21.狂気と逃走



 火傷痕のあるフェアリーなんて、論外だろう。

 あんな醜いものが堂々と顔に残ってるってのはつまり、アイツが治癒を使えないってことだ。信仰心の育ちやすい環境、魔力を扱いやすい種族に生まれ治癒が使えないってことは、生きることをサボったということだ。目の前に提示された当たり前のやるべき事をやらなかったクソだ。話にならない。死ねばいい。


 赤毛のガキを魔法で殴ったのは、アイツが人間のオスで、反抗的な目を向けてきたからだ。人間のオスは害悪だ。交配した相手の種族的特性を全て打ち消したガキを作りやがる。人間のオスと交配したメスは、人間のオスしか産まない。ろくな特性もないくせに性欲だけは強く、増えるしか脳のないクソだ。絶滅しろ。死ねばいい。


 それにひきかえ、人間のメスはいい。交配した相手の種族のガキを産む。賢い人間のメス、見目のいい人間のメスは素晴らしい。交配すれば賢かったり、見目のいいエルフが生まれる。

 だからこそ反抗的で従順じゃない、余計なことを考える人間のメスは自分の立場、価値の分からないクソだ。弁えろ。死ねばいい。


 特に、あのハナコとかいう人間のメスは最悪だ。次から次へと余計なことをしやがる。僕たちの前に現れなければ良かったなどとは言わない。ただ、生まれて来たこと自体を呪ってやる。母親の胎内に還れ。塵になれ。クソが。死ねばいい。


 ハランがあの女に会ったって話を僕にしたってことは、とっとと追いかけてブッ殺しちまえという意味だろう。やけに嬉しそうに話してきやがったが、きっと間違いなく殺せという指示に違いない。

 ああ、ハランのやつ、あんな女の話で笑顔なんて浮かべちゃいやがって。クソが。でもハランは生きてろ。


 悪いのは全部あのクソ女だ。

 骨の髄まで消し炭にして迷宮の冒険者たちの野グソに混ぜてやる。


 待ってろよ、クソが。



 -



「逃げ帰ってるものだとばかり思ったわ」


 落ち着かなげにうろうろと部屋の中を歩き回る背中に声をかけると、ヨミチは勢いよく振り向き、ベッドの縁に縋り着いた。


「だ、大丈夫? 具合、どう…? お腹空いてるようなら、スープ作ってもらってくるよ、気分悪くは無い?」


 眉尻をこれでもかと下げる兄の顔から、彼が本気で自分を案じてくれていることが分かり、ハナコは意地の悪い物言いをしたことを少し反省する。


「大丈夫よ、心配かけて悪かったわね」

「不調に関してはみんなお互い様だからね。そういうのは無しだよ」


 ヨミチは励ますように優しく手を撫でると、にこりと微笑んだ。

 こういうところが、抜け目が無い。

 兄の、相手の弱った部分を見逃さず、しっかりと拾ってケアできるところを、女たちは気に入るのだろうなとハナコは冷静に分析する。

 体を起こすと、少し目眩がした。治まるまでじっと目を瞑る。


「迷宮、戻りは、何も無かったかしら」


 もし、誰か怪我でもしていたら、合わせる顔がない。パーティーによっては見限られて置いていかれても仕方が無いような、あまりにも個人的なことが由来の体調不良である。

 思い詰めたように俯くハナコに、しかしヨミチは笑顔のまま首を振った。


「全然何も! スルッと出てこれたよ。何も起きなくて……あ、ハレくんがゾンビ犬の顔に拳を叩き込んでノックアウトしたトコは、見られなくて残念だったかも…」


 何よそれ、と微かに笑い声を漏らす。

 瞼を開くと、ようやく見慣れてきた下旬先の自分の部屋。レースのカーテン越しに、ぐずついた曇り空が見える。


「戻ってから、どれくらいかしら」

「全然経ってないよぉ。ほんとついさっき戻ったばっか! ウミくんエンショウくん、カノウちゃんたちは一旦ご飯食べにいっててね。後でまた来るってさ。だから、もう少し寝ててもいいよ」

