52.ウミⅡ


 リザードマンと人間の異例の砂漠横断の旅は、滑り出しに反して意外にも和やかに、恙無く進んだ。

 サソリや虫、時折出くわす鳥をウミはなんなく狩り、少ない植物や尿から飲み水を作り、真昼はイグイのために日射を遮る穴を掘り、夜はイグイを担いで走った。

 引き換えに、イグイはウミに他種族の文化や暮らし、そして言葉を教えた。


「公用語は人間の言葉が元になってる。ま、一番人口が多いからな。リザードマンの言葉はなぜか人間の言葉に近い。覚えるのはそう難しくない」

「へぇ」

「おら、話してみろよ」

「そのサソリよォ、毒があるやつだぜ」

「早く言えよ! ちょっと齧っちまった…」


 口からサソリを放り出しぺっぺっと唾を吐きだす。その横でウミは集めた食料を黙々と、吸い込むように平らげていく。

 日は傾き、黒く侵された空に無数の星が瞬き始めていた。


「俺はもういいよ、残りはウミが食え。どうせこれからまた走るんだからよ、腹減っちまうぞ」


 そう言って、イグイは自分の前に分けられたサソリや虫、干した肉をウミの前へと押しやる。


「つくづく盗賊向いてねェ野郎だなァ」

「うるせぇな」

「それァお前ェの取り分だ。食え。夜の間に食わねェと、昼間の熱でやられちまうぞ」

「俺は十分食ったよ、人間ってのはおっさんになると量が食えなくなるんだよ。だのにどんどん腹には脂肪がつくし、髪も薄くなってくるし…はぁ」

「…少し軽くなった方が運びやすいのは事実だな」


 イグイの突き出た腹をまじまじと見て、ウミは差し出された食料を自分の前に引き寄せる。


「水はたくさん飲んどけよ。俺ァ、そこまで飲まねェ」

「自分の小便から作られた水と思うと気乗りしないけどな…」


 動物の皮で作られた水筒からチビチビと水を啜る横で、ウミは追加の食事もあっという間に平らげる。


「涼しくなってきたな。ぼちぼち行くか」

「自分のガキくらいの子供に背負われることになるとは思わなかったぜ…」


 軽く体を解したウミが膝を曲げて構える。

 背中のトゲが刺さらぬよう間に服を挟み、イグイが背中におぶさる。そ羽織った外套の裾をウミの体に結び、落ちないように固定する。

 まるで赤ん坊のような自分の姿にイグイはため息をつく。


「行くぜ」


 砂を蹴り、ウミは軽快に走り出した。


「迷ったりしてねェだろうな」

「してない! こう見えて、実家は貸馬車屋でな。親父に教えこまれて、星を見りゃ方角がわかんだよ」

「ならいいけどよォ」

「とはいえ、お貴族さまのとこに辿り着いてどうする気だよ。その…話してたお友達とやらを助ける気か? 生きてるかどうかもわかんねぇのに。攫ってきたリザードマンは食事が合わないのかどういうわけか早死にしちまうからな…」


 流れていく星、雲、水平線。頬を撫でる風を感じながら、イグイはウミの背中でそう話す。ウミはチラと後ろへ視線を向けたあと、僅かに俯く。


「可能性はあんだ。金の頭に黒の鱗でお前ェがピンと来たってことはよォ」

「まぁそうだが…。そのためにこんな博打打つなんて馬鹿じゃねぇか。故郷まで捨てて」

「…別にあそこが特段好きだったわけじゃねェからな」

「ま、気持ちはわかるよ。若い頃ってのは、故郷を好きになれねぇもんだ」


 イグイはやれやれと、額に手を当てる。「のけぞんじゃねェ」とウミは尾でイグイの背中をパシリと叩く。


「というかそもそも、なんでお前はお友達が攫われたって思ったんだ? 普通は、儀式で死んじまったって思うだろ」

「目だ」

「目?」

「儀式の日、あの家で生まれた男。殺しをしたことのねェ目をしていた。あんな野郎に、アイツが殺されるわけがねェ。まさか攫われてるとは思わなかったが、何かあって生まれる機会を奪われたンじゃねェかとは、考えてた。まさか、攫う奴がいるとは思わなかったけどな」

「二回も言うなよ…。確かに俺らは姑息な悪党だがよ、そこまで悪いことしてるつもりはねぇんだぜ。だってどうせ兄弟に殺されて死んじまうんなら、外に出て生き残る可能性に賭けるのもいいじゃねぇか」

「それで、何人死なせちまったんだよ。貴族とやらの目的も分からねェんだ、大差ねェだろ」

「それは…そうだけどよぉ…」


 それから二人はどちらからともなく黙り込み、やがて明け方近くになるとウミは足を止めた。太陽が出る前に、日射に備えた穴を掘り、その中でイグイは仮眠をとり、ウミは食事に移る。

