48. みんな対…



 手も、足も、凍りついたように固まり、動かない。狭い頭の中で思考ばかりが空回り、奔流する知識に目が回る。頭は焼き切れそうに熱いのに、全身は震えるほどに冷めきっていた。


 ただ、見開いた目が、現実を克明に焼き付ける。


 突き刺したピックは、感電の衝撃でどこかへ吹き飛んだらしい。地獄の門の入口の如く、ぽっかりと開いたヒドラの口がハナコ目掛けて迫り来る。


「…たすけ、」


 引き攣った声がか細く喉から上がった。その瞬間、腹にかかった強い衝撃。ヒドラの口が閉じるガチンッという音を、遠くに聞いた。


「っはぁ〜間に合った〜!」


 頭上から、脳天気な声が降り注いだ。体に感じる軽やかな振動。予想した痛みがこないことに、恐る恐る瞼を開く。


「ハナちゃん! 大丈夫!?」


 視界に現れる赤毛と、爽やかな空色の瞳。


「…エンショウ?」

「おうよ! 復活したエンショウです!」


 ハレの治癒が間に合ったのだ。

 服は血で汚れ、大穴も空き酷い有様だが、エンショウ本人はすっかり回復したらしい。危機一髪で助けたハナコを横抱きにし、その身長差をものともせず、小柄な体で足音もなく軽快に走る。


