53.ウミⅢ



 畑を横切り屋敷に近づく。深い夜の中に、人の足音や争う声、押し殺した悲鳴が響いている。

 揺れる灯りと忙しく動く人影が、二階の窓越しに見えた。

 侵入口を探して左右を見渡すと、裏口が開け放しになっているのを見つける。

 裏口の先は、厨房だった。しんと冷えた青い夜が人気のない広い厨房を満たしている。

 足を踏み入れ、棚にかけられた鍋と火かき棒を手に取る。そして、恐らく廊下へ繋がっているのだろう奥の扉へ手をかけた。

 その時、ゴッゴッという篭った鈍い音が不意に背後から響いた。

 すぐさま振り返り、息を潜めて音の元を探す。厨房の隅、薪の置かれている一角、その辺りから聞こえてくることに気が付き、視線は外さないままに作業台に身を隠す。

 土の床。僅かに四角く線が入っている。音がする度に、そこから僅かに土埃があがっている。

 やがて一際大きな音が鳴り、ボコッと言う音とも床が四角く切り取られ、跳ね上がった。隠し扉だ。

 中から、上等そうなシャツを着た若い男が現れる。耳が尖っているところを見ると、恐らくエルフだろう。


「まさか嗅ぎつけられるとは。狂人め…!」


 男はそうぼやきながら這い上がると、ウミに気がつくことなく裏口を飛び出していく。

 恐らく避難用であろう隠し扉の位置を知ってるということは、屋敷の人間で間違いない。

 ウミは立ち上がり、男を追い裏口へ足を向ける。


「そこの人、止まって! 武器を置いて!」


 その時、背後から鋭く声を掛けられた。外套を深く被り顔を隠しながらちらと振り向く。

 大剣を持った背の低い少女が、細く開いたドアの前、漏れ出る橙の灯りの中に立っていた。ドワーフだろうか。日に焼けた肌、ふくふくとした赤い頬。長いまつ毛の下で正義感の強そうな焦げ茶の瞳がこちらを見つめている。

 屋敷の人間か。それと争っているなんらかの勢力か。

 どちらにせよ、ここで足止めを食らうわけにはいかない。近くに積まれている、ずっしりと重い袋のうちの一つを片手で持ち上げる。そして、無造作に少女に向けて放り投げた。


「ちょ、ちょっと!」


 少女は手にした大剣を軽々と横に一文字に振るう。袋が裂かれ、途端、中に詰め込まれていた小麦らしい粉がぶわっと厨房中に広がった。

 咳き込み目を擦る少女に背を向け、ウミは裏口を飛び出す。そして、遠目に森の中を走る男の背を追い、足音を消して走り出した。


 -


 入り組んだ森の中を走る男の背を、間を空けて追う。逃走にしては足取りに迷いがない。目的地は、イグイの話していたリザードマンがいるという施設だろう。

 男が、木と木の隙間、狭い空間を走り抜ける。途端、その姿が消えた。


「は?」


 寸前で立ち止まり、周囲を見渡す。男の息、足音、姿、全てが消えた。尾行に気が付き身を隠したにしても、あまりにも一瞬すぎる。となれば、この木に何か仕掛けがあるに違いない。

 不可解に思いながら、ウミは木と木の間を恐る恐る通り過ぎた。

 瞬間、景色が変わる。森の中に、高い鉄柵に囲まれた運動場が現れる。その向こうに石煉瓦で作られた無骨な建物が建っていた。

 走っている最中にも、木の間を通る前にも、こんなものは見えていなかった。


「魔法か」


 イグイに教わっていた知識がよぎる。どういう理屈なのかは検討もつかないが、外からその存在は隠されていて、特定の入口以外からは出入りできないようになっているのだろう。


「サラネル様! つけられてます!!」


 野太い声。運動場の周りに立つ武装した四人の男たちが、ウミに気がつくと一斉に駆け出してくる。

 先頭の男が振り下ろした棍棒を避け、腹を蹴りあげる。その勢いのまま足を斜めに振り下ろしすぐ後ろの男の首を踵で打撃。

 慌てて突き出された剣を避けると、尾で足を払って残りの二人をまとめて転ばせる。


「り、リザードマン…!? ぐぁッ」

「退け、殺すぞ」


 倒れて呻く男たちを踏み越え、男…サラネルを追い建物へ駆け込む。

 両開きの扉を開いた途端、待ち構えていた男たちがウミに襲いかかった。

 乱闘になる。

 体を殴られ、斬りつけられながらも、ウミは手にした鍋を盾、火かき棒を武器に立ち回る。


「あー…だりィ…」


 肩に強い一撃を受け、思わず膝を着く。ボタボタと血が滴った。途端、用心棒のうちの一人が背後から組み付きウミを床に押さえつけた。乱闘の最中に折れ曲がった火かき棒が床を滑っていく。


