40.日常と摩擦

 扉を開いた先に、同じ部屋。その部屋の扉を開くと、また部屋があり、扉があり、それを開いた先に、部屋が………。

 果ての見えない、代わり映えのしない作業は、体力と同時に着実に精神力も削っていく。


「あーもう。これどこまで続くんだ……流石に嫌んなってきたぜ…」


 エンショウが、即席の地図に扉の位置を書き込みつつぼやいた。


「ちょっと、弱音吐くのやめてよ」

「んなこと言ったって…あ、おいウミ! 進むの早ぇって! 扉の位置確認してんだからちょっと待てよ!」

「いちいち遅ェな…ぱっぱ書けよ」

「は!? じゃあウミが書けよ!」

「喧嘩しないでよ!」

「……これ何部屋目なんだろう…」

「さあ…」


 焦りで荒くなる口調、不安で低くなる声。増えるため息に、舌打ち。

 時折床に転がる、冒険者のものと思われる骨片や物品が嫌な空気をさらにざらついたものにする。

 幾度目かの小競り合いの果てにいよいよカノウが声を荒らげ、ハレが呆れの深いため息を吐いた。

 一同の間に漂う空気が最悪なものになったその時、パンッという軽やかな音が空気を震わせた。


「は〜い空気をリカバリ〜。全員スト〜ップ!」


 満面の笑みでヨミチは一同の前に立ちはだかり、全員の顔を見渡した。エンショウは一瞬ぽかんとした顔をしたあと、意地悪く片頬をあげる。


「……ヨミチくん、こういう時テンパる筆頭じゃん。珍しいね」

「まぁねっ!」


 小鼻を膨らませてヨミチは腰に手を当て、胸を張る。


「でも! 今は恐怖のあまり冷静になってるのとぉ、生き残る手段を真剣に考えた結果、この場面では泣いてごねるより仲間割れを防ぐのが最良と判断しました! オラ、喧嘩すんな! お兄ちゃん怒りますよ! ほら、次男君も何か言いなさい!」


 最後尾を歩いていたハレは唐突に指を指され「え」と困惑げに目を見開き、髭を撫ぜる。


「まあ、なんだろ。あー…そうだな……じゃあ、うん。もう少し歩いたら、一度ご飯にしようか」

「いいわね。私も、少し確認したいことがあるの」

「確認したいこと?」

「そう。ねぇ、この扉、開け放しにはできないの? できるなら通った場所の確認がしやすいわ。それかぶち破ってしまうことは? 見通しも良くなるわよね」

「あー…」


 そういう事はもう少し早く言ってほしい、という表情がカノウとエンショウに浮かぶ。が、言ったところでさらりと躱されることは想像に易いため、口には出さない。


「焦ったって仕方ないよ。僕らの長所は、元気なこと。仲良しなこと! でしょ? わざわざ潰して死に急ぐこともないよねぇ」

「…そうだな。ヨミチくん、良いこというじゃん!」

「でっしょ〜! 僕ってば、頼りになる男で困っちゃう♡」

「うわあ目に見えて調子に乗る」

「じゃあ、後ちょっと頑張って、みんなで無事に地上に…」


 そこでヨミチは唐突に言葉を切った。扉を開き、一歩踏み出した前のめりの姿勢で、ピタリと固まる。

 見開いた目の中で、丸い黒い瞳が何かを見つめていた。


「え…何……?」


 ヨミチの視線を辿ったカノウがその隣で、音にならないほどの小さな声で呟いた。


 真っ暗な部屋の隅、女が立っていた。


 全員が、不意に現れたその予想外の物に動揺し、その場で動けなくなる。

 女はこちらに背を向けて立っていた。異様に痩せたその体がふらふらと左右に揺れる度、身につけているボロボロの赤い服が力なく揺れる。それはまるで焼け爛れ、ぶら下がった皮膚のように見えた。


「生き残りの、冒険者かな…?」


 ヨミチは呟くが、それが人にせよそうでないにせよ、おおよそ正気のものでは無いことは全員が察していた。

 無視をするのが正解なのだろうが、先へ進むにはここを通らざるを得ない。扉は一つ。流石に六人でぞろぞろと背後を通れば気づかれることは必至だろう。

 どうしたものか、とヨミチが後衛を振り向いた時、隣ですらと剣を抜く音がした。

 ウミの手に抜き身の長剣が握られ、その視線の先…先程まで力無く揺れていた女の動きが止まっている。

 ぞわり、とヨミチは全身に鳥肌が立つのを感じた。


「あ…えっと…すいません、大丈夫ですか……」


 エンショウが裏返った声で話しかけるが、女から返事はない。


「……やばい」


 女がゆらりと動き、後ろ向きに一歩、歩いた。

 …いや、違う。ヨミチの視線は女の足に釘付けになる。つま先が、こっちを向いている。だが、見やる顔の位置には、埃にまみれ、絡まったボサボサの黒髪しか見えない。つまり…黒髪を簾のように垂らし、女はこちらを向いて立っていた。ずっと、こちらを見つめながら。


