5.手を繋いで歩きませんか?-5
初耳だった。
母たちがお茶をしている時、幼かったランヴァルトたちはほどほどに離れた場所で遊んでいた。母たちが上品に笑いながらも醸す空気の寒々しさに、幼いながら空恐ろしいものを感じていたのかも知れない。愚痴り合いだったのだとしたら、それも納得だ。
アルヴィドはそれが顕著で、しょっちゅうランヴァルトの手を引いて「屋敷の中探検しようぜ!」と云ってさらに距離を取ってた気がする。その探検と云う名の逃走に、モニカや他の子も付いてきたり来なかったり。一番多かったのは、二人だけでだった気がする。
今でこそ社交的なアルヴィドだが、子供の頃はけっこう排他的なタイプだった。モニカを始めとした女の子たちがランヴァルトへ近付くのを、とても嫌がっていたような。
「これは冗談と云うより、当てつけだったのでしょう。貴方の父君が平民の女性へ入れ込み始めた頃の事で、男爵家へ嫁いだとは云え、夫に愛され大切にされていたスサンナが妬ましかったようです」
「母が……」
「あまり云うべきではありませんが――女は多くの顔を持っています。夫に見せる顔、子供に見せる顔、“お友達”に見せる顔、それらは全て異なるものです。貴方にとっては善きお母様でしたが、他にはそうでもなかった、と云うだけの話です」
「はい……」
「公爵家と男爵家では身分が違いすぎます。伯爵家あたりへ養女へ出すと云う手もありますが……そもそもモニカ嬢は生まれつき体が弱い。それは彼女のせいではありません。ですが上位貴族はみな、健康な伴侶を求めているものですから実現する訳がないのです。それは云った本人を始め、みんな分かっていました。分かっていなかったのは、スサンナだけだったのです。彼女はその当てつけを、“本気にしてしまった”」
「えっ」
エルヴィーラはため息を一つ。そこには、哀れむ色があった。
「子を愛している親は、我が子により善い縁談を探すもの。スサンナは、まぁ、貴族の夫人としては落第点でしたが、母と云う面においては非常に愛情深い、善い母親です。病弱な娘の世話を厭な顔を一つせずこなし、娘が将来辛い思いをしないように、安心して生活出来るように、資産があり、将来性もあって性格の良い婚約者を捜していました。いねーよそんな
「あ、はい」
「今は亡き先代のベック男爵――スサンナの夫も、そんな妻の行動に感動していたようですよ。なんて娘想いの善い母親なのかと。うちの父が自慢されたそうで」
「え、そんなご縁が……」
「世間は狭いですね。ちなみに父は笑って流したと云ってました」
「でしょうね……」
男爵に妻自慢される侯爵――この時はまだ伯爵か?――とか、笑い話と云うか、失笑ものと云うか。
上位の貴族から家族自慢をされて、下位の貴族が揉み手する事はよくあるが。
「まぁ、夫婦仲が良くて宜しい事ですが。とにかく体の弱い娘を心配し、溺愛していたスサンナは、その冗談以下の当てつけに光明を見てしまったのですよ。マティルダ様のお墨付きをいただいて公爵家へ入れば、娘は安泰だ、と」
「でも、それは……」
「えぇ。冗談以下なのですから、何の価値もない言葉です。それなのに、さもモニカ嬢がランヴァルト様の婚約者であるかのように振る舞ってしまったのですよ、彼女は。よその茶会や夜会に出ては、その話をしてしまった。周囲からは「思い上がった勘違い女」と判断されましたね。だからスサンナもモニカ嬢も、しばらく貴方の周りから姿を消したでしょう?」
「えぇ……、仰る通りです」
ランヴァルトの思い出にモニカが登場するのは、十にも満たない幼い頃だ。いつの間にか彼女たちは消えて、それを当時のランヴァルトは気にしていなかった。
一度だけ母に「モニカはもう来ないのですか?」と聞いたが、にっこり笑顔の母から「えぇ、体の調子が悪いみたい。もう来られないわ」と云われて納得した。モニカは顔色が優れない日が多く、頻繁に座り込んだりしていたので、体調が悪いと云われたらそれ以上追求する気も起きなかった。
当時のランヴァルトは、可愛い女の子より同年の男子と遊ぶ方が楽しかったのだ。もう来ないと聞かされても、「アルヴィドが来てくれるなら別にいいや」と思った記憶がある。我ながら薄情だ。
「スサンナの不幸はここからです。自業自得な部分もありますが、運が悪いと云うか、間が悪いと云うか。まぁ、他人事ながら不憫だとは思います。同情はしませんが」
「あの、ベック夫じ……スサンナさん達が我が家に来なくなってからの事は、あまり詳しくは知りません。本人たちからは、前ベック男爵の弟君に家を乗っ取られて追い出されたと」
「それは彼女たちからしたら真実です。けれど別側面から見たら嘘八百にもなります」
「それは、どう云う……?」
「真実は人によって違うと云う事です。真理は一つですが、真実は人の数ほどあります。スサンナの追い出されたと云う主張も、現ベック男爵からすれば勝手に出て行ったになりますからね」
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