小話六、絡める指

 九月十一日日曜日、麻結の誕生日前日。僕は麻結を自室に呼んでいた。誕生日当日にお祝いができるのが一番いいが、残念ながら月曜日。ゆっくり話すなら今日が良いだろう。というわけで、麻結を広瀬家まで迎えに行き、そのまま自室まで連れてきた。ケーキは家で食べるだろうからお茶菓子は母がかってきたちょっといいものだ。奇しくも広瀬家を初めて訪れたときに出されたお菓子だった。

 部屋に入らないで欲しいと母親に伝えていたため邪魔は入らない、はず。お茶菓子を折り畳み式のテーブルの上に置き、横並びに座る。肩をぴたりと合わせる距離感ではないのが僕ららしい。二人してカーペットの上に座り込んだらなんとなく黙り込んでしまった。今まで僕の部屋に麻結を入れたことはあるが二人きりは初めてだ。妙に緊張してしまう。

 それにプレゼントをいつ渡すのかというのもある。カチカチに緊張して頭が真っ白だ。麻結も黙り込んでしまっている。このままではいけない。

「麻結」

「は、はい!」

「その…誕生日おめでとう」

「あ、ありがとう…」

 頬を染める麻結。可愛い。

「それで、これ…」

「あ、ありがとうゆう君」

間が持たなくなる方が嫌なので先にプレゼントを渡してしまう。四角くずっしりとした何か。麻結にはそう見えているだろう。

「これ、本なんだ」

「開けていいの?」

「うん」

 麻結が慎重に包装紙を開けていく。びりびりに破いてしまった茉実ちゃんとは対照的だ。中身はハードカバーの本。タイトルは『裁きの時』。作者は五十嵐薫。

「これ…」

 麻結の目が見開かれる。この本は最近著名な賞を取ったもので、ニュースにも取り上げられていた代物だ。内容はともかく、タイトルは知っている人は多いだろう。

 死後、生前の記憶をなくして霊体になった主人公は、死後の裁判の前に自力で記憶を取り戻せと命じられる。監視役の死神と共に自身にゆかりのある場所をめぐり、徐々に記憶を取り戻していくというストーリーだ。僕自身もまだ読み終わってはいないので、結末が楽しみだ。生死がテーマの小説は麻結にはつらいかもしれないと一度は止めかけた。しかし、重いものを背負っているからこそ近しいものに触れることによって自分だけではないと思うこともできるかもしれないと思った。バットエンドだったら一緒に泣く。その覚悟だ。

「内容が生死にかかわるものだから、悩んだ。もし暗い話だったら一緒に泣く。泣けなかったら慰める。時期も時期だし、読書会するとしても、受験が終わってからになるかもしれないけど…」

 麻結は大事そうに『裁きの時』を抱えて微笑んだ。

「読書会、楽しみ。受験が終わった後のお楽しみだね」

「うん!」

 少し空気が和らいだ。麻結は右手で『裁きの時』を抱え込み、左手がカーペットの上に落ちた。

 今ではないだろうか。夏休みが終わってから勉強に本腰を入れるため、デートも読書会も、四人そろっての考察会もなくなってしまった。行き帰りは一緒だが、茉実ちゃんがいる前で手は繋げない。つなぐこと自体は出来ても恥ずかしくて繋げない。

 麻結の母親の墓前で抱き着かれたことはあるものの、スキンシップと言えるのはそれっきりだ。だが、今なら文字通り手が届く。

 じわりじわりと僕の右手が距離を詰める。素知らぬ顔をしようとあちこちに視線が泳ぐ。あと五センチ、あと四センチ…。

 と、急に麻結の左手が動いた。僕の右手の上に柔らかい感覚が降ってくる。麻結の手が上から重なるように触れている。

「…っ、あ」

 微かに声を漏らした僕とは対照的に、麻結は顔を紅潮させたまま微笑んでいた。そのままするりとお互いの指が絡み合う。所謂恋人繋ぎ。

 心臓がうるさい。全身を熱いものが巡る、巡る。これは僕が能力者だから素が巡っているのだろうか。それともただ血が巡っているだけか。頭がぼーっとしてくる。全身の感覚がおぼろげなのに右手の感覚だけが妙にリアルだ。なんだか、くらくらする。


  ◇


 気が付いた時には僕は麻結の肩に凭れていた。

「え?わ!ご、ごめん!」

 慌てて距離を取る。麻結は僕を気遣うように、

「ううん、大丈夫。それより、身体は大丈夫そう?」

と言った。

「あー、うん…」

 先ほどまでのぼんやりとした感覚がなくなっている。非常にクリアだ。先ほどまでのくらくらした感覚は何だったのだろうか。

「ゆう君、さっき手をつないだときに身体が妙に熱くなってきたと思ったら声をかけても反応が無くて。そうしたらゆう君のお父さんが来られておでこに手を当てて『熱っぽいね。知恵熱かな?』って言われて。冷却シートが今ないみたいで、買いに行ってくるって出で行かれたの。そしたらゆう君の目が覚めたんだけど…身体、大丈夫?」

「うん。大丈夫」

 おでこに手を当ててみる。何ともない。身体の火照りも今は全くない。

「大丈夫そうだね。顔色も戻ったし」

「…何だったんだろ?」

「分かんないね…」

 良い雰囲気はなくなってしまったが、適度に緊張はほぐれた。その後、薬局で冷却シートを買ってきた父親におでこで熱を測られ、念のために体温計でも測ったが平熱の三十六度四分。熱など出てはいなかった。気のせいだったのだろうか。

 結果的には緊張はほぐれいつもの調子で雑談できる程度にはなった。いただけなかったのはフィナンシェの味。麻結が作ったものはこれよりもずっと美味しかった。「また、そのうちね」と言ってくれたので、気長に待とうと思う。

 それにしても、麻結の誕生日祝いなのに、手をつないで体調を気遣ってもらって、僕が得をしている気がする。次の機会には僕が。いやオレが麻結に何かあげたいものだ。

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