39.緊急事態は突然に
「これから先、もっと深くに潜ったら、いちいち地上に戻るの大変でしょ。だから最悪、迷宮内のモンスターを食べて野宿とかの可能性もあるのかなって思ってたのね。まぁ野宿までは行かなくても、ウミが動けなくなる前にモンスターをうまく料理して食べてもらえたらな〜とか。ウミの腹時計に合わせてると探索時間の制限がキツイってわかったからさ。最近はお弁当持ち込んでもらってるけど、それでも足りない時の、奥の手として」
「くっせぇ〜〜!!!!」
エンショウが鼻をつまんで叫ぶ。猛烈な悪臭を漂わせ、一行の前に現れた、新手のモンスター。
「この先潜るほどこんなのばっかになるんだったら、ちょっと厳しそうだよね」
「言ってる場合か!」
ヘドロで出来た、溶けた犬らしき生き物。それが「ワン!」と甲高い声で無邪気に鳴く。瞬間、悪臭がさらに広がりエンショウは「お"え"」と汚い声を上げた。
「隣の猫も食べられそうには無いわね」
ハナコが鼻声で指をさす。悍ましい見た目のヘドロ犬の横にいるのは、可愛らしい猫である。が、その体表に毛は生えていない。何か、金属的な素材でできているように見える。
「すごく"物"っぽいけど、また実験で投げ込んだ魔法具じゃないよね?」
「うちの研究室産では無い気がするけど、自信はないわ。まぁ、魔法具の研究をしている施設なんてあちこちにあるし、個人で作った愛玩用の魔法具が野良化したって可能性もあるし。最近だとメタルハムスターが…」
「いいから早く殺せよ! 前衛!」
ハレに背をさすられるエンショウが、ハナコの話に耳を傾ける前衛三人に向けて喚いた。
その声を合図に振るわれたウミの一太刀が、ヘドロ犬の胴を真っ二つにする。続いて、ヨミチの振るう棍棒二発がメタル猫の頭を大きく歪ませ…戦闘は終了する。
「…弱いね」
武器を構えたものの出番の無かったカノウが拍子抜けしたように呟いた。
「昨日、ネズミに若干手こずったからやばいかなって思ってたけど」
猫なのかなんなのか分からなくなった金属に、一応のトドメとばかりにカノウはもう一撃を入れる。
「この悪臭と、金属の体は戦闘回避能力が高いんじゃないかしら。襲われづらいからそんなに強くなくても生きていけるのよ。逆にネズミなんかは襲われやすいから強い個体じゃないと生き延びれない、とか。どうかしら」
「ありそう」
「早く宝箱探してよ後衛〜」
早く殺せ! とけしかけられたことへの意趣返しにヨミチがエンショウの脇腹を足でつつく。
青い顔でしくしくと泣きながら、エンショウはただの泥の水溜まりと化したヘドロ犬を跨いで辺りを探り始める。
「さて。思ったより広いし、長いね。いつになったら反対側に辿り着くんだろう」
カノウが腰に手を当て、口から息を吐きながら辺りを見渡した。
大通りへと踏み込んだ一同だったが、かれこれ数十分歩いても一向に端が見える気配はなかった。
他の冒険者に会うことも無く、左右は扉の一つもない、ただの壁が続くばかりである。
「魔力の流れ的にもう少し歩くと左右に空間…? 道? がある気がするし、無い気もする」
腕を広げて仁王立ちするハレが首を傾げつつ言う。
二層も一層と同じくらいの広さとすると、通りの横に空間がないということは有り得ないだろう。ならば、この先に左右に伸びる道があることは間違いない。
休憩がてらこの後のペースについて話し合っていると、
「おい! ウミ! 老化の煙!」
と嬉しげにエンショウが声を上げた。ウミは「ついにか」と尻尾をゆらりと揺らしその脇へとしゃがんだ。
「なんか最近探してるね。なんで?」
「別に…? そろそろ実年齢の身体に戻りたいなって思っただけだけど…?」
「女の子になんか言われたんじゃない」
ハレの言葉に、ヨミチが目を輝かせてエンショウの首に縋り付く。
