1.貧乏公爵は幸せな夢を得られるか。-2
「貴方を選んだ理由? 好きだからですけど」
「へあ゛っ?!」
アルヴィドと茶会をした日の夜、晩餐の席でランヴァルトは勇気を振り絞って聞いてみた。「何故あなたは私のような男を選んだのですか」と。
その答えがこれである。ストレートにも程があった。エルヴィーラは恥じらいも戸惑いも悩みも無く、スパッと云い切った。まさに一刀両断であった。
それに対してランヴァルトはと云えば、自分で聞いた癖に動揺し、顔を真っ赤にして狼狽えまくった。「あー」とか「うー」とか、愚にもつかない音だけが口からこぼれ落ちる。
ランヴァルトの様子を見て、エルヴィーラは薄く眉間へシワを寄せた。怒っていると云うより、困っているようだ。
「……何か不安にさせましたか。私の不徳の致すところですね」
「ち、違うのです。あの、ぼ……私が勝手に、不安になって、あの、エルヴィーラ様は何も悪くなくて……」
美味しい食事が止まってしまう。
今日のメインは「清流ナマズのレモン添え」だ。初めて食べた時はあまりの美味しさに、五分は感じ入っていた一品である。温かいうちに食べた方がいいのに、何故この段階で不適切な話題を出してしまったのか。またランヴァルトは落ち込んだ。
情けないランヴァルトを見て、エルヴィーラはふむ、と呟く。カトラリーを置いて、ランヴァルトの方をしっかりと見た。
「貴方の生い立ちは把握しているつもりですが、認識が甘かったですね。……ランヴァルト様は、ご自分に価値がないとお思いのようだ」
「……っ」
云い当てられて、息が詰まる。
誰もが思っている。ランヴァルト自身も思い知っている。あまりにも、エルヴィーラとランヴァルトは不釣り合いだ。
身分だけ見れば丁度いい。公爵と侯爵令嬢だ。問題ない。しかし内情を見れば、誰も彼もが首を傾げること請け合いだ。
曾祖父の遺産を元に自ら財を築き上げた最高峰の女傑と、血筋だけは立派な貧乏地雷原公爵。
どう見たってチグハグで不釣り合いだろう。ランヴァルトにエルヴィーラは勿体なすぎる。エルヴィーラにはもっと善い縁談があると、みんな口を揃えて云うに違いない。
と云うか、云われてる。彼女が複数人から「なんでよりにもよってあんな男を選んだのか」と云われている事を、ランヴァルトは彼女の秘書より聞かされていたのだ。
そして彼女がその言葉を云った相手に対し、男女身分年齢関係なしに情け容赦なく顔面を扇子で打ち据えて、「金銭的に殺してやろうか」と云っていた事も知っている。
怖すぎる。ようは彼女の支配する経済圏からハブると云う事だ。このご時世に飢え死にか。怖すぎる。王子も一人ぶん殴られたらしい。こちらは拳で。怖すぎる。
ちなみに、当然彼女へお咎めはなく。殴られた方が一族総出の平謝りで、王子は国王と王太子両方からみっちり叱られたそうだ。可哀想と云うべきか、自業自得と云うべきか。ランヴァルトには分からない。
そう、分からないのだ。
何故エルヴィーラほどの人が、ランヴァルトにそこまで入れ込んでくれるのか。
「……僕、は」
呟くように、云う。不安と焦燥が、ランヴァルトの舌を動かした。
「この血筋以外、確かなものを何も持って、いません」
ほぼ王族と変わらない血統。王弟の末裔、姫君の息子。それしか無いのだ、ランヴァルトには。
「金策も出来ず、世間知らずで、家を維持するのに精一杯で」
伯爵以上の貴族は、国から年金が与えられる。それを元手に商売をする、領地を改良する、交易を行うなどして、貴族は金銭を稼ぐ事も出来る。けれど、ランヴァルトには出来なかった。これ以上の失態を重ねてお家取り潰しになる事を恐れて、現状維持にしがみついた。
「母は遠くへ輿入れし、父はどうしようもない男です。頼っていい親戚もいない。友人と呼べるのは一人だけ。曾祖父の人脈は、父の代で絶えました」
外交上重要な人脈は、他家へ移された。曾祖父と祖父の世話になったとランヴァルトに親切な人も居るが、国と国との対話に影響を与えるようなものではない。父の所業に憤り、ランヴァルトへ厳しい視線を向ける人の方が多いくらいだ。
王と王太子はあくまでランヴァルト個人に優しいだけで、グランフェルト公爵としては甘やかしてなどくれない。公私の線引きはきちっと出来ている方々だった。
「……金も力もない癖に、行き場の無い母子を拾い上げて、救った気でいた」
ベック夫人と娘のモニカ。夫人は元々男爵家の人間だった。しかし夫が亡くなり、家が夫の弟夫妻に乗っ取られ、為す術無く娘共々追い出されてしまったのだ。
ランヴァルトとモニカは、子供の頃に遊んだ仲だ。まだ母が家に居た幼き頃、茶会が開かれる度にモニカはベック夫人に連れられてグランフェルト家へ来ていた。あの頃は男女の別なく遊んだものだ。
この家における数少ない優しい思い出に、モニカは登場する。穏やかな日々を思い出すためにランヴァルトは、モニカ達母娘を拾ったようなものだ。モニカを見ていると、母がいた頃を思い出せる。自分の無聊を慰める事が出来る。たったそれだけの理由で、モニカ達を屋敷へ入れた。
「…………どうして、」
息苦しさと共に、疑問を改めて口にする。俯きたくなかったのに、膝の上で握りしめた拳を見つめてしまう。視界に入る自分の金髪が鬱陶しい。見た目ばかり立派で中身は一つも伴っていない事を、逐一思い知らせて来る厭な髪だ。