「ヨミチ、構えろ」

「エッ」


 ウミの低い声に、ヨミチは肩をビクリと揺らした。


「で、でも、普通にちょっと精神的にきちゃってる…冒険者かも」


 仲間も無くたった一人。このどこまでも続く部屋の中、彼女はどんな思いでここに立っていたのだろう。そして、自分たちと出会い、どんな思いで今こちらを見つめているのだろう。


「ねぇ! ちょ、ちょっと止まってよ! 君!」


 ヨミチは思わずウミから目を逸らし、女に向けて声をかけた。


「一人なの? 仲間とは…はぐれちゃった? 僕たち、敵意は無いんだ。ただ、ここを通りたいだけ! お願い、そこで止まって! 君のこと…助けられるかもしれないし!」


 女が、また一歩、一歩と踏み出す。髪が揺れ、顔が僅かに覗く。死人のような肌と共に…耳まで裂けた、口。その生々しい傷跡は、おぞましさとは裏腹に、どこか彼女が人であることを感じさせた。


「ヨミチくん!」

「兄貴!」


 かけられる声。ハレの腕が庇うようにヨミチの前へと後ろから伸びた。


「だ、だって、人だったら…」


 女の手が伸びた。長く伸びた、汚れた爪。ヨミチの脳裏に、彼が愛してきた女性たちの、整えられた爪がよぎる。

 もしこの女性にも、そんな時があったとしたら。日常が、あったとしたら。


「あ…」


 ヨミチが、女の手を取ろうとしたその瞬間。

 ウミの剣が、女の首を刎ねた。

 ゴロリと転がる首。崩れ落ち、膝を着く胴。しかしその断面から血しぶきはあがらなかった。その代わりに、虫のような、触手のような何かが蠢めきはい出ようとしている。


「火!」


 ウミが声を上げると同時にハナコの放つ炎が女の体を、その体内に巣食っていた何かごと燃やす。ウミが、女の生首を無造作に拾い上げ、炎の中に投げ込んだ。


「人じゃなかったみたいね」

「うん…。"元"人なのか、人っぽい何かなのか分からないけど…」


 ハレとハナコが興味深げに、炎に巻かれる女の遺体と、その中で狂ったように蠢き体液を撒き散らす細長い生き物の群れを見つめる。

 その後ろで同じように炎を眺めていたカノウは、ふと思い出したようにエンショウに声をかけ、部屋の扉と向かい合った。

 そして扉に火をつけたり、切りつけたり、何か挟めないかの実験を始める。


「やー。ダメだね、なんか…魔法なのかな? 何かに弾かれて傷は付けられないし、小石を挟んでも平気で砕いて閉じちゃう」

「…なあ。この扉によ、めちゃくちゃ固いもの挟んで砕く商売したら、ちょっと儲かりそうじゃねぇか?」

「エンショウの考える儲け話ってだけでなんかもうダメそう。こけそう」

「俺は金遣いが荒いだけで、金儲けに関しては悪くねぇもん」

「少しは反省してよ」


 そんな会話が交わされるさらにその横で、ヨミチは一人、顔を青くして立っていた。


「…おい」

「ヒッ」


 ウミが伸ばした手を、ヨミチは反射で払い除ける。予想外に大きな音が響き、全員の視線が集まった。

 ヨミチはハッとして「違うの!」と口にし、中空で止まる、鋭い爪の生えたその手を慌てて掴んだ。


「頭が、混乱しちゃったの。人型のものを殺すってことに…僕のね、ずっと平和に生きてきた僕の可愛い頭が、すっごく戸惑っちゃうの。わかってるんだよ、本当は全部。でもね…ごめんね。ありがとうウミくん」


 ウミは、自身の手をぎゅうと握る、震える冷たい指を見て、ため息をついた。それから、その手を振りほどき、ヨミチの肩を二度叩く。


「休憩がてら、"俺たち"のこと話すか」


 ウミは次の扉を開き、中に何もないことを確認すると床にどかりと座り込む。

 女を燃やした炎で松明を付けたハレが室内に入ってくると、ぼんやりと部屋が橙に染まり、埃がチラチラと瞬いた。

 ハレに続いて入ってきた面々も順に車座になって座り、それぞれ持ってきた軽食を広げる。


「ほら、兄貴」


 ハナコが、自身の腰のポーチからビスケットを数枚取り出しヨミチへと渡す。ヨミチは頷き受け取り、一口齧ると肩を落として俯いた。

 ウミは、そんなヨミチを見ながら様々な具材の挟まったパンを一口に飲み込み、長い舌で口の周りをぺろりと舐めとる。


「ンじゃ、話すぞ。俺や…アザーの話だ。ンで、俺が腹を切りてェ理由の話」


 そして、御伽噺でも語るかのようにゆっくりと「リザードマン」の話を始めた。

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