19.陽だまりの人


 立派なテント、は本当に立派だった。

 一際大きく、厚い蒼い布で囲われた五角形をしている。布にはビッシリとミミズがのたくったような文字が刻まれていて、星を象った装飾品で飾られていた。

 入口前には王国兵が二人控えていて、たむろする冒険者たちに鋭い視線を投げている。

 テントを一目見た瞬間、ハナコは口に手を当てた。


「この紋章……この色、この文字…まさかこの中にいるのって…」


 その表情は、歓喜なのか畏怖なのか。

 猛烈な勢いでノートをめくり、何かを書き込み、テントの文字と見比べ見比べ頷く。


「中の方……あの方よね。お会い出来るのかしら」


 ぽかんと口を開いて置いてけぼりの五人に構わず、ハナコは護衛の兵士の腕に手を添え詰め寄る。

 突然、スレンダーな美女に顔を寄せられた兵士は、耳まで赤くして戸惑いながらテントの中を覗くと、何かを確認する。そして「…は、入れ」と入口の布を引き上げた。


 テントの中は、幻想的な風景が広がっていた。

 光る石がぼんやりと辺りを照らし、透き通る布が幾重にも天井から垂れ下がっている。何か、香が焚かれているのだろう、甘い香りが鼻腔をくすぐり、優しく煙がたなびいていた。

 少し進むと、一層布が厚く下ろされたスペースがあった。その向こう、誰か、立っている。

 右手に書物、左手に燭台を持っている。青い法衣を着ていた。女だ。しんと一人、微動だにせず静かに佇んでいる。顔は見えないが、それでも荘厳な雰囲気に、知らず背筋が伸びるようであった。


「あ、その……こんにちは?」


 カノウがもじもじと手を擦り合わせながら、挨拶をした。

 だが、孤児院に育ち、武勇一辺倒で生きてきたドワーフである。このような「謁見」の場にはとても慣れていない。「私、無理だ〜」と頬を抑えると、助けを求めるように隣に立つハナコの顔を仰ぎ見た。

