2.地雷原とはなんぞや。-1


 地雷とは何か。

 簡単に云えば、踏んだら爆発して人間を殺傷する兵器である。

 地雷原とは、その地雷がいっぱいに埋まった場所の事。立ち入り厳禁、入ったら死ぬと思え、誰も助けてくれないぞ。そう云う場所だ。

 では人を地雷と呼ぶのはどのような場合か。――関わったらあかん人の事を指すのである。百害あって一利無し、関係性を持っても損をするだけ、相手をするだけ莫迦らしい。つまりは侮蔑の言葉である。

 ――その人間地雷に関わりまくっている人や、一人で沢山の地雷を抱えているような人格破綻者を、地雷原と呼ぶわけだ。

 ランヴァルトは周囲から、地雷原公爵と呼ばれている、らしい。初めてアルヴィドから聞いた時は「どっちの意味かなぁ……」と遠い目をしてしまった。アルヴィドは気にするなと笑っていたけれど。

 今なら分かる。“どっちもだ”、と。



 *** ***



「ラン様、聞いて下さい。あのお方は酷いお方です」


 ベッドの上で泣いている少女がいる。年の頃は十七。ふんわりした栗色の髪と、大きな桃色の瞳が愛らしい。少し痩せ気味で肌の色も病的に白い。仕方ない、事実体が弱いのだ、彼女は。不健康そうに見えるのに可愛いと云う感想を抱かせるのだから、健康ならば美少女に違いあるまい。

 幸薄そうな少女が健気にハラハラと涙を零している。誰もが庇護欲をそそられそうな姿だが、ランヴァルトの心は凪いでいた。

 いや、困ってはいる。しかし、その発言に同調して慰めようとか、宥めようと云う気は起きない。

 幾らランヴァルトが情けない男でも、少女の涙に負けて自分の恩人にして憧れの人を悪く云う事は出来ないかった。少女がそれを望んでいても、無理なものは無理だ。

 少女――モニカの母親ベック夫人やメイド達の視線は冷たいが、知らんぷりを決め込んだ。


「酷いとはどう云う事だい? エルヴィーラ様ほど慈悲深く優しい方を、僕は知らないけれど」

「ラン様は騙されています! あの方はわたし達を追い出そうと企んでいるのです! その証拠にホラ! わたしも母も古くから居る使用人のみんなも母屋から追い出されて、こうして離れに押し込められているではありませんか!」

「離れをわざわざ君の療養用に改装して下さったんだよ? 君が寝ているベッドも着ている服も、栄養価の高い食事や腕の良いお医者様だって、エルヴィーラ様がお金を払って手配してくれたものだ。感謝こそすれ、そんな疑念を抱くなんて以ての外だよ、モニカ」

「た、確かに仰る通り、ですが……。で、でも、母屋は今、完全にあの方の手に落ちています。新しい使用人は皆あの方の手の者じゃありませんか!」

「君が生活しやすいように、慣れている者達を離れに移動させたんだ。それに、給金は今までの五倍以上支払われているよ。それでも離れで働くのが厭なら紹介状を書くって、僕も云ったけれど」


 そう云うと、メイド達はさっと冷たい視線を逸らした。モニカに同調しないランヴァルトを酷い主人だと云わんばかりの目で見ていたのに、給金の話をされたらこれだ。まさに現金な事である。何も上手くなかった。悲しい。

 当のモニカは裏切られたような目でランヴァルトを見ている。どう云う心の動きでそんな目をされるのか、ランヴァルトには分からなかった。事実しか云っていないのだけれど。


「で、でも、ラン様は大変なのでは? 慣れている使用人は、ルーカス以外私の元へ居て。お寂しい思いをされているのでしょう?」

「いや、あまり。家令ルーカスは執事になって以前より僕の側に居てくれるし、覚える事が沢山あって忙しいし、エルヴィーラ様は毎日顔を見に来て下さるし。寂しい事なんてないよ」

