3.ロイヤルファミリー・ストーム!-2


「はい。噂程度ですが」

「うむ。では、”どの程度の記憶を持っていたか”はどうじゃ? 聞いた事あるかの?」

「いいえ……」

「エルから説明は?」

「特にはありませんでした」

「ふむ……」


 それまでのお茶目な老人の雰囲気を引っ込めて、祖父――国王は真剣な顔になる。髭を軽く撫でて、手をつけずにいた紅茶を一口。それに倣って、ランヴァルトとヨエルも口を付けた。葡萄のような芳香が鼻を抜けて行く。余計な苦みもなく、砂糖が無くともするすると飲める良質の紅茶だった。

 トーレスはカップをソーサーの上へ戻すと、静かに立ち上がり窓辺へ寄る。ヨエルが止めようとして、何かを感じ取ったのか上げた手を戻した。


「エル……エルヴィーラの曾祖父は、クラース殿と云った。前世――異世界で生きた記憶を全て持った上で、この世界へ転生されたお人だったよ」

「それは……”ご苦労をなさったでしょう”?」


 失礼ながらランヴァルトは、会った事の無いエルヴィーラの曾祖父とその周囲の人々へ同情を寄せる。

 この世界には、前世の記憶を持って生まれる人――”記憶持ち”と呼ばれる人々が居た。彼ら、彼女らは異世界の知識を持ち、時には人格すら生前のまま引き継ぐと云う。それを”記憶持ち”の間では、”転生者”とか、”強くてニューゲーム”とか云うそうだ。

 前世の記憶は、生まれた時から持っている事もあれば、成長してから思い出したり、事故や大病などに見舞われて蘇る事もあるらしい。

 一見すれば、学んでない知識、人生経験を手に入れられる事にはメリットしかないように思える。しかし実際のところ、苦労の方が多いらしかった。


「あぁ。どうにも、性格に難があってな。幼少期から自分は王になるのだとか、ハーレムを作るのだとか、最強になれるのだとか、大言壮語ばかりだったらしい。”記憶持ち”である事を隠そうとして、ご両親が教会へ無理矢理引っ張って行って証明させたとか」

「それはまた……」


 よく聞く話と云うか、よくある事と云うか。

 何故か”記憶持ち”の多くは、自分がそうである事を隠そうとするらしい。気持ちは分からないでもない。前世とは云え、突然他人の記憶が脳内に生えてくるようなものだ。本人も混乱するだろうし、周りから気味悪がられたり、排除される可能性に怯えても不思議ではない。

 しかし、この世界において”記憶持ち”は”珍しくはあるが異端ではない”。【聖地】では積極的に保護、育成に力を入れているし、持っている知識如何によっては国から取り立てられる事もある。それは一般的な常識で、平民ですら”記憶持ち”を見つけたらとりあえず教会へ、が合い言葉らしい。自身の記憶を悪用される事を恐れるならば、それこそ【聖地】管理の教会へ行けば良いのだ。正しく保護してくれる。

 しかし”記憶持ち”の多くは、知りもしないのに【聖地】を悪し様に罵ったり、「宗教なんて信じられない」と騒ぐらしい。

 恐らく異世界では、聖地と呼ばれる場所は悪しき場所で、宗教は悪党たちの巣窟なのだろう。そうでなければあれほど否定的になるはずがない、とは知り合いの聖職者談だ。なるほど、異世界怖い。

 魔導と似て異なる「科学」と云う学問によって進歩した世界らしいのだが、神秘や人類の上位種への畏敬の念が消えているのかも知れない。異世界怖い。【世界の管理者】がいないとか、地獄のような場所ではないのか。大丈夫か異世界。滅んだりしない?


「持っていた知識は、確かに秀でていたようだ。クラース殿のお陰で、ラーゲルフェルト家は子爵から伯爵へ陞爵したのだからな。――だが、そこまでだった。彼が望むように王族へ迎えられる事も、大勢の美女に傅かれる事も、最強とやらになれる事もなかった」

「でしょうね……」


 知識は財産だが、知識だけで全てどうにかなる訳ではない。

 例えば、ランヴァルトは玉葱のみじん切りについての知識がある。必要な道具は何か、どう云う切り方をすればいいのか、そう云う事は知っていた。しかしいざやってみても、料理長のように上手く出来なかった。ぎりぎり粗みじんな出来で、涙が溢れて止まらなかった。知識はあったのに、コツも教えて貰っていたのに、技術がどうしても追いつかなかったのだ。

 まぁ全てにおいて当てはまる話ではないが、そう云う事だ。知識だけの頭でっかちのみで王になれるほど、この世界は甘くない。しかし何故か多くの”記憶持ち”は自分こそが世界の王で、最強になり、多くの異性に愛されると思っているらしい。

