9.気は優しくて規格外



 童話にでも出てきそうな小さな家は、フェアリーが住んでいると聞けばなるほどと納得するような可愛らしい作りをしている。

 家の横の畑には色とりどりの野菜が綺麗に実っていて、窓辺には花が飾られている。煙突からはもくもくと煙が立ち上り、スープを作っているようないい香りが漂っていた。

 鳥やリボンの彫刻が施されたこじんまりとしたドアの、蝶々を象ったノッカーを鳴らす。


「おーい。ハレ、いるかー」


 すぐに「はーい?」という男の返事が返ってきて、直後、家の中からゴッ! ドゴッ! という何か重いものを床に下ろす激しい音がした。

 ヨミチとハナコはその異様な音に顔を見合わせる。レダタを参照に考えるフェアリーの体躯では、到底出せないような大きな音だったからだ。


「どなた様ですか」

「俺だよ、俺俺」

「エンショウかあ……。明日出直してよ」

「カノウとウミもいるから!」

「はあ」


 困惑の吐息の後、薄くドアが開く。

 ヨミチは、顔が来ると想定して視線を向けていた場所に股間が現れたため、む、と顔を強ばらせる。

 そして、そのまま視線を上へとずらし、固まった。

 世間的に見ても長身に入るウミやハナコの頭よりさらに上。玄関ドアの隙間から、ギョロっとした大きな片目が覗きヨミチを見下ろしていた。


「まず用件を言って」

「いいからいいから」

「何も良くない」

「大丈夫だから大丈夫だから」

「日頃の行い見直してから言ってね」

「うるせー! 今日はお前に拒否権はないんだよ!」


 エンショウはパッとドアノブにしがみつくと、ドアの隙間に爪先を挟み体を捩じ込んで無理やり室内へ押し入ろうとする。


「怖い! 怖い!」


 野太い悲鳴をあげる男がドアノブを離すと、暖かな光が暗い森の中へと溢れ出した。男の全身が顕になる。

 その姿を見たヨミチとハナコは、揃って息を飲んだ。


「規格外すぎるだろ」


 ぶりっこをかなぐり捨てた成人男性の声が、ヨミチの口から飛び出した。


 身長約二m。ギョロ目に小さな瞳の三白眼。眉毛は無いのに顎髭は生やしている、露骨なまでの凶悪顔。それに加えて鍛え上げられた筋肉が全身を覆っていて、この男の迫力を更に強いものとしている。この巨躯、顔つきで誰がこの男をフェアリーと思うだろうか。

 怖がっちゃうかな、と兄妹を見る。気の優しい男なのだが、何せ強面がすぎる。だがハナコは初めこそ少し驚いたようだが今は落ち着いたようで興味深げにハレを見ている。ヨミチはというと、怖がる様子はないがハレの顔を凝視したまま、何事かぶつぶつと呟いていた。


「おぉ……想像と違いすぎて……。どこが? どこから言うべき? 身長大きいね…筋肉すご…スッッッゴ……。いや違うの、そこじゃなくて。本当にごめん、顔…顔だ。女の子にモテる担当は僕のはずなのに、顔すら出さずに速攻で恋愛パート持ってったから、どんな王子様が来ちゃうのかとドキドキしてたら借金回収の人来たからびっくりしちゃった。いやぁ、びっくりしちゃった。でもこれで恋愛マスターは僕のままでいいね? 安心かも……」


「? あまり聞き取れなかったけど……。とりあえず、はじめましてハレです。最近入った孤児院の子かな。可愛いね」


「そうなの〜っ♡僕ってば世界で一番に可愛い人間の男の子だよぉ♡よろしくねっ」


 可愛いという言葉に反応して、きゅるんっとした顔、声が一瞬で現れる。

 他種族の年齢を判断することは難しい節があるので仕方が無いが、ハレは身長のせいか小さな生き物が大体全部子供に見えている。恐らくヨミチなど、十に満たない少年に見えているのではないだろうか。加えて、ハレは無類の小さいもの、可愛いもの好きだ。

 たっぷりとした髭を蓄えたノームのおじいさんをどこからか連れてきて、小さくて可愛いから一緒に暮らすと言い始めた時には流石にどうしようかと思った。結局うまいこと止められず、このフェアリーは今もノーム語しか話せない小さなノームのおじいさんと暮らしている。


「それで、何の用…」


 咳払いを一つしてヨミチから目を離したハレがそう訊ねた瞬間、不意にウミがエンショウの肩を掴み押し退けて前に出た。

 対峙するリザードマンと、ムキムキのフェアリー。だがウミはそのままハレもなんなく脇へと退かすと、勝手に家の中に上がり込み、隅で無造作に丸まっている毛布の上に寝そべった。


「ウミ、そこシオさんの寝床だよ」

「あァ…」

「汚れたまんま寝ないでよ」

「あァ…」

「あー、じゃなくって。どうしたのウミ、疲労モードだね。てか、うわ、大怪我してない!?」


 ウミの傷に気がついたハレが、「うわあ」やら「あひゃあ」やら言いながら傍にしゃがみこみ、傷の具合を見るように尾に触れる。

 その隙をついて全員が家の中になだれこんだ。

 小さな家だ。その割に、物がごちゃごちゃと大量に溢れている。ベッドとテーブル、暖炉に本棚にキッチンが据え付けられた空間に六人が入ると、もはや詰まっているという表現が相応しい。

