4.夜の逢い引きはまだ早い。-1

「はぁ……」


 ため息をついて、ランヴァルトはぱたんとベッドへ倒れ込んだ。以前と違いベッドは軋む音一つ立てず、柔らかくランヴァルトを受け止めてくれる。


(今日はなんだか、疲れたな……)


 湯浴みを終え体はぽかぽかと温まっているが、頭の奥は冷えていた。ここの所の気持ちの良い疲労感とは違い、今日はずっしりと重い体が厭わしくなる良くない疲れ方だ。

 城を辞した後、ランヴァルト達はまっすぐグランフェルトの屋敷へと戻った。そこで待っていたのは両親の手紙と、何故かベック夫人からの夕食の誘い。

 普段なら母からの手紙は嬉しくなるのに、城での事を思うと素直に喜べず。父からの手紙は差出人の名前を見ただけで胃が重くなった。その上で、ベック夫人である。

 エルヴィーラが居ない間、ランヴァルトは夕食を前ノルデンフェルト公爵ととる事になっていた。マナーの再確認や公爵に相応しい会話術などの実践訓練である。緊張はするが、ランヴァルトにとっては必要な事。むしろ前公爵を付き合わせて申し訳ないくらいだ。彼の方は気にせず、「もっと頼って善い」と云ってくれているが。

 その予定をキャンセルしてベック夫人と夕食などとれる訳がなく、前公爵との夕食会に夫人を混ぜる事などもっと出来ない。断る以外の選択肢がないのだ。

 話を持って来てくれた新しい侍女に断るように云えば、彼女は穏やかな表情のまま「承知致しました」と頭を下げた。現家令も当然と云う顔で頷いていた。が、現侍女頭は少し厳しい顔で「わざわざそのような話を、旦那様へ直接持って来なくとも宜しい。何故その場で断らなかったのです」と詰問していたので、ランヴァルトが慌てて取りなしたが。

 ベック夫人はグランフェルト家において何の権限も持たないが、三年前からここに住んでいる。傍から見ればランヴァルトと親しい間柄だ。その人からの話なら、念のために持ってくるだろう。侍女は悪くない。断りに行く彼女に、古くからの使用人達が悪い態度を取らないか心配なくらいだった。


(使用人たちは、ベック夫人とモニカに優しいからな……)


 無論ランヴァルトとて二人には優しく接しているつもりだが、使用人達はより親身になっている気がする。二人の境遇にもかなり同情的だ。特にメイド達はモニカを「お嬢様」と呼んで可愛がっていた。まるで家の一員であるかのように。


(いや、間違いではない。間違いではないのだけれど……)


 客人として家へ招いたが、もう三年も一緒に暮らしているのだ。家の一員と見られても当然である。

「それがよくない」とアルヴィドには云われ、エルヴィーラ側の人々からは「なんで赤の他人がでかい面してんだ」と云わんばかりの態度をされていた。それもまた、当然だ。


(……自分の勝手で招いた人たちを、またこちらの都合で追い出すのは……)


 それが世間的に正しくとも、貴族としての常識でも、ランヴァルトは躊躇する。せめてモニカが健康体になり、嫁ぎ先も決まっているなら心置きなく送り出せるのだが。


(家での療養より、病院へ行った方がいいんだろうな……。でも、入院費を出すのはエルヴィーラ様だ……)


 新しい医師の診察では、モニカは病を持って生まれたと云うより、虚弱で病気になりやすい体質であるらしい。家での療養も出来るが、専門の病院へ入り治療とリハビリ、魔力生成訓練を同時に行った方が良いと云われた。

 しかしその手の専門病院は王侯貴族しか入れないような特別な場所で、他の病院より割高だ。そもそも入院自体、大変お金の掛かる事である。平民ならば一部の富裕層のみ、貴族でも金銭に余裕があるような“商売上手”でなくては難しい。

 エルヴィーラならばぽんと出せる。何の躊躇も無く。彼女にとっては少女一人の入院費など、微々たるものだ。それは分かっていた。

 けれど、エルヴィーラのお金はエルヴィーラの物で、ランヴァルトが自由にしていい物ではない。それも赤の他人の少女を入院させたいからお金を下さいなどと、口が裂けても云えるものか。

