3.ロイヤルファミリー・ストーム!-3


 祖父の云い様が信じられず、ランヴァルトはその顔を凝視してしまった。

 国王トーレスは、エルヴィーラから様々な恩恵を受けている。献上される金銭は当然の事、彼女の開発した魔導具、取り扱う様々な物品、網のように広がる人脈に、トーレスは、我が国はどれだけ救われ、発展して来た事だろう。

 それを一番分かっているはずの国王が、エルヴィーラを【怪物】だと云った。


「エルヴィーラ・クラース・フォン・ラーゲルフェルト――その名から分かる通り、あの子はクラース殿の遺産を受け継いだ。直接受け継がなかったのは、爵位と領地くらいだ。その他の全て、彼の名前、個人資産、知識、経験、全てをエルヴィーラは継承した。クラース殿が亡くなったのはあの子が五歳の時、六歳の時には起業して、ものの数年で国一番の資産家になった。あの時は我らも、クラース殿の遺産のお陰だとしか思わなかった。老いから来る不調であれ以上の高見を目指せなかっただけで、それを曾孫が引き継いだのだと。彼のやりたかった事をやっているのだろうと、それくらいしか思わなかった。違うと気付いたのは、それから三年後。エルヴィーラが十三歳の時。――彼女は、大陸で最高の資産家となった。我らは戦慄したよ。それと同時に、目が眩んだ。たった一人の少女が、国家を超えた財を抱えたのだからな。それも、自国の令嬢だ。余はすぐさま彼女の生家ラーゲルフェルト家を侯爵へと引き上げた。息子を、孫を紹介し、好きな者を選べと婚約を勧めた。結婚を機に公爵へ陞爵しようと云ってな。まぁ、断られたが。婿くらい自分で選ぶからいらん気を回すなと云われてしまったよ。国王の勧めを断ったからと、小国の国家予算に相当する金銭を献上された。そこでまた、目が眩んだ。頭がくるくると回った。あぁ、この娘がいれば、余は――大陸の覇者になれると」

「お祖父様ッ!」


 悲鳴のような声でランヴァルトは祖父に呼びかけた。トーレスの独白が余りにも恐ろしかった。

 この東大陸全てを巻き込んだ戦争をしようとしていたのだ、祖父は。当時、まだ少女だったエルヴィーラを財源にして。

 思わず腰を浮かせたランヴァルトを押さえたのは、ヨエルだった。


「落ち着いて、ランヴァルト。……昔の話なんだ。陛下は、戦を起こさなかった」

「ははは。今思い出しても、あの時の余は頭がおかしかったな。……エルヴィーラが開発した様々な魔導具、確保している交易路、有している財産。必要なものは全て揃っていた。決起していたら、確かに余は大陸統一を果たしていたと自信を持って云える。しかしな、余に夢を見せたのはエルヴィーラだったが、目を覚まさせたのもエルヴィーラだったよ」

「……説教でもされましたか?」

「まさか」


 ランヴァルトの予想を笑って否定し、トーレスは恐れを表情に乗せた。


「余が大陸統一の夢を語った時、あの子はこう云った。「それは宜しゅう御座いますね、陛下。人がたくさん死ねば、もっと人が増えます。生物は生命を脅かされた時、子孫を成しますから。商売相手が増えて喜ばしい事です。それでどこから始めますか。隣国ですか? マティルダ殿下が嫁ぐご予定の異国ですか? それとも仇敵から仕留めましょうか? あぁでも、戦っている時に余計な事をされては面倒です。国内の粛正から始めましょう」――とな」


 ヒュッとランヴァルトの喉が鳴る。息を吸い込み損ね、吐き損ねた。


「その時、エルヴィーラが嗤っていたら善かった。怒っていても善かった。愚かな国王に失望し、悲しんでくれても善かった。けれど、あの子はなんの感情も浮かべていなかった。ただ、事実を述べただけ。大陸を統一する上で必要な道筋を語っただけだ。多くの人の死を、ただの現象のように云い切った。……あの時余を見ていた目。あれはな、観察していた目だった。下等な生物の生き様を見下ろす、観測者の眼差しだった。――いっぺんに心が冷えて、目が覚めたよ。氷水をぶちまけられた方がマシなくらい全身が冷え切って、震えが止まらなかった。自分は今、恐ろしいものの前に居る。人類から隔絶された【怪物】を前にしていたのだと、やっと気付いた」