「ちょっと揺れるぜ!」


 頭上から空気が抜けるような独特なヒドラの鳴き声が聞こえた。エンショウは前に大きく飛び出す。背後で響く轟音。


「っと、しつけぇな!」


 恐らくもう五感のほとんどが失われているヒドラは、それでも敵を殺そうと当たり構わず破れかぶれに突進、頭突きを繰り返す。

 天井から落ちてきた大きな破片を飛んで避け、頭突きを躱し、振るわれる尾から全速力で逃げる。

 エンショウの息が荒くなる。治癒により大量にエネルギーを消耗したばかりだからだろう。


「下ろして、私が魔法でどうにか動きを止めるわ」

「ダメだ…っ! ハナちゃん…、今日、何回、魔法使った? そろそろ、限界でしょ…って、ハレが…」

「そうだけど、でも…」

「うおっ!?」


 床の瓦礫に足を取られ、エンショウはバランスを崩す。どうにか自分の体を下敷きにハナコを庇い、慌てて顔を上げる。目の前にあるヒドラの頭。

 ハナコを抱え腕で頭を覆った。


「悪ィな、待たせた」


 爪が石の床に触れる軽やかな音。


「ウミ!?」


 トン、と隣に立ったウミは、突進してきたヒドラの頭に、カノウの槍を思い切り斜めに振り下ろした。

 鈍器と化した重い槍はヒドラの頭をかち割る。


「もぉ〜死ぬかと思ったよぉ…」


 カノウの大盾を両手で握り構えたヨミチがエンショウの前に立ち塞がるように現れ、よろめくヒドラの頭を更に反対から殴り倒す。


 ウミが槍を構える。そして、ヒドラの懐まで一息に駆けるとその胸へ向かって真っ直ぐに突き刺した。


 ついにそれがトドメとなったようだ。

 ヒドラは、どうと音を立てて地面に沈みこむ。だくだくと赤黒い血が胸の傷から溢れ、大きな血溜まりを作った。

 ウミは槍を引き抜き、伺うようにその顔をじっと見つめる。しかし、ヒドラが起き上がってくることは、二度と無かった。


「二人とも…」


 ウミとヨミチの背中にハナコが声をかけた瞬間、背後から何かに飛びつかれよろめいた。

 咄嗟に身構えながら振り向くと、涙と鼻水を垂れ流すカノウがハナコの肩にしがみついていた。さらにエンショウがヨミチとウミの背中に飛びつく。


「ハレ!」


 エンショウの声に、皆がハレを振り向く。

 皆の治癒と解毒をたった一人で無事に終わらせきったハレは、よろよろと歩きエンショウの肩にどっと寄り掛かると、疲れきった顔で微笑んだ。


「ハナちゃん"! 私、足が遅くてごめ"んね"…!」


 突然、カノウはそう言ってハナコの袖に縋る。困惑するハナコに対し「あー…」とエンショウは口を開いた。


「さっきハナちゃんがピンチの時、カノウも走り出してはいたんだわ。全然間に合ってなかったけど。筋肉ダルマだから基本走んの遅いんだよこいつ」

「ごべんね"…!」

「いいのよ。その前に一度、ヒドラの攻撃を受け止めて助けてくれたじゃない」

「でも"ぉ…!」

「ま、反省会とかしだしちゃったら俺たちは本当に…な?」


 エンショウがウミとヨミチの間に立ち両肩に手を回そうとする。しかし極端な身長差のせいで背伸びをしてウミの首にぶら下がっているような形になる。


「そうね。言いっこなしね」

「うんうん」

「まぁもう、俺らみんなさ。みんなありきで、自分ありきってこと…だよな」


 格好つけた仕草でエンショウが言った言葉に「どゆこと?」とヨミチが眉を顰める。


「まあ、何はともあれ……ウミ!」


 カノウは、涙で真っ赤に腫らした目でウミを見た。

「あァ」と頷いたウミを囲み、全員が輪になる。

 カノウが出した手に合わせて、皆も右手を出していく。

 白く細い手、小さくとも力強いマメだらけの手、鱗と鉤爪の生えた手、節ばった大きな手……──

 目配せをしあう。意味もなく、笑いあってしまう。そわそわと待ちきれない気持ちで、ウミの顔を見る。

 ウミはたっぷりと息を吸うと、大声を張り上げた。


「タイニーヒドラ、討伐完了」


 喜びの雄叫びが、暗い部屋の中に明るく響いた。



 -



 存分に休憩をとり、全員が調子をばっちり整え終えると、一行はようやく大扉を後にした。

 未だ興奮冷めやらぬ一同は、互いの働きを称えあいながら賑やかに迷宮を歩いていく。


「毒だけは本当に二度と嫌だなぁ…。うわ! 今、僕死んじゃったんだ! って感覚があったもん」

「感覚あんなら生きてんじゃん」

「読解力のないお馬鹿〜♡」

「俺なんて毒針、もう何回食らったかわかんねぇぜ?」

「エンショウは罠解除もうちょっと上手になって。あと、毎回解毒してるハレにお礼言って」

「正直なこと話すと、度重なるエンショウの毒治療のお陰で今回かなりスムーズに解毒を行うことが出来ました」

「実はここまで見越してたんだよなぁ〜!」

「エンショウ、殴るよ」

「そう言えば、どうして二人は最後、カノウの武器を持っていたの?」

「俺ら自分の武器、どっかやっちまってたからよォ」

「全力ダッシュの末に冗談みたいに大ゴケしたカノウちゃんの脇から咄嗟に拾って行ったんだよぉ」

「エンショウに予備の武器持たせといて良かったなァ? 帰り道も手ぶらじゃなく済んだ」

「よっ!プロの荷物持ち!」

「褒めてねぇからそれ!」

「プロの盗賊だと褒めてることになるのかしら?」

「罠解除、下手なのに?」

「そもそも"盗賊"って名称をどうにかしてぇって俺はずっと言ってる」

「あ〜あ、お腹減ったねぇ。今日の夕ご飯どうしよっかぁ?」

「急に興味無くすじゃん」


 そんなことを話しながら大通りを歩いていると、ふとエンショウが前方でもそもそと動く何かを見つけた。


「わ、なんかうさぎいんだけど」


 白くてふわふわとした小さな生き物が、数匹鼻をヒクヒクと動かし、無防備に辺りを嗅ぎ回っている。

 先程まで対峙していた巨大な化け物を思うと、そのあまりにも頼りない可愛らしい姿に、つい顔が綻んでしまう。


「ああいうのならよ、迷宮内で遭難した時も食べられそうだよな」


 治癒のせいで空腹なのであろうエンショウが、腹をさすりながら言う。


「まぁ、多分ただのうさぎだろうしね」


 カノウとエンショウが、パイ、丸焼き、スープ、と食べたいうさぎ料理をどんどんと口にしていく。

 先頭に立つウミが、「腹減るからやめろォ」と呻いていつものように武器を構えた。


「うさぎさん殺しちゃうのぉ…?」


 ヨミチがきゅるんっとした顔でウミを見るが、ウミは無視して地を蹴り飛び出す。

 ヒドラすら翻弄した、リザードマンの脚力を存分に活かした跳躍。両手に持った剣を翻し、無垢な顔をしたうさぎに向かって真っ直ぐに向かっていく。


「…ねぇ。カノウさ、前にうさぎがどうとかって話してなかったっけ…」

「私? なんか話したっけ?」


 浮かない顔のハレに尋ねられ、追撃のために武器を構えたカノウは首をひねった。


「一番初め、迷宮に入って遭難した時…」

「んー…なんだっけ……?」


 ヨミチが駆け出す。カノウも、頭の中で当時の会話を思い起こしながら、それに続く。

 ウミの赤い瞳が、うさぎを捕える。白く細い首目掛けて、刃が振るわれる。


「あ」


 カノウがはたと、目を見開いた。


「そうだ、首を、」


 肉が裂かれ、骨が絶たれる音。

 おびただしく噴き上がる血飛沫が、迷宮の石壁を鮮やかに汚す。


「………ウミ?」


 虚ろな声が、迷宮の床へとぽつりと落ちた。












 死は。


 己に降りかかる死は、劇的で英雄的で鮮烈なものであると。


 心のどこかで、愚かにも信じ込んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る