34.光属性
その当主に無能無しと呼ばれるエルフの一族は、代を重ねる毎に着実にその力を大きくし、国を表裏から助けてきた。
ヴィオラヴェッタ家。
この国では子供でも知らぬものはいない。国一番の、大貴族である。
アグレイ=レイニ=ヴィオラヴェッタは、そんなヴィオラヴェッタ家の当主ムラサキの、三男にあたる男だった。
三男ではあるが、三番目に生まれた子供ではない。実際はその上に、恐らく二桁を越す姉、兄がいる。
が、彼らの存在は全て、ヴィオラヴェッタの一族の中では無かったことになっているし、公の書類への記載もない。
そもそも、ムラサキの子沢山に関しては秘密主義のヴィオラヴェッタには珍しくあまりにも有名な話であった。
こればかりは代を重ねる毎に着実に力をつけ、無能無しと呼ばれ続ける当主としては珍しい悪癖と言わざるを得ず、事実次期当主を巡り子供たちの間では、他貴族に焚き付けられる形で若干の火の粉の燻りも見せていた時期もあった。
騒動自体は、その息子達および発端の貴族たちが「いつの間にか消えていた」ため大したことになる前に終わった。それ以来、当主に反抗しようなどと考える者もあわせて消えた。
そんなムラサキの子供たちは誰もが、美しい容姿をしている。
何せ、ムラサキが金で集めた選りすぐりの美女たちとの間に作った子供たちだ。だが、そのほとんどが認知すらされず、手切れの金だけを渡され捨て置かれている。
なぜか。
まず、ムラサキは娘を欲していなかった。女児が生まれた時点で彼は興味を失い、母親に少なくない金を渡して以降は一度でも思い出すことは無い。
男児が生まれても、息子として認めるか否かには大きなポイントがあった。
容姿である。
ムラサキは、自身が認める美貌を持つ男児のみを手元に残し、息子として認めていた。その息子の孫や曾孫には、どれだけ容姿が優れていようが関心を向けない。
自身の血を継ぐ、一際に美しい息子のみが、彼のそばにいることを許される。病的な趣向を持つ、孤独な大貴族。
そんなムラサキに認められる、ヴィオラヴェッタ家の三男。それが、このアグレイだった。
「え、本物のアグレイ様…? いや、なんでこんなとこに…」
カノウは慌てて膝を揃えて座ると、困惑しつつ再び名前を呼ぶ。
アグレイは、それに対して大きく頷くと、髪をさらりとかきあげた。
「本物さ! 本物の皆の麗しき貌、アグレイだよ! 本当に久しぶりさ、カノウくん。相変わらず健康的なカリントウマンジュウのようだね。しかし、危ないところだったんだよ。ちょうどね、今、戻ろうかというところだったんだ。君と君の仲間たちが冒険者になったと聞いてね、ぜひ会いたいと探していたんだけどもね、どこにもいやしないから、きっと迷宮の中にいるんだろうと私は踏んだのさ。賢いだろう? でもね、みんなして迷宮になんていないって私を引き止めて…中に探しに行くのも吝かでは無かったのさ、私としては。何せ私は…冒険者になるためにここに来たのだからね! あ、これは秘密の話だった。後で話すから一旦忘れてくれたまえ。ええとそれでね……一体何の話だったかな?」
忘れてくれ、と話した拍子に何を話していたのか自身の方が忘れてしまったらしい。
「はは…」と笑うカノウの脳裏に、「その当主に無能無し」といういう言葉がよぎる。
ムラサキの長男、次男が揃って病に伏せっているらしいという情報が、一部ではまことしやかに流れていた。それに継ぐ三男ともなれば、次期当主となる可能性もあるのだろう。
無能無し。……本当だろうか。
