10.バスタイム


 料理の支度をしている間に体を洗って着替えてくるようハレに言われ、追い立てられるように表へ出た。カノウの案内で家の裏手に回ると屋根と滑車付きの立派な井戸があり、蓋を開ければ澄んだ水が湛えられている。


「この井戸作るの、俺達も手伝ったんだぜ」


 釣瓶を落としながらエンショウは胸を張る。


「掘るのはほとんどハレが一人でやったけどね」


 山ほど服の入った籠を井戸の脇へと置き、カノウは苦笑した。


「さて。ヨミくんはどれでも着れそうだけど、ハナちゃんはどうかな」


 そう言って、カノウは籠に手を突っ込んだ。


 エンショウとカノウは、酒を片手にしょっちゅうハレの家を訪れる。

 カノウは寮住まいで、エンショウは出稼ぎ労働者たちが暮らす共同住宅の一室で寝起きしているため、集まってはしゃぎたいとなると自然ハレの家が選択肢となるからだ。

 基本的にハレという男は外へ遊びに誘っても滅多なことでは応じない。

 引っ張り出せないのならば行くしかないという名分の元、彼らは良いことがあったからと押しかけ、悲しいことがあったからと押しかけ、一日何も無かったからとハレの家へと押しかける。

 そして、訪れる度に結構な確率で、着てきた衣類を忘れていく。

 何せ、べろんべろんに酔って帰るのだ。暑いからと脱いだ上着、丸まった靴下、どういうわけだか定期的に置き去りにされるパンツ。

 それらは数年をかけて少しずつ積もっていき、順調にハレのクローゼットを圧迫していた。

「いい機会だ。ヨミチくんとハナコさんに着替えを貸して、残りは持って帰れ」とクローゼットの奥を指さしたハレに「こうやって客人に貸すことを考えて、戦略的に置いてっていたのだよ」と口答えしたエンショウは、鍛え抜かれた肉体から射出された渾身のでこぴんを食らい額を赤く腫らした。


