[閑話] 171)安中の残業-4
バンドメンバーの若い男が制しするのも聞かず、安中はリーダーの男の頭部を更に力を込め踏み付ける。
“グリィ!”
頭を踏まれているリーダーの男は悲鳴と共に、苦し紛れに自分が大切に想う者の名を呟いた。
「うぐぅ! ……ま、真奈……」
リーダーの男が呟いたのは、彼の娘の名だった。彼の娘は大戦時の最中に愛する妻と共に失われ、その結果リーダーの男は復讐の鬼と化して、真国同盟に組したのだ
リーダーの男の頭部を踏み付けていた安中は、迫る死を前にリーダーの男が放った強い感情を“心通”で拾い取ってしまった。安中は、男の家族に対する強い愛情と、其れを失った事に対する絶望と怒りの感情を感じ取ったのだった……
それを感じた安中は男の頭部から、踏み付けていた足を上げて、そのままリーダーの男を蹴り飛ばした。
“ドガァ!!”
リーダーの男の体は強化サイボーグである為、普通の人間より体重は相当重かったが、安中の蹴りは非常に強力で蹴り飛ばされた男は、5m程吹っ飛んでイベント会場の壁に激突した。
その様子を見ながら安中は忌々しそうに呟いた。
「……娘を殺されたお前が行なって来た事は……新たな復讐の輪廻を生む事を……お前は分っているのか……?」
そんな風に安中は呟いた。そして安中はバンドメンバーの若い男の方を向き直り、若い男に問うた。
「……何故、あの男を助けようとした? あの男はお前を殺そうとしたんだぞ?」
「そんな事言われても、理由なんて分んねーよ。ただ気付いたら声が出ちまった」
安中に問われた若い男は、肩を竦めて軽く答えた。その様子を見た安中は、呆れ気味に語る。しかしその言葉には侮蔑や嘲笑は含まれていなかった。
「……そうか……お前や梨沙の様な存在がマールドムに対する扱いをややこしくするんだ……新見や剛三みたいな連中だけだったなら話は簡単なのに……」
「え? 何言ってんだ、アンタ?」
そう呟いた安中の言葉の意味が分らない、若い男が聞き返した時だった。リーダーの男が突然笑い出した。
「アハハハハ!」
突然の奇行に安中が静かに問う。
「……頭踏まれて、イカレたか?」
「ククク……イカレてるのはお前だよ、コスプレ野郎! 俺の! 勝ちだ!」
“カチン!”
リーダーの男は、大声で叫んで奥歯に予め仕込んであった、起動スイッチを押す。それは、彼ら真国同盟がイベント会場を強襲した際に設置したプラスチック爆弾の起動スイッチだった。
そして……
“ドガガガガアアアン!!”
大爆発と共にイベント会場は大破した。プラスチック爆弾はイベント会場を完全に破壊する様に計算して設置されていた。
大戦前から残っていたこのイベント会場は老朽化により、真国同盟の思惑通りに天井が崩落し、イベント会場の中に居た人間は、真国同盟も含め全員が瓦礫に押し潰されたと思われた。
しかし……
「う……何がどうなったんだ!?」
バンドメンバーの若い男は自分の状況に驚いて声を上げる。若い男は、爆発を見た際に自身の死を覚悟した為、自分が無事である事が信じられ無かった。他の人質達も驚いて声を出した。
「何か、凄い音がして……」
「……私、生きてるの?」
爆発音の後、豪炎が生じたのを見聞きした人質達が口々に声を出す。よく見ると、自分達の周りを大きく囲む様に透明な光の壁が展開されている事に気が付いた。それと……
「お、おい! う、上を見てみろよ!」
人質の誰か叫び、皆が上を見ると人質達の頭上を守る様に巨大な真黒いリングが浮かんでいた。リングの内側は波打つ黒い水面の様な膜が生じていて、状況からすると先程、銃弾を吸い込んだ様に、崩落した大量の瓦礫もリングの内側に吸い込まれた様だ。
「ば、馬鹿な、一体どうなっている!?」
安中に蹴飛ばされ転がっていたリーダーの男にも真黒いリングと光る障壁が展開されていた。リーダーだけでなく蹲っている部下達も同じ状況だった。
真黒いリングが展開されていない場所は、丁度、切り取ったかの様に瓦礫が降り注いでいた。安中が立っていた場所もそうだった。
ちなみに、イベント会場の外部にも会場を取囲むよう巨大な障壁が展開されており、爆破の二次被害を防いでいた。爆破の瞬間、安中がアリエッタのサポートを受けながら、適切に障壁と真黒いリングを展開したのだった……
そんな安中はもろにコンクリートの破片に埋もれていたが……
“ガゴン! ゴゴン!!”
そんな音と共に、安中が瓦礫を押し退けて姿を見せた。鉄筋コンクリートの塊など段ボール箱程度の重さしか感じて無い様に放り投げている。
“ドガン! ゴゴン!”
その様子を見ていた、リーダーの男が安中に声を震わせながら問い掛けた。
「お、お前は……一体何なんだ!?」
「……言っただろう? 私は……私だと」
リーダーの男の問いに対し、適当に答えた安中は人質の治療を終えて、姿を消していたアリエッタを呼び出す。
「……アリエッタ、流石にこれ以上はアイツに怒られる。後は頼む」
“はい、トルア卿……事後処理はお任せ下さい”
安中は姿を現したアリエッタの言葉に満足して頷き、自身の体を発光させその場から一瞬で転移し梨沙が居るホテルに戻ったのであった……
◇ ◇ ◇
ホテル最上階のフレンチレストランに戻った安中は、梨沙からジト目で詰られた。
「遅えよ! 何してたんだ!?」
「スマン……意外に難敵だった……」
「お、おう……」
梨沙の問いに安中が答えたが、その内容が完全にトイレの話と思い込んだ梨沙は、バツが悪そうに赤面して返事した。
「……口直しに呑み直そう?」
安中はそう言ってワイングラスを傾ける。梨沙も其れに答えたが、ある事実に気付いて驚いた。
安中から僅かに漂う懐かしくも忌まわしい香りに気が付いたのだ。それは血と硝煙の匂いだった。勘違いかと思いたかったが、間違いなく梨沙自身が嫌と言う程味わった忘れる事の出来ない香りだった……
(……一体どういう事? さっき拓馬が席を立つ前にはこの香りは感じなかった……)
梨沙の心境としては疑念が沸々と湧いて出来た。一体どういう事か、安中に勇気を振り絞って聞こうとした時……
「梨沙……大事な話が有るんだ……」
「!!……ど、どうした? 拓馬?」
梨沙が安中に問おうとした際に、安中から丁度声を掛けられ、梨沙は動揺した。そんな梨沙に気付かず、安中は静かに力強く語った。
「梨沙……約束する。近い内に君を私の家族にする事を……だから待って居てくれ」
「!!…………」
安中から突然かけられた言葉は……プロポーズだった……その言葉を聞いた瞬間、梨沙は涙が溢れ出て、感情が爆発しそうだった。
その言葉こそ、梨沙が長らく待ち望んだ言葉だったからだ。梨沙は右手を口に当て、震えながら漸く一言だけ返した。
「……遅い……全く待ちくたびれたわ」
そう言って梨沙は涙を流しながら、満面の笑顔で安中の言葉に、何度も頷いて答えた。
梨沙の心の中には、先程感じた血と硝煙の香りの事等、もう如何でも良くなっていた。今はただ、この幸せな一時を受け止めたかったのであった……
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