20.憧憬


 美容師になるべく首都アスフリへ上京してきた、卒業以来一年ぶりに会う友人は、以前にも増して可愛らしくなっていた。

 生きる力に満ち満ちている、とでも言おうか。髪の一房、爪の先、笑うえくぼに頬のほくろまで、その全てがオレンジの香りのような、夏に咲く花のような、そんなものを感じさせる。

 瑞々しいエネルギーだ。丸ごと分厚い魔法書になってしまったような私の脳みそに風穴をあけ、オレンジだ夏だなどという浮かれた表現を引っ張りださせるくらいには。


「一年遅れになっちゃったけど、専門学校にね、合格したの」


 通りに面したカフェ。カラフルなパラソルの下、嬉しそうにはにかみながら彼女は言った。


「へぇそうなの、おめでとう」


 白々しく言ってみるが、そんなこと、もうとっくのとうに知っている。

 なぜなら、その学校に入学したドワーフは創設以来初めてで、種族や性別の適性に拘る一部のグループを中心に、水面下で何かと話題になっていたからだ。


 ドワーフは、美容師を目指さない。


 太く短い指に厚い手のひらは、トンカチは握れても鋏を扱うには向いていないし、固くゴワゴワした髪は美容師に似つかわしくないから。

 ドワーフといえば、力仕事。鉱夫や鍛冶屋を営み、重い荷物をひょいと担ぐ。


 けれど、今自分の目の前にいる彼女は、人間の私などより余程素敵で、美容師映えする姿をしていると思った。


 自分で切ったのだという短い髪は、いかにも溌剌とした彼女に似合うし、よく手入れされた髪は、固いと言うより強いという表現の方が似合う気がする。

 彼女は、入学するにあたり自分の手に合う鋏をオーダーメイドしたのだと話していた。両親がプレゼントしてくれたのだそうだ。

 彼女の実家は田舎の地主で、彼女は大きな庭の着いたとても立派な家に住んでいた。

 習い事をたくさんしていて、両親は喧嘩ひとつせず仲睦まじい。週末は家族で外食をしていて、長期休暇には旅行へ行っていた。

 彼女は、陽の当たるところ以外を歩いたことがないような女だった。


「あ、私の事ばっかりでごめんね。突然だったし、忙しかったよね」


 一頻り自分のことを話した後に、私の顔を見てハッと目を逸らしながら彼女はそんなことを言う。

 なんだその反応、と私は苛立ちを覚える。変な格好をしてくるな、と一言文句を言えばいいのに。

 彼女が、私の化粧の一つもしていない顔と、起きたままのような服、ボサボサの髪を気にしているのは会った時の表情で分かっていた。

 どう切り出すか悩んだ末に、こうした言葉で指摘したのだろう。「ええ、そうなの。今日は特段忙しくてこんな格好だけど、普段はもう少しマシなのよ」なんて返事を求めて。


「大丈夫。どうせ、ずっとこんな感じよ」


 彼女の期待している女など、初めから存在しない。

 もうあくびすら出ない口に紅茶を流し込んだ。最後に風呂に入ったのはいつだろうか。


 そう、ずっとこんな感じなのだ。


 田舎で唯一のまともな進学校に特待生として通い、そこで彼女と出会った頃から、必死で取り繕った「ハナコ」の内側はずっとこんな感じだ。

 私の実家は四人暮らしで、両親は自分の畑を持たない農家だった。彼女の両親のような人々の所有する広大な畑へ赴いて力仕事をし、牛豚の世話をしてお金を稼いでいる。

 決して、ひどく貧しいわけではなかった。

 だが、好きに夢を追えるほどに豊かでは無かったし、両親は娘の将来にそれほど関心がなかった。というより、進路などと言われても何もわからなかったのだろう。二人とも学校などろくに行かず、子供の頃から家業の手伝いをして過ごし、年頃になると親の勧めで遠い親戚同士で結婚したような人達だ。

 学校へ通うということ自体を許してくれたことに、感謝をしなければならないくらいである。

 働きながら、勉強をした。頑張るという表現が生ぬるいほど、頑張った。

 特待生になれば寮に無料で入れる大学があった。そこを目指して勉強を続け、遮二無二飛び込んだ。

 そこは魔法の分野では国で一番の大学で、同級生は豊かな金持ちの男ばかりだった。


 そこで私は徹底的な挫折を味わった。


 全身の骨が粉々になり、臓器を叩き潰されるような。容赦のない精神の破壊、誇りの剥奪。私は私として生まれたことを憎み、その時初めて両親とどうにもならない運命を僅かに恨んだ。

 筆記のテストで満点を取っても、権威ある教授たちに絶賛される論文を書いても、私はずっと暗い底から這い上がれない。


 魔法使いとして致命的な欠落。

 私は……素養が無く、魔法がほとんど、使えなかったのだ。


 その間もずっと、彼女から手紙が届いていた。専門学校の試験に落ちたこと、彼氏とうまくいっていること、犬を飼いだしたこと、専門学校の試験に2度目は受かったこと。返事は一度も出せなかった。


