2.地雷原とはなんぞや。-2

「やっべぇクソうけんだけど!」


 前庭ほどではないが整えられた裏庭にて。

 にやにや嗤っていた護衛が、今度は体を曲げて大笑いしていた。それに対してランヴァルトはやはり苦笑い。もう一人の方は微笑のままだ。


「ヤバくね? あのお嬢ちゃん、あんたと結婚する気だよ?! うちのあねさん差し置いて!」

「ヴェルト、あまり大声で云ってはいけません。あのご婦人の気遣いを無駄にしてしまいます」

「ヘイスだって笑ってんじゃん! いや世間知らずって云うか夢見がちって云うか脳内お花畑って云うか! この状況で自分が正妻になれると思える神経がスッゲェわ! 幾らなんでもヤバいってウケる~!」


 ぎゃははと大声でヴェルトは笑う。豪快な笑い方に、ランヴァルトは新鮮な気持ちになった。これまで自分の周囲に、こんな大笑いするような人はいなかったので。

 ヴェルトとヘイスは双子の兄弟で、元はエルヴィーラの護衛だ。婚約が成立した日から、ランヴァルトの専属護衛として側に居る。常に護衛が側に居ると云う状況にランヴァルトは中々慣れる事が出来ないが、二人とも話しやすい人柄なので辟易まではしていなかった。少々癖はあるが。

 どちらもキャラメル色の髪に明るい檸檬色の目をしているが、性格の違いから見分けがつく。穏やかな微笑を浮かべる優しげな方がヘイスで、にやにや嗤いが似合う豪快な方がヴェルトだ。ちなみに、ヘイスが兄であるらしい。

 二人の父親が熊人族な為か、身長が高く引き締まった体をしている。肉体構成は人間の母親へ似たようで、ぱっと見た感じは人間と変わらない。しかし後ろからを見ると、腰の少し下あたりに丸い熊の尻尾があった。獣人用のしっぽが出せるタイプのスーツを着ているので、ランヴァルトはその可愛いしっぽを見放題である。

 二人とも大変顔立ちがよく、いわゆるハンサム、イケメンと云うタイプなので、可愛いしっぽが似合っていないような、逆にとても似合っているような。


「で、だんなさまはどうなの」

「どう、とは?」


 白いベンチに腰掛けたランヴァルトを見下ろして、ヴェルトはにやにや嗤ったまま云う。


「あのお嬢ちゃんの事ー! 憎からず思ってるとか? 本当は嫁に行かせないで妾にしちゃうつもりとか? 姐さんとの結婚、実は厭だとかぁ?」

「ないです」

「つまんねー。そこは慌ててよ、だんなさま」


 思っても居なかった事を云われたので、慌てたり困ったりする以前に、すんっと感情が落ち着いた。あり得ない事を云われると、人は落ち着くものらしい。


「モニカは妹みたいなもので、嫁だとか妾だとか考えた事もないです。エルヴィーラ様との結婚は、僕なんかには勿体ない、最高の良縁だと思っています。厭だなんてあり得ません」

「その謙虚さ。大事にして下さいね、旦那様」


 ヘイスがにこりと微笑んで云った。目が笑っていない気がする。口元が綺麗に上がっているだけに、なんだか怖かった。


御前ごぜん――エルヴィーラ様は私たちを専属へつけるほど、貴方様を想っていらっしゃいます。そのお心に背く事がないよう、願う次第です」

「勿論です。エルヴィーラ様をがっかりさせないよう、頑張ります」

「よいお心がけかと」


 にこり、またヘイスが微笑む。今度は目も笑っていた。ランヴァルトの言葉は、彼にとって及第点だったようだ。


「あー、でもさぁ、だんなさま。マジでなんで、あの二人引き取ったの? そんな無駄金なかったでしょ」

「余裕はありませんでしたが、僕が色々我慢すればなんとか」

「なんでそこまでしたわけー? 意味わかんないんだけど」


 ランヴァルトの前にしゃがみ込んだヴェルトが、本気で不思議そうに云う。

 確かに、端から見たら意味が分からないだろう。自分の面倒も見切れない、落ちぶれた公爵家をどうにも出来ずに居た人間が、余計な荷物をわざわざ背負ったようなものだ。

 聖職者からは慈悲深いと云って貰えたが、普通の視点で見れば「何やってんだこいつ」になるのだと、アルヴィドから教えられて分かっている。


「惚れた腫れたでもねぇなら、マジで意味分かんねーわ。何の得があったの、あんたに」

「そう……ですね。……母の思い出に浸る為、と云いますか」

「え、あんたマザコン?」

「まざこん?」

「ヴェルト」


 ごつん、とヘイスの拳がヴェルトの脳天に落ちた。ランヴァルトから見ても手加減された一撃に、ヴェルトは「いてーんだけど」とぶつぶつ文句を云って、殴られた所をさすさす撫でる。


