35.呪い
夕暮れの前広場。迷宮内からぽつぽつと出てくる冒険者たちを横目に、夕飯が用意されているため家に帰ると言い張るウミと、そんなウミを絶対に晩餐会へ連れていきたいアグレイの押し問答が続いていた。
「私は君とお話がしたいんだ! リザードマンのことを知りたいのだ! ぜひ来てくれ!」
「無理だっつってンだろ。しつけェ野郎だな」
「そこをなんとか! そうだ! 同居人も連れてくるといい! 一緒に食事をとろう!」
「もうアイツ飯作っちまってンだよ。何回も言わせんな」
「こんなに美しい私が美しい貌で言ってるのに!」
「知るか!」
まるで子供の言い争いのようである。
そしてそんな大きな子供二人の保護者たちが、遠巻きにその様を眺めている。
「埒が明かない。説得してくれ」
テイが顎でウミをさす。
「えーっ! やだよ、そっちがアグレイ様を説得してよ」
「ああなってしまっては無理だ」
無理だ、ではない。
妙に堂々としているテイにカノウがじとりと湿度の高い視線を向けると、その護衛は暫く無言でいた後に、ふっとため息をついて「今日はサクロ様がいる、そう伝えろ」と囁いた。
ああ、それなら…とカノウはウミをこいこいと手招き、耳打ちをする。
「今日、サクロ様いるらしいから。屋敷前まで、悪いけどついて来てよ。…多分、同行しないと引き下がってくれないし」
「……チッ」
盛大な舌打ちで返した後、ウミは殺しかねない表情でアグレイを振り向きいかにも不満ですというぶすくれた顔で頷く。
「本当かい!? 嬉しいなあ! 今日はねぇ私のリクエストで魚料理なんだ! 朝からみんなに川まで釣りに行ってもらったのさ! 全員の分をね! 魚パーティーだよ!」
「つ、釣り!? 仕入れたんじゃなく!?」
「釣ったばかりの魚の方が美味しいって、向こうにいた時に女の子に聞いてね! 魅力的だろう? 食べてみたくなって…少ぅしわがままを言ってしまった!」
「ひぇ…」というヨミチの小さな悲鳴。カノウも思わず絶句して、眩しいアグレイの笑顔を見つめ返す。
少ぅしのわがままどころではない。一体何人分の、何匹の魚を、何人で釣ってきたのだろか。
本当に、真に太陽のような人だ。遠くで眺めている分にはいいが、近づきすぎると…被害があまりに大きすぎる。
「では諸君! 屋敷へ戻ろう! 私はお腹がぺこぺこだっ!」
るんたったっと鼻歌交じりに歩き始めたアグレイに続き、迷宮の埃と泥に塗れ疲れた顔をした一同は、細く深く息を吐いた後に渋々と歩き出した。
-
アグレイの弟たちであり、カノウとハレが育った孤児院の院長と副院長を勤める双子は、孤児院とは別に、その近くに屋敷を構えていた。
紅碧館(こうりょくかん)と呼ばれるその屋敷は、名前の通り紅みを帯びた淡い空色の屋根が特徴の、大貴族の息子の屋敷にしては幾分こじんまりとした作りの屋敷である。
「田舎で子供たちと暮らしたい」と言い残し王都から出ていったアサギのために、父のムラサキが与えたものだ。
だが当のアサギは生活の殆どを孤児院で子供たちと共に過ごしているため、屋敷の管理はもっぱら弟であるサクロが行っている。
「普段はアグレイ様と首都の中央屋敷にいるんでしょ。サクロ様とウミの問題のことなんて、よく知ってたね」
紅碧館への道を行きながら、カノウは少し離れた場所へ潜みながら着いてくるテイへ話しかけた。
足音も姿も見えないため、空中に向けて独り言を言っているようになる。無視をすると決め込んだのか、護衛という業務においての決まりなのか、テイからの返事はない。
が、カノウは気にしない。「ねえ、テイってば。無視しないでよ」としつこく話しかけ続ける。
するといよいよ根負けしたらしく、テイはカノウが話しかけていた方とは真逆の木の上から、軽やかに地上へ降りた。そして、カノウの頭を鷲掴みにし、ギリギリと力を加えながら口を開く。
「護衛内での情報共有は当然のことだ。くだらないことを考えて当主様へ歯向かおうというご兄弟が生まれるとも分からないからな」
「護衛って…ああ、そっか。一応ヤヤがアサギ様の護衛でもあるのか」
「元々はムラサキ様が遣わせたのがいたんだが……アサギ様がクビになさった。…まあ実際、アサギ様ならばそこら辺の連中より余程お強いし、ヤヤも有能だ。ムラサキ様も何もおっしゃらない。問題はないのだろう」
有能な護衛。古傷だらけの幼いフェアリーが、カノウの頭の中でにこっ! と笑う。
「それに、アグレイ様がこちらにいらした時は、俺も必ず付き従わせていただいてたからな」
「うそ、いつもいたの!?」
「…会話が聞こえる距離にずっといた」
「全然気が付かなかった! なんかちょっと照れ臭いんだけど…。ねぇ、ハレは気がついてた?」
