第二章 あなたがのぞむ場所
放課後の天使たち
――――
曰く、「創造主」は「混沌」の彼方からやってきたのだという。
「創造主」は「混沌」を分け、均し、整え、世界の
しかし世界全体の創造には、非常な煩雑さと繊細さを伴った。
「創造主」は「
すべての完成には、長くを要した。
やがて、あるとき。
「創造主」は、御使い達を集めた。
そして、『終わり』を告げ、「混沌」の彼方へと還っていった。
「御使い」たちには、なにも与えられることはなかった。奪われることさえも。
彼らには、世界と、"仕えること"だけが残された。
そして、ふたたび、時は過ぎ――。
――――
その日も特殊私立十ツ星高校は、6月まっただ中であった。
湿気が多く、ついでに暑い。
体育の授業が終わった1年E組とF組の生徒達が、校庭をだらだらと移動している。(男女別なので、隣のクラスと合同授業なのだ)
学課終わりの六時間目であるから、みな時間を気にせず着替えるつもりらしい。
祐司もタオルで汗を拭いつつ、体育館の隣にある更衣室に向かっていた。
じっとりとした空気に、風をもとめて空を見上げる。
梅雨が明けたよ、と言いたくなるような夏一色の空。
だけど、しばらくは夕立に注意なんだっけか――。
と、瞬きの端に何かが映った。
影だ。
「――――ぃてくださいーーー!!」
切羽詰まった声が降ってきて、周りの生徒も足を止める。
失速した鳥のように、あっという間にその姿は落ちてくる。
そう、鳥のように、翼を幾度も羽ばたかせて。
「どいてくださいっ!!」
声がはっきり聞こえた。
だが、祐司は落ちてくるいきものを放っておけるような性分ではない。
体が先に動いた。たぶん自分が一番近い。
駆け出し、予測落下地点に向かい、両手を前に出して――。
ごん。
それは最後の羽ばたきで思わぬ方向へ切り返し、祐司とおもいっきり頭をぶつけた。
「っぐ――。だ、大丈夫、ですか……?」
自分の痛みは押し殺して、共に地面へ座り込んでしまった相手へ尋ねる。
「あわわわ、すみません! 僕は大丈夫です!!」
身を縮めて頭を下げあうふたりの姿に、学友達は興味を引かれたのか、
「なんかすごい音だったけど、大丈夫? 立てる?」
「誰か呼んでこよっか?」
「そういえば保健の先生って誰だっけ?」
などと周囲を囲んできた。
祐司の目の前にある姿は、白いシャツに黒のハーフパンツ、色白の膝に、見知った意匠のスニーカー。
校庭の砂埃で少し汚れてしまったようだが、見た目の怪我はなさそうだ。
それよりも。
「――っていうか、……翼?」
誰かが思わずというように言った。
そう、落ちてきた当人の背には、まごうことなく、背丈より大きく真っ白な翼があった。
全員が一瞬、どうしたもんか、と考えると、また誰かが気付いた。
「あ、クロト先生だ」
おーい、と袖をまくった黒髪の長身が、手を振り近づいてくる。
近くに居た隣のクラスの女子生徒がこちらに声をかける。
「ねぇねぇ、
それを聞くと、「そういえばそうだった」とその場の全員が示し合わせたように頷き、それぞれ手を振りながら更衣室へと向かっていった。
やはり先輩は有名人で、そしてその相手役である自分も対策部であることは先の大狐の一件で広まっているのだろうと思うが、
「微妙に避けられている……」
祐司がクラスメイトとの事実にちょっと息をつくと、既にクロトが目の前に来ていた。
いつもの笑顔でよいしょとしゃがみ込むと、目の前にいるのに気楽に手を振る。
「やあやあ、祐司くん、おはよう」
「おはようございます……。もう六時間目、終わりましたが」
「よしよし、じゃあ、ここからは部活の時間だ。
それにしても、ずいぶんとめずらしい子がやってくるもんだねぇ」
ぺたんと座り込み、あわあわとあたりを見回している相手の前に移動すると、安心させるように優しく言う。
「翼あるものよ、こんにちは。おでこは平気かな?」
なんだか言葉や応対に丁寧さを感じる。知っている相手なのだろうか?
