265)近付く葵

 伊藤と前原が別れを交した頃……。小春も玲人の病室を出た所だった。




 本当は、もっと彼の元に居たかったが、その玲人に負担を掛けてはいけないと小春は自制した。


 彼女は寂しい気持ちを抑えて、早い目に帰る事にしたのだった。





 小春が丁度、大御門総合病院のロビーに降りて来た時……。





 「あら、小春ちゃん?」



 小春は……いきなり後ろの方から声を掛けられた。


 小春が戸惑いながら、振り返ると……そこには自衛軍の第三駐屯地で事務次官として、働く桜葉葵が可愛らしい笑顔で立っていた。



 「……えーと……ど、どちら様でしょう?」



 小春は恐縮しながら、葵に問う。実は小春自身が葵に会うのは初めての事だった。

 


 最初に葵と会ったのは早苗だ。彼女は模擬戦の終了直後、駐屯地官内ビルの屋上で安中と相対した後に……官内ビルの中で葵と出会った。


 その時、小春と仁那は玲人との模擬戦で激しい戦いの結果……消耗して完全に眠っていたのだ。




 その為早苗は、声を掛けて来た葵に対して小春の振りをして相手をした、と言う訳だ。




 そんな事情の為、小春には声を掛けて来た葵の事は、全く覚えが無く戸惑うばかりだ。



 「ひどーい! 駐屯地の館内ビルで会ったでしょ? メールアドレスも交換したじゃない。小春ちゃんたら、全然連絡くれないんだから。お姉さん、寂しかったのよ」


 「え? あ、あれ?」



 怒った仕草で可愛らしく拗ねた振りする葵を前にして、小春はますます囨乱する。彼女には全く覚えが無い事だからだ。




 小春がオロオロしていると……意識奥から早苗が彼女に話し掛けてきた。




 “小春ちゃん……ちょっと替わってもらえないかしら……あの子の事は私良く知っているわ”


 (そ、そうですか……それじゃ、わたしが眠っている時に早苗さんが会ったんですか?)


 “まあ、 そんな所ね。 とにかく任せてくれる?”


 (はい、分りました! )



 戸惑っていた小春だったが、早苗が葵と知り合いと聞いて納得し、彼女と入れ替るのだった。




 小春から意識が入れ替った早苗は、小春の口調のままで、目の前の葵に元気良く返事した。



 「あ! ご、ごめんなさい! 確か……葵さんですね? びっくりして、お名前が直ぐに出てこなかった……」


 「そうそう、葵ですー! 小春ちゃんたら、メール全然くれないし、名前も覚えてないなんて……お姉さん、傷付いちゃうわよ!」



 小春の意識と替わり、彼女のマネをして話す早苗。




 対して葵は……ほっぺたを膨らまして、怒っているアピールをするが、本気では無い。




 端目からすれば、仲の良い姉妹が話し合っている様に見えるが……実情は全く違う。


 葵は政府から派遣されたスパイで、小春に近付いているのは、諜報活動の為だ。



 最初の小春との出会の際……携帯端末に細工を施し、尚かつ彼女の服に発信器を取付けた。



 対する小春、いや早苗は……最初の葵との出会いの時に、彼女がスパイである事を看破し、小春の振りをして、逆に葵の体にニョロメちゃんを送り込んだ。


 そして葵に仕込まれた発信器と、細工された携帯端末を握り潰して、彼女からの諜報活動を阻止したのだ。




 なお、小春本人は仁邦と共に深く眠っていた為、葵の事は全く知らないと言う状況だ。




 ちなみに、政府からのスパイは、葵の他に……事務次官の先輩である村井京香と、この大御門総合病院で入院している田辺と言う老婆も居た。


 葵は諜報員としては新人であり、エージェント管理者である田辺から指導を受けていた。



 村井京香は諜報員としても先輩だったが、彼女の役割は……新人で現場担当の葵と、管理者である田辺との仲介を主に担当していた。




 彼女達の目的は、中部第3駐屯地に所属する殲滅兵器である玲人と仁那の諜報だった。


 

 しかし……仁那が小春と同化し、一人の存在になった後……全ての鍵を握る小春を調べようとした直後。



 ――仮病で入院していた田辺が、突然……本当に発病し、廃人化してしまった。



 その後、葵達は“上”である内閣調査室から、無期限の待機命令を言い渡され……そのまま葵と京香は見捨てられた。



 そうなった背景には……小春に手を出そうとした事で、アリエッタの怒りを買い……葵連を動かしていた内閣調査室の担当部間と、田辺は粛清された、と言う事情が在った。



 そんな事など知る由も無い……葵と先輩である京香はたった二人で、 田辺の仇を取るべく諜報活動を続けていた。




 特に、新人で田辺より直接指導を受けていた葵は、躊躇する事も無く果敢に行動していたのだ。




 そして……葵は、目の前の……小柄で可愛らしい、石川小春と言う少女が、どんな存在かを熟慮する事も無く、不用意に近づいたと言う訳だった。




 その葵と早苗は互いに、穏やかな笑みを浮かべながら……諜報戦を行っている真最中と言う訳だ。




 諜報戦先手は葵の方から仕掛けた。



 「……そう言えば……小春ちゃんの方に私からメールしたけど……どうしてか返ってきちゃったんだけど……何でかな?」



 葵は携帯端末に仕掛けたウイルスが、無反応だった事が気に掛かり、敢えて小春(今は早苗)に問うた。



 「……ご、ごめんなさい……! あの携帯……何でか急に壊れちゃって……! それで、お母さんに怒られて、今は持たされて無いんです……。だから連絡も出来なくて……ホント、ごめんなさい!」



 そう言って早苗(体は小春)は勢いよく頭を下げる。



 「そ、それなら仕方無いわよ……。お母さんに怒られちゃったんだ。それは災難だったねー」



 葵は頭を下げる小春を慰めながら……内心、考えを巡らせる。



 (携帯端末の故障……あのウイルスの影響か? 試した時、そんな異常は見られなかったけど……。でも、この様子は嘘を付いている感じはしない……。中学生にあのウイルスに対処出来るスキルは無い筈……故障は事実みたいね)




 「……ところで……小春ちゃん、最近どう? そう言えば、どうして病院に?」



 葵は携帯端末の事を諦めて、早苗(体は小春)に問う。ちなみに、葵は小春が何故、この病院に来ているか分っている。



 小春が何度も玲人の見舞いに来ている事を見ているからだ。



 葵は、玲人が今月に入って2回も入院している事も諜報活動で掴んでおり……その度に小春が足繁く、彼の病室に通っている事も知っている。



 同時に廃工場跡や、美術館での大きなテロ事件に、玲人達……特殊技能分隊が任務に就いていた事も把握している。




 葵が知りたいのは、無敵の玲人が 2回も入院する程になった事態の経緯が知りたかったのだ。




 葵に問われた早苗(体は小春)はと言うと……。



 「……そ、それが……ここでは、ちょっと……」


 「そう……何かあるのね……もし良かったら、葵お姉さんに相談してみなさい!」



 言いにくそうな顔をした早苗(体は小春)に葵は、優しい声を掛け……彼女をロビーから連れ出すのであった。


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