50.業



 寺院の扉を肩で押し開き、飛び込んだ。


「誰かいねぇか!」


 伽藍とした薄暗い空間に、エンショウの声と荒い息、表の激しい雨音が木霊する。焚き込められた香の甘ったるい匂いと煙が濡れた体に気持ち悪くまとわりついた。

 周囲にも人の気配があり、どこからかすすり泣きや話し声、歌のような奇妙な節が聞こえるが、果たしてその視界に人の姿はない。

 ぞくりと背筋が寒くなる心地がする。


「誰かっ」

「お静かに」


 落ち着かない気持ちで再び上げたエンショウの声を、厳かな男の声が遮った。

 白い煙の向こうから、紫の布を纏った男が静かに現れた。年は三十も半ば頃だろうか。微笑んだような細い目で、膝を着くエンショウを見下ろしている。


「ご用件は」

「あ、な、仲間が、仲間が死んじまったって……うさぎに、なぁ首が、首が切られて、刎ねられちまってても、できるんだよな!?」

「蘇生でよろしいですかね」


 男は、坊主頭をするっと指で撫でながら一同を見渡す。


「冒険者の方々でしょうかね。僧侶の方は」

「じ、自分です」

「はあ。いらっしゃるのですか」


 おずおずと名乗り出たハレに、男は侮蔑とも呆れとも取れない視線を向ける。その空気に一同は思わず身構える。

 しかし、一瞬溢れたその剣呑とした色は次の瞬間には消え失せていた。柔和な表情に戻った男は深く頷く。


「こちらでの蘇生のご利用は皆様、初めてでらっしゃいますね」

「はい…」

「ではお先に会計へ移らせていただきます」

「ちょ、ちょっと待てよ。状態とか見なくていいのかよ」

「ええ」


 男は頷き、床に置かれた麻袋と、血で汚れた布を一瞥する。


「どんな状況でも、我々がやることは一つです。お代をいただき、蘇生をする。ご遺体の状態はさして関係ありません。もちろん、失敗することもあるでしょう。けれど、それは我々には関係ありません。…いえ、我々にはどうしようもございません。全ては、運です。腐乱しかけたボロボロのご遺体が綺麗に蘇生することもあれば、ナイフで一ヶ所僅かに太腿を刺された死後数分のご遺体が灰になることもある」

「…運」


 ハナコが絞り出すように呟いた。その唇は噛み締める余りに真っ白になり、血が滲んでいる。


「それで、いくらなの」


 カノウが尋ねた。


「先程、うさぎの仕業とおっしゃっておりましたね。蘇生のご利用は初めてということですし、凡そ二層辺りを探索されている初心者の皆様でしょうか。ですので、割引させていただきまして、今回は1000Gです」

「っ、1000…!?」

「お高いと申しますか?」

「…っ、仲間の命に関わることだから、そこに文句は言わない。ただ、蘇生は僧侶ならいつかできるようになるものって聞いてたから…だからその、驚いて」

「ははあ。まったくその通り、蘇生など迷宮に潜る者ならば習得できるはずの大したことの無い業(わざ)だ」


 男の雰囲気がガラリと変わる。顔は笑っているが、笑っていない。声から発される威圧感に、全員が押し黙る。


「ならばそこの僧侶が迷宮の中で蘇生を行うが良いとは思わないか? そうだ。それが一番いいに決まっている。我々のような業者に仲間の生死を託すことなく、大切な銭を失うことも無く、全てが丸く収まる。だが、それが出来ないからここにいるのだろう。未熟な冒険者諸君よ」


 何も反論できない。ハレが悔しげに深く俯く。


「だがね、そうだ。蘇生など迷宮に潜り続ければいずれは得られる業(わざ)だ。だから譲歩している。未熟な君たちのために、本来必要な料金より大幅に引いて差しあげている。この対価は本来、迷宮に潜るという覚悟も勇気もなく、地上という安全地帯にいながら、奇跡にだけは縋ろうという連中のためのものだからだ」


