小話九、パルミエ

 七月二十八日、今年もこの日がやってきた。母の命日、そして茉実の誕生日だ。午前中に家族でお墓参りを済ませ、午後にゆう君ともう一度お墓参りという日程になった。

 二度目の母の墓前でゆう君は長い間手を合わせていた。夏の日差しで立っているだけでも汗が流れてくる中、ゆう君はただ祈っていた。母に何か話しかけていたのかもしれない。

 自宅に戻ると、茉実が勢いよくゆう君を出迎えた。もはやおなじみになったタックルのような挨拶。最初は分かりやすくのけぞっていたゆう君だが、最近は衝撃を普通に受け止められるようになった。筋トレの成果や成長に伴ってゆう君の身体が丈夫になったのか、茉実が手加減できるようになったのか。

「お兄ちゃん、こんちは!」

「こんにちは、茉実ちゃん」

 穏やかに笑うゆう君は、一人っ子のはずなのにすっかり兄のような顔をしている。その柔和な視線を向けられる茉実に少々の嫉妬心を抱えつつ、ゆう君と茉実を促して居間に移動した。

 居間に移動して、ゆう君はリュックから小さな包みを取り出した。ピンク色の包装紙に赤いリボンが可愛い。茉実を呼び、

「これ、誕生日プレゼント」

と差し出す。茉実はプレゼントとゆう君の顔を見てから笑顔を作り、

「ありがとう、お兄ちゃん!」

と言って受け取った。

「開けていい?」

「いいよ」

 包みの中から出てきたのはタオル地のハンカチ。可愛らしいリボンの刺繡が入っていて、学生のお金で何とかできる程度にはいい品であることは見て取れた。

「わー」

 茉実はハンカチを矯めつ眇めつして、嬉しそうにしている。そしてハンカチを持ったまま居間を出て行った。ハンカチは使うものなのに宝箱に仕舞いに行ったのかもしれない。

 居間に残されたのはゆう君と私の二人だけ。父はというと、昨日ゆう君を呼ぶことを私が事前に話したら、母の兄である叔父夫婦のもとで思い出話をしてくると言った。有言実行に父は午前中にお墓参りを済ますとその足で叔父夫婦のもとに向かった。夕方まで帰ってこないだろう。

 二人きりになれて嬉しい反面、何を話して良いか分からない。そもそも今日ゆう君が家に来たのは茉実の誕生日祝いが目的だ。当の本人がどこかに行ってしまっては意味がない。

 普段の登下校では気にしないのだが、こういう状況だと妙に意識してしまう。何か、話題と思っているとゆう君が口を開いた。

「そういえば、誕生日ケーキって買ってるの?作ってるの?」

 唐突な素朴な疑問に、真っ白になりかけていた頭を懸命に動かす。

「買うときもあれば、作るときもあるよ。その時次第かな。今年は明日茉実と作るつもり」

 本当は今日買うつもりだったのだが、昨日になって茉実が「作りたい」と言うので明日スポンジから作ることになった。材料は調達したからあとは作るだけだ。

 ゆう君は何か考えているようだった。そして何でもないように装おうとした声で、

「ちょっと、見て見たかった、ような…」

と言った。よく見ると少し頬が赤い。目線も合わない辺り少し照れているようだ。

 ゆう君の希望なら叶えたい。しかし茉実との約束を反故にするわけにはいかないし、何より作業をしている傍で見られると、変に緊張して手元が狂いそうだ。第一、見ていても楽しくないと思う。

「茉実との、約束があるので…」

 半分本当半分嘘の理由を言うと、

「まあ、そうだよね」

と少し残念そうにゆう君に言われた。何とかならないかと考え、一つ、思い浮かんだ。

「パルミエなら、作れるかな」

「パルミエ?」

「パイ生地を丸めて切って焼くだけだから出来るよ。…見たい?」

「…まあ」

 お互い視線が合わないまま台所で移動する。そう言えば、ゆう君を台所に入れるのは初めてだ。ゆう君に入られるとは思っていなかったから普段の状態そのままだ。汚いと思われていないといいが。

 もう後戻りできないことだし切り替えて冷凍庫からパイシートを取り出す。自作することもあるが、今日はたまたま買い置きの市販品パイシートを冷凍庫に保管していた。取り出したそれを室温に戻す。その間にオーブンレンジの余熱を開始。ついでにバターも取り出し、卵をボウルに割り入れ、溶く。ゆう君は台所の入り口付近で物珍しそうに見ていた。まな板の上に広げられたパイシートを見て、

「こんなの売ってるんだ」

と言った。

「パイ生地、作ることもあるけど、面倒な時は市販品に頼ることもあってね」

「へえ」

 スーパーで冷凍食品を買う人でも用が無ければ視線に入らない商品だ。ゆう君は買い物に頻繁にいかないだろうし、知らなくても無理はない。

 室温が高いため、パイシートが解凍される速度が速い。パイ生地が完全に解凍すると使い物にならなくなるため、作業を急ぐ。

程よく柔らかくなったバターを手早くパイシートの表面に塗り、戸棚から取り出したグラニュー糖を、バターを塗った面に振りかける。断面がハート形になるように長方形のパイシートをくるくると両側から丸める。接着面に軽く溶き卵を刷毛で塗り、さながら金太郎あめのように棒状になったパイ生地を包丁でスライスしていく。切った生地をクッキングシートを敷いた天板に程よく隙間を開けて並べていると、予熱が終わったことを告げるメロディがオーブンレンジから聞こえてきた。

 パイ生地のハート形の断面に仕上げの溶き卵を塗り、オーブンへ入れる。生地がまだ残っているため、残りに取り掛かろうとすると、

「すげー…」

という呟きが台所の入り口の方から聞こえてきた。一瞬手が止まりそうになるが、そのまま続行する。

 結局すべて焼きあがるまでゆう君に観察されることになった。出来上がったそれをお皿に盛り、ついでにアイスティーも添えて居間に二人して移動する。ソファに腰かけながら、

「麻結は、すごいなあ」

とゆう君はしみじみと言った。

「いや、そんな難しいものじゃないし」

 実際パルミエはパイシートを使えば割と誰でも作れる部類のお菓子だと思う。見た目は凝っているが生地から作らなければとても簡単に作れる。下手なクッキーなんかよりも簡単だ。

「いや、そう言うことじゃなくて、手慣れているというか…あれだけてきぱき動けるのは、麻結が慣れているからなんだなと思って」

 ゆう君はどうやら私の作業を観察していたらしい。恥ずかしい。

「そんなことないと思うけど」

「いや、同じようにやろうと思ってもオレにはできないと思うよ」

 素直な言葉がするんと心に入ってくる。

「そう、かな」

「うん」

 ゆう君は焼きあがったばかりのパルミエを一つ取って口に運んだ。

「美味しい」

 何でもない一言のはずなのにとても嬉しい。ゆう君は私の欲しい言葉を何でもないようにくれる。

「…食べていい?」

 声のした方を見ると、茉実が廊下からこちらを覗いている。匂いで私が何かお菓子を作ったことに気が付いたのだろう。

「手を洗ったらいいよ。どうぞ」

「わーい」

 そこからは茉実も合流してお茶会になった。二人きりではなくなったことは少し残念だったけれど、二人が楽しそうだったので気にしないことにした。

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