23.穏健派

「ハレくん、ピンチに陥った麗しいお姫様の騎士になる気はない?」

「えー? お芝居で大木の役を任されるような男だけど、それでもいいのなら」

「最悪怪我じゃ済まないかもしれないけど、それでも、いい…?」

「うーん。まあ、いいよ」

「やったぁ、最高♡」


 大鍋をぐるぐるとかき混ぜつつ諦観の染み付いた穏やかな微笑みを浮かべるハレに、ヨミチは抱きついた。

 そこに大荷物を持ったハナコが転がり落ちるように階段を降りてくる。そして、ハレに気がつくと動きを止めた。


「ハレ、残ってくれてたのね」

「男手があった方がいいかなって思って。あ、スープ飲む?」

「ごめんなさい、それどころじゃないの。その…」

「なんかハナちゃん、こわぁい過激な魔法使いさんにストーカーされてるみたいなの。流石、僕の妹って感じ。愛されすぎちゃうのも困るよねぇ。ほら、僕も脇腹に…刺された跡…ここ…」


 シャツをたくし上げようとする腕をハナコが掴んで止める。


「ねぇ兄貴、考えたんだけどやっぱり私が」

「ハナちゃん、その話はさっきしたでしょ〜! ほらほら急いで! もう来ちゃうんだから!」


 グッと堪えた表情をしたハナコは、苦しげに頷き、居間の安楽椅子に揺られている老婆に散歩へ行こうと声を掛ける。

 その間にヨミチは、ハナコが部屋から持ってきた炎のスクロールが大量に入った袋と、水甕に突っ込んで湿らせた毛布、武器になりそうなキッチン道具をハレに手伝われながら玄関へ運ぶ。


「察するにお相手はもう来るんだね」

「そうなの。おばあちゃん、足が悪いからね。みんなで逃げたら直ぐに追いつかれちゃうから、僕らはここで時間稼ぎだよぉ」

「自分は何をすれば?」

「ハレくんにやって欲しいことは一つだけ! 治癒をね、こう、寸止めして欲しいの」

「治癒の寸…止め」

「そう。治癒が発動する一歩…手前。治癒にも魔力を使うんでしょ? だから…」

「ああ。相手は魔法使い。魔力の流れを乱して、ここにいるのが魔法使い…ハナコちゃんだって錯覚させるんだね」

「そう! スクロールガシガシ使ってぇ、はったりかましてぇ、ハナちゃんがウミくんたちを呼び戻してくるのを待ちます!」

「分かった、任せて」


 子も孫もいないという老婆が、ハナコの誘いを受けて肩にショールを羽織り嬉しそうに立ち上がる。その手を引いて、ハナコは勝手口をそっと開いた。


「二人とも、すぐに戻るから。兄貴には伝えたけど、相手は炎の魔法のエキスパートなの。絶対に、戦わないで。無茶しないで。まずくなったら逃げて」

「何十何計逃げるにしかずは僕の座右の銘だよ? そもそも僕は、戦うなんて出来ないひ弱なお姫様だゆ。待ってるから、早く助けに戻ってきてねぇ」


 うりゅりゅ、と上目遣いをするヨミチにハナコは複雑そうに眉を顰めるが、やがて「ありがとう」と言い残し、勝手口の戸を閉めた。


「来た。あれかな」


 玄関ドアの覗き穴越し、大通りの方からやってくるローブを羽織った華奢で小柄な若い男にハレが気づいたのは、それとほぼ同時の事だった。

 ハレはすぐさま、治癒の寸止め…魔力を練るという行為の試行錯誤を始める。ハレと入れ違いにヨミチは覗き穴から、遠くに立つ相手を観察した。神経質そうな顔をした男だ。見た目が、どこか猫のような雰囲気をしている。大きな目の中で、暴力性を孕んだ瞳がギラギラとこちらを睨んでいる。


「いざとなったら、真っ直ぐ逃げようね!」


 恐怖と緊張で震える唇で、ヨミチはハレにそう言った。


 -


「ねぇハレくん」


 山ほどあったスクロールも、もう数本になった頃、ヨミチはポツリと呼びかけた。


「なんだいヨミチくん」


 まるでトレーニングをしているかのような険しい顔で魔力を練り合わせるハレが、表情とは打って変わったのんびりとした口調で返す。


「火傷って、どのくらいまでなら治癒で治せる?」


 通りからは、男の発する聞くに耐えない罵詈雑言がひたすらに響いていた。


「考えてること、なんとなく分かるよ。本当は反対したいところなんだけど、奇遇だね。自分も一発ぶち込んでやりたい気分なんだ」

「僕ら穏やかなのにねぇ」

「そう。自分らはウミ隊随一の穏健派なんだけどね」


 にっこりと。笑い合った次の瞬間、ハレは無造作に置かれていたナイフの中から一番大きな物を引っつかむと、その鍛え上げられた筋肉を用いて男に向かって思い切り投げ付けた。

