46.みんな対ヒドラ


 靴紐の結び目。ベルトの弛み。武器の刃こぼれ。互いの状態を一つ一つ確認し合い、調整していく。

 それが済むと小さな円陣を作り、顔を見合わせて向かい合う。


「作戦通りに」


 短いウミの言葉。

 頷く面々の表情に、迷宮に潜り始めた頃の鈍さは無い。


 大扉に手を触れると、刻まれていた彫刻に光が走った。土埃と轟音を上げて扉はゆっくりと開かれる。

 それぞれに武器を握った一同は、互いに目配せをし合うと暗い室内へと飛び込んだ。


 前衛、カノウ、ウミ、ヨミチ。後衛、ハレ、ハナコ、エンショウ。

 並びは崩さずに、一撃での壊滅を避けるために直ぐに左右に大きく広がる。


「全然蛇じゃないじゃん〜! 竜だよこれぇ!」


 ヒドラの姿を一目見た瞬間、ヨミチが悲鳴をあげた。途端、声につられて石柱のような太さの首が猛スピードでヨミチへと突っ込む。


「正式名称はタイニーヒドラよ。ドラゴンではないわ」


 冷静にそう言うと、ハナコは魔力測定用の魔法具を展開し、魔力の流れを数字で見ながら炎を練りあげ始める。


「そういう話じゃなくってぇ…」


 突進を避けたヨミチが、バランスを崩してコロコロと転がりながら唇を尖らせる。

 その尻に足をかけて止めると、エンショウは壁にめり込んでいるヒドラの頭をボウガンの銃床で思い切り殴り、更に顔に向かって矢を撃ち込んだ。

 思わぬ反撃にヒドラは首を引き、体勢を整える。


 ハナコが安全に準備を整えるために、ヨミチとエンショウでヒドラの意識を割く作戦はまず成功に終わる。


 ハナコの展開する火炎により、室内はぼんやりと明るくなる。光に照らされ、ヒドラの全身も顕になる。


「でも本当に…竜って感じ」


 その姿を見て、カノウは息を飲んだ。

 そう広くない部屋の奥に、押し込められるようにして、鱗に覆われた双頭の生き物が鎮座している。

 下半身はいかにも蛇であるが、二つあるその顔は蛇というより、想像の中の竜そのものであった。向かって左の顔の瞳は金色、右の顔の瞳は銀色。それぞれがジッとこちらの動きを観察するように、小刻みに動いている。


「撃つわ」


 ハナコが仕掛ける。

 限界まで膨らませた火炎が銀の瞳を持つ右の顔に叩き込まれる。煙と共に、金属を擦り合わせるような掠れた悲鳴が上がり、苦しげにヒドラはのたうつ。


「魔法は問題なく効くようね。ありがたいわ」


 再び魔力を練ろうとしたハナコへ、無傷である金の瞳の顔が襲いかかる。

 そこに、回り込んで助走をつけていたウミが地を蹴って横から飛び出し、顔に縋り付くと片目へ剣を突き立てた。

 ウミを振り落とそうとヒドラは首を激しく振るが、両手両足の鋭い爪を鱗に食い込ませたウミはビクともしない。剣を抜くと、目に更に二回、三回と突き立てる。

 怒り狂ったヒドラは地面にウミを叩きつけようと顔を急降下させる。叩きつけられる寸前にパッとヒドラの顔から離れ地面に着地したウミは、流れるような動作で再び剣を抜き、横たわる首へと思い切り振り下ろした。ぱっくりと傷が開き、浅く血が吹く。


