3.ロイヤルファミリー・ストーム!-5


「――っ」


 息が詰まる。喉が締まる。首へ手をやった。“あの時”の痛みが蘇ったかのように、血管が収縮する。それでも声を上げなかったのは、ただの意地だった。矮小でくだらない、ランヴァルトにとって最後の矜持。

 ゆっくりと、立ち上がる。これ以上ここには居られない。息が詰まる。喉が渇く。それでも、口を開いた。


「……本日は、これにて御前を辞する事をお許し下さい。貴重なお時間を使って頂き、感謝致します。国王陛下、王太子殿下」


 まともに喋れないと思っていたが、声はすんなりと出る。何故か国王と王太子が傷ついたような顔をした。どうしてだろう。礼法は、守っているはずだ。


「ラン――」

「だんなさまぁ、ちょっとごめーん」


 国王が腰を浮かせ、こちらへ呼びかけようとした声を遮って、ヴェルトが側にやって来た。そしてなんとも軽い動作で、ランヴァルトを肩へ担ぎ上げる。

 え、となったのはランヴァルトだけではなかった。ヘイス以外の人は例外なく、呆気に取られて担がれたランヴァルトと担いだヴェルトを見ている。


「だんなさまの具合悪そうだから帰る」

「ヴェル、ト」

「俺はさぁ、姐さんの子飼いだし、ヘイスほど頭良くないけどさー。へーかが善くない事したのと、でんかが悪い事云ったのは分かるわ」


 首を動かして、ヴェルトの方へ視線をやる。

 ヴェルトは剣呑とした半眼になって、国王と王太子を見下ろしていた。


「――……善人ぶるなら徹底しろよ、くそじじい共。うちのだんなさま虐めんな」

「ひぇっ」


 とんでもない暴言が飛び出して、ランヴァルトは胸の痛みも息苦しさも忘れて硬直した。その場で斬首レベルの不敬である。


「流石ヴェルト! あなたは優しいですね。そうですね、旦那様がお辛そうだから帰りましょうそうしましょう。あと御前に報告しチクりましょう!」

「ヘイス楽しそ~」

「御前がどれだけ怒り狂うか、今から楽しみです!」

「え、え、え?」

「ままままま待ったヘイス、ヴェルト! ちょっと待ってくれ!」

「待ちません」

「俺たち姐さんから、だんなさまの事を「例え《堕ちた竜》が相手でも守り切れ」って命令されてんの~。だから帰る。ここ居ても、だんなさま可哀想だし」

「お屋敷へ戻ったらお茶にしましょうね、旦那様。甘い物を食べたら、気持ちも楽になりますよ」

「え……?」

「文句があんなら姐さん通して。……じゃーね」


 ヴェルトがどかどかと大股で歩き出す。ヘイスも大股で、けれど静かについて来た。二人とも足が長いので、大股の一歩がとても大きい。走っているのとほぼ変わらない速度だ。

 あっと云う間に「青林の茶室」が遠のいて行く。茶室から出てきた国王と王太子、執事達の顔色が一等悪かった。近衛騎士達ですらヴェルトらの不敬を咎める様子もなく、顔色を真っ青にしている。

 廊下に居た使用人達が慌てて端へ寄り、貴族達も家格の別なくランヴァルト達から目を逸らし存在感を消していた。中にはヴェルトとヘイスを見据えながら、ゆっくり後退している者もいる。

 猛獣に遭遇した時の対応だ。二人は熊の獣人なので、あながち間違いではないかも知れない。


「ひきょーじゃんね、へーかもでんかも」

「そうですねぇ。善人ぶるのは人のさがですが、ちょっとアレはいけませんね」

「あの……」

「だんなさまを祝福するなら祝福する、姐さんの事話すなら話す、それでいいじゃん。そこで終わらせればいいのに、欲張りやがってあのじじい共。だんなさまに恩着せたいのが見え見えで腹立つー」

「え」

「今まで適当に相手してた孫が、国一番どころか世界最重要人物の一人と婚約したから焦ったんでしょうね。点数稼ぎですよ、旦那様。祖父と孫、国王と公爵だけじゃ飽き足らず、道を指し示した恩人と感謝されたかったんでしょうね」

