36.蛇


 両開きの玄関ドアの前には小柄なメイドが二人いて、どうやら玄関の掃除をしているようだった。

 きっちり結っていたのだろう髪は解れかかり、足には藻が絡まり、腕も顔もびしょびしょである。


「「お帰りなさいませ」」


 それでも、やってくる一行に気がつくときっちりと踵を揃えて立ち、美しく一例をする。

 その背景を、屋敷の端にある厨房から響く「急げ!! 何してんだ!! 手を動かせ! !」「あんた! 帰ってきたみたいだよ!」「あー!! 鱗取り間に合いません! !」「とりあえずそっちだけでも焼け!! …泣くな! !」という怒号が彩る。


「ただいま! わあ! いい匂いだね!」


 地獄と化した厨から聞こえる声が聞こえないのか、アグレイははしゃいだ声を上げた。


「アグレイ様のご希望通り、お魚のお料理がたくさんですよ」


 メイドの一人がにこりと笑い、ドアを開く。その横を通り過ぎる瞬間、ふわりと漂う独特な生臭い匂い。


「アグレイ様は一度お部屋に戻られてください。アサギ様がお探しでしたから」

「おや! なんだろうな! お土産の感想かお礼かな? 行ってくるとしよう! テイはちゃんと休むんだぞ! それじゃあみんな、また後で!」


 恐らく、この無茶ぶりお魚事変に対するお叱りだろうな、とカノウとハレは思う。


「…大変だったね」


 アグレイが去った後、カノウはくるりとメイドを振り向いて声をかけた。

 そのホビットの姉妹は、くしゃりと顔を歪ませ泣きそうな顔をすると「大変だったよ〜〜」「髪まで生臭いよ〜〜」と小声で叫んだ。

 紅碧館で働く従者たちは、そのほとんどが元々孤児院にいた子供たちだ。つまりカノウやハレにとっては"実家"を同じくする顔見知りたちである。


「こっちの案内は私やるから、顔とか洗っといで」


 彼女たちが動く度に漂う臭いに、カノウは思わず鼻をつまむ。


「ほんとごめんだけどお言葉に甘えさせてもらう〜〜」

「ゆっくりしていってくださいね〜〜! ご飯自体は絶対美味しいので〜〜!」


 パタパタとメイドたちが去っていくのを見送り、カノウは「さて」と一行を振り向いた。

 ハナコ、ヨミチの兄妹は興味深そうに玄関ホールを眺め回し、ウミは玄関の戸にもたれかかったまま白目を剥いている。

 テイは恐らくアグレイについていったのだろう。いつの間にかその姿は消えていた。

 カノウはそのまま、暫し止まる。"いるのは分かっている"が、先に気がついて声をかけるのは、その後の会話の流れを想像するとあまり良くない。

 ハレも"分かっている"。その強面によそ行きの薄らとした笑みを浮かべて、玄関ホールに背を向ける形で腕を組んで立っている。エンショウが「腹減ったなー」と、間を埋めるように声を上げた。エンショウも"分かっている"からだ。


