22.炎属性



 大通りから逸れた裏通りに、その家はあった。両脇の家の隙間に肩身が狭そうにこじんまりと立つ、やたらに細長い二階建ての古臭い家。クソ女、ハナコの滞在している下宿だ。


「生意気に石造りかよ」


 深紅のローブを翻し、ミッシュルトは通りの真ん中に仁王立ちになった。

 引き伸ばし、練る。膨張させ、破裂。指先に感じる魔力を、手繰り、紡ぎ、絡める。

 指を弾けば火花が散る。腕を振れば炎の渦が巻き上がる。ミッシュルトは大きな目を更に見開き、歯を剥いた。


「玄関ドアの裏にいることは分かってんだよクソアマ! 待ち伏せのつもりか!? 魔力練ってんのが丸分かりなんだよ!」


 突如響いた甲高い声に、通りを歩く人々は肩を竦めて振り向き、近隣の住民は窓から様子を伺う。

 有象無象から向けられる、好奇の視線。ミッシュルトは舌打ちをした。顎の辺りで切り揃えられた髪を揺らし、周囲を睨めつける。


「何見てやがる。目が合った奴、全員燃やし尽くすぞ」


 手のひらを下に向け、弧を描くように動かす。現れた透き通る炎は地面へと落ちると、石畳を舐めるようにしてミッシュルトを中心に周囲へ広がっていく。悲鳴と共に人々が逃げていく。

 辺りが静かになると、ミッシュルトは満足気に鼻を鳴らした。炎は大きく一度揺れると、僅かな煙を残し消える。


「おいクソ女、僕はハランの使いで来てるんだぞ。いいか、とっとと"盗んだローブを返しやがれ"。いつまで位持ちのつもりでいるんだ? ん? お前は今やただの薄汚い、卑しい、惨めな盗人なんだぜ」


 ハランが突然、西方迷宮への遠征をひと月も早めると言い出した時は、一体どうしたのかと思った。元々、冒険者を増やし迷宮内の情報を十分に集めさせ、鏡の行方、犯人の実像を十分に絞ってから短期で一気に片付けようという予定だったのに。

 彼は意味の無い事はしない。きっとなにか有意義なことが待ち受けているのかと期待していた。が。

 それが失踪した自分の女探しとは恐れ入った。

 はっきり言ってクソだ。

 だが、その行動自体はハランが普段から口にしている思想には合致するので、彼を慕うミッシュルトは文句は言えど逆らうことなくここにいる。種族、性別、家柄。全ての生き物が生まれた時より与えられているものを理解し、それを十分に活かす生き方をすれば、世界はより良くなる。癪だがあの女は出来がいい。ハランと番えばきっと素晴らしいエルフが生まれる。


「僕らの方ではさ、お前に代わってとっくにサヴィが十位としてうまくやってんだよ。お前よりずっと歓迎されてな。観念して使命を果たせよ、ハランがお前をお待ちだぞ!」


 ドアが僅かに開いた。

 人間のメスは挑発への耐性が低いというのは本当らしい。

 魔力を必死に練っているのが見えている。反抗の意思があるようだ。あんな不器用で下手くそな詠唱で何が出てくるのか。

 堪えきれず、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら待っていると、不意にドアの隙間に小さな火球が現れ、ミッシュルトに向かって飛んできた。


「フレイム! フレイム! フレイム! これはお笑いだな!」


 ミッシュルトが、手を横に凪いだ。繊細に編まれていた魔力が一気に炎を纏い現れる。それはミッシュルトの体をぐるりと包み、飛んできた弱々しい火球を飲み込んだ。


「なぁお前、いくつだよ? 卒業間近にもなって、自分のピンチに放つ魔法がフレイム? 初級も初級、エルフならガキでも使える児戯だぜ? 情けなくて涙が出ちまった。これ以上生き恥晒さずとっとと死んでくれよ、頼むから」


 抗議をするかのように、続けて火球が複数現れる。その一つ一つの小ささに、ミッシュルトは思わず噴き出す。吹けば飛んでしまいそうな火球がミッシュルトに向かい飛んでくる。堪らず声を上げて笑いながら、同じように全て炎で吸収して無効化した。


「流石、魔力見るためだけにいちいち道具使ってちまちま計算する奴は違うわ。みみっちいねぇ、情けないねぇ」


 そう言っている間にも、弱々しい火球がどんどんと現れ飛んでくる。ミッシュルトは、初めこそ煽り、嘲り、嗤い、おちょくりながら相手をしていたが、それもあまりに続くと嫌になる。

 指の一つも動かさず、直立のままその全てを払い除けていくミッシュルトの表情は、だんだんと冷めたものとなっていった。


「なぁもうそれ飽きた。クソくだらねぇ、やめろ。無駄なことすんな」


 単調な連打。魔力が尽きるまで続けるつもりだろうか。それかこちらが痺れを切らして家の中に踏み込むのを待っているのだろうか。

 あんな見え透いた待ち伏せに引っかかる程間抜けでは無い。あくびを噛み殺しながら、次の手を考える。

 そういえばあの女にも協力者なんてもんがいるんだろうか。冒険者に登録したらしいが、あのクソ女に仲間をつくり上手くやるようなスキルがあるようには思えない。

 万が一、冒険者の仲間…協力者がいて。これが……時間稼ぎだったとしたら?