 それから少しの沈黙の後、二度の大きな衝撃があり、玄関扉が吹っ飛ぶ。

 ハレの後ろで顔を伏せて木っ端から身を守っていると、肌がチリチリと痛む感覚がした。顔を上げると、巨大な炎が向かってきている。

 竦む身体を叱咤し、濡らした毛布を掴むとハレと共に頭から被る。

 が、それでは防ぎきれない火勢だ。呼吸が苦しくなる。恐怖で叫び出しそうな口に指を突っ込み、舌を押さえつける。何も見えない。あるのは木片の爆ぜる音、髪が焼ける嫌な匂い、そして猛烈なまでの痛みだけ。耐えて、耐えて、その地獄がどれほど続いただろうか。

 不意に、視界が戻る。息が楽になった。ハレが治癒が使ったのだとすぐに分かった。治った端から炎に巻かれる。急いで抱えていた鍋の蓋を握り直し、目の前のハレの背中にしがみつく。

 燃え盛る炎の中、二人は頷きあうと敵に向かって飛び出した。


 -


 ミッシュルトを地面に叩き伏せた直後、ヨミチは慌てて鍋の蓋から手を離した。

 嵌めていたはずの綿のミトンはとっくに焼け落ち、酷い火傷を負った手は皮がべろりと剥がれ真っ赤になっている。

 ハレは未だにチリチリと燻っている自分の服を叩いて火を消しながら、鍋の蓋を顔に乗せて仰向けに転がるミッシュルトの様子を伺った。

 美しい金の刺繍の施された深紅のローブを着た細い体は、ピクリとも動かない。


「炎を吸い込んで、中が焼けて死んだかな」


 ハレが爪先でミッシュルトの足をつつく。


「もしくは頭を打って気絶してるのかも…う…うぅ痛い痛い…このぉ…この野郎ぉ…僕のやわやわのお肌をぉ…この…このやろぉ…」


 両手を目の前に突き出し、ヨミチはしゃがみこむ。ボロボロと泣いている上に、口の端に負った火傷が痛むらしく口をぽっかり開けているせいで、涎まで垂れ流され酷い有様だ。


「とりあえず、兵士に突き出すにしても拘束はしといた方がいいね」


 ヨミチが使い物にならないことを察し、ハレはロープに代わる物が無いかと辺りを見渡す。

 ヨミチよりハレの方が軽傷なのは、恐らく初めて行った複数人まとめての治癒が僅かに失敗した結果なのだろう。予想より炎の威力が強く、一人ずつの治癒では間に合わないと踏み咄嗟に行ったのだが…ヨミチには悪いことをした。

 ぐらりと、地面が反転する感覚。信仰が試される場に置かれた時、そしてその結果が出た時、ハレはいつも漠然とした不安に襲われる。その不安と向き合うことが怖くて、ハレはまた自らを信仰から遠ざける。

 首を振って現実に戻ると、数軒先の住宅の前に、普段は犬を繋いでいるらしい鎖を見つけた。少し拝借してもいいかと迷っていると、大通りの方からバタバタと走ってくる見慣れた一行に気がついた。


「あ、ハナコちゃんたち」


 その言葉に、ヨミチは顔を上げる。そして、ぐちゃぐちゃの顔を嬉しそうに綻ばせた。

 その、次の瞬間。

 ヨミチの小さな体が、宙を舞った。


「炎使いがさぁ、炎の耐性つけてないわけ無いだろうが! このド素人があああああ!」


 ミッシュルトに蹴りあげられたヨミチは背中から地面に落ち、激しく咳き込む。ゆらりと立ち上がったミッシュルトは、ヨミチの火傷した手を踵で勢いよく踏みつけた。小枝が折れるような音がして、絶叫が響き渡った。

 掴みかかろうとするハレを牽制するように、ミッシュルトはヨミチの頭上に炎を生み出す。

 ぐるりと振り返ったその顔、焼け爛れた顔の中で、憎悪に燃える瞳。


「兄貴!」


 ハナコが悲鳴を上げて駆けつける。その声に、ミッシュルトは素早く反応し、ハナコを睨んだ。


「来やがったな、お前のせいでとんだ被害だぜ…僕のこの…この顔が…クソ! クソ!」


 ミッシュルトが踏みしめるように足を動かすと、意識を失っていたヨミチが再度瞼を開き、喉が裂けるほどに叫ぶ。痛みにのたうちながら、半狂乱でミッシュルトの足を殴った。

 あまりに惨い有様に色をなくしたエンショウたちが、口々にミッシュルトを制止する。しかしそれを無視して、ミッシュルトは尚もヨミチの手を踏みしだきながらハナコに向き直る。


「おい、クソアマ。盗んだローブを返せ。お前はもう十位じゃないんだぜ。大人しく返せばお前のお兄ちゃんはこのまま返してやるよ」


 ハナコは肩で息をしながら、真っ赤に充血した目をミッシュルトに向けた。

 全身が、震えている。


「盗んだのは、アンタたちのほうでしょうが…!」


 端正な顔が、怒りに歪んだ。

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