5.手を繋いで歩きませんか?-6


 エルヴィーラはそこでため息を一つ。


「現ベック男爵――オロフ卿と私は、仕事を通じての知人です。もう十年以上も前になりますか。オロフ卿は算術が得意でしてね。家を継げないので寄親であるメランデル伯爵の伝手で、王宮の財務省へ務めに出ていました。――我が国で男爵は騎士爵同様実力主義いちだいかぎりで血統による継承権はありません。ですがベック男爵家は算術に重きを置いて、血族から宮廷務め人を出す事で爵位を守ってきた一族です。当代で五代目になりますから、中々頑張っている家と云って善いでしょう。メランデル伯爵も目にかけている男爵家の一つです」

「私はオロフ卿にお会いした事はないのですが、どのような方なのですか?」

「真面目で勤勉で上に取り入るのが上手い、絵に描いたような宮廷貴族ですよ。ただ、冷静ではありますが冷酷な方ではありません。家族の情は強い方でしょう。現にモニカ嬢の事は、たった一人の姪として可愛がっていたそうですから」

「そうなのですか……?」


 モニカからオロフの話は聞いた事がなかった。けれど、スサンナが時折「冷血な義弟のせいで苦労をした」と愚痴を云っていたのに対し、モニカは彼を悪く云う事もなかった。母親の言葉に曖昧な笑みを浮かべていたような。


「真面目な人ですからね。スサンナが起こした騒ぎ――モニカ嬢をランヴァルト様の婚約者だと吹聴した件について、かなり怒っていたのですよ。彼の仕事に大きな影響はありませんでしたが、「面倒な義姉を持つと大変だな」とからかい混じりに多方面から云われていたそうで。何度もメランデル伯爵に頭を下げていました。私はそこまで気にしなくていいのではと思っていたのですが、兄の嫁の不始末だからと、まぁ生真面目な人で。そう云うちょっと貴族っぽくない所も、メランデル伯爵に気に入られる要因だったかも知れません」

「……オロフ卿と仲が宜しいのですか?」

「普通ですかね。私は仕事柄、他国へ行く事が多いでしょう? 税金関係がややこしい事になっていたんですよ。所得税だ関税だ、今は割と簡略化されましたが、十年前は素人には面倒くさくて。メランデル伯爵の元へ祖母の友人が嫁いでいまして、その縁からオロフ卿を紹介して頂きました。真面目で融通の利かない所はありましたが、とにかく計算が速くて正確で、当時は大変助かりまして。それから季節の贈り物をし合うくらいの仲にはなりました」

「えっと……もしかしてエルヴィーラ様、スサンナさんやモニカについて前々からご存じで……?」

「えぇ。オロフ卿から愚痴混じりに聞かされてましたよ。……彼が爵位を継いだのは三年前。ベック前男爵が亡くなってすぐです。ベック男爵家の爵位はメランデル伯爵預かりのものでしたから、オロフ卿の継承権はあっさり認められたのです。で、問題は義姉スサンナの事。オロフ卿はとにかくこの義姉が嫌いです。兄が早死にしたのは義姉が余計な苦労をかけたせいだと、本気で思っていますから」

「……」


 その件についてランヴァルトは何も云えない。

 戯れ言を本気にしたスサンナが悪いとみんなが云っていたとしても、母が勘違いをさせる言動を取った事は事実なのだから。

 会った事のないオロフより、知り合いであるスサンナ寄りになってしまう気持ちもあった。


「先ほども云いましたが――彼は宮廷貴族らしい人ではありますが、冷酷ではありません。何も身ぐるみ剥いで義姉を追い出そうとした訳ではなく、実家に帰るか、出家するか選ぶように告げたそうです。オロフ卿は既に婚姻していましたし、息子と娘が一人ずついます。亡くなった兄弟の妻を娶ったり、愛人として迎える事はよくある話ですが、オロフ卿は彼女が嫌いでしたからね。その必要はなかったのです」