 もう既に離れを改装して貰い、医者の手配やその他諸々、全て面倒を見て貰っている。この上でさらに入院費を下さいなどと、どの口で云えるのだ。


(……こう云う事も、聞くべきなのかな。相談した方が、いいのかな……)


 ごろんと転がって、横向きになる。窓の外はすっかり暗い。

 どんな些細な事でもエルヴィーラには話せ、とアルヴィドに云われた。ではモニカの事も相談するべきなのだろう。きっとそうだ。ランヴァルトは悩む事しか出来ず、解決策も用意出来ない。

 エルヴィーラはランヴァルトが頼めば、快くお金を出してくれるだろう。これまでと同様に。それは想像に難くない。でも、それで善いのか。


(善くないよ)


 自分の考えを、自分で否定する。女に金を出して貰って情けないとか、そう云う話ではない。人としての尊厳の話だ。自分で努力せず、相手に恵んで貰うばかりで善いわけがない。


(でもどうすれば……)


 自分の情けなさをまた詰りたくなる。今日は本当に、厭な事ばかり考えてしまう。古傷を抉られ、肉親の厭な部分を知り、自分の蒔いた種すらろくに回収できない愚かさを思い知って、また気が塞いだ。

 その時、鬱々とのめり込んでいく気分を変えるかのように、小型携帯用魔導通信機――通称・携帯(スマホ)が軽快な音を立てた。慌てて起き上がり、サイドボードへ手を伸ばす。

 着信者名は、「エルヴィーラ」だった。


「エルヴィーラ様……」


 城から帰る時はあんなに会いたかったのに、今は気まずい気持ちになる。厭なのではない、気まずいのだ。彼女に合わせる顔が無い。通信機越しなので顔は見えないが、そう云う事ではなく。言葉を交わす事すら気が重い。

 けれど出ない訳には行かなかった。居留守など絶対に厭だ。

 携帯の画面に触れる。ひんやりとした温度と、硬い質感を感じた。

 これは、エルヴィーラの代表的な発明品の一つだ。“世界を変えた”と云われる三大発明品の一角に数えられている。

 大型の物ならともかく、手の平に収まるほど小型で気軽に携帯出来るこの通信機は、全世界の王侯貴族の中でも極一部しか所持していない。それをランヴァルトが持てているのは当然、エルヴィーラより贈られたからだ。婚約が正式決定したその場で渡された。いつでも持っているように、と云い添えられて。

 ベッドへ座り直し、姿勢を正す。「通話」と表示された緑の丸へ指先を触れさせ、そのまま上へ移動させる。ププ、と何かが途切れて繋がるような不思議な音がして、サァサァと流れる水の如き音が遠くから聞こえた。


「「もしもし、ランヴァルト様? エルヴィーラです。今、お時間宜しいですか?」」

「……はい、ランヴァルトです、エルヴィーラ様。大丈夫です。お話出来ますよ」


 青色の薄い板から、エルヴィーラの声がする。少し音がこもっているように聞こえるが、間違いなくエルヴィーラの声だと分かるのが凄い。

 最初はどうしてこの板同士で声が繋がるのだろうと不思議に思ったが、編み込まれ重ねられた魔導術式を見れば納得するしか無かった。正気を疑うような、緻密で繊細な術式のミルフィーユだった。世界最高峰の魔導技術の集大成である。それを、エルヴィーラはほぼ独力で完成させた。

 また彼女との自分の落差に鉛を飲んだ。けれどそれを悟らせる訳に行かない。ランヴァルトはなるべく普段通りを心がけて返事をした。

 けれどエルヴィーラは少し沈黙した後、こう云った。


「「何かありましたか? お声に元気がないようですが」」

「う……」


 云い当てられて言葉に詰まる。何故ここで上手く誤魔化せないのか。正直者と云えば聞こえが良いだろうが、この場合は頭に莫迦がつくに違いない。


「「今日は登城なさいましたね。陛下に何かされましたか」」

「され……たと、云いますか、その」


 今日の出来事をしっかり説明出来る気がしなかった。

 ぐちゃぐちゃもやもや、頭も胸もスッキリしない。美味しい料理を食べても、気持ちよく湯につかっても、ふかふかのベッドに寝転んでも――エルヴィーラの声を聞いても、ランヴァルトの気分は少しも晴れていないのだ。