 ハナコとカノウがとりあえず手近な場所にあった、部屋の大きさに似合わないサイズのベッドへ腰掛ける。ヨミチは、床に無造作に置かれている謎の大きな鉄塊に腰かけ、エンショウはテーブルにつけられた二つの椅子のうち一つに腰掛けた。


「とりあえず全員治してほしいんだけど」


 エンショウの要求に合わせて、各々が自分の一番大きな傷をハレに見せつける。


「ちょっとちょっと、なんでみんな怪我してるの」

「治して」

「こんな魔力薄い場所で何度も治癒はできないよ」

「この怪我の半分はお前のせいでもあるんだぞ! やれるかやれないかじゃねぇ、やるんだよ! 治せ!」

「急にキレるじゃん」


 ハレは眉間に皺を寄せると口をへの字にする。子供がここにいたら間違いなくこの瞬間に泣くか漏らすかしただろう。


「しょうがないなあ」


 しかし顔に似合わない穏やかな口調でハレは言うと、ベッドに座る面々の足を避けながら部屋を渡り、エンショウの座る椅子の後ろに置いてある棚の引き出しを開ける。

 引き出しの角がエンショウの背中に綺麗に決まり、エンショウは痛みのあまり声も出せずハレの逞しい二の腕を本気で殴り付ける。


「ちょっと、痒いからやめて」


 強者のセリフだ。


「この辺にさ、君らに押し付けられたスクロールが大量に…ああ、あったあった」


 山ほど出てきた黄ばんだ紙を、テーブルの上に乗せた。


「半分は治してあげるから、もう半分はこれ使って治してね。回復のも混ざってるはずだから」


 識別できてないなら使えねぇだろ、と背中の痛みに顔を顰めながらエンショウがスクロールを手に取ると、紙の隙間から銀色の小さな虫が数匹突然現れる。気持ち悪さに悲鳴をあげて手を引っ込めたエンショウの後ろから首を伸ばし、


「紙魚ね」


 とハナコは冷静に言った。


「そうなの。シオさんが持ち帰った本についてたみたいで増えちゃってさ」


 寝息を立てるウミの服を容赦なく剥ぎ取りながらハレは答える。


「ラベンダー育ててるかしら? 紙魚に効くわよ。手作りで良ければオイルがあるけど。使うかしら」

「マジで? ありがたい! ついでに作り方も教えてほしいかな、オイル作ってみたいかも」


 素っ裸にされたウミが寒そうに縮こまろうとするのも構わず、無理やり手足を伸ばし、身体をゴロゴロと転がして怪我の確認をする。


「勿論よ。その代わりと言ってはなんだけど……あそこにある本、読ませてもらってもいいかしら?」


 ハナコの指さす先には、本棚に仕舞われた一冊の本。


「"地質学から見る神秘の盛衰 〜ユナァク地方の舞と空〜"を知ってるなんて! さてはお姉さん学者志望の方?」

「まあそんなものよ」

「持ち物的に魔法使いの人かと思ったけど、神秘にも興味があるんだ」

「通っている大学が国教会系なの」

「もしかして首都にある国立大?」

「ええ、そうよ。……人間の女が大学に通ってるのは珍しいかしら」

「まさか! 誰であれ、あの大学に入れる人はみんなすごいなって思うよ」

「女口説く前に治癒をお願いしていいか?」


 エンショウが、近くに落ちていたどんぐりをハレの頭に向けて思い切り投げつける。


「はいはい」


 ポコンと当たって落ちたどんぐりをポケットにしまうと、ハレはウミに向き直った。


「癒えよ」


 そう一言呟くと、床や壁から黄緑の発光体が現れ、ウミの全身を包む。やがて光は吸い寄せられるように傷口へと集まり一頻りさざめいた後にふわりと消えた。


「詠唱みじか」


 思わずエンショウが突っ込むとハレは「ああ」と頷く。


「妖精語が異様に長たらしくて回りくどいからややこしいこと言ってるように見えるんだけど、訳せば結局あれも"癒えよ"としか言ってないんだよね。長いの面倒だから公用語でいけないか試してみたらうまくいった」

「その話、詳しく」


 ハナコが腰を浮かす。


「難しいこと話し始める前に怪我治してほしいめう」


 両頬に手を当ててため息を付きながらヨミチが遮る。


「一旦、全員の治癒終わらせて食事をしながらゆっくり話そう」


 手をパンと鳴らして、カノウが提案した。


「食事?」


 嫌な予感を感じ取ったハレが顔を引きつらせる。


「そうだ。俺、生きて帰れたら酒と肉をたらふく食らうって決めてたんだ」


 うわ言のように言ってエンショウは立ち上がり、ハレの制止も聞かず暖炉にかけられた鍋を覗き、食料棚を勝手に開く。


「勘弁してよこの大食い共! 君ら、来る度に備蓄まで全部平らげるじゃん!」

「うるせー! この俺たちの空腹の半分はお前のせいでもあるんだよ! 今日は一旦振る舞え! 食費は後日返すから!」

「ん、飯かァ」


 食事の気配を察知し、バネ仕掛けの人形のようにウミがガバリと起き上がる。尾を含め全身の傷は綺麗に癒えていて体力も戻ったようだ。心なしか鱗も艶々と輝いている。ウミは小躍りしながらエンショウの隣までやってくると、慣れた手つきで食器棚の奥からウイスキーの瓶を取り出した。


「わかった。わかった! ご飯も作るし酒も出すから! だから一旦止まって、先に怪我治して、ウミは服着て!!」


 額に青筋を浮かべながら、ハレは毛布をウミの下腹部に巻き付けつつ悲痛な叫び声を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る