「えー! 恋バナ!? やっぱりあるんじゃない! ネタがさぁ!」
「うるせぇー! ねぇよ! 恋なんてなぁ! 恋なんてなぁ…!!」
握る拳。額に浮かぶ汗。エンショウの脳裏に蘇る、記憶。
最近、街の広場の隅に立ち、エンショウが通る度に呼び止めて小さな飴玉をくれる女性がいる。
二十代後半くらいの、優しげな顔をした人間の女性で、周囲に置いてある看板や箱を見るに、未開拓地方で暮らす子供たちに学びの場を与えるための募金活動をしているらしかった。
彼女は、エンショウを見掛けるといつもニコリと笑いかけ、籠の中から飴玉を差し出す。行き交う他の連中には渡さないのに、だ。
更に迷宮帰りで顔を汚していると悲しげな顔で濡れたハンカチを差し出し、遅い時間に出会うと早く帰るよう促してくれる。
もしかして、俺のこと、好きなんじゃないか。
そう考えるのは無理がなかったように思う。
内心浮かれながらも、今は冒険者の身。いつ灰になるか、消滅するか分からない。悲しむ人は増やしたくない。
でも、少しくらいいい目は見たいよな〜! とニヤニヤしながらいつものように広場を通ろうとすると、なんとその女性が酔った若い男たちに絡まれている。
すかさず割って入り、「何してんだよ! 兵士呼ぶぞ!」と怒鳴った。
「ぼく…!」
女性が叫んだ。
ぼく?
「なんだよ。ちょっとその飴、俺らにもわけてくれって話しかけただけじゃんかよ」
「頭固ぇなぁ」
ヘラヘラ笑う男たち。
「この飴は、この街で貧しく暮らす子供たちのために用意してるんです! あなたたちにはあげられません!」
子供?
「うるせぇなぁ。あ! そうだ。じゃあよ、姉ちゃんくれよ」
「いいなそれ! そこで一緒に酒飲もうぜ。な! 可哀想な俺たちにさ〜アンタをくれよ」
エンショウを押しのけ、男が女性の腕を掴んだ。
「なぁ、いい加減にしろよ」
男の首に、突きつける小さな折り畳みナイフ。男の懐にしまわれていたものを、こっそり抜き取ったものだ。
スラと横に引くと、浅い傷がついて血が滲む。男は慌てて首を抑えて飛び退く。その隙を見てエンショウは背中のボウガンに片手をかけた。
「な、なんだよお前…」
「ちょっとふざけただけじゃねぇか!」
捨て台詞を吐き、男たちはバタバタと去っていった。
くるりと回してナイフを仕舞った瞬間、エンショウは背後から女性に抱き締められる。
ドキッと心臓が跳ねる。顔が火照って、熱い。これは、もしかしたら、もしかするのでは!?
「ありがとう、ぼく! でもこんな危ないこともうしちゃダメよ。次からは大人を呼んでね」
女性に頭を撫でられ、飴玉を五つもらう。慈愛に満ちたその視線を受けているうちに、エンショウの中に沸き起こった熱は冷めていく。
飴玉を口に放り込み、とぼとぼと歩み去った。いつもは甘いそれが、その日はやけにしょっぱく感じた。それから、広場のその辺りには、近づいていない。
「そんなに幼くはなくない!? って思ったんだよ…ゆーて身体年齢だって十四くらいだぜ!? 目悪いのかなあの人…。俺そんな子供っぽいかな…。ヨミチくんとかカノウなら分かるけどさ、俺、二人よりかは身長あるし。どう見えてたんだろうな…」
「ガキ臭さが出ちゃってたんじゃない?」
「…まぁ見てろよ。実年齢の十八歳の俺は、もうちょい足が長くてイケてる青年だからよ…」
悲しげにブツブツと呟くエンショウから目を離し、ウミに向き直る。
「ウミくんは?」
「普通にリーチが足りねェ。腕は長い方がいい」
「今更?」
最初から好奇心で若返りの煙なんて吸わなければ良かったのに、とヨミチは憐れみの目を向ける。
「よし。じゃあ開けるぞ。あえて罠食らうわけだから、他の連中は下がっとけよ。いくぞ。せーの!」