「……」


 モニカが絶句している。しかし、モニカの物差しでランヴァルトを哀れまれても困る。

 確かにモニカの云う通り、元家令、現ランヴァルト専属執事のルーカス以外の古参使用人はみんな離れへ移された。彼以外、公爵家の使用人として使い物にならないと、現家令と現侍女頭が判断したからである。「ルーカス殿以外の使用人は公爵家の恥になりかねません。母屋から出して下さい」と云われ、ではモニカの世話と離れの維持にとお願いした。

 侍女頭からは「辞めさせてもいいのでは?」と冷たく云われたが、ランヴァルトが生まれる前から勤めている使用人も多い。若年の者は彼ら彼女らの子供達である。辞めさせるのは忍びなかった。事情を話せば侍女頭は冷たい目を引っ込めて微笑み、「ではそのように」と納得して、古参使用人達を速やかに離れへと移してくれた。

 中には母屋から出る事に難色を示した者達も居たようだが、命令に従えば給金を今までの五倍にすると云う話をしたらすんなり従ったそうだ。それについてエルヴィーラは、「金に従わない人間の方が珍しいですから」と云っていた。莫迦にするでもなく蔑むでもなく、自然の摂理だと云う態度で。

 つまり、使用人達を離れへ移す決断をしたのはランヴァルトである。それで寂しいとか云ったらただの阿呆だろう。

 さらに云えば、これまでは名ばかり公爵だったので、王家主催の催し物や式典へ少し顔を出す程度で許されていたが、エルヴィーラの夫となるからにはそうも行かない。既に今の時点で、これまで没交渉だった家々から茶会や夜会への招待状が山と届いていた。そこへ行く場合、ランヴァルトは公爵らしい振る舞いをしなくてはならないのだが、現状は無理だった。

 母から王侯貴族の常識や礼儀作法を、祖父から多少の帝王学は学んでいたが、公爵としてすべき言動の実践は出来ていないのだ。ようは頭でっかち状態。これまで正しく公爵として扱われた事もないので、「何が分からないのか分からない」みたいな状態だ。

 これには現家令もエルヴィーラの秘書、執事、護衛たちも頭を抱えていた。エルヴィーラだけが微笑んで、「丁度良い教師に心当たりがあります。すぐに手配しましょう」と云ってくれたが。

 そうしてやって来たのがノルデンフェルト前公爵だったので、ランヴァルトは卒倒しそうになった。

 御年六十六歳。内政の要職に就くのが当然と云われているノルデンフェルト公爵家歴代の中でも、とびきり有能だと云われている方だ。現役を退いたものの、国王の相談役として登城する事も多いと云うのに、わざわざランヴァルトへ「公爵として振る舞う為に必要な事」を授業するためグランフェルト家に滞在してくれている。それはノルデンフェルト家とグランフェルト家が懇意であると示すようなもの。人脈をほぼ全て失ったグランフェルト家にとって、こんなに有り難い事はない。

 当のノルデンフェルト前公爵は「エルヴィーラ嬢への恩返しついでだから気になさるな」と云っていた。エルヴィーラにも前公爵にも頭が上がらないし、足を向けて寝られない。そしてノルデンフェルト家にまで、当たり前のように恩を売っているエルヴィーラが凄すぎた。侯爵令嬢かのじょの一声でグランフェルト家へ他家の前公爵があっさり来るとか。「どう云う事なの……」と心と体が震える。エルヴィーラの前では爵位など些細な問題だと云われる理由が分かった。

 そのエルヴィーラの事は、云わずもがなだ。

 昨夜の晩餐を思い出して顔が赤くなりそうなのを堪えて、ランヴァルトはモニカへそれらの説明をした。何も心配する必要はないどころか、モニカはランヴァルト同様、エルヴィーラへ深く深く感謝しなくてはならないと。


