5.手を繋いで歩きませんか?-7
けれどエルヴィーラはこちらを見て、気まずそうな表情になる。
「あの……大丈夫ですよ、ランヴァルト様。メランデル伯爵もオロフ卿も、ランヴァルト様に悪意や敵意はありませんから。オロフ卿など家の恥をさらした上に公爵家にまで迷惑をかけて、呼吸するのも辛いとかそう云う感じになってましたから」
「そ、そうなのですか?」
「ランヴァルト様が彼女たちをかくまった事で話がややこしくなったのは事実ですが、それはそれとして、悪いのはスサンナだとベック男爵家側は思ってますよ。私とは関係なく」
「いや、でも、僕が……」
「……云ってはなんですが、貴方の影響力の低さや世間知らずさは、それなりに知られているんですよ。だからスサンナの行いは「いたいけな青年公爵を詐欺にかけた」と多くの人に思われてます」
「えぇ……?」
「まぁ貴方の事を悪く云う人も居ますけどね。さほど多くはないです。……とにかく、オロフ卿は奪われた兄の財産を取り戻すため、モニカ嬢のため、正攻法でスサンナを訴える事にしたのです。その準備が整い裁判を行える段階になったので、スサンナ宛てに手紙を出しました。裁判所への出頭命令と、自分がどれだけ怒っているかと云う気持ちを綴って」
「裁判?!」
「遺産関係の話ですからね、裁判にもなります。で、その手紙がスサンナの元へ届いたのが一昨日の事です」
「一昨日? …………あっ!」
昨日からスサンナの様子がおかしいと思っていたが、それは一昨日届いたと云うその手紙のせいだったのか、とランヴァルトは合点が行った。
恐らく彼女は、届いた手紙に一日悩み、どう云う意図かは知らないがランヴァルトと話をしようと夕食へと誘い、断られたので夜中になって会わせろと騒ぎたてた。それでも会えなかったから今日に至って、強硬手段へ出たと云う事だろう。
ランヴァルトがエルヴィーラたちに騙されてるだのなんだの云う話は、建前だったのだ。メイドたちが何も知らないのか、それとも知っていて協力したのかは分からないけれど。後で詳しく話を聞く必要があるようだ。
「出頭命令は内容や対象によって呼び出し期間が異なります。我が国における遺産関係の裁判の場合、侯爵以上なら一ヶ月以上前、伯爵なら半月、子爵以下は約一週間から三日前でしょうか」
「あぁ、学園で習いました。上位貴族の場合、各方面への根回しをする必要があるから、ですよね」
「仰る通り。法は厳正に守られるべきですが、対象によって異なる部分も多い。厳格に身分制度が決まっている国ほど、上位貴族が有利になるよう出来てますからね。それに子爵以下は領地を持たないなど身軽な人も多いので。あまり早くから知らせて逃げられるわけにいかない、と云う事情もあります」
「な、なるほど……」
「スサンナの場合は様々な事情を加味して……裁判は呼び出しから五日後かと」
「えっと……あの、スサンナさんは、裁判に出たら、どうなります……?」
「オロフ卿が本腰を入れている事、メランデル伯爵も怒っている事を加味しますと、実刑判決なのは間違いないですね。刑罰の内容が、罰金か、強制労働か、修道院行きかは彼女の態度次第でしょう」
「そう、ですか……」
一番マシなのは修道院行きか。けれど、犯罪を犯した女性を受け入れる修道院は、普通に生活する人の想像を絶する厳しい環境だと聞いた事がある。犯罪者の向かう場所なのだから当然と云えば当然だが、貴族として生きていた人にとっては苦痛だろう。
「モニカは……」
「オロフ卿が引き取るか、母親とは別の修道院行きでしょう。モニカ嬢は体が弱いので…………私は療養所へ入って治療に専念するべきだと思いますけどね」
「!」
ランヴァルトはぱっと顔を上げた。しかし、すぐに視線を落とす。
これまでの話を聞いていると、確かにモニカは大人たちに振り回された被害者だ。彼女に罪はあるかと問われても、ランヴァルトは無い、と思ってしまう。母親を諫められなかった事は罪かも知れないが、モニカの現状を思うと厳しい意見に思えた。
モニカに罪はないと、エルヴィーラも云ってくれている。彼女の提案はランヴァルトも最善だと考えていたものだ。
けれど、オロフ卿の資産ではそこまで出来ないのだろう。小金持ちとは云っても、男爵の中ではと云う話。モニカの世話を細々と行う事は出来ても、入院費や治療費までは賄えないと云う事だ。