落ちてきた当人は少し長めの金髪を揺らし、クロトの言葉にこくこくと頷く。
「じゃ、とりあえずは保健室へ行こう。何かあっては大変だからね」
よっ、とひといきで相手を両手で抱え上げ、雑に「祐司くんは自力で来たまえよ」と付け加えて、
「さっきひなたくんも呼んだところだから、やっぱり、まずは話を聞こうか?」
――清潔な布の匂いと、消毒された金属の匂い。
特別教室の中でも、さらに特別感があるのはなぜだろう。
保健室はきっちり空調が効いており、祐司はほっと息をついた。
ひなたは既に来ていた。夏服の白いセーラー襟と紺ライン、スカートの明るい青が今日も眩しい。
話を聞いてきているらしく、その新緑の瞳はわくわくでいっぱいの様子だ。うずうずのそわそわ、と言ってもいい。
クロトが両手で抱えてきた相手をそっとベッドに座らせる。
「あ、ありがとうございます……」と礼を言い、やはりあたりを見回す。背の翼が上下に揺れているのは、戸惑いの表現だろうか。
相手にとっては急展開の連続だ。祐司は何か声をかけてみようとして――気の利いた台詞がまったく思いつかなかった。
コミュニケーション能力が足りない。頭を抱えたかったが、かわりに相手を観察してみる。
彼――僕、と自称していたから便宜上そう呼ぼう――は、とても中性的な顔立ちをしていた。男の子でも女の子でも通用しそうだ。
少し長めの淡い金髪と、卵形の輪郭は祐司たちより少し幼い。薄水色の瞳も無垢さが目立ち、自然と庇護欲がわきあがってきてしまう。
彼は長いまつげをまたたいて祐司を見つめ、
「あの……お名前を、よろしいですか?」と尋ねてきた。
「俺? えっと、俺は
そう答えると彼はほっとしたように息を吐き、
「さっきはすみません、ありがとうございました」
そう言って頭を下げた。祐司は慌てて顔の前で片手を振る。
「いえ、とっさに手が出ただけだから。君が無事ならよかった」
「うん、この子はなにごともないみたいだね。祐司くん、えらいえらい」
手近な椅子に座っていたクロトが、やっぱり雑にほめた。
そこに、はい! と挙手してひなた。
「先生、先生、そろそろいいですか? いいですか?」
「いいよー。さあ、まずすることは?」
「話し合いですよね!」
素早くプリーツスカートを折り込みながら床に膝をつき、彼より視線を下げると、似た金髪の美少女はにっこりと笑った。
相手の片手をとって、
「はじめまして! 君かわいいね! よかったら私とお話ししない?」
完全にナンパである。
「これこれ、ひなたくん、丁寧にするのはいいが、いきなり警戒を解いてはいけないよ。不明存在は力があればある程、無害なものになれるんだから」
クロトが口を挟む。一応顧問らしいこともするのだ。
「う~ん、これだけ相手の見た目がこうだと、警戒心ってむずかしいです~」
でれでれしながらひなた。
「ふむ、じゃあ祐司くん、やってみて」
「えっ!?」
振られると思ってなかった祐司は、あわててジャージの上下を整えた。
どこか汚れてないだろうかと思いつつ、彼の隣、ベッドの上に座る。
「こ、こんにちは」
「はい、こんにちは」
そう答えられただけ。なのにそのやわらかい微笑みに衝撃が走る。
これはなんだ――、とても、かわいいぞ。
いうなればそれは守ってあげたいという気持ち。儚く消えてしまいそうなその存在感がそう思わせる。
いやいや、しかし、相手は『不明存在』である。不明の部分を明らかにしなければ。
「ええと、俺の名前は言ったよね。あなたのお名前はなんでしょうか?」
大狐の時は相手が敵意剥き出しでそれどころではなかったが、こうしてお互いにお互いを知っていくことがふつうであるらしい。祐司はそう授業で習った。
が、翼を背負った彼は微笑んで答える。
「僕たちに個別の名前はありません」
「名前が、ない……」
思わず繰り返すと、相手は頷いて答える。
「かわりに個体識別のため、番号が割り振られてます。番号:七十三万四百二十二、それが僕です」
「ええと、なんと呼びましょうか……?」
「お好きにお呼び下さい。僕たちは"仕えること"が使命ですから」
「仕えること?」
「そうです、僕たちはそう創られているんです」
微笑み、少し誇らしげにそう言う彼。
僕たち、ということは、少なくとも七十三万は「その世界」に存在するらしい。
そう創られている、と答えたからには、「創り手」がいるということだ。
さらに、彼らは「創り手」あるいは何らかの存在に"仕えること"を、存在の拠り所としている。
『不明存在』ってほんとにいろいろだなあ……。
祐司はそんな感想を抱きながら、しかし彼をどう呼ぶか迷った。
隣でスカートをはたいて立ち上がるひなたについ「先輩」と声をかける。
すると、うむ、とひなたは頷いて、
「七十三万なら、ナナミちゃんでいいかな?」
「はい、ではそうお呼び下さい」
そこなの?
