3.ロイヤルファミリー・ストーム!-4

「……ヘイス、さっすがぁー」

「爆炎と衝撃波の合わせ技とはえげつない事です。この借りは十倍返しですね。――楽には死なせません」

「ぴえ」


 今まで聞いた事のないヘイスの冷たい声に、間抜けな声を上げてしまう。物理的に室温を下げる冷徹な声だった。穏やかなヘイスが出した声だとは思いたくない。

 しかし今はそれよりも、急いで確認しなくてはいけない事がある。


「お祖父様……陛下と王太子殿下はご無事ですか?!」

「おう、無事じゃ」

「大丈夫だよ……ヘイスのお陰で助かった……」


 ヴェルトがどいてくれたので、ランヴァルトは這い出るようにして祖父と伯父の元へ向かう。トーレスはヨエルの下敷きになっていたが、それは国王を王太子が庇ったと云うだけの話だ。

 また外が騒がしくなり、近衛騎士たちが雪崩れ込んで来る。


「陛下、殿下、ご無事で?!」

「おう、無事じゃ無事。ヘイスのお陰で助かったぞい」

「人払いは善いですけど、騎士まで追い払わないで下さい陛下。我らの仕事が増えます」

「そーだそーだ~。俺たちの仕事はだんなさまの警護なんだからさぁ~。そっちはそっちでちゃんとして?」

「な、この無礼者ども! いつもいつもお前らはぁ!」

「ヘイスもヴェルトも厳しいのう」

「立てますか父上?」

「えぇい、そこまで年くっとらんわい」

「えぇと……」


 トーレス達と共に窓から離れ部屋の中央へ向かった。部屋の家具類には転倒防止の術が掛かって居るので、爆発の振動による被害はない。テーブル上のティーセットは被害を受けていたが、いつの間にか居た国王の筆頭執事が手早く片付け、新しいものをさっと用意してくれた。流石プロ中のプロ。手の動きに残像が見える。

 三人がソファに座り直す中、不敬な文句を云ったヘイスとヴェルトに近衛騎士の一人が説教をしていた。顔見知りのようだが、説教で済むのだろうか、あの言動。

 他の騎士達は窓に防護の呪文を重ね掛けしたり、魔導通信機を使って各所へ連絡などを行っている。部屋の外にはまだ出ない方が良いと、国王の筆頭執事が教えてくれた。

 着々と事態が進行する中で、まだランヴァルトは状況把握が出来ていない。


「あの、何が起きたんでしょう……?」

「あぁはい。陛下を狙った暗殺ですね」

「暗殺?!」


 ヴェルトを犠牲にして騎士を躱したヘイスが、事も何気に云った。

 物騒過ぎる言葉に、ランヴァルトは飛び上がるほど驚く。慌ててトーレスの方へ身を乗り出し、改めて安否を確認した。


「お、お祖父様、本当に大丈夫ですか?! どこも痛くないですか?!」

「ははは、大丈夫じゃ。元気元気。それより、驚かせて悪かったの」

「いえ、僕はヘイス達が守ってくれたので……」

「窓に近付くからですよ、父上。狙ってくれと云っているようなものでしょう」

「この部屋の防衛魔術陣はエルヴィーラ謹製じゃし、窓には目くらましの術が掛かっておるんじゃがな。……まぁ、これで誰の仕業か特定しやすくはなったか。ヘイス、そなたの魔術、どう云った効果があった?」

「風で爆炎を押さえ、部屋に放たれるはずだった衝撃波を散らしました。それと一応、反射の要素も入れたので莫迦な暗殺者に一矢報いてるはずですよ」

「あの一節にそこまで効果込めるとか、ヤバヤバのヤバじゃな。やはりそなた、王室付き魔術師になるべきでは?」

「御前とヴェルトと離れるのは厭です」


 そう云って何故かヘイスは、ランヴァルトの肩に手を置いた。

 何故自分の肩に手を置くのかと不思議に思って見上げれば、いつものにっこり笑顔を貰う。美形の満面の笑み眩しい。

 と云うか、さらっと王の誘いを断っているのだが。善いのか。そろそろヘイス達が不敬罪に問われないか怖くなって来た。


「むぅ。そう云われては無理強い出来んな」


 大丈夫だった事に、ほっと胸を撫で下ろす。

 しかし冷や汗が出る。彼らはエルヴィーラ直属の部下で信も寵も厚いとは云え、部下は部下。国王の前でも変わらない態度で居られるなど、不思議な事だ。いや、この感想はエルヴィーラを侮っている事になるのかも知れないが。それでも染み付いた王国貴族としての国王への忠心が、ランヴァルトの気持ちをハラハラさせるのだ。


「……のぉ、ランヴァルト。エルヴィーラに関わると、こう云う事も頻繁に起きる」

「頻繁に……?」


 国王暗殺未遂なんて大事件、頻発して善い物ではない。しかもその理由が、エルヴィーラに関わったからだと。


「あの子の財は、人を狂わせるには充分過ぎるものだ。狂気は人を凶行へと駆り立て、まともな思考を奪う。余を殺せばエルヴィーラはフロード王国から出て自分の国へ来ると思い込む者、これまでの献上品や献金を我が物に出来ると勘違いする者、余の栄達を妬み逆恨みする者――此度のエルヴィーラの婚約を破談にする為には、余を殺すのが一番効果的などと逸る者」