蓋を開けると同時にカチッという音がして、煙が漂いだす。エンショウは、思い切り息を吸い込もうとし…未だに残るヘドロの臭いで、噎せた。
流れた煙は二人を避け…どういうわけか少し後ろで座り込むヨミチへと吸い込まれていった。どうやら煙は、肌からも吸収されるらしい。
「うっわなにこれ! ちょっと、もういいんだよ僕は!」
「……ヨミチくん二十五歳おめでとう…」
「年齢言うな!! もう! 最悪なんだけど!」
ぷんすこ怒るヨミチが棍棒を片手にエンショウに詰め寄る。
「…ま、先進むかァ」
知らぬ顔のウミはそう言って、伸びをした。
-
ハレの魔力感知に間違いはなかったらしく、少し進むと左右に伸びる通路があった。
通路は左右それぞれに三本ずつあり、大通りは更に奥へと続いている。
「一旦、奥まで歩いてから左右の探索に移る。扉は開くが、入らねェ。扉の先に道が続くようならメモっといて次回。部屋だったら無視だ。もう罠にかかっちゃ堪ンねェからな。まずはざっくり地図を埋めンぞ」
ウミの方針に、異議なし、と声が上がり、一行は左右の道を無視して奥へと進む。
途中、一層にいたものとはまた違う種類の巨大な虫や、先程出会ったヘドロ犬を倒しつつ進むと、ようやく反対の壁へと辿り着いた。そこから壁沿いに左へ進み、特に何も無いことを確認して、今度は右へと進む。
「右の隅を確認したらだいたい埋まるな。えーとこのへんの…」
手にした地図を見ながらエンショウが指を指し、全員がそちらへ進んだ。
「こっちも何もなさそうだな…」
エンショウの呟き。気のないウミの返事と、踏み出した足。次の瞬間の、暗転。
「は」
瞬きの間だった。辺りを警戒して振り向いたウミの尾が何か柔らかいものに食い込む。
「いてぇ! 腹になんか食いこんでる! ウミか!? 尻尾!? なんか狭いぞ!」
自分の視界を覆い、動きを阻害しているものが、仲間の背や腕であると気が付き全員が咄嗟に動きを止める。
「転移だ!」
カノウが叫んだ。
初めて迷宮に足を踏み入れた時、突然暗くなった視界にまず疑ったのが転移だった。結果として、その時は勘違いだったが…今回は違う。
明らかに、先程まで立っていた場所とは別の空間へ飛ばされていた。
見渡しの良かった廊下でなく、狭い小部屋に一瞬で移動している。
「カノウ、点呼」
ウミの声の後に、「ちょっと待って! ハレ、顎が刺さって痛い! 立ち上がるから空間ちょうだい…よいしょ、よいしょ」ともごもご声がして、「点呼するよ!」とカノウの声。
「ウミ!」
「あァ。怪我無し。目の前に木のドアがある」
「ヨミチくん!」
「いるよぉ〜怪我もしてないよぉ〜。隅っこで小さくなってます、周りは何も見えません!」
「エンショウ!」
「うい! ハナちゃんの髪がくすぐってぇ」
「ハナちゃん!」
「いるわ。怪我もなし。特に目につくものはないわね」
「ハレ!」
「いるよ。とんでもない姿勢なのでこのままだと怪我をします」
「全員いるよ!」
「あァ。ンじゃ、解決策もねェし目の前のドア開けるぞ」
そう言ってウミがドアノブを捻ると、何の抵抗もなく扉は開かれ、押し出されるように全員が扉の向こうへと雪崩込む。
その先にあったのは…同じような、小部屋だった。
石の床、壁、天井。木の扉が今度は二つ。
真っ先に起き上がったエンショウは、一つ前の部屋をぐるりと見渡し、それから地図を見た。
「なあこれ、相当面倒なことになってるぜ。まず…ここ、何層なんだ? 方角もわかんねぇし、地図も…どう書けばいい。…なんかこれ……まずいんじゃねぇの」
エンショウの言葉が、未だ混乱している面々に現実を突きつけ、狭い部屋にしんと静寂がもたらされた。
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