5.手を繋いで歩きませんか?-1
今日のランヴァルトはやる気に満ちていた。
だからと云って特別行動する事はないのだが。ただひたすら、今日は待ちである。
「エルヴィーラ様がお帰りになるとの事で、本日の予定は全てキャンセル致しました。旦那様におかれましては、精神統一他、エルヴィーラ様との会談に向け、集中力を高めていただければと」
「お話するだけですよね? 大事な話をするのであって、決闘する訳じゃないんですよね?」
ルーカス達に手伝って貰いながら身支度を調えている最中、いつも通り慇懃な態度のヘイスから云われ、ランヴァルトは不安になった。彼の態度が、会談へ向けてと云うより決闘前のような仰々しさだったもので。
ランヴァルトの疑問に答えたのは、ダルダルとソファに懐いていたヴェルトだった。
「姐さんとの会話って気合い入れなきゃ駄目じゃん? だんなさま、最近はちょっと慣れて来たけど、最初はすっげぇ萎縮してたしー。今日はしっかり喋んなきゃ駄目だよって事~」
「あ、はい。でも、エルヴィーラ様のお帰りはお茶の時間でしょう? 予定全部キャンセルは、先方に申し訳ないのですが……」
本日はノルデンフェルト公爵邸を公式訪問し、昼食会に出る予定だった。前公爵のお世話になりっぱなしなので、現公爵に挨拶と感謝を申し上げに行くつもりだったのだ。
初めての他公爵家へのお出かけであり、予行練習的な意味合いもあった訳だが。
「諸々延期です。ノルデンフェルト公爵は快く受け入れて下さいましたよ」
「申し訳ない気持ちでいっぱいです……」
「だいじょぶだいじょーぶ。こっちの都合での延期だし、むしろ姐さんに貸しが作れたって喜ぶ類いのおっさんだからさぁ、ノルデンフェルトの現公爵って」
「そうなんですか?」
「転んでもただでは起きないタイプの御仁ですね」
式典や夜会で会った事はあるが、いつも挨拶程度で世間話すらした事の無いノルデンフェルト現公爵は、上品な面立ちの紳士だ。ヘイスもヴェルトも「現金なおっさん」みたいに云うが、ランヴァルトは上手くその単語を咀嚼出来ない。
大国で問題なく公爵を続けてられている以上、やり手な事は間違いないだろうが。あの穏やかな紳士とイコールにならないと云うか。
ランヴァルトの着替えを眺めていたヴェルトが、ひひひ、と意地の悪い笑い声を発した。
「だんなさまと違って、この国の大貴族はみぃんな底意地悪くて性格クソで現金で強突く張りだよぉ。ただ、先代に頭が上がらないのも共通してっから、ヴァルタルのじっ様が味方についてる以上、ノルデンフェルトはそう警戒しなくてもいいって感じぃ」
「まぁ他の公爵家の中で、一番まともではありますね。分かりやすいとも云いますが」
「分かりやすい?」
「自分のとこの利益最優先で、それを隠される気がないお家ですからね。エルヴィーラ様とのご縁が深まって、それはそれはお喜びのご様子ですし。旦那様にもお優しくして下さいますよ」
「他の家は領民のため~とか王家のため~とか国のため~とかカッコ付けっけど、あの家はそう云うのしないからぁ。付き合い易くはあるよねー」
「そうなんですか……」
やはりあの穏やか紳士とイコールで結ばれない。しかし二人が云うならそうなのだろうな、とランヴァルトは覚えておく事にした。
爪弾き公爵の自分より、エルヴィーラの護衛として様々な人々と対面している二人の方が、人を見る目も確かだろう。
「あー。そうだ、ついでに云っちゃうけど、一つだけ用心して欲しい公爵家あるわ」
「どこですか?」
「アッサルホルト家。特にそこのご令嬢」
「アッサルホルト家のご令嬢と云えば……マデレイネ嬢ですか?」
アッサルホルト家は五つある公爵家の中で二番目に若い家柄だ。一番は当然我がグランフェルト家である。
重ねた代が長ければ長いほど尊ばれるのが貴族の血統だ。アッサルホルト家はグランフェルト家程ではないが、公爵家の中では軽んじられている方だった。しかし、当代の愛娘が凄まじい程優秀で、その上“記憶持ち”であった事から、注目を集めてもいた。
アッサルホルト公爵家長女マデレイネは、艶めく銀の髪に透き通るような水色の瞳を持った絶世の美少女で、王子の一人と婚約関係にあったはず。聞こえて来る噂はどれも善いもので、彼女に憧れる貴族令嬢は数知れず、常に多くの人に囲まれ守られて、頭脳明晰、眉目秀麗と才媛の名を欲しいままにする完璧令嬢だが、決して驕らず使用人や平民にすら慈愛の心で接しているらしい。
以上が、アルヴィドから教えられた情報だ。それ以外は知らないとも云う。
「悪い人だとは聞いていませんが……」
「まー悪人じゃないよ。でもしょっちゅう姐さんの縄張り荒らそうとして来んだわ」
「えっ」
「“記憶持ち”の弊害がモロに出てる方ですね。異世界の知識の元、既にエルヴィーラ様が権益を獲得している商業関係に、横やりを入れて来るんです。本人に悪気がないのが一番厄介でして。ついでに周りの信者も面倒でして。何度かエルヴィーラ様が、横っ面を経済的な意味でぶっ叩いて商業圏から追い出しているのですが、「お嬢様に敵対の意思は無いのだから許すべき」「マデレイネ様に悪気はなかったのに酷い」などと云って逆恨みしてらっしゃるのですよ。ちなみにご本人も見た限り、割と健気な悲劇のヒロイン気取ってます。無自覚で」
「えぇ……?」
なにやら聞いていた噂――アルヴィドオンリーだが――と随分違うのだが。
「美人だし、頭良いし、性格も悪くないんだろうけど、この世界の常識が分かってないなー」
「前世の常識が基準になって、結構やらかされてるんですけどね。見た目の良さと周囲からの支持でうやむやになってると申しましょうか」
「姐さん側の俺らが関わっても善い事ないから、会っても適当な挨拶だけにしてよー、だんなさま。話広げちゃダメだから」
「分かりました……」
噂で聞いただけとは云え、ランヴァルトも結構尊敬してた口なのだが。二人がしみじみと「面倒くさくて厭」と云う顔と声をしていたので、素直に従う事にした。今やランヴァルトも、エルヴィーラ陣営な訳であるし。
「向こうはちょっかいかけて来そうだけどさー」
「えぇー……?」
「もはや、エルヴィーラ様に恥をかかせる、もしくは厭な思いをさせる、が主目的になってる感がありますからね。ちなみに、アッサルホルト公爵は大変腰が低く、手の平のシワが消える勢いの揉み手でエルヴィーラ様へすり寄って来ますが、酷い親馬鹿でもありまして。ランヴァルト様相手にはやらかす可能性がありますので、本当に挨拶だけに留めておいていただければと」
「あ、はい……」
「公爵家一つ潰したとなると、流石に外聞がねー」
「金でねじ伏せられる外聞ではありますが、余計な波風は立てないのが一番ですから」
「ひぇ……」
朝から怖い話を聞いてしまった。見た目はルーカス達の手できっちり仕上げて貰ったものの、心の中は冷や汗でいっぱいだ。ルーカスも他の使用人も、顔色を青くして息を飲んでいる。
本当に、なんで、エルヴィーラはランヴァルト一人のためにそこまですると、確信されているのだろうか。
その答えを知るのが怖いと思っていた気持ちは鳴りを潜め、早く知りたい気持ちでいっぱいになるランヴァルトだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます