47.みんな対"毒"
ヒドラの吐いた毒を直に吸い込んだヨミチとウミが、相次いで地面へと落下していく。
「エンショウ! 毒! 口覆って!」
カノウが叫ぶとエンショウの首が苦しげにもたげられ、顔が腕で覆われる。
金色の瞳の頭が、エンショウを口にしたままイライラと首を振る。
どうやらヨミチが落ちる前に歯の間に差し込んだ盾のせいで口が上手く閉じられず、ヒドラはエンショウにトドメをさすことも、丸呑みにすることもできずにいるようだった。
不幸中の幸いである。が、ヒドラに毒を吐かれたらその時点で終わりだ。出血量もある。悠長にはしていられない。
「私はウミとヨミチをこっちに引っ張ってくる。二人は…エンショウをお願い」
「……わかった」
カノウは真剣な顔で頷くと、ヒドラの隙を見て勢いよく走り出す。
「…さて、どう助けましょう」
ハナコは冷静に口を開いた。
「どうにか…ヒドラの頭を下に留めて置けたら…」
「凍らせたら動きは止まるでしょうけど、エンショウごと凍ってしまうから、助けるのは難しくなってしまうわね」
「どうにか物理的に…抑える方法…そうだ」
ハレは、ハナコの腰に巻かれたウィップを見て手を打った。
その時だった。ヒドラの尾が二人目掛けて叩きつけられた。
とっさの回避もとれず立ち尽くしていた二人だったが、幸いにも尾の狙いは外れ、すぐ側の床を抉る。
二人の背に冷や汗が伝う。
「…普段どれだけ前衛に助けられてるかって話だわ」
そう言ってハナコは、グッと顔を強ばらせる。
金の瞳の頭は、ハレとハナコに向かい威嚇の声を上げ、突進の姿勢をとった。
「ハナコちゃん、武器借りるね」
ヒドラから視線を逸らさずそう短く言うと、ハレは手にしていた重いピックを放りワイヤーと革で出来た頑丈なウィップをハナコの腰から抜き取る。
「さっきは不意打ちだったけど…!」
案の定突っ込んできたヒドラの首を、待ち構えていたハレは巨体を屈めてどうにか避ける。
「は、ハレ…」
苦しげに呻くエンショウがすぐ側にいるハレに手を伸ばす。ハレは力強く頷き返すと、ヒドラの歯と歯の隙間に素早くウィップを噛ませ、巻き付ける。
ハレに噛み付こうとヒドラは暴れながら口を大きく開く。
「ハナコちゃん、ピックを…!」
「理解したわ」
意図を察したハナコはハレの足元に落ちているピックを両手で持ち上げると必死で腕を伸ばしヒドラの口の中に縦に突き立てた。
歯のうちの一本が、細く白いハナコの腕を傷つけ血を流させる。
腕力が足りず浅くしか引っかからないが、混乱したヒドラが抵抗のために口を閉じたためそれは舌を貫き上顎と下顎に深く突き刺さる。
顔を持ち上げてヒドラは逃げようとする。それを、ウィップを手綱のように引きハレが阻止した。
世にも珍しいフェアリーとヒドラの力比べである。その隙にハナコはエンショウを助けようとヒドラの口に手を差し入れる。
「エンショウ、起きなさい。エンショウ!」
エンショウを持ち上げて歯から引き抜く力はハナコには無い。どうにか自分で起き上がってもらおうと頬を強く叩く。
「ハナちゃん…」
「そうよ。起きなさい。起き上がるの。分かる? 起きて!」
朦朧とする意識の中で、エンショウはハナコの言ってる意味を理解しようと顔を歪ませる。
「起きる…」
「そう! 死にたくないなら起き上がってそこから出てきなさい!」
ハナコが手を伸ばし、エンショウの手を握った。
エンショウの瞳に、光が戻る。ふーっ、ふーっと荒い息を繰り返しながらエンショウは肘をつく。動く度に腹の傷からジワジワと血が流れ出す。
ヒドラの頭を抑えるハレの腕からパキッという音が鳴り、ガクンとヒドラ側に大きく引っ張られる。
フェアリーの体に不釣り合いな立派な筋肉。しかし持って生まれたフェアリーの骨は軽く、脆い。
「せ、背骨折れたら終わりだ」
ハレが呻く。治癒を使い、折れる骨を端から治しながら、途轍もない痛みに耐えハレは全身でヒドラを引き止める。
ハナコは握った手に力を込める。上体を起こしたエンショウは、悲鳴をあげながら、自身の腹を歯から引き抜いていく。
「保たない…っ」
ハレの全身からパキパキと嫌な音が立て続けに鳴り、ヒドラが一際に強く上体を反らした瞬間だった。口からずるりとエンショウが滑り出た。
「助けたわ!」
ハナコが叫ぶ。ハレがウィップから手を離した。突然拮抗する力の無くなったヒドラは仰向けにひっくり返る。
「こっちも二人ともギリギリ生きてる! 今そっちに連れて行く!」
土煙の向こうからカノウの声が返ってくる。ホッと息をついたハナコの横で、ハレはふらつきながらエンショウの腕を掴み、崩れた石壁の大きな破片へと足を向けた。