 ハナコは、代わるように一歩前に出る。だが、彼女は顎に手をあてたまま、目の前の女性をじろじろと睨めつけるばかりで口を開かない。


「ちょ、ちょっとハナちゃん」


 しまいには、焦って止めるカノウに構わず女性と一行の間に置かれた仕切りに手をついて身を乗り出し、女性の顔を至近距離で眺め始めた。


「ハナちゃん! ガンつけるのはまずいって!」


 小声のカノウがハナコを引き戻す。それでもハナコは女性から目を離さない。やがて辺りをぐるりと見回すと「ああ、まあそうよね」と独り言を言い、大きなため息をついた。


「なんか…挨拶しようよ、挨拶」


 カノウは懇願するようにハナコの腕に縋り付く。面倒くさそうに視線を逸らしたハナコはエンショウと目が合うと「じゃあ、お願いするわ」とその背を押した。


「俺ぇ!?」


 エンショウが素っ頓狂な声を上げた瞬間、カチッという音が鳴った。


「我が名はルアス! 王国に仕える女僧侶なり! 我が国に栄光あれ!」


 突然、女性がそう高々に名乗った。高く澄んだ中にどこか鋭さを湛える声だった。

 そこそこのボリュームであったため、全員がビクリと肩を揺らす。


「あ、ども…その俺ら」

「先日、我が国の秘宝である魔法の鏡が、邪悪な魔導師によって3つに割られ持ち去られてしまった!」


 エンショウは、「はあ」と力ない返事をする。


「それは大変すね。で、その鏡って」

「汝らの任務はその3つの鏡を奪い返し、この国に再び平和をもたらすことである!」

「えっと」

「では、行け! 汝らに加護あれ!」

「……」


 その後は、カノウが何を話しかけても、女性はうんともすんとも言わなかった。


「声をね、封じ込めておける魔法具を最近うちの教授が発明したのよ。実証実験できる先を探してたわね、そういえば」


 未だに張りぼてと気づかず、「女僧侶ルアスの像」へ話しかけ続けるカノウを横目にエンショウは"隊長"を思い出す。

 "隊長"も恐らく、中身がいると信じ込んでいるタイプだろう。空っぽの激励を受け、鼻息荒く張り切る様が目に見えるようだ。

 その直後のあの盗難事件と思うと、なんだか可哀想に思えた。


 そんなことを考えていると、背後で入口の布がぴらりと捲られ、兵士がひょこりと顔を覗かせた。


「終わったか? よし、出てこい」


 全員、黙って外に出る。


「……そういうことだ。もし時間があれば感想とか書いてってくれ」


 気まずげに目を逸らしてボードを差し出し、兵士はそう言った。


 -


 戻ってきた石扉前は、お祭り騒ぎだった。ここはトラブルの火薬庫らしい。

 入ると出るとですれ違った冒険者パーティーの間で、肩が当たったなんだを発端に大喧嘩が勃発したそうだ。

 通行が完全に止まり、観衆がそれを取り囲み汚い野次を飛ばしまくっている。

 騒ぎを見物している間になにか盗まれたらたまらないと、六人は壁際に寄る。

 思えば、迷宮盗賊が鏡の話を持ち出したのも、鏡の所有を巡って鎌をかける意図があったのかもしれない。鏡がどんな状態で迷宮内に持ち込まれているのかは分からないが、他の冒険者が苦労して引き上げてきた鏡を横から奪えればこれほど楽なことは無い。

 もし鏡を持っていなくとも、鏡を求めて迷宮に入る新人を早めに潰してしまえればそれはそれで得である。

 やはり本職の「盗賊」は違うな、とエンショウは唸る。性根がねじ曲がっている。


「それにしても、鏡かぁ」


 エンショウは、なんともなしにぽつりと切り出した。


「そんな一大事、上にいた兵士も教えてくれて良かったと思わなぁい?」


 ヨミチが唇を尖らせる。


「上にいた兵士も、知らないで潜るのがいるなんて夢にも思わなかったんだろうよォ」


 皮肉げにウミは吐き捨てた。


「そう考えると、自分らみたいな一定数のバカには有難い品だよね、あの…ルアス様の…人形。そんな事態になってるなんて本当に知らなかったし」


 ハレが、ははは、と笑いながら言った。

 実際、何か王国内で問題が起きたといってもそれが生活に関わらなければそこまで話題にあがらない部分はある。とても大きな国だし、迷宮もあちこちにあるし、その分問題もたくさん起きるし、皆はその日の生活で精一杯なのだ。

 秘宝である魔法の鏡と言っていたが、そんな物があるなどエンショウはそれ自体を知らなかった。それがどんな風に国の役に立っていたのかも知らない。何なら、悪い奴に奪われて割られたところでなんの問題があるかも分からない。迷宮の成り立ちにすら興味が無いのだ、鏡がどうたらなど、輪をかけて興味が無い。

 こんな事態に一介の冒険者風情がでしゃばることもない。国のトラブルなど、どうせ国の学者や王国軍があたり解決してしまうのが常だろう。……学者?


「……あれ、そういえばハナちゃん、大学から派遣されて来てるって言ったよね」


 ハッと何かに気づいたエンショウが、にわかに真剣な表情を浮かべ、ハナコを見た。


「もしかしてハナちゃん……鏡のこと、知ってた?」


 ハナコは、きょとんと不思議そうな顔をエンショウへ向けた。

 そして「ええ。もちろん知ってたわよ」となんでもないように頷いた。


「知ってたなら教えてよ! 俺らすげぇアホの子みたいじゃん!」


 まあ実際アホの子だもんねー、と残りの面々は顔を見合わせる。

 互いを仲良くアホだのバカだの呼び合うその横で、エンショウはハナコを「ずっと知ってて黙ってたの!?」と非難する。

 その全てをハナコはいつもの美しい刃物のような表情で受け流し、やがて薄く唇を開いた。


「だって、聞かれてないもの」


 聞かれてないもの。

 ……聞かれてないもの?


「あのね、そのうち分かると思うんだけど、ハナちゃんって基本的にこういう子です」


 ヨミチがハナコとエンショウの間に立ち、とりなすように笑顔を浮べた。その笑顔から漂うのは、強い諦観である。


「おい! いつまで揉めてるんだ! 離れろ! 離れろ!」


 そんなやり取りをしていると、向かいのテント郡からわらわらと王国軍が出てきて、さながら興行のようになりだしていた冒険者たちの山を崩しにかかった。

 やかましく騒ぐ冒険者たちを、こちら側に並ぶテントにどんどんと投げ込んでいく。「おい! 中に怪我人いんだぞ! 危ねぇだろ!」という荒々しい怒鳴り声がテント内から上がった。

