33.お前の名は。
少なくとも、冒険者の格好ではない。だからと言って、街中で見る格好でもない。そもそもこんな上から下まで黒づくめで顔を隠して街を歩いていれば、どんな職に就いていようと間違いなく衛兵に呼び止められるだろう。
一体何者なのか。
カノウは自身を見る男を、注意深く見つめ返す。
声から想像するに、性別は恐らく男で、年齢は若め。背丈は、エンショウより少し大きい程度。人間ならば…十代後半から、二十かそこらか。体格をあえて隠しているのか、着込んでいる黒いコートは袖があまり、丈も膝下まである。
この男がウミ隊を目当てにここにいたことは、間違いないだろう。ならば、この中の誰かしらと、何かしらに因縁のある人物であることは想像に易い。
因縁、という言葉でまず思い浮かぶのは、ハラン率いる真紅のローブの一行。中でも、最近派手にぶつかり、殺害予告までしてくれているクソオカッパこと、ミッシュルトである。
でも。
カノウはムムと首を傾げた。
この声、どこかで聞いたような気もするんだよなあ。
カノウがそうして考え込んでいる最中も、男は攻撃を仕掛けることも、話しかけてくることもなく、ただ番えたままの弓矢を下ろして立っているばかりだ。
その後ろで、解放された盗賊が、男の背中をじろじろと睨みながらゆっくりと壁伝いに逃げようとしているのが見えた。
「あーもう、嫌になるぜ! どうせお前ら、グルなんだろ? 何が目当てか知らねぇが、俺たちはまんまとおびき出されたってわけだ。まったく、薄汚ぇ盗賊どもだぜ」
カノウを助け起こすために柱の影から出たエンショウが、盗賊に向けぶんぶんと手を振りながら喚いた。
その妙に軽薄な口調には、男のペースに飲まれつつある緊迫とした空気を壊そうという目論見が感じられた。わざとらしく男と盗賊を詰ってみせる。
「グル?」
男はエンショウの言葉に小さく首を傾げた。
「俺とコイツらが?」
僅かにイラついたような声でそう言い、男は盗賊へ視線を向けた。盗賊は舌打ちをしてこそこそと迷宮の奥へ消えていく。
「勘違いしないで欲しい。俺はここでお前たちを待ってる間に、こいつらに襲われ、それを返り討ちにしたに過ぎない。そして、少しばかり脅しの言葉を口にしただけだ。俺はお前たちに危害は加えない。ただ、迷宮から出てほしくないだけなのだから」
「とか言ってるぜ」とエンショウは柱の影を見る。それぞれが手で「ばってん」と「まる」を作り意思表示をする。
エンショウの足元で座り込むカノウは「まる」、その他は全員「ばってん」。
「んなこと言っても、信じられねぇな」
エンショウはキッと男を鋭く睨んだ。
「そもそも、あんた誰なんだ? 迷宮から出るな、なんて意味がわからないぜ。目的はなんなんだよ。下手なこと言ったら俺らだって大人しくはしてないからな」
エンショウは肩をいからせて凄んでみせるが、男は介さず、至って静かな声音で答える。
「なぜここで立ちはだかるか。それは、俺が、お前たちをここから出したくないからだ」
子供のようなことを言う。
カノウとエンショウは思わず顔を見合せた。
「地上で何か起こってるの?」
カノウの質問。
「起こっているという程のことは無い」
男は首を振る。
「誰の差し金だ」
エンショウの質問。
「差し金だなんてとんでもない。これは俺個人の行動だ。大事な部分なので繰り返す。これは俺の…俺の意思に基く個人の行動だ。誰かの指示があってのものでは無い。所属は関係ない」
不思議な返答だ。
それを聞いて、ハナコが柱から半身を出して口を開く。
「あなたに指示を出す立場にある人…主人のような人物がいるのはきっと事実なのね。そして、今あなたはその主人の意にそぐわない事を独断でしている?」
「休日に俺が迷宮で冒険者を引き止めることがあの方の意にそぐうかそぐわないかは、分からないな。この行動が独断であることは認めるが」
妙に回りくどい、変な話し方をする。何かを繕いつつ話している雰囲気はあるが、嘘をついているような感じはしない。
むしろ、嘘にならないよう気をつけながら、丁寧に回りくどくしている感じがする。
「変な人。ハランたちは関係ないのかしら」
ハナコは呟く。
「俺はお前たちに迷宮から出て欲しくないだけだ。いや、ずっとここにいろってわけじゃない。少しだ。あと少し、ここにいてほしい」
「そんな懇願するならよ、名前くらいは名乗れよ」
「名乗る名などない。好きに呼べ」
「くだらねェ」
鞘から、剣が引き抜かれる音。
「やめだ。こうして会話してンのもよォ、作戦のうちだろ? 俺たちを引き止めるためのよォ。お話は、表でゆっくりしようや。なァ?」
ついにウミが痺れを切らして、剥き身の剣を片手に男の前へ立った。
「戦闘が好きか」
「俺ァな。コイツらは知らねェがよ」
「そうか。俺は嫌いだ」
男が、弓矢を右手に持ったまま、左手をコートの内へ伸ばした。
その瞬間、ウミは弾かれたように男に飛びかかった。
「戦うと、あれこれと仕事が増えるからな。仕事が増えると、睡眠時間が減る。嫌な話だ」
ウミの振り下ろした剣は、男が懐から取り出した物に遮られる。キン! という甲高い音。
