2.地雷原とはなんぞや。-3

 本日の晩餐の席。ここ半月ほどで当たり前になった光景。

 ダイニングルームにて、広いテーブルの上座にエルヴィーラ、角を挟んだ隣りにランヴァルトが座っての晩餐会。もはや家族の食事会のような気持ちでいるランヴァルトは、大分気が早いに違いない。

 食前酒の段階で、ランヴァルトは本日王宮より届いた手紙の話を切り出した。エルヴィーラ相手なので、国王陛下からの手紙も直接見せる。

 本来なら他家の人間に国王から賜った自分宛の手紙など見せるものではないが、エルヴィーラは特別である。ランヴァルトの心情的にも、国としても、そして国王陛下からしても。

 自国に住まう世界一の大富豪である。国王がエルヴィーラを重用し溺愛している事は、平民の子供だって知っている話だ。そしてエルヴィーラも、祖父同然に国王を慕っていると噂で聞いた。

 自分の祖父と婚約者が親しい事実に、安堵すれば良いのか嫉妬すれば良いのか。ランヴァルトとしてはちょっと面白くないな、と感じている。不遜な話だが。


「陛下も相変わらずですこと」


 国王直筆の手紙を読むにあたり、食事のため外していた手袋をはめ直し、口元へ絹のハンカチを当てていたエルヴィーラは、ランヴァルトへ手紙を返すとそれらの装備も外した。

 するりと抜ける手袋に妙な色気を感じて、さっと目を逸らす。前からそうだが、エルヴィーラを意識しすぎな自覚はあった。仕方ない事だろうと、心の中で誰かへ云い訳をする。

 ランヴァルトも手紙を執事へと渡し、改めてエルヴィーラの方を見た。


「相変わらず、とは……?」


 ランヴァルトは手紙を読んだ所で、「呼び出し食らった怖い」くらいの感想しかなかった。別に怒りが文字へ滲んでいたとか、厭味が書いてあった訳ではないのだが。むしろ、優しく丁寧な文体であった。けれど名君である祖父からの呼び出しは、理由がなんであれ小心者ゆえ身構えてしまうのだ。

 正直な所、実の孫であるランヴァルトより、エルヴィーラの方が国王と会っている時間が長い。間違いなく。

 ランヴァルトも母が居た子供の頃は、彼女に連れられてよく王城へ顔を出していた。しかし母が嫁いでからは、行事以外で王城へ行く回数は年に二、三回ほど。それに引き換えエルヴィーラは、ご機嫌伺いで月に一度は必ず登城していると云う。

 呼び出しも多いそうだが、それに一々対応していたら週三で登城する事になるから断りまくってるらしい。王の呼び出しを断って大丈夫なのかと心配したら、「陛下が私に何か出来るとお思いで?」と傲慢笑顔とセットで云われた。

 それはそうだ。なんと云っても彼女は、国一、大陸一ではなく、”世界一の大富豪”なのだ。一国の王の呼び出しくらい、平気で蹴れるのだろう。

 ただ、弱々貴族なランヴァルトからすると、ひょえ、と妙な声が出てしまうくらい恐ろしい話なだけで。


「お手紙には、三日後、茶会を開くので来るようにとありますが」

「ありますね」

「私は明日からテンペスト帝国へ出張ですから出られません」

「あ」

「前々から決まっていた事ですし、流石にこの段階で予定を変えると皇帝陛下の顔に泥を塗ってしまいます。今後の事を考えると宜しくありません。特に今回は、こちらから謁見を申し出ておりますので」

「そ、そうでしたね……」


 云われて思い出す。明日から五日間、エルヴィーラは国を空けるのだ。

 ランヴァルトの予定をエルヴィーラは全て把握しているが、ランヴァルトも一部とは云えエルヴィーラの予定を知らされている。全てではないのは、エルヴィーラの予定が密過ぎて聞いた所で覚えきれないからだろう。ただし、エルヴィーラがグランフェルト家へ来られない日や、仕事の都合で国を空ける時期などはしっかり知らされていた。

 陛下からの手紙で思考が一度吹っ飛んだとは云え、そんな大切な事を忘れてしまうとは。自分の記憶力が残念すぎる。


「陛下も、私が国外へ行く予定などはご存じです。つまりこの茶会。私が出席しない事を分かった上でのお話。まったく。普段は別に要件がなくても呼び出して来る癖に、貴方一人を王宮へ招くとは。国王陛下もお人が悪いこと」

「あの……一応、子供の頃から参殿していますので、一人でも大丈夫ですけれど……」


 まるでランヴァルトが一人では登城も出来ないような云い方なので、つい口をついて言葉が出てしまった。ランヴァルトは顔が良いだけの情けない男だが、登城くらいは出来る。現にこれまでしている。問題行動を起こした事もない。

