小話七、十月末

「そろそろええやろ!」

 有紀からそんなゴーサインをもらったのは十月中旬。ハロウィンまで約二週間となったある日の昼休みだった。

 恒例となっていた昼休みの有紀との口調矯正。一人称を変える、口調を砕いたものにするという練習を繰り返すこと数か月。中途半端な格好悪い状態で麻結とは会話したくなかったために昼休みという限られた時間で有紀と雑談をしながら慣らしていった。お陰で非常に時間がかかってしまったが、やっと有紀からゴーが出た。「僕」から「オレ」に変わるときが来た。

 とはいえ、咄嗟の時にはどうしても元の口調が出てしまう。茉実ちゃんとのままごとの時にも思ったが、どうにもこういったことは苦手なようだ。

 そんな状態で、目の前の課題にいっぱいいっぱいだったからイベントごとはすっかり頭の中から消え去ってしまっていた。気が付けば周りはハロウィン一色。十月も終わる。

 前日である三十日の日曜日、カレンダーを何気なく眺めていたら思い出し、慌てて午後にスーパーに向かった。麻結はいたずらも可愛いものだろうし、河原さんはそれ相応の何かになりそうだが、有紀が非常にまずい。転校時にやられたことは半年前にもかかわらず昨日のことのように思い出される。いたずらをして良いという大義名分があったらどうなるのか。恐ろしくて想像したくない。


  ◇


 そして迎えたハロウィン当日。公的には持ち込み禁止物であるお菓子を抱えた生徒がちらちらと散見される中、生徒に交じってノリの良い若い先生達も「トリックオアトリート」と言っていた。建前的には「持ち込み禁止物の没収」なのだろう。

 そして僕の方はと言うと、当然のように朝から有紀には声をかけられた。

「トリックオアトリート!」

「はいどうぞ」

 手渡したのは箱入りの小袋クッキー一袋。オレに知り合いは少ないので、声をかけてくる人も少ないだろうが、無いという状態が危ないので分けられてたくさん入っているお菓子にした。

「む?あるんか…。無いんやったらやりたいこともあったんやけど」

 予想通り何かするつもりだったらしい。一応何をするつもりだったか聞いてみる。

「何するつもりだったの…?」

「んんー。麻結にどこでもいいからキスするとか?」

「それいたずらじゃないよ!」

 王様ゲームか何かの組み合わせによっては罰ゲームになるやつだ。いたずらは本人が能動的に行うものだろう、一般的には。

「まあ確かになァ。ご褒美やな!」

「それも違う!」

 半分当たっているのが悔しい。しかし命令されてするのはご褒美じゃないと言いたい。

「そうかァ?」

 本当に分かっていなさそうな顔をする有紀。

「まァええわ。で?」

「で、って何?」

「アタシに言うことあるやろ?」

 さっさと言えという雰囲気を出す有紀。言う事なら一つだが、オレは別にいたずらしたいわけでもお菓子が欲しい訳でもない。しかし言えというなら言わなくてはならない。

「トリックオアトリート?」

「何で疑問形やねん。まァええ。ほいこれ」

 渡されたのは一口チョコ数個。

「もらったからなァ。返さんとな」

 義理堅いのか何なのか。とにもかくにもお礼を言ってもらっておく。


  ◇


 昼休み。珍しく河原さんがオレたちのクラスにやってきた。有紀共々声をかけられたので廊下に出る。廊下に出ると麻結もいた。一応周りに教師陣がいないかを確認した河原さんは手に持っていた大きい巾着袋に手を突っ込み、取り出したそれをオレたちに渡した。

「はいこれ」

 渡されたのは小袋のポテトチップス一袋。一袋と言ってもスーパーで売られている状態では縦に四個か五個つながっていただろうという片手に収まるサイズ感だ。

「過程ぶっ飛ばしてるやん」

 お礼を言う前に突っ込みを入れる有紀。

「割とみんなこんなもんでしょ」

 河原さんは全く気にしていない。みんなと言っている辺り、部活のメンバーも「こんなもん」だったのかもしれない。

 オレたちもそれぞれ持ってきたものをお礼を言いながら河原さんに渡す。

「ん。あんがと。ついでなんだけど、みっつん呼んでくれない?」

 「みっつん」とは同じクラスの三井さんのことだ。三井さんは河原さんと同じ女子テニス部に所属していた。三年生の秋となった今は二人とも引退しているが。その三井さん、残念ながら不在。