「お気になさらず。平民の俗語スラングです」

「はぁ。……どう云う意味なのでしょう?」

「ママがいなくちゃ何も出来ない奴って意味~」

「う゛っ」


 ズキっと胸が痛んだ。まさに自分の事ではなかろうか。

 母がいなくては、家一つまともに運営出来ていない。


「ヴェルト。……ご安心を。母親の事を大切に想う場合は、孝行息子とか母親想いとか云われますから。旦那様はそちらの方かと」


 ヘイスがフォローを入れてくれた。また拳が一つヴェルトの頭に落ちる。今回のは結構痛かったようで、ヴェルトは頭を抱えて唸り声を上げた。熊っぽい。


「ありがとうございます。……母の事は敬愛しています。遠く離れて、今や手紙のやりとりくらいしか出来ませんから……寂しくもありますね。……母の思い出話が気軽に出来る相手は、少ないんです。その少ない中に、モニカとベック夫人が含まれていました」

「ふぅん。そんだけぇ?」

「後は……こんな自分でも善行が出来るのだと、示したかったのかも知れません。……父のような男にはならない、と」


 つい視線が下がってしまう。母の話は微かな痛みと共に優しい気持ちが湧き上がるが、父の話はとにかく不快感しかなかった。

 癖のように、首を摩る。過去の苦痛が蘇り、息が詰まった。

 全てを知っているアルヴィドやルーカス相手の時にはこうならない。父親の事をよく知らない相手に話す時だけこうなった。きっと、相手に甘えられないからだろう。実に情けない男だ、自分は。


「あー。あんたの親父さん、かなり駄目な奴だったらしいねぇ。話聞いた時、筆頭秘書プリムラねぇさんがブチ切れてたし。あんなに切れたねぇさん、久々に見たわ」

「お恥ずかしい限りで……」

「え、別に、あんたが恥じる必要なくねー? もう縁切れてっし、あんたの親父がやった事はあんたには関係ないじゃん。親は親、子は子ってやつ。あんたは真っ当にやってたんだからいいじゃんかー。貧乏こいてたけど」

「……」


 ぱちくり、瞬きをする。

 親は親、子は子。父親は父親、ランヴァルトはランヴァルト。そう云ってくれたのは、親しい付き合いのある人だけだった。

 貴族は基本、一族単位で物を見られる。得に家父長の不始末は家全体の不始末と同義だ。散々なやらかしをした父を引き合いに出してランヴァルトを悪く云う方が、貴族社会としては当然なのである。

 彼もそう云う考えかと思っていたら、違ったようだ。透き通った檸檬色の目には、嘲りも見下しの色も混ざっていなかった。


「ヴェルト。さっきからお口が過ぎますよ?」

「いでででででで耳ひっぱんな!」

「しっぽじゃないだけ優しいと思いなさい」

「まぁまぁ……」


 優しく微笑みながらヴェルトの耳を引っ張るヘイスを宥める。ヘイスはため息をついて、ヴェルトの耳から手を離した。


「旦那様も、もっと怒って宜しいのですよ。ヴェルトは気安すぎます」

「正直な所、その気安いところが助かると云いますか……。丁寧に傅かれるのにはあまり慣れていなくて……」

「それも困りものなのですが……。貴方は公爵ですから、王族の次に尊ばれる立場なのですよ?」

「金と権威のない貴族とか、下手な平民より惨めじゃん」

「ヴェルト」

「しっぽ握り絞めんな莫迦力! 潰れる!」

「世界の損失!」

「は?」「は?」

「いや、あの、可愛いしっぽは保護されるべきではと云う、あ、ちが」

「だんなさまの新しい一面見たわ」

「しっぽがお好きですか。エルヴィーラ様に奏上しておきますね」

「やめて?!」


 何か不名誉な誤解が発生した気がするし、それがエルヴィーラにまで波及しそうだったので慌てて止める。二人は笑っているだけで何も云ってくれない。不安しかない。

 別にしっぽに対して変な思い入れなどないのだ。ただ、二人の腰下でぴこぴこ動く丸いしっぽが可愛いなと思っていただけで。


「まぁ俺が云うこっちゃないけど、だんなさま、俺に怒んないよね~。無礼者って殴ってもいいんだけどー?」

「いえ、先ほども云ったように、気持ち的に助かってますので……。これまで使用人とは身内に近い距離感でしたから、新しい使用人の皆さんに緊張してしまうと云うか……」

「皆さん出来る方たちばかりですからね。主従の範囲を超える事はないでしょう」

「姐さんが選びに選んだ奴らだから、粗相の心配はねーわな。てかだんなさま、新しい連中とも家族みたいになりたいわけ?」

「それはまた違うんですけど……。母の教えもありますから、今の状況が正しい事は分かっていますし。ただまだ慣れていないので緊張するから、こうしてお二人と話していると気が休まると云いますか」