 男はハレに近づき、その顔を真っ直ぐに見つめる。


「大事な仲間の生き死にを無関係な第三者に無責任に押し付ける。それがどういうことなのか、"蘇生"という業(ごう)を身につけた時に、思い出すがいい」

「…っ」

「僧侶としての心構えの話かな。ハレは優秀だから、すぐ蘇生なんて覚えられると思うし、何の話かよく分からないけど、心配には及ばないよ」


 カノウはそう言って、震えるハレを男からやんわりと引き離す。


「お金は大丈夫よ。こんな日のために、蘇生貯金をしてきたんだから。少し足りない分は…今日の成果、ヒドラの素材と…ひとまずは私の私物を売って一度工面するわ。ウミが生き返ったら、その分は元気に稼いでもらいましょう。…孤児院の金庫から、預けてあるお金を取ってくるわ。少し待っていて」


 ハナコは言い含めるように皆にそう言うと、寺院の扉を開き大雨の中に飛び出していく。


「蘇生の開始は彼女が戻ってからに致しましょう」


 男が、穏やかにそう言うと煙の中から女性が二人、車輪の着いた台をごろごろと押してやってくる。


「ご遺体は先にこちらの台へ」


 男に促され、カノウが首を台に乗せる。女性のうちの一人が、調整するように首を台の端に移し、その布をさっと外した。

 このような施設でもやはり前例は無いのだろう。女性たちは現れたリザードマンの生首に一瞬ぎょっと目を見開く。

 続いてハレとエンショウ、ヨミチで麻袋を引き上げ、口の紐を解く。

 見慣れた鱗の生えた体の脇に腕を差し入れると、ハレはエンショウが抑える袋からウミを引きずり出す。

 綺麗に両断された断面から目を逸らし、ウミの体へと視線を移したハレはその腹を見て「嘘だろ」と声を上げた。

 その声に顔を上げた面々も、思わず息を飲んだ。

 右腕の爪が、腹部に深々と突き刺さっていたのだ。その姿勢は、まるで腹の中にある何かを掴もうとしているかのように見えた。


「これってまさか、アザマルの…」

「流石にまさかすぎる。首刎ねられてんだぜ、即死だ。あの一瞬でそこまで考えが回って行動に移そうとするなんて流石のウミでもありえねぇ」

「ふ、袋に入れた時に…体勢が悪くて、刺さっちゃったんだよきっと…」


 僅かな沈黙。


「……でも、機会ではある…」


 ハレの呟きに、カノウはハッとハレを見る。


「欠片、取り出すの…?」


 ハレは、目を閉じたウミの生首を難しい顔でジッと見つめる。そして男を横目に見た。


「蘇生の確率に遺体の損壊度は関わりますか」

「どうでしょうね、しっかりと調べたことはありませんから。損壊度の関係が完全にゼロとは言えません。ただ、経験と体感の話で言うならば、首が切断されているのならばもはや何をしても大差はないと言えるでしょう。遺体を燃やしたり、ひき肉にしたりしない限りはね」


 短く、ハレは息を吐く。


「…灰になったら、"全部灰になってしまう"。体の中にあるものは全て…」


 ざりと指先で髭を撫ぜる。


「それならウミはきっと、取り出せって言うと思う」

「血が出る事ならば、運んだ先の祭壇で行いましょう。簡単な刃物でしたらお貸しします」

「…随分用意がいいんですね」

「はい。よくあることですから。お仲間の蘇生のために、そのご遺体の身体を売るなんてことは。無論、我々が推奨していることではございませんが」

「俺らはそんなことしねぇよ!」

「そうですか。これは失礼致しました。とはいえそう邪険になさることではありませんよ。その行為も、彼らにとっては仲間と再び出会いたいという一心ゆえの事なのですから」

「みんなは…いい?」


 覚悟を決めた表情のハレが皆の顔を見渡す。多数決。

 少しの間を置き控えめながら全員が頷き、カノウが代表として「頼む」とハレに頷いた。


「何かなさるのならば、蘇生の前に済ませてしまいましょう。どうぞ奥へ」


 ウミを乗せた台はハレと共に煙の向こうへ消えていく。そして後には再びのすすり泣きと話し声、雨音だけが残った。

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