「あっ! 迷宮にいないはずの君たちがなぜか迷宮にいたって話だったかな? でもね、分かってるんだ。これは全て、私に対してのサプライズだろう! ないはずのものがある、いないはずの場所にいる、良き驚きの鉄板さ。そして結果として…ふふ…確かに驚いた! これは驚いた! カノウくん、君は額がとても硬いのだね! 私の美しい貌から血が出ている! これは大変な事だよ。わかるね? こうなったら、もう……絵を描かせるしかない。すぐに画家を手配しよう!」
赤くなっていた額が突然ぱかりと割れ、血が滴り始めたのを見てカノウは声のない悲鳴をあげる。
その頭脳、知性には疑問を抱かざるを得ないが、その美貌だけは間違いなく本物なのだ。何せ、文字通り顔だけで三男に収まっている。
もしこの傷跡が残りでもしたら……
「あ、あああ!!」
「ヤヤがいないね! 遅れているのかな? ヤヤー! あ! そうだヤヤと言えばね、カノウくん、お土産をたくさん買ってきてあげたのだよ! 子供たちにもお菓子をたくさんだ! いい話だろう! 私が一番好きなのはお金の形をしている砂糖の…むっ! 口に血が入ってしまった! しょっぱい!」
「喋らないでください! 喋らないでください! 血が!!」
「待ってくれ! 拭き取ってしまったら絵になれない! 自慢ではないがね、私はあまり血を流したことがない! 何せ有能な護衛がいてね、守ってくれてしまうのさ! いや怪我はするのさ私も。一人で転んだり、ぶつけたりはしょっちゅうさ…寝る前に一日の怪我を、僧侶くんが治してくれるから美しいままだがね。でもね、他人に何か怪我を負わされることはない! 滅多にない! ほら! ぴんぴんさ! 守ってくれているからね! だからこうして君の頭突きで怪我をするのは…すごいことだよ、絵画にして記念に残しておきたい!」
「勘弁してください! 殺される! というか喋らないで! 血が! ああああああ!!」
目を回しそうになっているカノウの前で、美しい顔を血で汚しながらアグレイは喋り続ける。
どどどどどどうしよう!
頭をぐるぐるとさせるカノウの耳元で、
「だから外に出るなって言ったんだ」
と、小さな声が、恨みがましげに聞こえた。振り向くが、そこには誰もいない。だが、視界の端で藪の中へ飛び込み姿を消す黒づくめの男が見えた。話すことに夢中のアグレイは男には気がついていないようだった。
咄嗟に武器を引き寄せアグレイを庇うようにしていると、仲間たちが階段を駆け上がって現れた。
「カノウちゃん、大丈夫!?」
「今、捕まえてたアイツに逃げられちまって…って、うわあアグレイ様!?」
「感激の悲鳴をありがとう素敵な赤毛の少年! そうさ、美しき貌、アグレイ様だよ。君は前に何回か会ったね! 名前は…なんだろうね…ああすまない、私としたことが! 女性の名は忘れないんだが…」
「いや、血が!! 血!!」
エンショウがボウガンを放り出しておろおろと額の傷の具合を見ていると、その背後から遅れて階段を登ってきたウミが現れた。
「ちょっと待ってくれ! もしかして!? ああ!? 本当だ! 本当に!? …り、リザードマンだ!」
子供のようにぴょんっと跳ねて立ち上がり、エンショウとカノウを脇に退かしたアグレイは、疲労でげっそりした顔のウミの手を踊るように取った。
「あァ…?」
機嫌悪く顔を上げたウミは、ゼロ距離で寄せられている顔に流石にたじろぐ。
「なんて綺麗なんだ…私ほどではないが…目が…瞳孔が縦に裂けている…すごい、鱗が…なんて深い色なのだ…宝石のようだね…私がかつて見た海の島の宝のようだ…こんなに美しい鱗を持っていて、なのに顔は人と同じ肌……じゃない!? 鱗!? この生娘の内腿のような、白く滑らかな肌に見えるところも、白い鱗なのだね!? 濡れ羽色の毛髪も…髪じゃない! 鳥の羽根だ! 鳥の尾羽のようだ! 頭から生えている! 君は……羽の生えたトカゲだ!!」