「こいつ…生き残りだっていうリザードマンか?」

「違う! こんな顔じゃなかった!」

「蛇の刺客だろう。あの狂人、自分もリザードマンを飼ってやがった」

「だとしたら、残りの連中がここに来るのも時間の問題か」


 蛇。そう呼ばれている人物が、どうやら館の人間と争っているもう一つの勢力であるらしい。

 どう切り抜けるか、思考しながら周囲へ視線を走らせる。その目が、無機質な部屋の隅へ、吸い寄せられた。

 縄のようなものに、火がついている。火は縄を焦がしながら徐々にその長さを縮めていく。縄の先は、床のタイルの下へと続いていた。


「おい、それ」


 嫌な予感がし、口にした瞬間だった。火が、床下へと潜り込んだ。

 途端、爆音が全身を貫き、視界が真っ白になった。空間が、阿鼻叫喚の地獄になる。

 体を抑える力が緩んだことを感じ、ウミは尾を鞭のように振るい自分を抑える男の後頭部を強打する。

 勢いよく起き上がり、目を瞬かせる。もうもうと立ち上がる煙、辺りから聞こえる呻き声。


「クソ、サラネルの野郎…口封じに…俺達も巻き添えにしやがった…」


 どうやらサラネルという男は目的の為ならば手段は選ばない性らしい。

 急がねばならない。助けを求めて縋ってくる男の腕を振り払い、煙の中へ飛び込む。そしてその先へ続いている廊下へ一直線に走り込んだ。


 -


 窓も、装飾品も何も無い。炎の燻る音と黒煙を纏いながら、冷え冷えとした殺風景な廊下を進む。

 角を曲がると、格子の嵌ったドアの並ぶ廊下に出る。一つ一つ覗いていくが、中には誰もおらず、誰かが生活していた形跡すら見当たらない。

 既にどこかへ移された後なのかと焦燥感に駆られつつ行き着いた廊下のドアを開け、足をピタリと止める。

 突き当たりの部屋に、見覚えのある男が足早に駆け込むのが見えた。厨房から飛び出した男…サラネルだ。

 走り出す。途端、背後で爆発音。振り向くと、歩いてきた廊下が吹き飛ばされ、落ちた天井から夜空が見えている。


「おいおいおい…」


 崩落に巻き込まれないよう、全力で走る。

 突き当りの部屋にたどり着く。"アザー"と札のかかった大部屋だ。中は格子の嵌った窓が一つだけあり、簡素なベッドが複数並んでいる。が、そのほとんどに使用感は感じられなかった。

 ただ一つ、最も奥に置いてあるベッドにのみ服らしき布が掛けられていて、誰か使用者が存在していることを感じさせた。

 歩き回り、サラネルを探す。が、再びサラネルは魔法のように姿を消していた。どういうことだとベッドの下を覗いていると、背後でパキッと石片を踏み割る音。

 振り向くと、サラネルが息を潜めて大部屋から出ていこうとしているところだった。追われていることに気づき、入口付近で身を隠していたのだろう。


「てめェ、待ちやがれ!」


 駆け寄り、サラネルの細い首に手を伸ばし…掴もうとした手が横から弾かれた。

 痛みと共に、血が飛び散る。見れば腕に、三本の傷が出来ている。


 爪か。


 察した瞬間、サラネルの背後からウミの喉目掛けて槍が突き出される。咄嗟に突き出した手でそれを受け止める。深々と手のひらを貫く穂先。

 更に押し込まれようとする槍を、傷を負った手で握って抑える。


「ぐっ」


 肩の傷が痛む左手も使い槍をどうにか止めると、膝で柄を蹴り折る。そして身を翻して一度距離をとり、向き直った。


「アザー! そいつを殺せ!」


 叫ぶサラネルを庇うように、折れた柄を持った痩身のリザードマンがウミの目の前に立ちはだかる。

 金の冠羽、黒の鱗。

 あの頃と変わらない月のような金の瞳が、こちらを真っ直ぐに睨んでいた。

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