しかしつっこむ前に、クロトが遮った。
「よしよし、じゃあここで、対策部らしくいこうか。
いったん君たちに聞くよ」
いつもの笑顔をこちらに向け、
「さて祐司くん、彼、ナナミくんはいったい「なにもの」だと思う?」
「えっと――」
念のため、もう一度相手の姿(主に翼)をじっくり観察し、
「――『不明存在』で……、て、天使さん? です、かね?」
「うーん、半分正解」
「はんぶん、ですか?」
「考えてもみたまえ、ただ背に翼の生えているものなど、『不明存在』ならば山程いるはずだろう?」
確かに、そういうものこそが『不明存在』である。
クロトはベッドへと視線を向けながら、
「ナナミくんも、自分を天使だとは言っていない」
「はい、僕は「創造主」様から、「御使い」という呼び名をいただいています」
「ふむ、「御使い」か。なるほどね」
顎に手をやるクロトに、祐司は首を傾げる。
「あの、天使とはどう違うんです?」
「
だから、ナナミくんは「御使い」という存在であって――詳しくは、もちろんナナミくんから直接聞くわけだ」
クロトはそう言うと、祐司とひなたの方に向き直った。
「さて、今回は、『不明存在』との会話が主な活動になる。
ひとつひとつ話を続けお互いを開示し合うこと。話すだけではなく、相手の話をよく聞くことが一番大事なんだよ」
いいかな? とクロトが軽く指を振った。
生徒ふたりは頷き、「それじゃ、私からやってみるね」とひなたが手をあげた。どうぞ、と身振りする祐司。
「じゃあ、ナナミちゃん、ナナミちゃんがどんな世界から来たかとか、ちょっと詳しく聞かせてもらっていい?」
彼はこちらの急な要求にも微笑んで答える。
「はい、僕のこと、僕らについて、お話ししますね――」
その世界は、この世界とよく似ているのだという。
細かく調べれば違いはありそうだが、少なくとも「いま現在」、こんな風に学校と呼べるものがあって、保健室といえばこんな環境らしい。
「見覚えがあります、僕も「学校」に通っていましたから」
祐司はつい他の場所や文化について聞きたくなったが、それは好奇心であって、今することではない。「相手の話をよく聞くことが一番大事」なのだ。
続けて話は彼ら、「御使い」のことに及ぶ。
「創造主」の手伝いをするものが「御使い」だった、と彼は語った。
あまりに遠い出来事なので、どんな手伝いをしたか、はっきりしたことは覚えていないという。
「あまり「記憶すること」に重きを置かれなかったのかもしれません。
「創造主」はもっとも最初に「時間の流れ」を創ったと伝えられています。ですから、僕らの記憶も時間によって摩耗していて、創られた当初の仕事については、たぶんもう誰にもわからないのではないでしょうか。
かわりに、ごく短い「世界の成り立ち」が、古い文字で伝えられています」
「御使い」は永く生きる。なぜなら、「死」を持たないからだ。
「創造主」がそれを与えていないから、というのが有力な伝承で、「御使い」たち自身も本能的にそれを自覚しているらしい。
「御使い」の役目は、"仕えること"。
「創造主」がはっきりと与えたのはその存在意義、存在理由、「生」そのもの。
だから、求められていなければ、「御使い」は「死」んでしまう。
求められていれば、どんなことにも応じるのが、「御使い」だとも言えた。