「さて…私が頑張る番ね」
毒を吐いて以来、ぐったりとして動かない銀の瞳の頭。瀕死の片割れを庇うようにますます凶暴になる金の瞳の頭。
敵意に満ち満ちた金の瞳と目が合う。
魔力を練り始める。させぬとばかりにヒドラはハナコに向けてその首を伸ばす。
「せっかちなんだから」
ハナコはぼやき、腰のカバンから小さく折り畳まれたスクロールを取り出し、投げつけた。小さな火柱が五つ。ヒドラは驚いたように大きく横に避ける。
それに引っ張られた。意識の無いウミとヨミチを担いで走るカノウの目の前に、バランスを崩した銀の首が落ちてきた。
それにより金の首が、毒で捉えた獲物が自分の足元から離れていることに気づいた。
「クソッタレ!」
カノウが叫び、ヨミチとウミから手を離し、盾を自身の前で構え突進に備えた。
しかしハナコの視界からはヒドラの、ピックが刺さり開け放しになった口から、白い煙が漏れているのが見えていた。
「違う、毒よ!」
ハナコの声にハッとしてカノウは慌てて盾を背にしてウミとヨミチに覆い被さる。
全てがスローモーションのように見えた。ヒドラが大きく息を吸う。そして、カノウの背に鼻先が触れるほどに顔を近づける。鏡のような盾の表面に、歪んだ金の一つ目が映り、そして──
「凍れ!!」
魔力を集め、圧縮し、得意の魔法をハナコは放った。
ヒドラの全身が氷に覆われ、動きが止まった。
「今のうちに急いでカノウ!」
ハレの声に、カノウは盾の下から伺うように顔を出す。そして状況を把握すると飛び起きて、土気色の顔をしたウミとヨミチを抱えると、再び走り出した。
「痙攣してるし泡吹いてるし助かるのこれ、ねぇ大丈夫!?」
「分からない、一刻を争う…そこに寝かせて…」
「ハレ、怪我してるじゃん…! どうしたのそのぐにゃぐにゃの腕!」
「こっちは死ぬほど痛いだけだから大丈夫…それより、カノウはエンショウ起こして。傷は治ってるのに意識が戻ってない」
「エンショウ! 起きて! いつまで寝てんのこのバカ!」
喧騒を背に、ハナコはヒドラを見つめる。
周囲に残るスクロールの炎にあてられ、ヒドラを覆う氷は見る間にどんどんと溶けていく。尾が、ゆらりと動き、石壁を一度叩いた。
魔力測定器を発動させる。
数字を読み解き、最も魔力が溜まっているところから魔力を巻きとっていく。
他の魔法使いより劣っている自分には見えず、感じられないもの。しかし、いつだって数字は嘘をつかないのだ。指先を動かすと、表示されている数字が変異する。魔力はハナコの意思に応えている。
「…思い出して。大丈夫、原理は嫌という程分かっている。スクロールを作る時と同じ、丁寧に一つずつ…書き上げるように組み上げていくの…」
炎とも、氷とも違う手順。
パチッという軽やかな音が指先で鳴る。それを合図に、大きく魔力を注ぎ込む。バチバチと空間が割れるような音が鳴る。
「…小さくてもいい。大丈夫。あれだけ的は大きいのだから」
ヒドラを覆っていた氷はそのほとんどが溶け、足元の水溜まりとなっている。ヒドラはシューシューと怒りの声を上げている。
ヒドラの瞳が、転がる無数の獲物と、その前に立ちはだかる細く弱々しい人間の女の姿を捕える。赤い舌がチラチラと動く。
「集中」
ハナコは自分に命じる。ヒドラは攻撃姿勢をとる。その口から、白い霧が漏れ出る。吸ったものを即座に昏倒させ、やがて死に至らしめる、毒。
指先を、ヒドラへ向けた。息を短く吸った。
「走れ!」
ハナコの指先から青白い火花が散る。次の瞬間、それは空中を走り、瞬き、全身を溶けた氷でしとどに濡らしたヒドラの体に触れた。
壮絶な破裂音。
「……成功」
雷の魔法。濡れた体でそれを食らったヒドラは一瞬で感電し、全身から煙を上げながら動きを止めた。
どうと音を立てて瀕死だった銀の瞳の首が地に倒れ伏す。
金の瞳の首も、後を追うようにふっと力を失って倒れ込んだ。
ハナコは深く深く息をついて、膝に手を当てた。
どうにか、魔法使いとしてパーティーの役に立てた。
自分の邪魔をし、その夢を阻む男たちの妨害を真っ向から打ち砕いたのだ。
喜びに口を弛める。達成感を感じながら、顔を上げた。
目の前に広がる、黒焦げの竜の顔。
「…え?」
白く濁った目と、目が合う。鼻腔を駆け上がり、胃を刺激する異臭。
焼け、捲れ、爛れた口内と、鋭い歯が視界いっぱいに広がった。
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