「カノウが気が付かないのに自分が気がつくわけないでしょ」
顎髭をポリポリと掻きながらハレは苦笑いを浮かべる。
「ヤヤは俺に気がつくと合図を送ってくるぞ。お前たち、その調子で冒険者として大丈夫なのか…?」
馬鹿にするより、心配が勝る口調で言われる。そうも真剣に言われるとなんだか気恥ずかしくなり「一応、今のところ大丈夫で、これからも大丈夫の予定のパーティーですけども…」ともごもごと答えた。
「そうか。アグレイ様を迷宮にお連れする仕事もあるんだからな、長生きしてくれよ」
「というかさ! そうだよ!」
カノウが顔を上げ、頭を掴んでいるテイの手をふんっと弾いた。
「まわりくどいって!ちゃんと説明してくれたら、協力したんだよ!?」
「なんの話だ」
「迷宮での足止めの話!」
アグレイが外で待っている、と言われればカノウにも事情が察せることである。わざわざ振り払って外に出ることも無かっただろう。
結果として、こんな面倒なことになってしまった。カノウとしては後悔、反省と共に少しの憤りをテイに対して感じている。
「こっそりとも言えない事情があるのかしら」
横から聞いていたハナコも口を出した。ハナコも多少、カノウと同じ気持ちなのだろう。黒い瞳が射るような鋭さでテイへ向けられる。
「なんの話だ」
だがテイはしらっとした態度だ。涼しい顔で、楽しげにウミやヨミチに一方的に話しかけているアグレイの背中を見つめている。
「冒険者になりたいとか言ってるけど、それは流石に止めるよね? 言っとくけど無理だよ、私たちじゃ。普通に、あの〜ご心配の通り…発展途上のパーティーですので」
「アグレイ様がおっしゃることには、基本、肯定。口で数度お止めはしても、決断されてしまったら、あとは見守るだけだ。そうムラサキ様より言われている」
「つまり?」
「中央に俺一人で残れというお言葉は、アグレイ様の傍を離れないという護衛としての第一に差し支えるため破かせていただいた。だが、冒険者になりたいと言うのは…あの方がそう決めたのならば、俺は応援するだけだ」
恐らく、アグレイが冒険者としてパーティーに同行する際は、テイも共に迷宮へと潜るのだろう。きっとアグレイの身に危険がある際は、護衛として戦闘にも加わってくれるに違いない。
が、懸念はそんなことでは晴れない。問題は山ほどある。
「いいのかしら。私たち、他貴族に恨まれて殺害予告されてるわよ。巻き込まれちゃうかも」
「ああ。ヤヤから聞いている。あの腐れ弱小貴族のバカ息子だな。まあ、そういう障害を事前に何とかするのも俺たちの仕事ではあるから」
「殺すの?」
「さあ」
「事前の露払いまでするなんて、大変ね。人一人護りながら迷宮に潜るだけでも相当なことなのに。主人を守って死ぬかもしれないわよ」
「そんなもの、とうに覚悟の上だ」
深いくまを湛え、げっそりと痩せ細ったその姿から、主人のために全てを投げ打とうという覚悟は既に伝わってくる。
その上、道楽としか思えない酔狂な我儘に付き合って迷宮にまで潜ろうというのだ。正気の沙汰じゃない。
「ねぇあなた、呪いでもかけられているの?」
「呪いって…」
カノウは笑ったが、ハナコの顔は極めて真剣だった。
探るように、テイの目を覗き込み、ゆっくりと口を開く。
「主人がこうと決めた行動を強く…あるいは直接的に阻害できない呪い」
テイの視線の先には、変わらずどこまでも無邪気で楽しげなアグレイがいる。
ふと、テイは痩せた顔に、自嘲的な笑みを浮かべた。
ぎょろりとした目が細まり、頬に肉が寄ると雰囲気がぐっと幼くなる。きっと、見た目より、ずっと若い。
「…俺がただ、アグレイ様の信頼を損ねたくないだけだよ。あの方は、俺をどこまでも無垢に信じてくれているから」
呪いでないのに、呪いじみて心を縛るもの。
「だから、俺はその足止めやらなんやらは知らない。何の話だ? 人違いはやめてくれ。それから、俺は殺人はしない。アグレイ様が嫌がるからな」
「死体が上がらない行方不明者はたくさん出てそうだけどね。まあ、もう、そういう事でいいよ」
「なんで私の周りって頑固なのばっかりなんだろ」と唇を尖らせるカノウに、後ろで話を聞いていただけのハレが何か言いたげな視線を向ける。
「ちなみにダメ押しだけど。私たち、噂の鏡を集めるつもりだよ。とりあえず三層を目指してるけれど、大丈夫なの? そのー…あのお方、魔法使いとしての、腕前とかは」
「………俺の口からそれを言わせるつもりか?」
「…ああ…」
ハナコとカノウは思わず口角を下げて顔を見合せた。
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