「私の服だとやっぱり小さいよね、横幅は全然足りてるんだけど」


 小柄でガッシリとした体型のカノウの服では、長身のハナコが着るには丈が足りない。続けてエンショウの服を手に取り、宛てがう。


「ハナちゃん、スラッとしてるなあ! エンショウの服でもお腹ちょっと出ちゃうね」

「うそーん」

「エンショウ、なんかスカートみたいなの持ってなかった? 上と下ひとつのやつ。ちゅ…ちゅ…ちゅ……ちゅなんとか…」

「チュニックね」


 エンショウはそう言って、明るい空色をした上下ひとつなぎになっている服を引っ張り出す。


「これ。チュニック。ちなみに俺の手作り」

「ハレに、なんか足短く見えるねその服って言われて置いて帰ったんだよね」

「別にそれが理由じゃないし……足短いの気にしてるわけじゃないし……」


 ごにょごにょ言うエンショウから服を取り上げ、ハナコに合わせる。


「お、着れそう! すごく似合うね、足も長い!」

「あら。ありがとう」


 ハナコは服を合わせると踊るようにポーズを取り、僅かに微笑んだ。


「僕はどれ着たらいい?」


 ハナコの着替えが決まったところで兄であるヨミチが、エンショウの背におぶさり籠を覗きこんだ。


「好きなの着ていいよ」

「選り取りみどりだぜ、どれがいい」

「可愛いのがいいなあ」

「あるかな? 可愛いの」


 カノウが服をかき混ぜる。


「可愛いってどういうのだよ」

「うさ耳とか」

「あるわけねぇだろ」

「熊の毛皮のベストならあったよ」


 ぴしゃりと跳ね除けるエンショウの横でカノウが、最早どこで手に入れてなぜ着てきたのかも不明な立派な毛皮を広げる。


「うーん、圧倒的捕食者」

「つべこべ言うなよなぁ」


「もうお前はこれ」となんの特徴もない麻のシャツをヨミチに押し付けたところで、手拭いで髪の汚れを拭っていたハナコが「あ」と声を上げた。

 顔をあげれば、カラスの行水ならぬトカゲの行水で、ザバザバと適当に水を浴びたウミが着てきたシャツを小脇に抱え水滴をぽたぽたと垂らしたまま家へと戻ろうとしている。


「体拭いて服着ていけよ、またハレに叩き出されんぞ」


 エンショウが止めると、不貞腐れたように背中を丸めてウミは振り向いた。


「俺ァいいだろうがよ、お前らみてェにもろ出しじゃねェしよ」


 確かに鱗で全身を覆われているウミの姿に一見して裸らしさは無いが、そういう問題では無いのだ。


「女の子もいんだからさ。下だけでいいから」


 エンショウがハーフパンツを投げると、ウミは嫌そうにつまみ上げる。


「尾っぽが窮屈で嫌なんだよなァ。穴開けていいか?」

「エンショウ、チュニックもう一着くらいあったでしょ」

「ちょっとハマってた時期があったんだよ……」


 山の中から、白い無地のチュニックを取りだしウミに投げる。

 ウミは不満げにそれもつまみ上げると、手にしていたシャツで体をざっと拭き、チュニックの前後ろを確認する。

 迷宮潜って汚れた服で身体拭いたら意味ねぇだろ、と口を出したかったが、これでへそを曲げて素っ裸を強行されては困るので黙認する。

 襟ぐりが広く作られている服のため、ウミは体のトゲを引っ掛けることなく、問題なくチュニックを身につける。


「…これは……」


 エンショウはその姿を見て、言葉を詰まらせた。

 前から見ると股がギリギリ隠れる丈で、広い襟から鎖骨が覗いている。後ろは裾が尾でめくりあがり、人ならば尻にあたる部分が丸見えになってしまっていた。


「……まあ…いいよ。戻んな」


 渋い顔でエンショウがゴーサインを出す横で、ヨミチがキャッキャと愉快げな笑い声を上げた。


「ウミくん、彼シャツみたいだねぇ」


「あえて言わなかったのにさぁ」とエンショウはヨミチの頭を掴むと、ぐりぐりとかき混ぜる。「やーん! 傷が開いちゃう〜」と額を抑えながらヨミチは足をバタバタとさせた。

 そのやりとりを完全無視してウミは腹を鳴らしながら戻って行く。家の中から「うわっ、野郎の彼シャツだっ」というハレの悲壮な声が聞こえた。


「そうだ。傷、みんな綺麗に治ったみたいで良かったね」


 カノウが、釣瓶で水を汲み上げながら言った。

 ヨミチの額の傷も、カノウの手の火傷も、初めから無かったかのように治っている。


「ハナちゃんがスクロールの識別してくれたお陰だね」

「うちのハナちゃんは有能ですから!」


 ぐちゃぐちゃになった髪のまま、ヨミチは小鼻を膨らませて手のひらをハナコへ向ける。


「炎か治癒か、二択の賭けするにはなかなかリスキーだもんなぁ」


 ケラケラとエンショウは笑い、ハーフアップに結いていた髪を下ろした。


 いざ治癒を始めたはいいものの、ハレはウミに続いて二人目にあたるヨミチの、額以外の傷を治した時点で魔力切れを起こし、残りの面々の傷は全て紙魚に食べられ穴だらけになったスクロールで傷を癒すこととなった。

「学校で嫌という程触れてきたから、任せてちょうだい」と、なんなくスクロールの種類を識別し、ボロボロのそれを扱ってみせたハナコを見た時は、彼女をスカウトできて本当に良かったとエンショウは日頃の行いに感謝した。

 新しく迷宮から持ち帰ったスクロールもついでに識別してもらえたため、どう考えてもぼったくっている商店の高額なサービスを使わなくて済む。

 美人で冷静で賢く有能。全く、ハナコ様様である。


「おい」


 そんなことを話しながら水浴びと着替えを続けていると、不意に背後から不満げな声が飛んできた。


「まだ戻んねェのかよ」


 見ればウミが開けた窓から身を乗り出し、生の人参をガリガリと齧っている。腹が空いたと騒ぎ立てるウミに、ハレが時間稼ぎで与えたのだろうことは容易に想像できた。


「ご飯できてるよ、早くおいで」


 ウミの更に後ろからハレの声がして、途端、空腹をくすぐる匂いが窓から広がった。

 盛大に腹が鳴り、涎が湧き出る。

 四人は顔を見合わせると、こうしちゃいられない、と慌てて手を動かし始めた。

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