103)諜報

 その頃、中部第3駐屯地の女性事務官として勤務している桜葉葵は、大御門総合病院に見舞いに来ていた。桜葉が見舞っているのは年老いた老婆で、面会受付表では近親者とある。一見すると祖母と孫の関係の様だ。


 桜葉は、老婆を車いすで押してナースステーションに向かう。


 「あら? 田辺さん、お孫さんと散歩かしら?」


 中年の看護師が田辺と言われた老婆に話し掛けるが老婆はニコニコするだけで応えない。同じ仕草を繰り返す事より若干痴呆が生じている様だ。


 「ええ、看護師さん。ちょっとお婆ちゃんを表のお庭に散歩に連れて行きたいんですけど良いですか?」


 桜葉は朗らかに看護師に話し掛けた。


 「ええ、良いわよ。表は暑いから日陰の風当たりのいい場所に居てね」


 看護師にそう言われた桜葉は軽く頭を下げて田辺と言われた老婆の車いすを押していく。



 やがて二人は中庭の庭園に着いた。大御門総合病院は3か所の庭園が有るが、1階と4階の庭園は日差しがキツイと判断した為、中庭の庭園を選んだ次第だ。



 辺りには暑い為か誰も居ない。



 ニコニコした表情のまま、田辺が唐突に静かに桜葉に話し掛ける。


 「対象の様子はどうか」

 「はい、先生。ここ数日周辺の状況は騒然としています」


 先生と言われた田辺はニコニコしながら表情を変えず、返答する。


 「状況を説明しろ」



 彼女達はこの国の諜報員だった。桜葉葵は偽名であり、本名は不明だ。彼女は情報収集に携わるエージェントであり、先生と呼ばれた田辺はエージェント管理者である。


 もう一人中部第3駐屯地には仲介役を務めるエージェントが居る。桜葉の先輩である村井京香事務次官だ。彼女達は中部第3駐屯地に所属する“ある重要戦力”について政府の密命を受け諜報活動をしていたのだ。



 田辺からの問われた状況説明について桜葉が応える。


 「はい、先生。先ず昨日の事ですが、マルフタ(02)が居ないにも関わらず昏倒現象が中部第3駐屯地のクラブ周辺で生じました。

 現場にはマルフタは居ませんでしたが、マルヒト(01)は特殊技能分隊の隊員達とクラブに同席していました」


 「ふむ……その頃、マルフタはどうしていた?」


 ニコニコと表情を全く変えず田辺は桜葉に問う。


 「はい、先生。マルフタ周辺の動きも不可解です。相変わらずマルフタはタテアナ基地から出て来ませんが、其処に最近少女が関わる様になりました」

 「ほぅ、誰だソイツは?」


 田辺は全く表情を変えず、声色を低くしながら桜葉に質問する。


 「はい、石川小春と言う少女で、マルヒトの学校の同級生です。大御門薫子が彼女を連れ回す所も確認されており、恐らくマルフタにとって重要な役割を持つ者と推測されます。そして……」



 桜葉は此処で言葉を切った。本人でも扱いの判断が付かない重要な情報の為だろう。


 「構わない、言ってみろ」


 田辺は桜葉に話す様に指示する。


 「はい、石川小春は一昨日より此の大御門総合病院に入院しています。そして昨日の夕方から夜に掛けマルヒトと安中大佐及び坂井少尉がタテアナ基地に急行した様です。

 ……更に不可解なのが、昨日の夜よりマルヒトがタテアナ基地に戻らず、石川小春の個室に籠り切りであるという事です」


 「……其れは、確かに不可解だな。マルヒトは生後間も無くから一貫してマルフタの傍に居て保護する様な行動を示していた。其れが昨日になって突然か……そして、軍の動きと昏倒現象……何やら大きな動きが有った様だ。この情報は可及的速やかに“上”に報告する」


 「はい、先生。其れで私はどうすれば宜しいですか?」


 「お前は今迄通りマルヒトと……それと石川小春をマークしろ。どうせ我々はタテアナ基地内部には入れない。彼女の動向を注視しろ。定期連絡は何時もの通り、村井を通せ。私の方からの指示も村井に出す」


 「はい、分りました。先生」

 「気を付けろ、“此処”には何か居る。決して悟られるな」


 田辺の言った事が桜葉は気になって聞き返した。田辺が言った“此処”とはこの場合、彼女らの諜報現場全域を差し、駐屯基地やこの病院全域を示していた。

 