 確かに祖父に会うのはちょっと怖いが、怖いだけで逃げたいとか止めたいほどでは無いのだ。だから大丈夫だと云う気持ちを込めての発言である。

 エルヴィーラはパチリとゆっくり一度瞬きをすると、ふふ、と含み笑いをした。


「エルヴィーラ様……?」

「いえ、云い方が悪かったですね。貴方が一人で王城へ行く事も出来ない人だと、云っている訳ではないのです。……今の貴方は私の婚約者。これまでヒソヒソ陰口叩くだけだったゴミもとい宮廷雀たちも放っておかないでしょう。雀どころか腹を空かせたピラニア並に食いついて来ますよ。取り入ろうとするくらいなら可愛いもの。貴方を懐柔して私の弱みを握ろうとしたり、直接的に害そうとする輩もいるでしょうね」

「え……」


 人をゴミ呼ばわりした気がしたが、多分気のせいだ。エルヴィーラはそんなこといわない。たぶん。

 自分の今までの「居ても居なくてもどうでもいい」立場を思うとまさか、と云いたくなるが、確かにエルヴィーラの云う通りだった。ランヴァルトに、ではなく、"エルヴィーラの婚約者”と云う立場にはとんでもない価値がある。

 エルヴィーラの財力は云うまでも無く、国王陛下の大のお気に入り、他国の皇族・王族にも厚遇され、聖地相手ですら意見を通せる。そのような人物の婚約者だ。周りが放っておく訳がない。少しでも恩恵に預かりたいだろう。

 アルヴィドやヴェルト達から聞いた話だが、グランフェルト公爵邸の大改装から凄い噂になっているらしい。まだ婚約者の立場なのに億単位の金をエルヴィーラが貢いだだとか、屋敷の中でランヴァルトが目に入れても痛くないほど溺愛されているだとか。後半の噂に頬が熱くなるが、否定し切れないところはある。

 エルヴィーラを妬んだり恨んだりしている者たちは、彼女へ直接手出し出来ないならばランヴァルトを狙うだろう。

 ずっと屋敷にこもり切りだったので、あまり実感がわかないが。ランヴァルトは今、時の人と云う奴なのだった。


「まぁ、それでも問題ないように、ヘイスとヴェルトをつけているんですけどね。……そう云えばそこの莫迦二人、ランヴァルト様に無礼は働いてませんか?」


 食前酒へ口をつけて、エルヴィーラが云う。

 壁際で気配を消して立っていたヘイスとヴェルトが、「げっ」と云わんばかりの顔になった。ヴェルトはともかく、ヘイスのそう云う顔は珍しい気がする。


「実力はありますし、忠誠心も疑っていませんけどね。少々甘やかして育ててしまったので、貴方への態度だけは心配です」

「えぇ、大丈夫ですよ。二人とも気さくで優しくて、とても助かってます。同じ年なので、あまり緊張しないで済みますし」

「……そうですか。ならば良いのですが」


 チラリとエルヴィーラの視線が二人へと走り、ヘイスは頭を下げ、ヴェルトはへらっと笑った。それから二人とも、ランヴァルトへ目礼をする。こちらはちょいと手を振って応えた。

 別に二人を庇った訳ではないし、嘘もついていない。ランヴァルトの護衛として、執事のルーカスよりも側に居てくれるのがこの二人だ。ヘイスは何かと気にかけてくれるし、ヴェルトは何だかんだ親切だ。

 確かにヘイスはエルヴィーラへの信奉からランヴァルトを試すような発言もするし、ヴェルトの言葉遣いは悪いけれど、それを厭だと思った事はない。むしろ、二人の態度はアルヴィドを思い出して嬉しかったりもする。だからエルヴィーラが心配する事は何も無いのだ。

 そこで、ふと気付く。

 エルヴィーラは今、甘やかして育ててしまった、と云った。


「あの、エルヴィーラ様」

「なんでしょう?」


 前菜が運ばれて来る。白い皿に、五種類の前菜が品良く盛られていた。

 その内の一つ、花の形になった生ハムへフォークを伸ばしながら、ランヴァルトは疑問を口にする。


「ヘイスとヴェルトは、ラーゲルフェルト家で育ったのですか? 二人はバックリーン子爵家の縁者だと聞いていますけれど」

「あぁ、細かく話してませんでしたね。彼らは二人とも、セーデル村の農民の子です。私が十歳の時、商談ついでに村へ寄った際に見つけましてね。見所があったので、引き取って護衛として私が育てました。良い仕上がりになったので、バックリーン子爵に相談して後見人になって貰ったんです。子爵以上の貴族関係者でないと、王城に入れませんから」

「なるほど……」


 納得したが、少し驚いた。ルーカスや給仕人など他の使用人達も、軽く目を開いて二人を見ている。

 ヘイスの慇懃な態度は完璧に貴族のもので、ヴェルトは言葉遣いこそ荒いが発音そのものは綺麗だ。農村部では発音が訛っているものらしい。濁っていると云うか、王都住まいのものが聞くと違和感を感じるそうだ。その王都から出た事がないランヴァルトが何も思わなかったのだから、相当綺麗な発音である事は間違いない。

 所作に関してもヘイスは完璧だし、ヴェルトも言葉遣いはともかく下品な行動はしない。元々貴族だと思っていたと云うか、農民だったなんて発想すら出なかった。

 それをエルヴィーラが育てた……いや待て、育てた?