 なんか凄い。ランヴァルトはどれだけ知識があっても、そんな自信は持てそうにない。


「まぁ、我々から見れば、一代の努力で陞爵しただけでも凄まじい事だがな。本人は満足せず、ずっと不満を口にし続けていたそうだ。美しい妻を貰っても、愛らしい娘が生まれても、真面目で優秀な孫に恵まれても、ずっと、ずっとな」

「……」


 ランヴァルトは物悲しく感じた。

 誰が聞いても、良い人生だろう。多くの人々が願う荒唐無稽な望みを、クラースは確かに叶えているのだ。

 それでも彼は不満をずっと口にし続けたと云う。つまり、幸せではなかったと云う事だろうか。

 贅沢な話だと、ランヴァルトは思ってしまう。陞爵し、美しい妻を貰い、娘が生まれ、優秀な孫まで得られたと云うのに。それでも、彼にとっては不足だったと云うのか。


(……無い物ねだりは、不幸にしかならないのにね)


 今手の中にあるものを愛せず、手に入らないものを求めるのが不幸の始まりだと、ランヴァルトは思っている。そうして不幸になった父親おとこを知っているからだ。


「ラーゲルフェルト家や周囲の人々はクラース殿を持て余し、彼から目を逸らした。クラース殿は部屋にこもりきりになり、世話をする使用人は何度も入れ替わった。クラース殿のお陰で財産には恵まれていたが、鬱屈とした空気がラーゲルフェルト家には常に漂っていたよ。――そのような中で生まれたのが、エルヴィーラだった」

「エルヴィーラ様……」


 彼女は。


(――不幸では、無かったのだろうか)


 見た事のない、幼い頃のエルヴィーラを想う。

 今のように自信に溢れた傲慢で優しい少女だったのだろうか。それとも、家の雰囲気に飲まれた哀れな童女だったのだろうか。知らない。ランヴァルトは、何も知らなかった。


「エルヴィーラのご両親は、クラース殿から逃げるように離れへと入り、エルヴィーラを育て始めた。鬱々とした曾祖父に会わせたくなかったのだろう。しかし不思議な事にな。エルヴィーラは三歳になる頃からしょっちゅう離れを飛び出して、曾祖父であるクラース殿の元へ通っていたそうだ」

「……クラース殿は、エルヴィーラ様を可愛がっていらしたのですか?」


 両親がわざわざ引き離したのに、それに逆らってまで曾祖父の元へ行くと云う事は、エルヴィーラはクラースに懐いていたのだとランヴァルトは解釈した。いかに偏屈な老人と云えど、曾孫にまで悪態はつけなかったのだろうと。

 しかしトーレスは首を横へと振った。


「いいや。会う度にエルヴィーラを罵倒していたそうな。やれ「化け物」だ【怪物】だ、気味が悪いと酷い云い様だったらしい。……だが、不思議とエルヴィーラを遠ざけるような事はせず、【怪物】と罵りながら、自分の持つ知識を教えてやってたそうだ」

「――いくらなんでも、【怪物】は云い過ぎでは?」


 ランヴァルトはつい眉間へ力を入れて云った。恐らく、とても濃いシワが眉間に谷山を作っているはずだ。

 化け物までは、一応、少しは、許容範囲だ。強すぎる人や賢すぎる人など、他者より特別優れた人を「化け物」と呼ぶ事はままある。

 だが、あの強く美しく優しい人を、【怪物】呼ばわりはいただけなかった。

【怪物】とは、この世界の異物。天の網から外れ、世界の摂理からも弾かれた、災厄の具現。

 普段は大人しく、地域の守主もりぬしとして信仰される事もあるが、一度怒りに触れれば、その地から全ての生命が姿を消すほどに荒れ狂うと伝わっていた。魔剣、聖剣、妖刀ですら傷一つつかず、過去に挑んだ勇者や英雄も這う這うの体で逃げ出したと云う。天使や悪魔、森の人エルフなどの上位種とて、決して【怪物】とは事を構えない。異世界風に云うなら、「触らぬ神に祟りなし」を地で行く存在だ。

 そして、現在確認されている六体の【怪物】は全て魔物の突然変異種。人類とは根本から異なった存在だ。まかり間違っても、人に使って良い言葉ではない。

 拳に力を入れるランヴァルトに何を思ったか、トーレスはふ、と軽い笑みを浮かべた。それは決して莫迦にするものではなく、優しく見守る慈愛の微笑みだ。


「そうか。ランにとってエルは、善き伴侶なのじゃな」

「ま、まだ伴侶には……!」

「ふはは。あやつが結婚すると云い切った以上、そうなる。照れるな照れるな」


 もう一度笑ってから、トーレスは笑みを消した。瞳に、悲しみと後悔の色が混じる。


「余はな、その通りだと思ったよ」

「え……」

「あれはな。エルヴィーラは、【怪物】だ。財貨を司る、【怪物】だよ」


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