 随分と、贅沢になった。少し前なら、アルヴィドが持ってきてくれるお菓子一つで喜んでいた癖に。


「「ランヴァルト様?」」


 通信機の向こうから、柔らかなエルヴィーラの声がする。ランヴァルトを案じる甘やかな声を聞くと、全てを投げ出して頼ってしまいたくなった。

 エルヴィーラなら、ランヴァルトの話を笑いもせず、呆れもせず、怒りもせずに聞いてくれる。そして助けてくれるだろうと確信して――いるからこそ、云えなくなって行く。

 婚約者の女性に甘えすぎだと、自分の中にある最後の男気が叱りつけて来るのだ。

 フロード王国は世界的に見て、男女差別の意識が低い傾向にある。「女の癖に生意気だ」とか「男の癖に情けない」と云う評価の仕方は、時代遅れだと扱われる事が多い。

 しかしそうした見方が全く無い、と云う訳ではなかった。やはり、女に頼り切りの男は駄目な奴だと云われ、男を押さえつける女は烈女や猛女と呼ばれる。

 その点で云えば、ランヴァルトは間違いなく情けない男だし、エルヴィーラは烈女の類いだろう。人々は口を揃えてそう云うに違いないのだ。

 そこまで考えて、ランヴァルトは声に出さず笑ってしまった。今更世間の目を気にしている自分が、おかしかったのだ。


「エルヴィーラ様……」

「「はい、何でしょう」」

「……私は、自分が、情けないです」

「「何故です?」」


 何故、と云われ、ランヴァルトは言葉に詰まった。今の考え全てを口にする事へ、まだ抵抗感を覚えている。

 エルヴィーラは優しい。いつもランヴァルトの事を考えていてくれていた。こうして出張中にでさえ、ランヴァルトに通信を入れて話せる時間を作ってくれて、感謝しかない。

 それでも、ランヴァルトの不安と恐怖は消えない。もっと深く、腹の底へと根付いて行く。

 ――本当にエルヴィーラは、ランヴァルトの事が好きなのだろうか。

 エルヴィーラが思う以上に情けない男だと知ったら、離れて行ってしまうのではないか。

 国王の事、両親の事、ベック夫人とモニカの事、昔からの使用人たちの事、その他色々、ランヴァルトを悩ませるネタは沢山ある。

 幾らエルヴィーラでも、いや、いつも忙しいエルヴィーラだからこそ、面倒くさくなって、ランヴァルトを棄てて行ってしまいやしないか。結局自分は一人でいるしかないのではないか。そんな詮なき事を、考えてしまう。

 そうして、どんどん口が重くなって行くのだ。


(情けない……ほんの数日、離れただけなのに)


 あの日、改めてランヴァルトを“最推し”だとエルヴィーラが云ってくれた日。珍しくランヴァルトは前向きになったのだ。そこまで云ってくれるエルヴィーラの為に頑張ろうと、少しでも役に立とうと誓ったのに。

 今日の出来事で、また足下がぐらついた。所詮自分は、母親に棄てられ、居ても居なくてもどうでもいいと扱われた、何の力もない駄目な男なのだと。顔と血筋が良いだけの、価値のない男。

 それが、ランヴァルトの全てだと、改めて思い知ってしまった。

 この上でエルヴィーラに何を話せと云うのか。頼り切って、また自分の惨めさに押し潰されて行けと云うのか。

 言葉が出ない。喉が渇く。視界がじわじわ昏くなる。エルヴィーラの声が、遠く、


「ランヴァルト様」


 いや、――“近い”?


「えっ」


 こもって遠くから聞こえていたエルヴィーラの声が、すぐ近く、澄んで聞こえた。

 いつの間にか俯かせていた顔を上げれば、目の前に、エルヴィーラが立っていた。

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