51.ウミ
灼熱の砂を踏み締め、蹴る。極度の前傾姿勢。倒れる前に片足を踏み出す。砂に爪を差し込む。力を溜め、蹴る。燃える太陽の下、熱気を裂いて体は順調に加速を重ねていく。
前方に、標的を捕捉する。禁域の一歩手前だ。砂を踏み締め、跳躍。
こぶのある四つ足の獣の尻に後ろ足の爪を引っ掛け飛びつき、騎乗者を掴むと背後へ投げ捨てた。
無様に転がった男が慣れない手つきで抜いた曲刀を蹴りやり、その首に槍の穂先を押し当てる。
「人間。お前、壁の中から出てきたよな。儀式の日に、何をしてた。手を後ろに組んで砂に顎つけろ」
「な、何もしてねぇ! 迷いこんだだけだ! すぐに帰るから、見逃してくれよ!」
喚きながらも、男は指示に従い燃える砂に膝をつけ、腕を後ろに回す。
「俺たちの言葉が分かんのか。ますますただ迷い込んだわけじゃねぇな。素直に吐けよ。楽に殺してやるぜ」
「……っ」
「だりぃな」
ため息をつき、穂先を太腿に押し当てる。
その瞬間、男は目潰しとばかりに砂を投げつけた。どうやら手のひらに隠して握っていたらしい。そして身を翻すと、わたわたと走り出す。
「知ってるぜ! ここから先へは行けないんだろ? 馬鹿なトカゲ人間が! せいぜいそこで指をしゃぶって…」
そう嗤い振り返った男が見たのは、自身の顔目掛けて振り下ろされる鋭い爪だった。
「でぃひゃぁぁ」
「思ったより反応いいな」
「殺さないでくれー!」
「殺されるって分かって侵入してんだろ、覚悟決めろよ」
「俺だって頭に命令されてやってるだけだ! 自分の意思じゃねぇ! こ、殺すなぁ!」
砂の上に情けなく仰向けに転がったその中年の男は、両腕を真上にあげて涙を流して懇願する。
「なら、全部吐け」
再び槍を首に向ける。
「吐きます! なんでも話しますからー!」
余程の小心者らしい。少し小突くと、男は勢いよく情報を吐き出し始めた。
男の名はイグイ。砂漠周辺で活動する盗賊団の下っ端の下っ端であること。
イグイの所属する盗賊団は、リザードマンの子供を攫い、とある貴族へ引き渡す仕事を定期的に引き受けていること。
リザードマンの言葉は、貴族の元で育てられているリザードマンから教わったこと。
儀式の隙をついて協力者であるリザードマンの夫妻の手引きで壁の中へと入り、子供を攫おうとしたものの、その前に見つかってしまったため慌てて撤退をしている最中に逃げ遅れ、一人取り残されたこと。
「お前ら、十年前にも儀式前の子供を攫ったな。手引きした夫妻は虫飼いか?」
「協力者が何してる奴かなんて、俺が知るか! 十年前の仕事も知らねぇ! その頃俺はまだ妻子と一緒に真面目に暮らしてたんだからな! …いや、今はそんなことどうでもいい! とにかく、おれは何も知らない!」
「攫った子供はどうしてるんだ、無事なのか」
「貴族様の別邸に集められてるよ! 売られたりもしてねぇ!」
「その中に金の冠羽に黒い鱗の兄弟はいるか」
「…っ」
「いるんだな」
男の襟首を掴み立ち上がらせる。周囲を見渡すが、男が乗っていた獣はとうに逃げてしまった後らしく、どこにも姿は無かった。
「仕方ねぇ、徒歩で行くぞ。おっさん、案内しろ」
「どこへ!?」
「決まってるだろ。その別邸とやらだ」
「正気か!?」
男は素っ頓狂な声を上げ、首を大きく振る。
「お前を連れて帰って、俺はこれから盗賊団でどうすりゃいい! 裏切り者だって殺されちまう!」
「じゃあどうするんだ。一人でここから逃れる気か? こんな砂漠のド真ん中、四つ足も水も食料もない状態で」
「お前がそんな状態にさせたんだろうが!」
「俺は砂漠での生き延び方を知ってるぜ。目的地に着くまで、俺はお前を死なせないし、殺さない」
男の目を真っ直ぐに見つめる。
男はブツブツ呟きながら目を泳がせ、薄い頭髪を忙しく撫でる。やがて覚悟を決めたように深く息を吐くと、渋々と頷いた。
「…わかった。でも、途中で気が変わって殺したり、見捨てたりするなよ! 着いた途端に殺すのも無しだ!」
「いいぜ。決まりだな。となると、まずは…」
「おい、何してるんだ。そこは禁域外だぞウミ。侵入者を殺して早く戻ってこい」
砂を踏む音と共に、会話が遮られる。振り返ると戦士の装飾をつけた、黄色の鱗のリザードマンが立っていた。
「…まずは、食料を集めるか」
ウミはそう言うと、足元に転がるイグイの刀を尾で弾き、空中で掴む。そしてこともなげにリザードマンへ振り下ろした。
「は!? 仲間だろ!?」
「そうだ。だから峰打ちだぜ」
刀の峰で頭を強打され、リザードマンは意識を失い倒れ込む。
「早くしねぇと追っ手が来る。監視の連中は塔から全部見てっからな」
そう言ってウミは、倒れたリザードマンの腰に下がった袋を三つ、奪い取る。
「こいつは狩猟番だ。砂嵐に巻き込まれて帰れねぇ時のために食料と水を多めに装備してる。おし、逃げんぞ」
「え」
「方向はどっちだ」
「えっと…あ、あっち」
「走れ」
「人間はお前らみたく砂の上を走れねぇんだよ!」
「ザコが…」
吐き捨てるとウミは男を肩に担ぎ上げ、走り出す。
「後ろ、来てるぞ! 槍みてぇなの構えてる!」
「チッ…」
倒れるほどに前へ傾ぐ。深く踏み込んで、加速。一歩前、自分たちがいたところに突き刺さる槍。
それから数メートル、息継ぎも無しに猛烈な速度で走った後、不意にウミは減速し男を砂へ下ろした。
「おい! もう走らなくていいのかよ!」
「あいつらは禁域外までは出てこねぇ。ここなら槍も届かねえだろ。体力温存だ、この調子で走っていくと全部の食料が半日で尽きるぞ。砂漠越えにはどんだけかかる」
「徒歩で行くなんて途方も無さすぎてわかんねぇよ。本当に…もう嫌だ。勘弁してくれ…」
「おっさんのくせにガタガタ泣き言言うなよ」
「このクソガキが…!」
「クソガキじゃねぇ」
緩くウェーブした黒い冠羽を振るい、振り返る。深い青をした鱗と、赤い瞳。ゾッとするほど端正な顔立ちをした、リザードマンの少年。
「俺の名前は、ウミだ。今日で十五になった。ま、よろしく頼むぜ、イグイ」
くく、と喉で笑うと、鮮烈な砂漠の夕陽を背にウミは尾を揺らした。
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