「妙な事を考えないで、自分体を労るんだ。早く元気になってね、モニカ」

「……元気になったら、わたしはどうなるんです?」

「ん? 君はまだ若いし、エルヴィーラ様が良い縁談を探して下さると」

「わたしを変な男の元へ嫁がせる気ですね?! やはりあの方は酷い方だわ! わたしとラン様の仲を裂こうとお考えなのです!」

「えっ」

「……え?」

「君と僕の仲って……兄妹みたいなものだろう。裂くも何もないような」


 モニカが過剰なほど嘆きながら云った言葉に、ランヴァルトは首を傾げた。

 ランヴァルトとモニカの関係は子供の頃からの知り合いだ。ベック夫人の実家である子爵家に、ランヴァルトの曾祖母の従姉妹のさらに従姉妹の孫が嫁入りしていたので、遠い遠い親戚でもある。まぁ王国内の貴族は大抵どこかで繋がっていて、広い目で見たら大体親戚だ。なので基本、三親等までしか身内扱いしない。歴史の長い所は四か五親等くらいまで親戚扱いするそうだが。

 つまり世間の常識から云えば、ランヴァルトとモニカはあくまで子供の頃からの知り合いでしかない。ただランヴァルトは幼少期、彼女を妹のように思って可愛がっていたので、今も妹分と見なしていた。

 兄妹はどこまで行っても兄妹だ。例えモニカが健康体になりよそへ嫁いだとしても、ランヴァルトは妹分として目を配るだろう。引き裂かれるような仲ではない。

 モニカがぽかんと涙で濡れた目でこちらを見た。メイド達も唖然とした顔をしている。ベック夫人だけ、何故か顔色を青くしていた。


「モニカがどこへ嫁いでも、僕は君を妹分として大事に思うよ。だから大丈夫。何も心配しなくていい」

「ら、ラン様……」

「ん? どうかした?」

「わたしは、ラン様と、けっこん」

「え?」

「ランヴァルト様ッッ!」

「うわ?!」


 呆然とした顔で妙な事を云い出したモニカの声を遮って、ベック夫人が大声を出した。元々男爵夫人であった彼女は、貴族に必要な礼儀作法を習得している。なのに、突然の大声である。驚いて、ランヴァルトは思わずのけぞった。


「ど、どうしたのベック夫人。貴方らしくもない」

「い、いえ、失礼致しました。……娘も突然環境が変わって、色々戸惑っているのです。健康になった後の話など、上手く理解出来ないでしょう。今日の所はお引き取り下さいませ。お願い致します」

「お母様、わたし、ラン様と」

「モニカ、落ち着きなさい。その話は、今すべきではありません」

「……」


 モニカは戸惑っている様子だが、それならランヴァルトも戸惑っている。普段ランヴァルトとモニカの会話を微笑んで聞いているベック夫人らしからぬ態度だ。しかし部屋の時計を見ると、丁度よい頃合いだった。


「では、今日はこの当たりで。モニカ、しっかりご飯を食べて、よく寝て、薬もちゃんと飲むんだよ」

「ラン様」

「ランヴァルト様もお体を大事に。ご無理はなさいませんように」

「ありがとう、ベック夫人。それじゃぁ」

「あ……」


 まだ何か云いたげなモニカに手を振って、ランヴァルトは部屋から出た。扉は元から開いていて、廊下にはエルヴィーラにつけられた護衛が二人待っている。

 一人はにやにや嗤いながら、もう一人は感情の読めない微笑を浮かべ、ランヴァルトは苦笑い。「お待たせしました」と声をかければ、どちらも頭を下げてランヴァルトを迎えた。


「母屋へ戻ります。……けど、その前に、少し裏庭へ」

「承知致しましたぁ~」「承知致しました」


 トーンは違えど、どちらも同じ言葉をランヴァルトへ返す。

 家の中でも護衛がつくような状況に、背中のむず痒さを覚えながら、ランヴァルトは言葉の通り二人を連れて裏庭へ向かった。


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