくなるものなの!?」

「はい、あれをやっていて待ち時間にこれをして……、って言うのがうまくなります」


 微笑む祐司に、

 (――おうちのこと、もうちょっとちゃんとやろう)

 そんなことを思う女子高生であった。



 ひなたの制服はまだちょっと濡れていたが、さすがにこれ以上世話になるのは辛いものがある。そのため、一度外に出て、魔法を使って軽く水滴を振り絞った。箒で雲に突入してしまった時などに使う、"水分ガード"の応用である。

 さっきは慌てていて使えなかったが、よく考えると、これを二人にかければよかったな、と反省しきりだ。


 部屋に戻ると、いつの間にか入れられていた(祐司の家事スキルの高さにひなたはあわあわした)温かいお茶とカステラをいただきながら、二人はしばらく話をした。

 「魔法使えば良かった、ごめんね」、と言うひなたにも、祐司は微笑み、「なかなかない経験でしたよ、夕立のなか走るのも」などと言っていた。


 じゃあ、次回はおすすめの本を交換しようね。

 二人はそう約束して、ひなたは遅くなる前に瀬尾家を辞した。

 発足してまだしばらくだが、ほとんど単なる本好きの集いとなりつつある、不明存在対策部である。

 

 ひなたは、しかし、なんとなく、クロトにいろいろ裏で動かれているような気がしないでもない。こればかりは、勘ではあるが、そういう勘は鋭い方だ。

 ゆーじくんがいざとなったら……うん、応援してあげよう。

 帰り道、歩きながら、晴れつつある西空の風と光に、自身の金髪を乗せながら、そう思うひなたであった。





 ――――



 そして、等しく訪れる、夜。


 祐司は風呂から上がり、麦茶を一杯飲んだ。コップはシンクの中へ置く。

 タオルで頭を拭いながら、リビングの照明を落とし、自分の部屋へと向かった。


 電気もつけずに、ベッドに座った祐司の口からこぼれたのは、ため息だった。

 母からの封筒を開け、中身を確認する。

 今月も、きっちり四十万円。

 この家は母の名義で購入してあるため、もちろん家賃は必要ない。

 この金で、祐司に一ヶ月程度を暮らせということだ。


 最初はもっと多かった。

 小学四年の頃だったか、あまりにも多すぎる、と話し合いをし、成長に合わせて増えていく、という方式に落ち着いた。


 ――ひょっとするとこれは、母なりの後ろめたさからくるものなのかもしれない、と気づいたのは、やはり小学生の頃だった。


 食費等の代金として数枚の札を財布にしまい、残りの多数は、通帳に挟んだ。銀行に行く時、口座に貯めるのだ。

 毎月のことなので、ずいぶんな額になっている。祐司は、その金を大学へいく費用の足しにしようと思っている。

 金銭はとても大事だ。どんな意味があるにせよ、それは社会に出る力になる。


 瞬く「青の瞳」が、夜のあかりを返して光る。

 祐司は思う。静かに夜を見つめながら。


 自分は今、なにか、悩みがあるのか。

 金もある、時間もある、友人もいて、学業もできている。

 それなのに、なぜいま、心の中に、湧き上がる"感情"があるのか?


 傷つくとはどういうことだったか。

 哀しみとはどんなことだったか。


 忘れてしまったと思っていたのに、どこかでまだ覚えてる。

 もう平気なはずだった。

 なのに家族と会うだけで――。




 ――「俺は出て行く」「お前が生まれてこなければ」

 ――「あなたが悪いんじゃない」「だから離れて暮らしたほうがいいわ、私達」




 そう繰り返されるのは、誰からの言葉か。 


 祐司はベッドに倒れ込む。

 

 眠ろう。

 ひとりでいるには、この夜は長すぎる。






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