「やあ。こんばんは。冒険者稼業は捗ってるかな…?」


 そして、その時が来た。頭上から降ってきた声に、カノウは顔を上げる。そして、パッと満面の笑みを浮かべた。


「サクロ様!」


 隣でハレも同じように嬉しげな笑顔を浮かべ「サクロ様じゃないですか」と声をあげた。


「ふふ、そのわざとらしい笑顔、いいね」


 機嫌よくそう言って、人物は吹き抜けになっている玄関ホールの二階廊下をゆっくりとまわり、階段の上へと現れる。

 白く長い、柔らかくウェーブした豊かな髪に、血のように濃く紅い瞳を持つエルフ。瞳の色に合わせたような真っ赤な服を着て、手には華美な扇子を持っている。


「紹介するね。こちらはサクロ様。私やハレが育った孤児院の副院長様なんだ」


 カノウが階段の下まで駆けつけ、ハナコとヨミチに紹介した。


「双子の兄にあたる人が経営に全く向いてないから、代わりにやっているだけだよ。僕自身はただの、彼に寄生する厄介者だね」


 アグレイの美しさが眩く健康的な光のようなものだとすれば、サクロのそれは妖しい…夜の闇のようなものだった。気だるげな声も、どこか甘く、粘つくようである。

 まずハナコが丁寧に自己紹介をし、深くお辞儀をしてみせる。ヨミチもそれに倣い、「戦士のヨミチです」と簡単に名乗り、頭を下げた。


「僕なんかにそんなに畏まらなくていいよ、よろしくね」


 そう言って、真っ赤に塗った唇を歪めて、サクロは笑った。


「今日は、ヴィオラヴェッタの三男様とその猟犬がご迷惑をおかけしたそうだね」

「いえいえ、そんな」


 カノウは大仰に首を振ってみせる。


「アグレイ様の突然の思いつきはいつもの事ですから」


 にへ…と顔色を伺うように笑う。


「へえ…? 言うね、カノウ」


 白い睫毛に縁取られた目が細まる。


「やだな、いい意味でですよ!」

「ふーん…? ふふ」

「そういえば今日のお夕飯はお魚みたいですね。サクロ様も釣りには参加されたんですか?」

「んー…参加したかったんだけどね、忙しくて……。何せ頼りにしていた子達が二人も、冒険者になって、僕のところを離れてしまったから……」

「っ、あ、頼りにしていただいて、ありがとうございます…?」

「やだな、カノウのこととは言っていないよ? カノウは僕のこと、本人を前に、そんな意地悪言う奴だと思ってるの…?」

「いえ! 自意識過剰で…恥ずかしいなぁ! はは…。それにしても、お腹が空きましたね!」

「そうだね。僕、魚大嫌いだけど」

「ああ〜…!」


 カノウは身振り手振りも大きくサクロと会話を交わす。迷宮にいる時でも見た事がないほど額には玉の汗が浮かび、表情はぎこちなく引きつっていた。

 そんなカノウの後ろで、普段は見せないような笑顔を浮かべ、空々しい笑い声をあげるハレの袖を、ヨミチは小さく引いた。

 それに気がついたハレは、靴紐を直すような仕草で小さくしゃがみ、ヨミチに耳を貸す。


「ねぇ。確認なんだけど…アグレイ様の弟ってことは…つまりサクロ様もヴィオラヴェッタのご兄弟なんだよね。何番目のご兄弟なの?」


 なんてことはない、好奇心だった。サクロの口ぶりに少しの違和感を感じたのと、弄ばれるカノウが憐れで見ていられなかったから。

 だが、ヨミチはその行動をすぐに後悔することになる。


「…それは」


 ハレが苦い顔でヨミチを見た瞬間、サクロが靴の踵を鳴らした。高い音が響き、サクロの目が僅かに見開かれた。瞳が異様に光って見えた。


「違うよ」


 低い声。空気が、ざわりと揺れる。

 ヨミチは「え」と体を強ばらせた。


「兄は、ヴィオラヴェッタの五男だけどね。僕はヴィオラヴェッタの兄弟じゃない。僕の名前は、サクロ=センフィールド。この醜い容姿のせいで父様からの寵愛を受け損ねた出来損ないさ」