鉈だ。森に入る際に使うような、四角い刃をした鉈がずるりと出てきて、ウミの攻撃を受け止め、更に素早く振りかぶられる。
「だが、お前たちを今地上に戻すと、俺の睡眠時間は更に減るんだ」
飛び退いて距離をとったウミの前で、男は鉈を逆手に持ち替え、器用に弓と矢を番える。
「安眠に協力してくれよ。お前たち、お人好しなのだろう?」
「あァ。いいなァ、お前ェ」
ぱかり、とウミは大きな口を開いて笑った。真っ赤な長い舌が、別の生き物のように伸び、舌なめずりをした。
「ウミくーん! まんまと挑発に乗ってない〜!?」
柱の影からヨミチが声を上げるが、ウミには聞こえていないようだ。男が射った矢を紙一重で避け、大きく二歩踏み込むと剣を振り下ろす。
なんなく男は、ひらりと横へステップを踏み斬撃を躱す。ウミはそこから剣をくるりとまわし、切っ先を男へ向けると、柄の尻に手を添えて押し込むように剣を突き立てた。
よく研がれた剣は、男をコートごと背中まで貫く…が、そこに感触はなかった。血も上がらない。更にウミは刃先を横に薙ぐが、手応えを感じる前に剣は鉈に弾かれる。
「中身がねぇのか!?」
エンショウが驚きの声をあげた。
男が戯れるように振った鉈をひらりと交わしたウミは「違ェ」と口を開く。
「異常に身体が細ェ上に、こっちの動きに合わせて服の中で身を捩って避けてやがる」
「それならさ! 足! 狙える!? エンショウ!」
「足〜!? 無茶苦茶言うよな〜〜!! 善処はすっけど!」
カノウの指示に従い、エンショウはボウガンを構えるが、踊るように動き、壁を蹴っては体を捩って方向を変える男の動きに、狙いはなかなか定まらない。
粘りに粘りようやく撃ち込んだ一発は、しかし男に掠りもせず、無情にも何も無い壁に刺さるに留まった。
「いや、確かに、無理があったなって、言った後に思った」
しょんぼりとした顔で振り向くエンショウの背中を、カノウが申し訳なさそうにさする。
「足止めをすれば、一人ならきっと地上へ飛び出せるわよね」
「うん、多分」
「でもボウガンで狙うのは無理があるぜ」
「殺すのも避けたいかも」
「そうね。だから…私の"得意の魔法"を使うわ」
「ああ!」とカノウが頷いた。
「作戦会議?」
男が、ウミの攻撃を軽々と避けながら言った。変わらず打ち合いを続けている二人だったが、能動的に男を攻撃し続けているウミは目に見えて疲労しているのに対し、男は動きでウミを翻弄するばかりで武器はほとんど振るわず、体力には随分と余裕がありそうだった。
そもそも、ここに至る直前、二層において大怪我で九死に一生を得ているウミだ。明らかに無理をしている。
だが、空腹と疲労のあまり、その判断がついていない。いわゆる、おバカモードだ。目の前に餌を吊るされた動物のように、単調な突進と攻撃を繰り返している。
そんなウミをからかうように壁を走り、攻撃を避けていた男は、ふと、エンショウが再びボウガンを構えていることに気がついた。
足を狙うのはやめたのか、胴の動きに合わせて狙いを定めている様を視界の端に収めつつ、男はウミの剣を避ける。
エンショウが、引き金を引く。着弾点を予想して、男は横へ飛んで避けた。…避けようとした。
「あれ?」
足が動かず、そのまま地面に倒れ込む。ボウガンには矢が装填されておらず、男の体は無傷だった。なのに、足首から先が、動かない。
男は咄嗟に鉈を引き寄せながら足元へ視線を向ける。
「…氷?」
自身の足がいつの間にか氷に覆われている。手を伸ばすと、その指先に霜がつき、慌てて手を離して吐く息で温めた。
「どうやらあなた、魔法の素質は無いのね。魔力を練ってるのに全く気づいていないようだったもの。広い視野に、身軽な身のこなし。手にした鉈と弓矢…冒険者としての職能なら、狩人といったところかしら?」
仁王立ちで男の前に立つハナコの後ろをカノウがすり抜け、隠し扉を潜る。
男が弓矢へ手を伸ばそうとしたのを、ウミが足で弓を蹴りやり阻止した。
カノウは短い足を必死に動かし、階段をかけ登る。そして、眼前に見える光へと一目散に、飛び込んだ。
迷宮でない、外の土を踏んだ感覚。
その瞬間だった。
ゴンッという音が鳴った。
視界が、ぐるりと回る。瞬きをすると、端が橙に染まりつつある、青い空が見えた。何かにぶつかって、後ろへ倒れこんだらしい。
混乱していると、その肩を掴んでぐいと起き上がらせられる。
視界に、人の顔が、にゅっと現れた。
「わあ! なんだ! やっぱり迷宮の中にいたんじゃあないか! まったく、みんなしてやたらと止めるんだものなあ! おーい! ヤヤよ、彼らはやはり迷宮の中にいたぞ! 私の予想は正しかった! そして…やあ! 久しぶりだね! カノウくん!」
神話の絵本から飛び出してきたような美貌の男。それがカノウを親しげに見つめ、真白の歯を見せて笑った。
「あ、アグレイ様……」
カノウは口をはくはくとさせると、ようやくそれだけを引き出した。
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