「そう、なの……?」

「そーだよー」「そうですよ」


 二人はそう云って、同時に舌打ちした。なんだかんだ、二人ともランヴァルトの前で雑な行動はしてもは下品な事はしなかったので、少し驚いてしまう。


「旦那様は――そう、ご自分の評価が低いのが問題ですね。これまでの公爵としての自分と、御前の婚約者としての自分とのバランスが取れていません」

「確かにさー、へーかはこの国にとって大事な方だけどさぁ。今は旦那様の方がよっぽど国にとっても世界にとっても大事なんだよ。だって姐さんの“最推し”だからー」

「最推し……」

「そー。だからさー、ぶっちゃけた話、王族はもう旦那様を下に見れねーの。上に置かなきゃいけないわけ。上座も譲んなきゃいけないし、旦那様の身に危険が迫ったら、王族の方が旦那様を守んないとダメってやつ」

「えっ」

「それはそうでしょう。あなたは、エルヴィーラ・クラース・フォン・ラーゲルフェルト様の婚約者で、未来の夫なのですから。……あなたに何かあって、その原因がフロード王族だった場合、この国、吹き飛びますよ。経済的にも、物理的にも」

「んぇ?」


 変な声が出た。

 ランヴァルトのせいで大国一つ吹き飛ぶなんてそんな莫迦なと思ったが、ヴェルトの肩上から見るヘイスは至極まじめな顔だった。


「俺らもさぁ、最初はへーか何してんだろ、って思ってたけど。だんなさまの態度とでんかの言葉で分かったわ。“それが厭だった”の、あいつらはさー」

「え……」

「今まで下に下に見てただんなさまがぁ、自分たちの上に来るのがヤダったわけ。でもどうしようもないじゃん? 何かしたら、姐さんがバチクソぶち切れるし。あの人ら、姐さんの恐ろしさは身に染みて分かってっから。だからぁ、恩着せて精神面だけでいいから優位に立ちたかったって話ー」

「そんな……」


 あの慈しみに溢れた姿も演技だったのかと思うと、ランヴァルトの心身が急速に冷え込んだ。

 王侯貴族にとって駆け引きや騙し合い、二枚舌など日常茶飯事だとは云っても、祖父と伯父にそれをされたのかと思うと気が滅入る。


「旦那様。我々から見ても、国王陛下と王太子殿下は“王族にしては”優しい方です。旦那様を親戚として大切にしているのも、嘘ではないと思います。その証拠に、旦那様から徹底的に他人扱いされたら傷ついてましたからね。可愛い孫、大切な甥、そう思っている事は本当でしょう。けれど彼らは王族です。悪党な面もしっかり持ち合わせています。この場合、自分達の権威を守るために、個人的な関係だけでも貴方より上に立っていたかったのでしょう」

「……それで、ご自分の身を危険に?」

「あの部屋はへーかが云ってた通り、姐さん特性の防衛魔導陣があるから並大抵の奴じゃ突破出来ないってー。ヘイスが相殺させてなかったとしても、鼓膜が破れるくらいだったんじゃね。だんなさまの位置だったら、多少三半規管に影響が出て目眩がするかな、ってくらい」

「ローリスクハイリターンです。鼓膜の損傷くらいなら、治癒術ですぐ治せますからなんら痛手になりません。むしろ怪我をした事で、より一層旦那様へ恩を売れたでしょうね」

「あの部屋で今日だんなさま達が会うって噂流したのも、へーかかもね」

「それ位はおやりになるでしょうねぇ」

「……」


 ランヴァルトはだらっと体の力を抜いた。へちょりとヴェルトの背中へくっつく。


「なぁに、だんなさま。ワカメの真似ー?」

「生まれ変わったら南の海のワカメになります……」

「善い目標ですね。でも人類の方が楽しいですよ、きっと」

「……せめて、普通の身分の人になりたいです……」

「それはそれで大変でしょ~。そりゃぁだんなさまのイイ人精神で貴族やんのは大変だと思うけどぉ、平民だってみんな毎日苦労して頑張ってんだよぉ」

「頑張ってない人は居ませんからね、我らの世界には」

「頑張んないと死ぬからさー」

「……」


 一々ごもっともな二人の言葉を聞きながら、ランヴァルトはぼんやりスーツの背中を見つめる。

 胸の辺りに何かが詰まったようにモヤモヤした。胃がきゅぅと引きつって食欲がどんどん消えて行く。頭を下へ向けているせいで、血の巡りまで悪くなった気がした。


(……エルヴィーラ様に、会いたいなぁ)


 エルヴィーラの帰国は明後日の夕方。

 もうすぐのはずなのに、ランヴァルトには随分と先の事に思えた。


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