 そういえば、向かいのテントは全て王国軍が占拠していると言っていた。

 歯向かう冒険者たちを手際よく組み伏せていく様を見ると、やはり迷宮内にいる兵士は軍の中でも手練が選ばれているのだろう。前広場に駐屯している兵たちとは明らかに雰囲気が違う。


「なんか…おかしくない?」


 カノウが呟いた。エンショウも同意して頷く。

 そう、前広場にいる兵士と違う。


 ……何かに怯えている。


 強さももちろんそうだが、まず、表情がおかしい。ミスが許されないような、ピリピリとした空気を感じる。たかが喧嘩の仲裁であるのに。

 兵士たちの間で何かあったのか? と訝しんでいると、テントの前に、見知った顔を見つけた。

 その瞬間、全員の顔が強ばる。テントの前で上官らしい兵士の荷物を運んでいる女性は、先日レダタの治癒をしてくれた、少し気だるげな雰囲気の人間の女兵士だ。

 たった数日だが、随分痩せたように見える。時折、口元を抑えて座り込んでいる。体調が悪いのだろう。ふらふらと歩き、荷を取り落としては、おろおろとそれを拾う。

 声をかけたかったが、王国兵たち全体がとてもそんなことを許す雰囲気にない。下手をすれば他の冒険者と一緒に組み伏せられそうだ。

 せめて、向こうが気づいてくれないかとテントに歩み寄ったところで、ヨミチの手を掴んで引き止める者があった。


「……ハナちゃん…?」


 かつて一度も見たことがない妹の姿がそこにあった。

 血の気の引いた顔に、玉の汗をかいている。掴んだ指は冷たく、震えていた。

 ヨミチの知る彼女は、いつも気丈で、気高くて。自信に満ち溢れた表情を崩さない、強い人である。


 この子は、一体誰だ。


 見開かれた目の中、震えるハナコの瞳が映すものを追う。一番奥にぽつんと置かれたテント。そこから顔を覗かせる人物があった。


 心臓が、ドクンと大きく跳ねた。


 深紅のローブを着た男がいた。


 男の前にはドワーフの兵士が両膝を着いて座り込んでいた。装備を見るに、ドワーフは魔法使いか僧侶だろう。男は屈み、ドワーフと目線を合わせる。


「何故? 貴方はそれをやれるはずだよ」


 柔らかな声が耳朶をうつ。なぜ、この距離で言葉が届くのか。喧騒の中、するりと泳ぎ人の耳へと届く。

 緊張がほっと溶けて、安心する声。聞いた途端、時が止まったように感じた。彩度を失った世界の中で、男だけがはっきりと見える。心と肉体が乖離してしまったようだ。

 ヨミチはハナコの事など忘れ、男の言葉に聞き入った。


「貴方には優れたものがある。凶悪な魔物に打たれても耐えうる肉体がある。重い武器を振るえる両腕がある。それは貴方が、両親、祖父母、連なる数多の先祖たちから贈られた、最高のギフトなんだよ」


 男はドワーフを優しく抱き締めた。


「貴方は戦士として生きられる。私が約束する。誇り高きドワーフよ」


 男がフードを取った。エルフ特有の尖った耳。陽の光を束ねたような優しい色の髪が広がった。松明だけが辺りを照らす暗い迷宮の中に、ぽっかりと陽だまりが生まれたようだ。心が安らぐ。勇気が出る。あの人の言葉をもっと聞きたい。

 一歩踏み出したヨミチに気がついたように、慈悲深さを宿す新緑の瞳が、ついと滑りこちらを……


「……お兄ちゃん」


 ハッとして自分の頬を自分で叩いた。


「ウミくん、帰ろ!」


 ヨミチは、左手で目の前のウミの服を鷲掴みにして引き止め、右手でハナコの手を握り返すと、声を上げた。前を歩いていた四人が、訝しみながら振り向く。

 ハナコは、ヨミチと手を繋いだままその場にしゃがみ込み、荒い息を繰り返していた。蒼白な顔で俯くハナコにただならぬ雰囲気を察し、カノウは駆け寄るとその背を撫でさする。

 ウミはちらとテントを振り返ると「あァ…」と呟き、未だ騒がしい石扉へ足を向けた。

 ハレにハナコを背負わせ、更に頭からエンショウのスカーフを被せると混乱に紛れて、石扉をくぐる。





「また逃げるのですね、ハナコさん」


 去りゆく背中を、陽だまりの男はただじっと見つめていた。

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