 手摺に腕を絡め、サクロは声を上げて笑った。


「君、僕に興味があるの? ふふ」


 蛇に睨まれた鼠のように、ヨミチはしゅるしゅると小さくなりハレの背中へと隠れる。


「やだな。隠れないでよ。僕に興味がある人なんて少ないから…仲良くしたいんだよ。ヨミチくん、お話しよう? 僕のこと、知りたいんでしょう…?」


 階段に足をかけたサクロは、一歩一歩ゆっくりと降りながら、糸をかけていくように言葉を投げかける。

 ヨミチは張り付いたように動けないまま、迫り来る美貌の男を見つめる。

 何か弁解をしようと思うが、上手くいきそうな言葉が浮かばない。カノウとのやり取りを見ていると、何を口にしても逆効果になるような気がした。


「小さくて可愛いね。ぬいぐるみみたいだ」


 腹を裂かれて綿を詰められる恐ろしい映像が浮かぶ。口調は柔らかなのに、どこまでも冷たく、暴力的なものを滲ませる声。


「は、はひぃ〜…」


 声と吐息の間のような、情けない悲鳴をあげるヨミチの頬に、サクロの真っ赤な爪が並んだ白い腕が伸びて…。


 いや、違う。


 全身にぞくりと鳥肌が立つのを感じた。

 こちらへ伸びる白魚のような細い腕をまじまじと見る。その先に並んだ十本の指。その先端を飾る赤は…爪でなかった。正しくは、爪"が"なかった。

 剥がれたのか、剥がされたのか、剥いだのか。剥き出しの肉の赤が指を飾っているのだ。

 迫り来る、痛々しいそれに、ヨミチは反射的に顔を背ける。が、指がヨミチに触れるその手前で、不意にサクロは動きを止めた。

 恐る恐る視線を戻すと、サクロはヨミチの向こうにある何かを見つめている。

 振り向くと、玄関ドアの前で大の字になって寝転んでいるウミの姿があった。


「トカゲ。なんだ、いたの」


 サクロはそう言って、唇を歪めた。


「あの子は元気? まったく、無理やり連れ帰ってしまうのだから。君みたいなのには世話は難しいでしょう。飼育できないのなら、いつでもうちに連れておいでね」


 そうしてウミの頭の横にしゃがむと、挑発するようにその顎に指をかけた。

 白目を剥いていたウミの目が何度か瞬きをして、サクロを捉える。「あ"ァ…?」と掠れた唸り声を上げて起き上がった。


「前も言ったがよォ…。アイツァ、国への道なんざ覚えてねェぞ。俺らの故郷が気になンなら、自分で探せ」


 ウミは心底嫌そうに顔を顰めた。


「ふふっ! そんなことじゃないよ、僕が求めてるのはさぁ」


 対してサクロは優雅に微笑む。馬鹿にするように。諭すように。ゆっくりとウミに語りかける。


「大義名分だよ。…分かってないんだから君は。あれの価値をさぁ…。僕に預けてみなよ、いいように使ってあげる。そこら辺の悪趣味な連中とは違うんだから。僕ならね、あの子を使って…君の故郷を変えてあげられるよ」

「くだらねェ」

「強がっちゃって。君も、故郷の因習が許せないクチだったはずだけどね…? それにしても…あーあ。君が死んでくれたら、こっちですぐにでも引き取れるのにな。迷惑な話だ。ねぇ、トカゲ、早く死んでよ」

「お前ェは、欲しいもン手に入れたとこで、どうせ壊しちまうだけだろうがよ」


 サクロの笑顔が固まった。

 そして、まるでぜんまい仕掛けの人形のように、ぎこちない動きで自身の指を口元へ持っていく。爪の無い指を噛みながら、サクロはブツブツと呟き出す。


「そんなことないさ。大切にするよ。本当に欲しいものが手に入ったら…とってもとっても優しくできるよ。大事に大事に…しまっておける。宝箱にいれて鍵を閉めて、毎日ちゃんとおはようとおやすみを言うよ。今までの…壊れちゃったのは…本当に欲しいものじゃなかったからだもん…。今度こそは大事にできる。だから、あの子、僕にちょうだいよ」


 ウミは、血が滲み滴るサクロの指を口から引き離し、小さくため息をついた。


「……可哀想な奴だな」


 作り物じみた笑顔が、剥がれた。スッと表情を無くすと、ウミを両手で突き飛ばす。ウミはそのまま玄関外の数段の階段を落ち、不満げにゆっくりと起き上がる。


「忠告は何度もしたよ。あの子、早くちゃんとした餌あげないと、死んじゃうからね。砂漠でしかとれない貴重な鉱石。君には用意できるのかな? ふふ」


 元の笑顔に戻ったサクロは裾を翻して立ち上がる。


「じゃ、みんなもまた後で。食事の時に、ゆっくり…ね?」


 ふふ、と軽やかに笑いサクロは廊下の奥へと消えていく。


「送ってこうか」


 サクロの後ろ姿を伺いつつ、申し訳なさそうに眉を下げてカノウは囁く。


「や、いい」

「ほんとごめんね。また明日ね。…アザ丸によろしく」

「あァ」


 立ち上がったウミは、自分で玄関ドアを閉めると、さてと大きなため息を着く。

 家で待っている同居人と、彼が作っているであろう食事を考え、重い体を引き摺り、帰路に着くのだった。

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