「リザードマンですからね」
ウミの横でハレがそう突っ込み、さりげなく額の傷を治癒で治す。
「大きなフェアリーのキミ!!!! また大きくなったかな!?」
「はあ、まあ」
額の傷が塞がったことに気づかないまま、アグレイはハレの背中をぱしぱしと叩く。
「そうか! 君もカノウくんと一緒に冒険者になっていたのだね! そして残りの君たちは…ラツキンの少年と…。おお、美しい貴女、名前を伺っても?」
「ラツキンじゃなぁーーーい!! 全然、人間ですけど〜!? なんだこの顔のいい男はぁ〜!?」
憤慨するヨミチは既にアグレイの意識の中には無いらしく、極めて気取った顔でハナコに名を尋ね、手を取って口付けまで落としている。
「私は、ハナコよ。そしてそっちは、兄のヨミチ」
「あに!!」
ぐりん! とヨミチを振り向き、「お兄さん!」とアグレイは言い直す。
「うわ、顔が眩しっ」とヨミチは小さな手で顔を覆った。
「兄妹で冒険者だなんて! なんて楽しそうなんだ! 私にも兄上が二人…今のところ二人いるのだけれどね! まあとても迷宮になど付き合ってくれそうにもなくて…。あ、でも! 私がお兄さんとして参加すればいいのか! サクロとアサギならば共に潜ってくれそうじゃないか!? 兄弟パーティーだ!」
ヴィオラヴェッタの兄弟が三人も迷宮に潜るなど、共に行くメンバーにとってはたまったものではないだろう。
恐らく、ヴィオラヴェッタの機嫌を取っておきたい王国の意向で選りすぐりの兵士が王都からやってきて付き添うことになるのだろうが、現状ただの貴族の息子であるハランやミッシュルトたちの付き添いの時点で散々な目にあっているらしい王国兵たちだ。
それが国一番の大貴族の息子達三人ともなったら。
そのうち、王国主導で迷宮は貴族出禁になるんじゃないだろうか。
「何はともあれ、アグレイ様…こんなところいるのは危ないので、御屋敷の方に……」
口にした、矢先だった。
迷宮入口から影のようにずるりと腕が伸びた。それはアグレイの腕を掴むと、迷宮の階段の方へと引きずり込もうとする。
記憶が蘇る。内広場で盗賊に襲われた時のことだ。あの迷宮盗賊は、そもそも坊主の男と、影に潜んでいる一人の二人組だったはずだ。坊主の男が退散していくのは見たが…影の方の姿は、明確には見ていなかった。
「しまっ…」
カノウとハレが咄嗟にアグレイの服を掴むが、それでも体が階段へ引き込まれる動きは止まらない。
「てめぇら…舐め腐りやがってッ! 後悔させてやる!」
階段の中から響く怒号。
ゾッと全身の血の気が引く。迷宮の中で法は適用されない。彼が連れ去られたら、本当に、とんでもないことになる。
その瞬間、悲鳴があがった。ハッと見れば、アグレイを掴む盗賊の腕に、矢が突き刺さっている。動きが止まったその腕を、ウミが叩き切った。血飛沫をあげタチの悪い玩具のように転がった左腕を、右手がパッとひったくり階段の闇の中へと消える。
その隙にどうにかアグレイを迷宮入口から引き離す。そして、矢を飛ばした主を探し、全員が警戒を解かずに周囲を見渡した。
「…アグレイ様。迷宮は、危ないところですので。あまり、お近付きなさらないよう」
すると藪の中から、軽装に身を包み、弓を手にしたガリガリに痩せた男が現れた。灰色に近いような肌に、白みがかった金髪の少年だ。その顔を見て、カノウはギョッとする。