「あぁなるほど……」

「だんなさま繊細だねぇ」

「お恥ずかしい……」


 そう、モニカに云ったように、新しい使用人達との距離感に寂しいと云う気持ちはない。これが当然で、今までが異常だったのだと分かっているからだ。

 長年勤める使用人とは疑似家族のような関係になる事もあるが、それはプライベートでの話。仕事中は主従として適切な距離を保たなくてはならない。

 それが出来ないのが、古くから居る使用人達だ。

 ランヴァルトが産まれる前から務めている者が多い。彼ら彼女らは、ランヴァルトを「主人」ではなく「坊ちゃま」と見てしまう。赤ん坊の頃から知っているのだ、仕方ない部分もある。だがプロならば、公私混同は避けなくてはならない。忠誠心はそのまま、では家族として、公では部下として振る舞う。それが出来る使用人と云う物で、公爵家に仕える以上は出来て当たり前の事だ。

 そしてランヴァルト自身も、間違えてしまう。彼ら彼女らには、恩がある。思い出がある。情がある。つい甘やかしてしまう。仕事で失敗してもなぁなぁで済ませ、まともな指導が出来ない。

 それでは今後困るのだ。エルヴィーラの夫として、真っ当な公爵にならねばならないのだから。


「朝起こされてお茶を淹れて貰えるのも、着替えを手伝って貰うのにも、少しずつ慣れてきてはいるのですけれど」

「前はどうだったん?」

「自分で起きて白湯飲んでましたし、着替えも自力で出来ます」

「平民じゃん。俺、緊急時以外で姐さんが一人で着替えてる所とか見た事ねーわ」

「貴族は自分で出来る事でも他人にやらせるのが当たり前ですからね。それが出来ないと、下に見られると云いますか」

「仰る通りで……」

「まぁ、慣れてきているなら宜しいかと。これからもその調子で、公爵として当然の環境に慣れて行って下さい」

「はい……」


 神妙に頷くランヴァルトに、ヘイスはにこりと笑った。少し優しい笑い方だったように思うが、気のせいかも知れない。


「さて、そろそろ頃合いかと。母屋へ戻りましょうか、旦那様」

「あ、はい。そうしましょう」

「……あれ、ルーカスのじっちゃんじゃね」

「え?」


 ヘイスに声をかけられ立ち上がると同時に、ヴェルトが母屋の方角を見ながら云った。釣られてそちらを見ると、確かに元家令現執事のルーカスが、丁寧な歩き方ながらどこか慌てた様子でこちらへ向かって来ている。

 祖父の代から居る最古参使用人のルーカスは、既に孫もいる五十八歳。翁呼ばわりは当然ではあるが、赤の他人であるヴェルトからの「じっちゃん」呼びには難色を示していた。ランヴァルトは可愛い呼び方だなと思うが。

 今日もきっちりお仕着せを着こなした、古参の中で唯一母屋勤務続投を許された執事は、ランヴァルトを見つけると足早に近付いて来た。そうして適切な距離で立ち止まり、一礼する。


「やはりこちらでしたか、旦那様」

「すまない。今戻る所だったんだが……何かあった?」


 急いでいる様子なので先を促すと、ルーカスは恭しく頭を下げた。


「至急執務室へお戻り下さい、旦那様。王宮より使者の方がいらしてます」

「王宮から……」

「玉簡を携えての、正式な使者様です。……封蝋は恐れ多くも、国王陛下の紋章でございました」

「ミ゜ッ」

「え、だんなさま、今の声どっから出た?」


 ヴェルトが本気で驚いた様子で聞いて来たが、ランヴァルトにも分からない。自然と出た。

 恐れていたものの一つが、来てしまったと云うべきか、やっと来たと云うべきか。

 フロード王国国王からの玉簡。

 さて、国王陛下の立場からなのか、祖父としてのものなのか。それによってランヴァルトの胃痛の種類が変わるのである。


(ぜーったい、エルヴィーラ様との婚約についてだけど……)


 苦言を貰うのか、からかわれるのか、はたまたただの祝福か。

 ランヴァルトは祖父こくおうの顔を思い出しながら、戦々恐々と執務室へ向かうのだった。


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