「本当は――「創造主」様が「混沌」の彼方へ去ったときに、僕らは「消える」だろうと、何もされなかったのかもしれません。"仕えること"をする対象がなくなったはずでしたから。
けれど、「世界」には必ずなにかが存在しました。だから、それら――水や、大気や、かすかな生命に"仕えること"を、僕らは選んだのだと思います。
「生き残る」ために」
――そうしてやがて、命が盛んに繁茂し進化し、また長い長い時間をかけて――。
戦乱に次ぐ戦乱、哲学や立法、社会、生存環境、世界情勢等のもろもろがあった末、奉仕者として適当な、人間に"仕えて"いるのだという。
「おひとりおひとりの特性に合わせて……そうですね、主に生活のお手伝いをすることがほとんどです。具体的には、ご高齢の方のお世話からお子さんの付き添いまで、力を尽くせることならなんでもします。
つまり、それがいまの「御使い」の姿、"奉仕者"なんです」
そうナナミは話を終えた。
ひなたは頷いてペットボトルの水を差しだし、
「なるほどなるほど、じゃあ、ナナミちゃんには今も、奉仕を行う相手……、パートナー? みたいな人がいるんだ」
問いかける。だが、彼は水を受け取り、視線を下げた。
「そう、ですね……」
「あ、ずばずば聞いてごめん!」
「いいえ! そうではなくて」
気付いて祐司は言葉を継いだ。
「そうか、君が落ちてきたのは、そこに原因がある?」
「はい、……そうなんです」
細い指でボトルを握りしめ、ナナミは翼を小さく震わせた。
ナナミのパートナーは、"奉仕"を止めたいと言った。
「もう、大丈夫」と、譲らなかったのだ。
「あの方は……お体の具合も悪くて、もうお食事も細くなって……なのに」
命が短いものが取る行動は、数少ない。
選べないという意味でも。
「それで僕は、……逃げました」
「いっしょにいたかったのに、いちゃだめだっていわれて」
「わかれなんて、なんども経験しているから」
「それなのに、なぜでしょう、あの方がいなくなるのが、とてもとてもかなしくて」
「「世界」を超えたら、時も空間もゆがんでしまうのに」
「だからもう『間に合わない』。ただ、『会いたい』のに……」
うつむく薄青の目を閉じると、はらはらと涙がこぼれる。
なんという可憐さか。
祐司はただその涙に促されるように、眉を寄せてクロトに訴えた。
「先生、その……――なんとかならないんですか?」
クロトは、一瞬も挟まず、はっきりとした声で答えた。
「ならない、無理だ」
直球だった。「えっ」と祐司が声を上げてしまうほどに。
「ちょっ、先生、それは――」
「話は早いほうがいい。事実だからね」
クロトは机に両肘をつき、指で生徒ふたりをさした。
「そもそも、君たちに問うよ。まず『不明存在』とは何かな?」
「ええと、『ここではない場所』からやってくる、『この世界』には存在しないもの……」
「そういうことだね、祐司くん。ナナミくんは「翼」を使って世界を飛び越え、『この世界』に飛び込んできた。
でも、彼の「翼」は「飛ぶ」ことしかできない。
一体誰が、ナナミくんを正しい世界、正しいタイミングに戻すことができると思う?」
生徒達は言葉に詰まった。
「う……」
「確かに……」
さらに教師は問題を挙げる。
「だからって、君たちの『青の瞳』も『闇喰い』も、その力をどう使えばいいかもわからないだろう?