 ヒュッと風を切る音がして、我に返った。視界の端で反射した、光。


 火球に隠れるようにして投げられた、大振りの、キッチン用のナイフ。


「は」


 慌てて炎を厚く重ね、三回に分けて撃ち出す。空中で巨大な火球が、勢いよく飛んでくるナイフを順に包んでいくも……勢いが殺せない。

 火炎を凝縮する時間が足りていない。重ねて四発目、五発目と撃ち込み、更になけなしの小さな火球を押し込むと、ようやく持ち手が焦げ落ち焼けて色の変わった刃が、ミッシュルトの目の前で軽やかな音と共に落ちた。

 次の攻撃に備えドアの裏を見る。ハナコは変わらずそこにいて、再びあの弱々しい火球を撃つためか魔力を練り始めている。


 魔法攻撃に混ぜた、物理攻撃。

 くだらない策だ。

 本当にくだらなくて、面倒くさい。


 こめかみの辺りで、何かが切れるような音がして、視界が赤く染まる感覚がした。


「…殺す」


 爆発音。炎が、感情を写し荒くなる心拍に合わせ、沸き起こり、湧き上がる。

 空を燃やすように登る火柱。それを、巻き取り丁寧に凝縮していく。

 向こうの飛ばすフレイムと同じサイズの火球。だが、密度が違う。渦巻く、圧倒的なエネルギー。それをハナコの潜む玄関ドアへ向け、射出した。

 矢のように飛んでいった炎は、しかし標的である玄関ドアを穿たず、すぐ横の壁を抉り黒い痕を残した。衝撃が空気を震わせる。


 外した。

 もう一発。


 魔力を練り上げる。立ち上がる火柱を再び凝縮。圧して、圧して、圧して、狙い…撃ち込んだ。

 衝撃と共に玄関ドアが木っ端となる。黒煙と土煙が辺りに漂い、にわかに視界が悪くなった。

 煙の中、ついに魔力を練るのをやめしゃがみこんだ人影によくよく照準を合わせる。


「なあ、髄まで燃やしても蘇生できるか、試してみようぜ」


 凝縮無しの、巨大な火球。容赦なく、ドアを失った玄関へ撃ち込んだ。

 ごう、という深い音と共に炎があがった。近くの家々の中から、押し殺した悲鳴があがる。

 気道が一瞬で焼けてしまったのか、予想していたハナコの大絶叫が無いことにミッシュルトは落胆する。とはいえ、死んだことは確実だろうので、その点では溜飲が下がったので良しとする。

 もし蘇生ができなかった時、ハランになんて言い訳をしようと考えていると、炎の中で今までで一番大きく魔力が動いた。


「生きてんのかよ!? キモすぎんだろ! いいから大人しく死……あ?」


 炎を割り、羽織っていた布を投げ捨てこちらへ突っ込んでくる人物。その輪郭に…違和感。


 ガタイがいい。


 女にしては、デカすぎる。


 ……男だ。


 こいつ、ハナコじゃない!


 両手で魔力を編み上げ急いで火炎を作る。まだ、距離はある。避けられないようしっかりと狙いを定め、引きつける。

 これだけでかい男を一撃で仕留めるのは難しい。顔を狙う。怯ませてからでかいのをぶちこむ。相手の腕は届かず、こちらの炎が確実に当たる距離…後、五歩だ。五…四…三…二……。

 右手を伸ばし、広げたその指の隙間から男を睨む。炎に勢いを乗せ、撃ち込もうと意識を集中させた、その瞬間。

 男の背後から小さな何かが顔を出し、男の肩を蹴ってこちらへ飛びかかってきた。


「は!?」


 子供だ。片手を後ろにした子供がミッシュルト目掛けて飛びかかってくる。射出された炎は止まらない。ミッシュルトの腕の先、男に向かって飛んでいく。

 炎が目前に迫ったその瞬間、子供は後ろ手にしていた手を動かした。チラと何かが光る。

 またナイフか。

 咄嗟にミッシュルトは、両腕で首と胴を庇った。

 轟音を上げて飛ぶ炎は狙いのまま真っ直ぐに飛び、そして男に命中……すること無く、その前で何かに塞がれた。

 子供の持っているもの。ナイフではない。

 鉄で出来た…鍋の……蓋?


 悲劇は、その蓋の縁が、内に向かいカーブしていたことだ。


 ミッシュルトの放った炎は、蓋に直撃した瞬間、表面を撫ぜるように広がった。炎は勢いのまま、カーブを伝い内側へ吹き込む。つまり、腕で胴を庇ったため、がら空きだったミッシュルトの顔に向け。

 逃げようと足を引くが、その両肩に子供が着地する。押し付けられる、炎を抱えた鍋の蓋。

 自らの頬へと手を伸ばすその灼熱に、ミッシュルトは声の無い悲鳴を上げた。



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