 その云い方では、「ラーゲルフェルト家が面倒を見た」のではなく、「エルヴィーラが個人的に育てた」ように聞こえるのだが。


「えっと、二人は私と同じ年でしたね?」

「えぇ、そうです」

「エルヴィーラ様が十歳の時、二人は六歳で……それを、お育てになった?」

「どっちも泥玉のように転げ回るので、最初はそれなりに大変でしたよ。物覚えは良かったので、三ヶ月くらいでなんとか人前に出せましたけど」

「泥玉……?」


 思わずヘイスを見て唸る。幼児ヴェルトの泥玉は想像出来るが、幼児ヘイスの泥玉はちらりとも想像出来ない。あの綺麗な笑顔の青年が泥玉。転げ回って泥玉。泥玉。

 ヘイスがにっこり、と云うか、に゛っこり゛みたいな笑顔を向けて来た。口の端が引きつっている。それ以上聞いてくれるな、と云わんばかりの顔だ。流石の彼も、幼い頃の話は恥ずかしいらしい。

 反対にヴェルトは片割れを横目に、にやにや笑っていた。彼は特に恥じとか感じてないようだ。


「えっと……凄いですね、エルヴィーラ様は。大して年の変わらない子を、子供の頃からお育てに……」


 言葉を濁す。続きをどう云えばいいか分からない。フォークに刺したままだった生ハムを食べて誤魔化した。ほどよく塩が利いた生ハムはとても美味しい。誤魔化すために食べて申し訳ないまである。

 しかし、自分で云ってて違和感が凄いのだ。子供が子供を育てる。十歳の子供が、六歳の子供を。貴族の令嬢が、農民の泥玉を。ちょっと泥玉がツボに入ってる。

 と云うか、そもそも、村へ寄った理由が商談のついでって。十歳で商談。いや、それについてはランヴァルトにも知識がある。

 エルヴィーラが曾祖父から受け継いだ遺産で事業を興したのは、六歳の時だったはず。十歳になる頃には国一番の資産家になってたらしい。なんせランヴァルトもその頃は母親に甘える子供だったので、詳しくは知らないが。母が「とんでもない子が居ますわね!」と笑っていた事は覚えていた。


「そうですか? 金があればどうとでもなりますよ。私は基本的な事を教えただけで、専門的な事は専用の教師を雇いましたので。まぁ確かに、最初は大変だったんですけど。ちんくしゃ泥玉どもが」

「ちんくしゃ泥玉」


 また話が泥玉へ戻ってしまった。ちょっと、いやかなり見たい。泥玉のヘイスとヴェルトを。特にヘイス泥玉時代とかめちゃくちゃ見たい。見られないのが悔しいレベルだ。


「……」


「翠玉空豆のムース」を食べたエルヴィーラが、嚥下を終えてからニヤっと笑った。

 その笑い方は、ヴェルトと似ている。


「実家にアルバムがあるので、今度持ってきましょうか?」

「是非! ……あ」


 つい思い切り食いついてしまった。しかし見たい。見られるなら絶対見たい。泥玉見たい。

 しかし壁際から不穏な気配がする。ちらっと見れば、ヘイスがむちゃくちゃ厭そうな顔をしていた。ヴェルトも珍しく「えぇ……?」みたいな顔をしている。

 クックックッ、とエルヴィーラが悪役みたいに笑った。なんだか楽しそうだし、嬉しそうだ。


「私が付けた護衛を、そこまで気に入って頂けているとは」

「えっと、その、ふ、二人には本当に良くして貰ってて!」

「ふふ……。予想外ですが……嬉しいですよ、ランヴァルト様。今後も、二人をよしなに」


 そう云って微笑む顔は、ヘイスに似ている。

 もにゃりと、みぞおちの辺りに空気の塊が詰まった錯覚を覚えた。理由は簡単。”嫉妬している”のだ、ランヴァルトは。

 エルヴィーラとヘイスとヴェルトの間にある確かな繋がりに、ランヴァルトは妬いたのだ。そして、それを恥じた。なんてみっともない事だろうか。

 けれど、思ってしまう。


(いいなぁ……)


 ヘイスとヴェルトは、ランヴァルトが全然知らないエルヴィーラを知っているのだ。笑顔が似るほど長く一緒にいて、信頼と重用を受けている。

 たったそれだけの、当たり前の事が、ランヴァルトには羨ましくて仕方なかった。

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