自分たちがどうしたらいいかわからないときは――どうしたらいいと思う?」
「……わかりません、クロト先生」
あまりにも何もできないことに、祐司は打ちのめされた。ひなただってきっとそうだろう。
ちらり、とナナミを見たら、彼は目尻を拭って微笑んだ。けなげだ。
この細い腕と白い翼を持ったものに、何もできないなんて――。
と、クロトはそこで、何故かいつも通り鷹揚に笑った。
「そう思い詰めなくてもいいんだよ、祐司くん。
いいかい。まずは、自分たちが今の状況において、「なーんにもできない」、ということ。
そして、それ以上に、限界を超えようとすることはとっても危険で、無理なことはどうしようもない。
だから――」
クロトは等分に生徒たちを見た。
「困ったら他人に頼りなさい。
――ということで、君たちの言うことは?」
ふたりに、共通のなにかが
あわてて、また涙を拭うナナミをひなたがよいしょ、と連れてくる(半分浮いていた)。
祐司が説明をする。
「あ、あの! 先生! ここに困ってる子がいるんです!」
ひなたはどさくさに紛れてぎゅっと「御使い」を翼ごと抱きしめながら、
「ほらっ、この金髪で、きれいな目をしてて、ちょっと柔らかい感じの翼のある子です!」
言葉は揃った。せーの。
「「なんとかなりませんか!?」」
それを聞くと、クロトはなぜだか非常に満足げに頷き、
「よしよし、いいとも!!
頼まれたのなら仕方ないな、ちょっとがんばれるかな~!」
そう、にこにこと請け負った。
それから、三人のあたまをぽんぽんぽんと順になで、
「いいかいみんな、覚えておいてほしい。
いちばん大切なことは、そうやって『言葉にすること』さ」
クロトはナナミと目を合わせ、いつもより優しく微笑む。
「そうだね、"飛ぶ力"をまずはちゃんと戻そうか」
そう言うと、クロトの左指が空中に円と不思議な文字を光で描く。
「実は、ここは"十ツ星"といってね、名の通り十の障壁がこの学校を守っているんだ。
君が落ちてしまったのは、それに引っかかってしまったからなんだよ。ごめんね」
そして描かれた小さな陣をそっとナナミの方へと押しやる。
陣がシュルッと音を立てて胸の中へ消えると、
ぶわっ
「わわわわ」
ひなたが抱きしめていた翼の容積が大きく広がった。今度はひなたがちょっと浮いている。
両翼で、体の大きさの四倍くらいだろうか。保健室が埋まりそうだ。
だが、確かにこの大きさでないと、「飛ぶ」のは難しいのかもしれない。
ふわふわとした羽に半分埋もれながら、祐司とひなたは次を待つ。
「そして、お詫びに"飛ぶ力"を少し増やそうか。
これなら、間に合うはずさ」
「えっ?! どうして、そんなことまで……あなたは……?」
「これは内緒なんだけれどね、私としては、きみに、きみたちに申し訳ないと思っているからだよ、かわいい天使」
クロトが下手なウインクをすると、どっと涼しい風が窓から流れ込んできた。
ベッドの上掛けとカーテンが、翼が、風をはらむ。
既に足先を宙に浮かせ、ナナミはまた泣きながら言う。
「あなたの、名前を……」
「クロト、ヴィークロトだよ、ナナミくん。笑っておくれ」
「ナナミちゃん! すっごくがんばってね!」
「間に合いますように!」
「黒髪のやさしいクロトさん。
ひなたさんも、祐司さんも。
――ありがとう!」
最後にやっと笑顔を見せたナナミは、小さく手を振った。
そして翼からあふれる光の粒を、両手で抱きしめた。
ふわりと翼を重ね、ナナミの姿が翼と輝きで見えなくなる。
軽い足音がして、その光の姿は開いた窓から空へと飛び立った。
風が強く吹き、祐司は一瞬目を細めた。
その刹那だけで、こちらには白の一点しか見えない。
大きな翼が、真っ青な空に重なり、とけていく。
――空を見つめたあと、祐司は彼の座っていたベッドの丸みをそっと撫でた。
飛び立った翼の行く先が幸せなことを、心から祈って――。
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