濁った目の下に、まるで墨で描いたような酷いくまが刻まれている。一時の、地図の作成でノイローゼになっていた頃のエンショウですら比較にならない。
「この声! 黒コートの奴だ!」
ヨミチの言葉にハッとしてアグレイの前へ立つ。顔の衝撃で気がつくのが遅れたが、この掠れた声は確かに黒コートの男と同じ声だ。背丈も違わない。恐らく逃げた後、どこかで上着だけ脱いできたのだろう。
「黒コート? そんなもの、着ておりませんが」
とぼけた男の、乾いた唇の端が上がっている。
何が目的か分からない。アグレイを下がらせようと手を広げたその瞬間、アグレイはカノウの脇をすり抜け男に駆け寄った。
「テイ! なんでここにいる! 君に休みを取らせるために私はこっちへ一人で来たんだぞ! ちゃんと中央でのんびりしていなくちゃダメじゃないか!」
「…お気持ちは嬉しいのですが。ムラサキ様より、アグレイ様の守護を任されている身です。それが第一でございます。一人、中央に残るわけには行きません」
「そう言ってまたクマを深くして! 君がぐっすり眠れるように最近はずっと女の子の家を泊まり歩いていたのに、眠れなかったのかい?」
「その女性が…怪しい者か分かりませんので…」
「まさかずっと付けてきて、影で見ていたのかい!? 破廉恥さんめ! 悪い子だ!」
「申し訳ございません。しかし、それが仕事ですので」
「仕事仕事って! どうしたら休んでくれるんだ! 私は君がどんどん痩せていくのが辛くてしようがないよ!」
そう思うのなら、護衛のたくさんいる中央の屋敷で、大人しくしていて欲しい。
きっと、そう言いたいのだろう。
男……テイの悟りと諦めの境地に至った目はアグレイを通り越し、どこか遠くを見ていた。
この時点で、なんとなく状況が読めてくる。
「アグレイ様、ヤヤは飛び疲れてアサギ様、サクロ様のお屋敷に戻られましたよ。アグレイ様も戻りましょう。ここは危ないですから」
「そういうわけにも行かないんだよ、テイ。実は、私は、冒険者になりたくてね! 最近、魔法を習っていたから、どうしてもその成果を披露したかったんだ! 明日の朝には一旦ここを離れなければならなかったから、今カノウくんたちに会えたのは僥倖だったよ。日頃の行いかな? さあ! 君たち、迷宮を案内してくれ!」
え。とウミ隊の全員、端で伸びているウミに至るまでが一瞬で嫌な顔をする。
「アグレイ様……」
テイの、深いため息のような声。
「彼らも疲れておいででしょうし、迷宮に潜るのはまた今度にしましょう」
「つ、疲れてます」
思わずカノウも言葉を合わせ、「ね!」と仲間たちに言う。
「疲れたよねぇ〜! なんなら死にかけたしね! 今日はもう無理かな」
「そうだよな! 何せ、初めて二層に潜ったその戻りだし…」
「もう二層へ潜ったのかい! すごいな! それは、すごい! 私も、ぜひ同行したい!」
このバカ〜とヨミチはエンショウを睨む。
「アグレイ様、先程の暴漢も待ち構えているかもしれませんし、今日のところは何卒」
「ううむ…さっきの悪い奴くらい、テイだったらきっとすぐ倒せるだろう? でも…そうだね、疲れている者たちをこき使うようなのは、きっと良くないからね…。うん、しょうがない! 今日は迷宮に潜るのはよしておこう!」
ホッと胸を撫で下ろす。
「でも、迷宮の話はたくさん聞きたいからね! 今日はもてなすから、晩餐会へ来てくれたまえ! 今後、一緒に迷宮へ潜る時の…打ち合わせもしておきたい!」
太陽のような笑顔を浮かべ、アグレイは恐ろしいことを最後に言ってのけた。
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