ランヴァルトを好きだとエルヴィーラは云った。どこが好きなのだと、疑問に思う。こんな男のどこに、好意を寄せる要素があると云うのか。
公爵のくせに情けなくて、みっともなくて――自分で自分が大嫌いだと云うのに。
「どうしようもない境遇でも頑張ってる所が好きです――とか云えたら、格好がつくのですけれど」
「はい……?」
「単純に、貴方が私の“最推し”だと云うだけです」
「え」
聞き慣れない言葉が出てきて、ランヴァルトは戸惑った。ついでに顔も上がった。
“最推し”と云う言葉は、あの夜会で云われた言葉だが、そう云えばどう云う意味なのか聞いていなかった。
「あの、“最推し”って、どう云う意味ですか……?」
「難しい質問です。推しとは概念ですから」
「概念」
オウム返しする。概念とはなんぞや。
エルヴィーラは白ワインを一口飲むと、杯を掲げてにこりと笑った。普段の傲慢でギラギラ輝く笑顔ではなく、慈しむような優しい笑みだ。
「例えば、貴方の食事。私が金に飽かせて用意したものです」
「はい」
「私の金で準備した食べ物で貴方の体が形作られて行くのかと思うと興奮します」
「こうふん」
「貴方が今着ている服。私がデザインし、私が買った布を使い、私が選んだ針子に作らせたものです」
「は、はい」
「貴方に私の好きな服を着せて眺められるとか、尊さの極みです」
「とうと、え?」
「貴方が生活する家。元々公爵家の物ですが、私が好きにリフォームしました。私の金で」
「はい……」
「私の用意した私の縄張りで貴方が生活しているのかと思うと、心が満たされます。生きるって素晴らしい」
「え……」
「貴方にお金を使える事が幸せです。貴方が私のお金で生きている事そのものに意味があり、価値があります。それを間近で見られる婚約者と云う立場、未来の貴方の妻と云う美味しすぎる立ち位置、最高過ぎて墓入りしそうです」
「し、死なないで下さい……?!」
「死にません。貴方を幸せにしたいので」
「……」
「まぁ、そう云う事です」
どう云う事だろう。
ランヴァルトは意味が分からなくて、ぽぁっとエルヴィーラを見つめてしまう。
エルヴィーラは間抜けなランヴァルトに失望するでも、残念がるでもなく、にっこりと、それはそれは幸せそうに笑った。この世全ての幸福を手に入れているのだと云わんばかりの、大輪の笑みだ。
くるり、くるぅり、杯の中で白ワインが踊る。
「世の人々は、自分の為にお金を使います。私も自分の為にお金を使っています。貴方にお金を使う事が私の幸せです。貴方が私のお金で幸せになってくれたら、それでいいのです」
「わ、分かりません。僕にお金を使って、貴方がどうして幸せになるのです?」
「だから云ったでしょう。――貴方が私の“最推し”だからです。推しの幸せこそが私の幸せ。そう云うものなのです」
「そ、う、なのです、か……?」
「そうです。だからランヴァルト様、貴方はこれからも遠慮せず、私の金と云う名の愛を受け取って下さればよいのです」
「え、でも、それではあまりにも不公平では……? 僕ばかり得をして……」
「では笑って下さい」
「え」
「泣いてもいいですし、怒ってもいいです。戸惑うのもいいし、困ってもいい。私に沢山ファンサして下さい」
「ふぁんさ……?」
「具体的に云うなら、これからも私に色々な表情と行動を見せて下さい。私に会う時は目一杯おしゃれして、私に笑いかけて、丁寧に相手をして下さい。夜会の時は片時も離れてはいけません。他の女性と踊るなど以ての外。私の見た目を褒めてくれてもいいですし、ドレスや装飾品を選ぶ時には一緒に居て一番私に似合う物を選んで下さい。お茶会も開いて欲しいです。貴方の精一杯のもてなしで私を楽しませて下さい。観劇や美術品の鑑賞会にも一緒に行きたいですね。市場や公園に行くのも楽しそうです。その時も当然、私の側から離れないように。――そして結婚した暁には、この屋敷に帰って来る私に、必ず「おかえりなさい」と云って下さい。そこまでしてくれたら、最高過ぎて死にます」
「死なないで?!」
「例え話です。死にませんとも、貴方を心ゆくまで堪能するまでは」
「……」
ランヴァルトはかなり混乱している。どう考えても、ランヴァルトしか得をしない条件だ。
「えっと……」
言葉に詰まり、悩み、惑い、目をぐるぐるさせて、ランヴァルトは云う。
「せ、精一杯、頑張ります……?」
「よしなに」
晩餐の席。部屋は広く、テーブルは大きく、けれど二人の距離は近い。
エルヴィーラを差し置いて上座に座るのは無理だと懇願し、公式の場ではないからと彼女が折れて、でも近くで話しながら食事をしたいと云われた。当主の場所にエルヴィーラが座り、机の角を挟んだ近くにランヴァルトが居る。晩餐なのに、家族のような食卓風景。すぐに声が届く場所に、近いうちに家族となる人が微笑んで食事している。
ランヴァルトは「やはり自分だけが得しているのでは、自分だけが幸せなのでは?」と混乱しながら、エルヴィーラの甘い笑顔にくらりと酔った。
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