「えっと、その場合モニカは……」

「モニカ嬢に関しては、彼女の希望を出来る限り叶える、と。体の弱い彼女はどこへ行っても苦労するでしょうからね。もしこのままベック家に居たいと云っても、それを受け入れる気持ちもあったそうです。オロフ卿の子供たちはモニカ嬢と親しく、彼の妻もスサンナの事は夫と同じく嫌っていても、モニカ嬢に対しては大人たちの被害者だろうと同情的だったようで」

「でも、スサンナさんは……」

「えぇ、モニカ嬢を連れて家から飛び出しました。“ベック男爵家の財産に手をつけて”」

「――……はい?」


 とんでもない言葉が飛び出して、ランヴァルトはしばし思考と動きを止めた。それに付き合ってエルヴィーラも足を止め、軽い仕草でこちらを見上げる。


「ベック前男爵はメランデル伯爵領の町で代官を任され、懸命に働いていました。オロフ卿は財務省で真面目に働き、私との付き合いもあって一財産築いています。富豪と云うほどではありませんが男爵としては小金持ち、とでも云いますか。だからモニカ嬢の面倒も見ると云えたのです」

「あの、手を付けたって……」

「オロフ卿が爵位を継ぐ直前。まだスサンナがベック夫人を名乗れた時分。彼女は夫の遺産を懐に入れて逃亡したのです。娘を連れて。そして唯一頼れる相手に連絡を取った」

「それは……」


 話の雲行きが怪しくなって来た。心臓が普段より大きく脈打つ。


「スサンナは兄嫁と折り合いが悪かったそうで、社交界で問題を起こしてからは兄からまで「顔を見せるな」と云われていたようです。しかし両親は娘の事を孫共々心配していました。なのでこう聞いたそうです。「子爵家のうちでは守り切れない。爵位の高い、もっと頼れる相手はいないのか」と」

「……」

「スサンナはそこで思い至ってしまったのです。マティルダ様はもうおらず、いるのは息子が一人だけ。公爵ではありましたが権力も財力もさほどなく、取り入るには最適だと判断したのでしょう」

「……僕は」

「貴方は名ばかり公爵だと仰いますが、男爵からすれば天上人なのですよ。オロフ卿はほぞを噛んだでしょうね。兄に散々苦労をかけ、自分にも迷惑をかけ、あにの金に手を付けた女がまんまと公爵家の庇護下へ入ったのですから。彼に出来る事は――法に従い、準備を進める事だけでした」

「……」

「金を持ち逃げした当時、スサンナはまだベック夫人でした。そして持って行ったのはベック前男爵のものだけ。オロフ卿の個人資産に手を出していたら、話はもっと早かったでしょうが……つまり彼女の犯罪はその時グレーゾーンに分類されたのです。夫が亡くなった場合、遺産の一部は妻へ渡されます。しかし、それには正式な手続きが必要です。法に従って遺産を受け取るのであれば、スサンナは義弟がベック男爵家を継ぐ事を認めなくてはなりません。そうなったら義弟の云う通り、実家へ戻るか、出家するしかありません。夫の遺産を受け取ると云う事は次代の継承を認めると同義ですからね。継承者の決定権を持つのはメランデル伯爵です。スサンナは最初、伯爵の慈悲に縋ってモニカ嬢に男爵位を継がせようとしたのですが、女である事はともかく病弱では認められません。社交界で騒ぎを起こした元夫人と、お気に入りの部下。どちらを優先するかなど云うまでもありませんよね。メランデル伯爵の目にスサンナは、義弟を無位のまま働かせ、娘に爵位を継がせ自分だけ美味しい思いをしようとしている強欲な女に見えた事でしょう」


 ランヴァルトはもう何も云えなくなってしまった。自分がよかれと思ってした事が、色々な人に迷惑をかけていたのだ。その上、犯罪の片棒を担いだ可能性が出てきてしまった。

 胃がチクチク痛む。この先を聞くことが怖かった

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