ここでランヴァルトがお願いしますと云えば、エルヴィーラは快く頷いてくれるだろう。入院にかかる全ての費用をあっさり支払ってくれるに違いない。
だからこそ――ランヴァルトは口を閉じた。
ランヴァルトからの答えを待っているエルヴィーラに、微笑みかける。
「……では、モニカについてはオロフ卿次第と云う事、ですね。承知しました」
「おや」
パチリと、やけにゆっくりエルヴィーラが瞬きをした。ランヴァルトの態度を不思議に思っている様子だ。
「……私に、何か云いたい事が、あるのでは?」
「……」
云われて、目を逸らす。日の下でキラキラ輝く金の目を、まともに見る事が出来なかった。
云える訳がない。云いたい事など、ない。
オロフを介してモニカたちの事を知っていたエルヴィーラだが、本当に知っていただけだ。エルヴィーラに彼女たちを助ける義理はなく、面倒を見る筋だってない。
どの口で云える。もうすでに温情は貰っていた。どうしてこれ以上、エルヴィーラに手間をかけさせられる。
「……あの」
「はい、なんでしょう?」
「エルヴィーラ様は、どうして、モニカのために手を尽くしてくれたのですか?」
「手を尽くした……?」
「離れを改装して、新しいお医者様まで手配してくれて、体の弱いモニカに必要なものを全て用意してくださいました。……彼女たちは、招くべきではない客だったのに」
そう考えると不思議な話だ。
エルヴィーラは最初からランヴァルト以上に状況を把握していた。スサンナの行いも、モニカの現状も、ベック男爵家の問題も、全て知っていたのだ。それなのにモニカたちについて何も云わず、ただ必要なものを揃え与えてくれた。
エルヴィーラは金銭的にとても裕福だ。慈善事業や投資活動にも積極的だと聞いている。でもそれは社会のため、世界のためだろう。そして回り回って、エルヴィーラ自身のためにもなる行いだ。
モニカたちにお金を出してくれた事は大変ありがたい。でも彼女たちを助ける事でエルヴィーラが得する事など何一つないのだ。
自分の考えに捕らわれるランヴァルトを前に、エルヴィーラはコテンと赤子のように邪気も無く首を傾げた。
「よく分かりません。なぜ私がモニカ嬢のために手を尽くした事になるのです?」
「えっ」
「私はランヴァルト様と婚約してから、貴方の為にしか金銭を使っていません」
「え……」
「貴方がモニカ嬢の事で困っていたようだったので、金で解決出来る問題を片付けたに過ぎません。ランヴァルト様の為にならないなら、彼女に金銭を使いません」
エルヴィーラの目が無機質に煌めいた。瞳にはモニカに対する感情が僅かもない。正も負も存在していなかった。
「ランヴァルト様がモニカ嬢の体について気に病んでいらしたので、金を出しただけです。入院させるべきか否かは、私が決める事ではありません。モニカ嬢が現状を維持できる程度の事をしたまでです」
「えっと……」
それはエルヴィーラが個人的に、モニカに対して何の感情も考えもないように聞こえる。
アルヴィドは、モニカの存在はエルヴィーラにとって不誠実だと云っていた。世間一般的にはそうなのだろうと、ランヴァルトも考えていたのである。
しかし当のエルヴィーラは、モニカについて何も感じていない様子だった。排除も擁護も、何も無い。あれだけお金を出してくれたのに、興味を欠片も抱いていない。モニカの今後についてランヴァルトへ全て任せていた。
「その……」
「――私は貴方に喜びを与えられていませんでしたか」
「えっ……」
「人類の感情についてある程度、収集、解析、理解を進めていました。人類は他者の手で困難を取り除かれて喜ぶ傾向にありました。空腹であるなら食料を、借金があるなら返済を、仕事がないなら雇用を、病であるなら治療を。欲しいものがあるなら与えました。それで人類は喜びと云う感情を獲得していました。なのに……」
するりと、腕が離れた。隣りに立っていたエルヴィーラが、ランヴァルトを正面から見据えてくる。
エルヴィーラから表情が消えた。取り繕っていた、表面にだけ塗っていた感情と云う仮面が削ぎ落とされる。
腹の底が冷えた。血液に氷水を流されたかのようだ。
――自分は今、“人ではないナニか”を前にしている。
それを、自覚してしまった。
「貴方はそうではないのですか、ランヴァルト様」
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