 トーレスは、かつて大陸統一と云う見果てぬ夢を描いた国王は、窓の外へ目を向ける。

 今日もまた、城下には穏やかな人々の生活が広がっているのだろう。悲しい事もある、苦しい事も、辛い事も。それでも国民は懸命に日々を生きている。明日を信じて、毎日を生きているのだ。


「ふふ、情けない事にな、その時は「冗談だ」と云って話をうやむやにするだけで精一杯だった。震えた声と体、止まらない汗、血の気が引いて耳鳴りがした。けれどエルヴィーラはそれについて何も云わず、「左様で御座いますか」と云って話を終わらせた。あの子にとっては大陸統一の夢も、明日の天気の話も、何も変わらないのだと知ったよ」


 そこでトーレスは目を閉じる。当時の事を思い出しているのか、それとも、エルヴィーラへ想いを馳せているのか。

 瞼を開いた時、その目には真摯な光があった。ランヴァルトへ向ける眼差しには、孫を案ずる優しさが滲んでいる。


「ランヴァルト。エルヴィーラは恐ろしい娘だ。クラース殿は人の姿をした【怪物】をこの世へ解き放ったのだと、我らはそう思っている。――だが、お前に見せる優しさは、決して演技ではない。あの娘は己を偽る事などしないのだ。自分の真の姿を隠す、擬態する、それは強者の行いではない。【怪物】に己を偽る必要性などない。あるがまま、己が本性を剥き出しにして生きる事を、天すら咎められぬ。お前が、エルヴィーラを優しいと思うのならば、それは紛う事なき真実だ」

「真実……」

「エルヴィーラを疑うな、ランヴァルト。だが、覚えておいて欲しい。お前に対して湯水のように金を使い、慈しみ、守らんとするエルヴィーラも真ならば、人の死を些事と片付けて生命を塵と見下ろす恐ろしい【怪物】もまた、エルヴィーラの真だ。お前の英雄ヒーローは、優しさと冷酷を併せ持つ【怪物】だとな」

「……」

「忘れてくれるな、愛しい孫よ。可愛い末娘の、宝物」


 そう云って、祖父は優しく笑った。

 ランヴァルトは、どう答えたらいいか分からない。

 トーレスがわざわざランヴァルトに嘘を云う訳がない。エルヴィーラを国へ繋ぎ止めるメリットは計り知れず、正式な婚約を終えたランヴァルト達の間に亀裂を入れる意味などなかった。実はエルヴィーラを疎んでいて国から追い出したがっていると云うなら、このような迂遠な方法など取るまい。真正面から消えろと云われれば、エルヴィーラは何の未練もなくフロード王国から去るのだ。彼女を温かく迎える国は、幾らでもある。

 だからこの話は、エルヴィーラの真実の一端を知る祖父が、孫を心配して話したと云うだけの事だ。結婚して一緒に暮らすようになれば、否が応でもエルヴィーラのあらゆる側面をランヴァルトは知る事になるだろう。その時に、エルヴィーラは嘘をついていた、ランヴァルトを欺いていたなどと思うなと、トーレスは云ってくれているのだ。彼女はいつだって、本当の姿しか見せていないのだと。そしてその本当の姿の一つは、ランヴァルトが思い描くような穏やかな物ではないのだと知り、心の準備をしておけと云っている。

 礼を云うべきだ。忠告に感謝すべきだ。けれどランヴァルトはやはり、エルヴィーラを【怪物】と云われる事が厭だった。

 あの優しい人が、災厄の化身であるなどと――


「――父上!」


 唐突にヨエルが鋭く叫んだ。跳ね上がるようにソファから立ち上がり、トーレスへと走り寄る。

 それと同時に、「青林の茶室」の扉が外から乱暴に開け放たれた。ギョッとしてソファの背もたれ越しに振り返れば、国王直々の人払いを受け、部屋の外へ出ていたヘイスとヴェルトが血相を変えて飛び込んで来る。


「どうし――」

「旦那様!」「頭守って!」


 云われるままに両手で頭を抱えた。ヴェルトが覆い被さって来る。ヘイスが流麗な発音で呪文を唱える声が聞こえた。


「『散らせ、風よ』!」


 その直後、激しい爆発音が響き、部屋が揺れる。廊下から多くの悲鳴が上がった。ヴェルトに覆い被されているランヴァルトは顔を上げる事も出来ず、状況の把握が出来ない。

 ただ、王城であってはならない事が起きたのだと云う事は分かった。

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