「!」


 云われ、ランヴァルトは息を飲む。そうして、己を恥じた。エルヴィーラから云われてた言葉を、軽く受け止めていた事を。

 一国の王を殺そうとするような連中だ。ランヴァルトの命など、それこそ埃より軽く見ているだろう。害される事――それは嫌がらせや陰口、暴力程度では収まらないと云う現実を、ランヴァルトは今更実感したのだ。なんと云う日和見、いや平和ボケか。国の中枢からほど遠い公爵とは云え、楽観的にも程がある。


「世界一の大富豪エルヴィーラを――その財を我がものにしたい、出来ると盲信する者の多い事。夢は覚めるが幻は中々に消えぬ。人は自分にとって都合の良い事ばかり考えて、不都合を無理矢理にでも消そうとする。暗殺などと云う短絡思考がその表れよ。まったく嘆かわしい事じゃ」


 そこまで聞いて、ランヴァルトはようやくトーレスの意図を察した。自分でも遅いと思う。

 そうして気付いた事実に血の気が引いて、耳の奥でざぁざぁ音が響いた。

 目眩が、する。


「……お祖父様」

「おん? なんじゃ、ラン」

「僕のせいですか」


 トーレスが片眉を器用に上げた。ヨエルがきゅっと口を一文字に絞る。近衛騎士達がこちらを見た。国王筆頭執事が、すぅと目を細める。


「僕にそれを教えるために、わざと御身を危険にさらされたのですか」


 驚くほど冷たく静かな声が出た。表情はどうだろうか。分からない。自分は今、どんな顔をしているのか。目の前に座る二人が驚いた顔をしているから、まったくランヴァルトらしくない表情をしているのだろう。

 どんどん視線が下がり、目は自分の膝へ。完全に俯いて、ランヴァルトは震えた。


(我が国で最も貴きお方に、僕は、なんて事を)


 エルヴィーラの婚約者と云う立場に、途方もない価値がある事は分かっている。けれどランヴァルト自身には何も無いのだ。血統が善いだけの、つまらない男。居ても居なくてもどうでもいい、爪弾きの公爵。

 それに引き換え国王トーレスは、臣下達や国民に長期の在位を望まれる名君だ。どちらの命が重いかなど、聞くまでも無い。愚問と云うもの。

 ランヴァルトの自覚の無さ、当事者意識の薄さを、祖父は感じ取ったのだ。人を見る事に長けた、聡明な王である。未だ地に足のつかない愚かな孫を案じての、愚行こうどうだった。そうでなくては、この人が安易に窓へ近寄るものか。ヨエルもそれが分かって、トーレスの行動を止めなかったのだ。


「ラン、ランヴァルト」


 祖父の声は、凪いでいた。静かと云うより穏やか。耳の奥へ染み渡る音だ。


「泣かんでくれ。エルの奴に殺されるわい」

「……そんな訳」

「あるぞ。……なぁ、ラン。お前のその自信のなさ、自分の身を軽んじる性質、それは間違いなく我らのせいだ。お前を公爵として正しく扱わなかった。憐れみだけを注いだ。助けてやらなかった。……マティルダは結局、お前を置いて出て行った」

「それは……仕方の無い事で……」

「何も仕方なくないよ」


 硬い声でヨエルが云った。顔を上げる事も出来ないランヴァルトの頭に、彼らは語りかける。


「仕方ない、なんて、そんな事はないんだ。あの碌でなしを私たちはさっさと見限って追い出すべきだった。一族の誰かを後見に立てて、ランが成長するまで見守らせて、正しく君に爵位を継がせなくてはいけなかった。でもしなかった。マティルダなら大丈夫だ、公爵家を支えられると信じて押しつけて、何もしなかった。その結果が今の君なんだ。ランヴァルト、君は私たちを怨んでいいんだよ。なんで助けてくれなかったんだって、怒っていいんだ。……もうマティルダはここに居ないのに、良い子にならなくて、いいんだよ」


 ずいぶんと、今更な事を云われた。

 くらくら、目眩がする。「良い子でいなさい」そう云って出て行った、母の後ろ姿を幻視した。耳鳴りがする。「良い子でいなさい」優しく慈しむ、母の声。「良い子でいなさい」それでも自分を置いて行った、美しい人。「あなたは、グランフェルト公爵になるのだから」穏やかで陽だまりのような、それでいて逃げる事を許さない、支配者の声。「わたくしの息子なのだから、出来るわ」脳を縛り付ける声音が、いつまでも響く。


(母上の、言いつけ、通りに)


 ――ランヴァルトは、良い子になれなかった。正しい公爵にもなれなかった。

 臆病で、何の力も持てなかった、ただの人。他者から見下される、どうしようもない人間だ。

 現状を打開出来る力もなかったから表では口を閉じて、己が立場に不満などない、当然の事だと云う態度を取っていたが、屋敷の寝室で一人泣いた日はどれほどあったか。

 助けての一言すら云えなかったあの日々を、今更蒸し返された。頼っていい相手など一人もいないと孤独に震えた夜を、見透かされた気がした。自分の歩いて行く道にはなんの希望も無いのだと、嘆いた寂しい日々を。

 母の理想を叶えられない、愚かな自分を詰った十年を、掘り返された。

 それは、ランヴァルトにとって、間違いなく、“恥”だった。

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