「……そういうわけにもいかないの」


 ハナコは、ベッドの脇に落ちていた、いつも身につけている鞄を拾い上げる。そして中から、手のひらに収まるサイズの硝子の器具を取り出した。

 四角いガラスの中に、透き通る水色の石が嵌っている。硝子には方眼に細かく線が刻まれていて、その端に金属の巻ネジが付いている。


「なぁにそれ」


 首を傾げるヨミチの前で、ハナコは部屋を見回し、それから窓の外をちらと覗く。そして「大体これくらいかしらね」と言って、金属の巻ネジを回した。

 するとガラスの表面に数字が浮き上がる。巻ネジをしばらく前後させた後、一度ガチッと巻ネジを押し込み、再び何か数字を調整し始める。


「これはね、魔力を測定できる魔法具よ」


 そう言ってハナコが数字の選択と巻ネジの押しこみを数回繰り返すと、器具の周囲に小さな光球が四つ現れ、四方へ勢いよく飛んで行った。光球は壁に当たっても止まることなく、すり抜けてどこかへ消えていく。


「数字を打ち込んで計測する範囲を指定したの。で、あの光が飛んで行った先のそれぞれの魔力の値が、このガラス板に表示される。その値を使って簡単な計算を"少し"すれば、見えない魔力の流れが"見えるように"なる」

「えー! すごい! 便利!」

「そうなの。魔法を使う存在の殆どは元から魔力の流れなんて見えたり感じたりするから需要はあまりないけど……私は隔絶を埋められる…優しくて素晴らしい発明品だと思ってるわ」

「うんうん! 僕もそう思う! ……でも、なんでそんなものを突然出したの?」


 様々な女の元を点々とし、巻き込まれた修羅場は数知れずの勘のいい男である。敏感に嫌な予感を察知し、口の端を引き攣らせ尋ねた。

 ハナコは、長い黒髪をかきあげると、大きなため息をついた。


「少し思い当たることがあってね。杞憂だったら良かったけど、結果は残念ながら。魔法使いがこちらへ向かってきているわ。挑発するみたいにわざと魔力の流れをぐちゃぐちゃに乱して。……こんなことするの、アイツしかいない……」

「えっとつまり……?」

「急いで逃げるわよ」


 するりとベッドを下りると、鞄の中に魔力測定器を戻し、壁にかかったローブを手に取る。


「また急だなぁ〜…。なんでって聞いてもどうせ答えてくれないんでしょ?」

「ええ。とてもじゃないけど時間が無いわ」

「まあ、いいよぉ。で、逃げるって、どこに? お家に帰れるってこと?」

「いいえ。カノウがいる孤児院へ行くわよ。あそこを運営しているのはヴィオラヴェッタの直系の息子たち。実家が太いあいつだからこそ、あそこに逃げ込んだら手出しできないわ」

「待って、おばあちゃんはどうするの!?」


 この下宿の大家である老婦人が、一階にいる。何が目的かは分からないが、追っ手が穏やかな連中ではなさそうなのは確かだ。もし巻き込まれでもしてしまったら大変なことだろう。


「流石に一般人には手出ししないわよ」

「するよー! 魔法使いってどうせローブの奴でしょ!? 昨日あのローブ着てる奴がエンショウくんと、もう一人フェアリーの男の子にいきなり魔法ぶつけたとこ見たんだもん!」


 ハナコはテキパキと支度していた手を止めて、苦い顔をする。


「なんでそれを早く言わなかったのかはともかく。そうね……どうしましょう。その魔法をぶつけてきた奴と、今向かってきている追手、十中八九同じ奴だわ」


「本当に野蛮なのよあの男」と、ブツブツと文句を口にするハナコの隣で、ヨミチは、自分の部屋から引っ張り出してきたリュックを足元に置き、考え込む。


「向こうは魔力の流れってどれくらい見えてるの? 例えばこの家に今、どの位置に何人いるかとかってわかってる?」

「…ハッキリとは分からないかも。あれだけ自分で掻き乱しまくってるし」

「なるほど。……仕方ない。お兄ちゃん生存奥義、巻の二十五番。女の子の家で寛いでたらいきなり女の子の彼氏が帰って来ちゃった時の対処術〜応用編〜…出しちゃおっかなぁ…♡」


 疑念に満ち満ちた白けた視線を送るハナコに、ヨミチは渾身のウインクを送ってみせた。

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