 「先生、どういう意味でしょうか? “此処”には彼ら以外の特殊能力者が居ると?」

 「ああ、確認は取れていないが、恐らく間違い無いだろう」

 「しかし先生、特殊能力者は大御門家の実験で生まれたマルヒトとマルフタの二人のみという事前情報でしたが」


 「私もそう、聞いていた。しかし……現実は違う様だ。“此処”ではおかしな事ばかり起こっている……お前の前任者が使い物に為らなくなったのも“此処”を調査中の時だ」


 「……前任者に何が起こったんですか?」


 「私の指示でマルヒトとマルフタの背後関係の調査中におかしくなった。精神に異常を来たし錯乱状態になった。現在治療と共に調整プログラムを実行中だ」


 「先生、洗脳の可能性は無いのですか?」


 「可能性は高いと思うが、薬物投与や電気ショック療法等の外的影響は一切確認されていない。ある日突然に錯乱状態になったがその要因が掴めない。私としては第三者の特殊能力の影響を受けたと推察している」

 

 「しかし、先生、マルヒトとマルフタ誕生後の14年間、我々が中部第3駐屯地や大御門総合病院にて諜報活動を長らく行って来ましたがその様な第三者の特殊能力者の存在は一度も確認されていません」


 「ああ、だから推察の域を出ないが、私の勘では間違いなく“居る” ……しかも複数。

 考えても見ろ、マルヒトとマルフタという不可思議な存在を何故、自衛軍の連中は普通に受け入れている? あれ程の能力を持つ存在だ、本来なら“上”からの指示で解剖してでも能力の解明に行おうとする筈……しかし誰もそんな気を起こさない」


 「先生、それは彼らの能力がテロリスト殲滅に極めて有効な戦力だからでは?」


 「そう、それだ。何故、自衛軍や“上”の連中は其れ以外に彼らの能力を使わない? 何故、誰も調べようともしない?」

 

 「先生はどうお考えなのですか?」


 「私が考えているのは、“誰かが”そういう風に仕向けていると考えている。彼らの能力をテロとの戦闘以外に使わせない様、敢えて“調整”している様に思える」


 「……この件は“上”には報告をされているのですか?」


 「いや、今の段階では私の推測にしか過ぎない。ある程度確度の高い情報を得てから報告する考えだ。とにかく気を付けろ、お前も前任者の様に為りたくなかったらな」


 「はい、先生。十分心掛けます」

 「そろそろ戻るぞ、これ以上は不信に思われる」

 「はい、先生」


 田辺はニコニコ顔のまま、車いすで桜葉に押されて病室内に戻った。



 彼女らが戻って行った後、無人となった中庭に忽然と光が生じ、透明な少女、アリエッタが姿を現した。アリエッタは田辺らが去っていた方向を、鋭く冷たい眼差しでじっと見つめ、次の瞬間には消え去った。



 政府の諜報員である桜葉がエージェント管理者の田辺に報告を行い、大御門総合病院を離れた数時間後の事だった。


 桜葉葵は中部第3駐屯地最寄りのお洒落なカフェテラスで駐屯地事務官の先輩である、村井京香とお茶をしていた。村井が桜葉に問い掛ける。


 「どうだった? 先生の“面談”は?」

 「はい、先輩。先生はお元気でいらして今の所は現状維持です」


 桜葉と村井は周囲の目を気にして、隠語を使って会話をぼやかす。


 要は、まだ新人諜報員である桜葉葵を管理者である田辺が状況連絡と共に定期的な面接を行っていたのだった。


 「先生は他に何か言われていなかった?」

 「はい、先輩。先生は花について言われました。花は一番目、二番目だけでなく、その他の花も見るべきと仰いました」

 「……成程、見るべき花を増やす訳ね?その花は例の小さな花かしら?」

 「はい、先輩。その花です」



 そんな事をにこやかに言い合い、互いに指示事項を確認していく。そんな中、桜葉の携帯端末が着信音を鳴らした。



 「はい、桜葉です。はい、え? 今……何て……ほ、本当ですか!?」


 珍しく桜葉が慌てている。心配した村井が問い掛ける。


 「どうしたの、葵ちゃん?」

 「……先輩、大変です。この電話……大御門総合病院からなんですけど……先生のご様子が急変したと……」

 「……直ぐに伺いましょう」


 村井と桜葉は連絡を受けて大御門総合病院へ田辺の様子を見に行った。



 其処に居たのは……



 「うええぇえぇええいい!!」


 ベットに縛られ奇声を上げながら涎を垂れ流す田辺の変わり果てた姿があった。視線はあらぬ方向を向き、口は開いたままで舌を意味なく伸ばし奇声を発し続けている。


 其処へ担当医が神妙な顔をして村井と桜葉に口を開く。


 「ついさっきまでは落ち着いておられたのですが、先程病状が急に進行しまして……残念ながら……回復の見込みは薄いと考えられます……お気の毒ですが……」


 医師の報告を受けて呆然として佇む村井を余所に桜葉は歯軋りをしながら呻く。


 「……やられた……」

 


 その後、“上”からの連絡で田辺は、エージェント管理者の任を解かれた。また、同じく後任のエージェント管理者の代理は暫く見送るとも言ってきた。そして二人には無期限の現状待機命令を言い渡された。結局の所は事実上の任務中止だった。



 その状況に陥らされた桜葉は姿の見えぬ“敵”に一人復讐を誓ったのであった。




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