 昼間の日差しは人間には厳しい。日中、イグイは穴の中で過ごし、ウミは周辺で狩りを済ませ、終わると残りは岩の上で陽を浴びて眠る。

 日が傾き始めると食事をとって移動の準備をし、そうして夜通し走り続ける。


 一日、二日、一週間…二週間。

 砂嵐に遭遇して足止めを食らい、食事を欠いて途方に暮れ、取っ組み合いの喧嘩になりイグイがボコボコにされたりしつつも、二人の砂漠横断は続いた。


 そしてある日の明け方、ウミの背中でイグイが歓声を上げた。


「街だ! 見ろ、ウミ!」


 月光を浴びて白く輝く壁、その内に広がる白亜の街が、砂丘を越えた先に突然現れた。ウミは思わず立ち止まり、細い棘がまつ毛のように縁取る丸い目を、大きく見開く。

 壁の近くで止まり、体に着いた汚れを拭き取り砂を落とす。

「んな目立つ格好じゃ歩けねぇな」とイグイは纏っていた外套をウミの頭から被せる。


「…綺麗な街なんだな」


 ぽつりと、ウミが呟いた。


「世界は、こんなもんじゃない」


 朝になるのを待ってから二人は門を潜り街の中へと足を踏み入れた。


「おい! あんまキョロキョロすんな!」


 早朝の市場の中、二人は足早に進む。できる限り目立たないよう、イグイは人気の無い方を選び進んでいくのだが、ウミにとっては、目に映る全てが見たことの無い、興味深いものだ。

 色とりどりの果物、艶やかに光る大小様々な魚、鮮やかに織られた布、聳える立派な建物、笑顔で会話する人間やエルフ、ドワーフたち…。砂漠では出会えないその全てに、目を引かれ、つい右に左にと進路が逸れる。


「一人でどっか行くな! ここで御用になったらお友達を助けるどころじゃねぇぞ!」


 イグイに叱られ、ようやくウミは新しいものが目に入らぬよう、下を向いて歩き出す。

 やがて街を抜けた先でイグイは馬を繋いだ男に声をかける。そして何か交渉したあとウミの腕を掴んで引いていき、町外れに止まった幌馬車にたどり着くとそこに押し入れ、自身も乗り込んだ。


「本当は宿でもとって一度ゆっくり休んでからがいいんだがな…」


 イグイの恨めしげな声を無視して、ウミは幌馬車の中を見渡す。乗り合いの馬車らしい。乗客は親戚同士らしい複数の男女と、商売人らしい男が二人。それから自分と、イグイだけだった。


「暫く着かねぇ、寝てていいぞ」


 イグイはそう言って腕を組むと、ウミに深く背を預けて欠伸し始める。


「寝ねェよ。その間にお前ェに逃げられたらかなわねェからな」

「はは。お前のがよっぽど盗賊向きだわな」

「盗賊とか、口にすんじゃねェよ、バカがよ…」


 ウミのぼやきは恐らく聞こえなかっただろう。イグイはすぐに盛大ないびきをかき始める。ウミは呆れた顔をして、サソリの干物を口にくわえた。


 -


 馬車は三度止まった。その度に少しずつ乗客は降りていき、最後に止まったのは真夜中の事だった。

 丸一日眠りこけていたイグイは、それでもまだ眠そうに伸びをしながら馬車からおりる。御者に挨拶をすると、ウミを従え、歩き出した。

 鬱蒼と茂る木々に、土の地面。吸い込む空気の匂いが、砂漠とは全く違う。


「ここからは、俺の身内に会っても、アホ貴族のお抱え傭兵に見つかっても終わりだ。気を引き締めていくぞ」


 そう言って手招き、森の中へ踏み込んでいく。

 道のない木々の隙間を、注意深く進む。夜の森の視界の悪さに加え僅かに傾斜があるため、イグイは途中で三回も転び、その度にウミに襟首を掴まれ引き戻された。


「あそこだよ」


 どれだけ歩いただろうか。木の影に身を潜めたイグイが、下の方を指を指した。傾斜を更に下った先。森が開かれ広々とした畑が誂えてあり、その奥には赤い煉瓦で建てられた立派な屋敷が建っている。


「別邸はあそこだ。だがリザードマンはあそこにはいねぇ。森の更に奥にある施設にいる。流石に俺もその施設の場所までは分からねぇ。別邸の使用人でも脅して、聞き出すんだな」

「あァ。世話になった」

「まったく本当に…。ん? 待て、止まれウミ」


 腰を浮かせたウミの尾を鷲掴みにして、イグイは身を乗り出す。


「何か様子がおかしい」


 別邸から細く煙が一筋あがっている。僅かに人の争うような声も聞こえるようだ。よく見れば、屋敷の正門側では複数の松明が右に左にと動いている。


「揉めてんなら話は早ェ、乗り込むなら今だ。じゃァな、イグイ。せいぜいまともな人生を歩めよ。お前は盗賊なんざ向いてねェ、これでも売ってやり直しな」


 そう言ってウミは、欠かさず腰に括っていた小袋をイグイへ押し付ける。


「前に怪我した時にごっそり剥がれた鱗だ。リザードマンは剥がれた鱗をこうして魔除に身につけるんだが…綺麗なもんだろ」


 袋の口を開くと、磨かれた青い鱗が詰まっていた。

 イグイは口をポカンと開き、固まる。その目がじわりと赤くなり、みるみるうちに潤んでいく。


「…息子に会いたくなっちまったなぁ…」


 地面に丸く、シミができていく。


「…もし、攫われてたのが本当にお前の友達で、無事に連れ出せたらよ…。ここからずっと東へ進んで、迷宮都市の方へ行くといい。俺の故郷だ。あちこちから色んな種族が集まる、懐の広い街だ。ちっと物価は高いけどな。そこにある…一番古臭ぇボロ貸馬車屋を頼るといい。……成功と無事を、祈ってるぜ」

「あァ」


 グズグズと鼻をすする年の離れた相棒を前に、ウミは呆れ笑いを浮かべながらその背を叩く。


「じゃァな、また会おうぜ」


 そう言い残し、ウミは斜面へ飛び出す。湿った土の匂いを胸いっぱいに吸い込み、ウミは屋敷へ向け駆け出した。

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