「そういえばね、こっち来て、お洋服屋さんがたくさんあってびっくりしちゃったの! はしゃいで買いすぎちゃって、彼氏に怒られたのよ」


 彼氏。あの、一つ上の先輩か。生徒会長をしている人間だった。あの人も、父が医者、母が地区の婦人会の会長というような人で、陽の光の下で輝く清廉潔白な人だった。

 私のような人間はほっとけばいいのに、彼女がやたらに私を親友として彼に紹介するので、彼と私は嫌な距離感の知り合いであった。

 目が合えば会釈するが、会話はしない。三人では会うが二人になった途端距離を取る。

 彼も大学がこちらで、去年から引っ越してきていると聞いた。彼女が首都の美容師学校に拘った理由も、先輩を追いたいという気持ちが強かったのだろう。

 愛する気持ちは力になるなどと宣う人たちがいる。私はそれを否定するために、這い蹲るようにしてここにいる。


「そういえばハナコ、高校の卒業式で着てた服あるじゃない。あれ、とっても似合ってたなって。また着てるの見てみたいな」


 全く、しつこい。まだ服の話か。彼女は、私がこのボロを着ていることが耐えられないらしい。

 卒業式。ちらと思い出す。そう、真っ黒なドレスを買ったのだ。大学に受かった喜びで、浮かれてバイト代をつぎ込んだ。世界で一番似合っていたと、私自身も思っている。でも。


「あの服なら、もう捨ててしまったの」


 もう必要が無いから。

 彼女は目を見開いて固まったが、すぐに笑顔を浮かべ、


「そうだよね。もう一年前の服だもんね。都会は流行り廃りがあるもんね。私もその辺しっかりしないとなぁ」


 と言った。

 心がミシリと音を立てる。臓腑を、掻きむしりたいような。目の前の彼女に掴みかかりたいような、そんな気持ちに駆られた。

 言葉に表すのならば………鬱陶しい。


「そんなことより、生活の準備は整ったの」


 鼻で笑う、小馬鹿にするような口調。

 精一杯に醜い意地の悪い気持ちで言ったのに、彼女はにわかに喜色を顔に滲ませた。

 犬が、飼い主に構って貰えた時。子供が、親に振り向いてもらえた時。こんな顔をするのではないだろうか。

 お前に興味を持ったわけではない、と衝動的に口走りそうになる。だが私の口は利口なので勝手なことはしない。余計なことは言わない。


 ただ、鬱陶しい。


 鬱陶しい。


 鬱陶しい。


「そうそう。パパとママがすごい心配してくれちゃってさ。子供じゃないのに、家具とか一通り買ってくれちゃって。恥ずかしいよねぇ。彼氏もさ、心配だからしばらく様子見に通うとか言い出しちゃって。私、そんなに頼りないかな?」


 受け取った愛情を賢しらにひけらかし、己の怠慢、無能ぶりを晒してなんだというのだろう。

 娘であり、女であるということによくも恥ずかしげもなくぶら下がれるものだ。パッシブの属性を、カードとして切るな。そんな甘えきった、愚かなことを。私の前でだけは決してするな。


 ドワーフは美容師にならない。


 この子もきっと、なれなくてもいい。創設以来初めてのドワーフの入学者などと、彼女はこれっぽちも気にしていない。何者でなくとも、彼女はきっと満足できる。愛する恋人、家族、友人に囲まれその何者でなくとも得られる幸せを謳歌できる。

 私は違う。

 私は、違う。


 私は、魔法の才能のない自分を認められない。何者かになりたい。


「そうだ。ねぇ、せっかくまた会える距離なんだし、ショッピングでもどう? 私、憧れだったの。ハナコと街を歩くの」

「結構よ。必要ないから」


 可能な限りに、言葉を尖らせた。その柔い肉を裂き、ズタズタにしてやりたかった。


「えー? 服買おうよ。ハナコ美人なのに、勿体ないよ」

「いらない。必要ないの」

「お化粧品も?」

「化粧も、服も、恋愛も、女らしさも全て、私には必要無いの」


 必要が無い。そんなものは全て、私を見えない繭で包み、隠してしまうものだ。閉じ込められ愛でられ使われる妻になど、娘になど。…女になど。私はならない。


「そう……わかった。ハナコが決めたことだもんね」


 しかし彼女は、その丸い心で私が振り下ろす切っ先を簡単に避けてしまう。


「それじゃあ、食事とかはどう? 食事は必要でしょ?」

「いいえ。申し訳ないけど、もう…暫く、会わないわ。今日はそれを伝えに来たのよ」

「……必要ないから?」

「ええ。そう。私には、必要無いの」


 私が突きつけたのは、断絶だ。光の下でのんべんだらりと生きている女への拒絶だ。

 さぞ呆れただろう。嫌になっただろう。昔の親切や楽しい思い出を切り捨てる薄情な人間だと。だからもう、私のことなど忘れて、あなたは幸せに……


「変わってなくて、安心した!」


 彼女は歌うようにそう言って、真っ赤になった私の手を握った。少し汗ばんだ小さな手。短い指の付け根に、ハサミのタコが出来ている。家で、猛特訓したのだろう。

 顔を上げれば、あの笑顔。爽やかな……オレンジの香りの、夏の花の……


「いいの。そうやって、矢みたいに全部置き去りにぴゅーんって飛んでいくハナコを、私が勝手に大好きなだけだから。ハナコはハナコでいて。あなたがそうだから、私、美容師を目指して頑張れてるんだよ」


 何も、言葉が出なくて。


「ねえハナコ、でも一つだけお願いね。髪、切らないでほしいの。あなたのその綺麗な長い黒髪が本当に好きなの。いつか、ハナコが一番の服を着たいと思った時……その髪を私に任せてちょうだいよ」


 一番の服。あの、深紅のローブを、もし身に纏う日が来たら。

 魔法を上手く扱えない私が、私をただの人間の女に閉じ込めようとする連中の上に立てた時……その時は。


「……考えておくわ」


 惨めたらしい鼻声の呟きに、彼女は満面の笑みで返したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る