「ごめん。今いないみたい」

 一応確認で教室内を眺めてみたが居なかった。期待されていたなら申し訳ないと思っていたが、河原さんはあっさりしていた。

「そ。じゃ、見回ってみるわ。じゃ」

 そう言って行ってしまった。女子テニス部の面子全員とお菓子交換するのかもしれない。三井さんは三井さんでいつの間にやら教室からいなくなっていたので、河原さんと同じように他のクラスに出向いているのかもしれない。そうであるならその内会えるだろう。

 残った麻結は何やら迷っているいる様子だ。その様子を見た有紀は、

「トリックオアトリート~」

と言った。

「あ、うん。はい、どうぞ」

 有紀に麻結が手渡したのは手作りと思われる包装された何か。有紀はまた「待ち」の体勢に入った。麻結が少し恥ずかしそうに言う。

「トリックオアトリート…」

「はいよー」

 軽いノリで一口チョコを渡す有紀。そして首だけ動かしてこっちを見た。言わずとも何が言いたいかは伝わってくる。言え、と。

「と、トリックオアトリート…」

 改まって言うと恥ずかしい。

「えっと、その、ど、どうぞ…」

 麻結から渡されたのは有紀に渡されたそれよりも少し大きい包み。二つとも一部透明な部分があるため中身は少し見えた。オレンジ色のカップケーキ。

「カボチャのマフィンなんだ。カボチャ、苦手だったらごめんね?」

「美味しそう…。ありがとう」

「う、うん」

 そういった後、麻結はハッとした様子を見せた。そして有紀に行った時よりもボリュームが下がった声で、

「トリックオアトリート」

と言った。恥ずかしがっているのが態度で分かる。そしてその様子が可愛い。麻結の性格的にも家族構成的にも、広瀬家ではイベント事の主役は茉実ちゃんだろう。普段脇役に徹しているからこそ、恥ずかしいのかもしれない。お菓子が無いという嘘を吐いて揶揄うことが一瞬頭をかすめる。実際にそんなことはしないが、そうしたらどんな反応を返されるだろうかと少し思ってしまった。

 特段麻結にだけ良い物を用意していなかったのを詫びつつクッキーを渡す。手作りかつ量の多い物をもらって有紀と同じというわけにもいかない。

「こんなのしかなくてごめんね」

「ううん。ありがとう」

 小袋クッキー三袋ぽっちでも麻結は笑ってくれた。来年はもう少しましなものを用意しよう。まずはハロウィンを忘れないことからだ。


  ◇


 帰り道、保育園から出てきた茉実ちゃんは上機嫌だった。

「先生たちからもらった!」

 自慢げに見せてくれたのはポリ袋に入った大袋菓子の数々。先生たちが詰め合わせたものを園児一人一人にくばったのだろう。

「良かったね」

「うん」

 嬉しそうにする茉実ちゃんに追加のお菓子をオレは取り出した。

「茉実ちゃんこれ」

「あ、お兄ちゃんありが…はッ!」

 そのまま手を伸ばしかけた茉実ちゃんは途中でひっこめ、

「トリックオアトリート!」

と元気よく言った。

「はいどうぞ」

「わーい」

 小さなお菓子一つで大喜びする妹。そしてそれを目を細めて見守る姉。渡した分以上の物をもらった気がした。


  ◇


 帰宅後、いつの間にか有紀からメッセージが入っていた。時間を見るとどうやら歩いている最中だったようだ。マナーモードかつリュックの中では通知に気が付かない。


雪「来年はもうちょいグレード高いことしたいな!」

雪「楽しみにしとってなー」


 いったい何をするつもりなのか。恐怖半分期待半分で「期待しないで待ってるよ」とだけ返した。

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