「流石だぜウミー!」


 歓声をあげながらエンショウもボウガンを構え、未だにプスプスと煙を上げている銀の瞳の頭に撃ち込む。

 一本目は鱗に阻まれ、二本目は目のすぐ上に突き刺さる。三本目は尾に叩き落とされたが、その隙に展開していたハナコの火炎が再び銀の瞳の頭を襲う。怒りの、金切り声。

 両方の首がハナコに狙いを定め、仕返しとばかりに左右から突っ込んでくる。


「止めるよ!」


 すかさずカノウはハナコの前に立ち塞がると、両手に持った分厚い盾と大きな槍を左右に広げ、ヒドラの双頭を見事に一人で受け止めきる。


「ふんッ!!」


 普段は柔らかな二の腕や腿に、筋肉が盛り上がる。地面にヒビが入る程力強く足を踏み込み、力押ししようとするヒドラの首を大きく押し返すと、盾を勢いよく突き出して左の顔の鼻面を殴り、怯んだところを槍で追撃する。

 自分を抑えていた槍が消え、自由になった右の顔が、尖った歯を剥き出しにしてカノウに食らいつこうとする。その首に、背後から駆け寄っていたウミの剣とヨミチのナイフが左右から突き刺さった。

 血が噴き出す。太い血管に傷がついたようだ。


「エンショウ!」

「うーい!」


 ウミの合図で、エンショウが腰に差していた剣をウミへと投げる。器用にそれを受け取ると、ウミは苦しげに暴れるヒドラの脳天に剣を追加で深く突き刺した。


 果たして、痛覚は共有されているのか。


 カノウと一進一退の攻防を見せていた金の瞳の頭が、片割れの怪我に同調するように鳴き声を上げて首をもたげる。つられるように、ウミとヨミチの追撃を受けていた瀕死の銀の瞳の頭も持ち上がる。


「魔法を……いや待て。…ハレ! 避けろッ!」


 金の瞳の頭が、前触れ無しに倒れ込むようにハレへと突進した。


「…ぐ」

「ハレ!」


 体当たりが直撃し、ハレは壁との間に挟まれる。苦しげなハレの口の端から血が一筋零れた。

 すかさずカノウが槍を構えて走り出す。しかしヒドラはそれに気がつくと首を横に薙いでカノウを押し飛ばそうとする。


「お、おぉぉ!?」


 構えていた槍がヒドラの首に深く刺さる。轢かれぬよう槍の柄に慌ててぶら下がったカノウは、首の軌道上にいるハナコに気がつくとヒドラの首を蹴って飛び出し、ハナコを突き飛ばす。


「エンショウくんの方にも行ってるよ!」


 胴の近くで薙ぎ払いを避けたヨミチはエンショウに声をかけた。


「うお、わ、わ」


 エンショウは石壁の僅かな出っ張りに足を引っ掛け壁をのぼり、首を避ける。が、ヒドラは頭上にいるエンショウに気がつくとすぐに首を持ち上げてエンショウへ向けて更に突撃する。


「や、やべぇ…!」


 更に上へと慌てて逃げようとしたエンショウのその胴に、ヒドラが噛み付いた。柔らかな腹に太い牙が刺さり、血が滴る。


「エンショウ!」


 ウミとヨミチが、エンショウを助けるために太い首をかけ登っていく。


「い、いでぇ"、し、死ぬ…!!!」


 エンショウの悲鳴があがる。

 先に頭に辿り着いたウミがぐったりとしたエンショウへと手を伸ばし、その後ろのヨミチが腰に下げていた鉄の盾をヒドラの口にねじ込み、無理やり開かせようとする。


「息を止めろーッ!!」


 その時、地上からカノウの叫び声があがった。


「へ?」


 ヨミチが下を見れば、ハナコとハレも何かをしきりに指さし、叫んでいる。


「なに……」


 指さす方を振り向いた。


 目の前に、口を開いた銀の瞳のヒドラの顔があった。


「……ッ!!」


 慌ててナイフを顔の前に構える。


「違う! 毒だ!!!!」


 開かれたヒドラの口から、白い飛沫が煙のように吐き出された。

 途端、視界が真っ赤に染まり、上下の感覚が失われる。

 背後で、ウミの呻き声が聞こえた気がした。

 プツンッと何かが切れるような音が、頭の中で鳴る。


 暗転。

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