第249話 魔法が消えた朝

 サイとスリアンを乗せた馬車はいくつかの駅家えきで馬を替えながら夜通し走り続け、翌朝、朝日が昇りきったころようやく王都に帰還した。

 王都の賑わいはいつも通りだったが、馬車を迎える衛兵達の様子にはどこか戸惑いのような空気が感じられた。

 タースベレデに魔道士は少ないが、古代から伝わる魔道具は多く存在する。他国からの入国者に国の言葉を学ばせるヘルメット型の魔道具『ビテクス』などがその筆頭だが、どうやらそれらが機能不全に陥っているらしい。

 その推測を裏付けるように、王城に帰還したばかりのスリアンに早速会議への参加申し入れがあった。

 申し入れは、タースベレデ王国の貴族評議会からのものだった。


 評議会は、突然の魔力の消失と、それに伴う魔道具の停止が国内に与える影響を懸念しており、議長でもあるスリアンの意見を求めていた。

 王都の魔道士のほとんどが同時に魔法を使えなくなったことが噂として広がり、また他国からも同様の消息がぽつぽつ届き始めたことで彼らの戸惑いをさらに拡大している。

 二人は疲れ果てており、本当は何もかも後回しにして泥のように眠りたかった。だが、国内に広がる動揺をこのままにしてはおけない。

 そう思い直し、王城の大広間で評議会のメンバーたちの前に立った。


「貴殿らにまず紹介したいと思う。彼の名はアスペン・ランスウッド。商業都市ペンダスの商家、ランスウッド家の若き当主、そして偉大な発明家でもある」

「ランスウッド?」


 何人かがその名前を反芻するようにつぶやいた。その名を聞いたことはある。だが、なぜ彼が今ここに姿を現したのだ? といった表情で首をひねる。


「そうだ。貴殿らも、最近市井に出回るようになった家庭用の浄水器や無尽灯はよくご存じだろう。彼こそがその発明者だ」

「……ああ!」


 スリアンの一言で居並ぶ貴族全員が納得の表情を浮かべた。

 タースベレデはもともと行商人の連合体が荒地に立ち上げた国家であり、現貴族のほとんどはかつて商いを行っていた一族の末裔だ。今なお他国との貿易を家業とする家も多く、目新しい商品についての情報収集は怠っていない。

 最近の大ヒット商品の発明家本人と聞いて、一同の目の色が変わった。


「また、こたび、故クラバック元侯爵の反乱に際してもランスウッド殿は多大な貢献をしてくれた。耳の早い諸君はすでにご存じかと思うが、我が軍に大量の新式弓銃を提供してくれたのが何を隠そう彼だ」


 一同の間にどよめきが広がった。

 クラバックがすでに故人であることが知らされ、その上スリアンが〝元〟侯爵と呼んだことで、クラバックと近かった一部の貴族達はさっと顔色を変えた。一方、クラバック派と距離を置いていた貴族達は〝新式弓銃〟という単語の方に耳をそばだてる。


「情勢はすでに決した。クラバックは自害し、かれに与し兵を起こした貴族達は全員投降した。彼らの罪状はほどなくあきらかになり、公正に裁かれるだろう」


 スリアンは、サイをあえて〝ペンダスの発明家にして有名商家ランスウッド家の当主、アスペン・ランスウッド〟として一同に紹介した。

 この時点でサイの公的な身分は、魔法使いとしてではなく、商人にして発明家、技術者としての役割が強調され、同時に、魔導伯サイプレス・ゴールドクエストはもう二度と世に出ないことが確実になった。

 戦場でサイ=アスペンが魔法を行使したことを知るのは、眼の前で見守っていたクラインを含め数人の人間だけだ。

 彼らには厳重に口止めし、それ以外の兵士たちには、伝説の〝雷の魔女〟が戦場に駆けつけ、大魔法を放って何処ともなく姿を消したと説明した。

 恐らく、サイに関しては南方鎮守台での哨戒業務中に行方不明になったこととされ、いずれは忘れ去られていくのだろう。

 それでいい。サイは思った。

 サイプレス・ゴールドクエストは死んだのだ。

 スリアンの目配せを受けたサイは、かすかな物寂しさを感じつつ立ち上がる。


「アスペン・ランスウッドです。ペンダスでランスウッド商家の当主を務めております。私はこれより、みずからの発明をタースベレデのために提供し、その証として当主を義弟に譲り、私自身はタースベレデに移住すると決意いたしました」


 この宣言にはさすがに驚きの声が上がった。

 サイ、すなわちアスペン・ランスウッドとしての彼の発明は、タースベレデ国内でも広く普及しており、彼の決断がタースベレデにもたらす貢献は計り知れない。


「さて、本題に入ろう」


 スリアンは改めて一同をぐるりと見渡した。


「諸君らもすでに知るとおりだが、昨夜遅くこの世界から魔法が消え去った」


 いきなり核心を突いたスリアンの言葉に、全員が息を飲んで続く言葉を待つ。


「原因は不明なれど、事実、あらゆる魔道具はその働きを止め、魔道士はその力を失った。ちなみに前回、ゼーゲルで反徒たちが故意に魔法を妨害したが、今回そのような動きはいずれの国でも確認されていない。私には見当も付かないが、もっと大きな原因が考えられる。再び魔法が戻る期待はするだけ無駄だろう」


 真実を知るのはサイと、彼の説明を聞かされたスリアンの二人だけだが、それを公にしたところで誰も得せず、今さら何の意味もない。だから秘する。


「……我々は今、歴史的な転換点に立っている。魔法に依存する時代から、ここにいるランスウッド殿が駆使するような、科学と技術に基づいた新しい時代へと移行することが必要だ」


 スリアンは、魔法がもはや復活しないことをはっきり断言した。


「しかし、諸君、これは単なる危機ではなく、我々自身の成長のための試練ととらえてほしい。ランスウッド殿が我が国にもたらす技術は、この試練を乗り越えるための一助となるだろう」


 スリアンの言葉を発端に、広間には賛否両論が激しく飛び交った。

 ある者はスリアンの言葉には根拠がないと断じ、国を挙げて魔法の復活をはかるべきだと強力に主張した。またある者はそんな不確実なことに国力を割くのは時間の無駄だと反論する。


「しかし、魔法に頼らぬ世界など想像もつかぬ。本当にそれが可能なのか」

「可能なはずだ。いや、やらねばならない。魔法は消えた。それは紛れもない事実だ。復活の目処が立たない以上、今のうちから備えておかねば大変なことになる。陛下も強くそれを望んでいる」


 議場の意見は大きくこの二つに集約された。

 若い世代の貴族や技術者たちは、この危機を逆にチャンスと捉え、若い女王スリアンの革新的な方針を積極的に支持した。

 会議は長引いた。だが、タースベレデにはそもそも魔道士が少なく、極端な不利益をこうむる者がそれほどいないことが追い風になった。

 日が地平線に近づき、夕刻の鐘が王都に響き渡る頃には、サイ、すなわちアスペンが提供する技術と、タースベレデが今後直面する課題への取り組みについて、ある程度の合意が形成されていた。


「ふむ……陛下がそこまで仰るなら、私共としてももはやこれ以上語る言葉を持ちませぬ。しかしランスウッド殿、あなたには民の生活を確実に良くする技術を生み出していただきたい。もしも民が苦しむようなことがあれば、私は容赦なくお灸をすえさせてもらうぞ」


 これまで魔法復活を唱えていた最年長の伯爵がそう発言したことで、場の空気はようやくやわらいだ。


「ありがとうございます。どうかお手柔らかにお願いします」


 場が和んだところで、スリアンが会議の終了を宣言した。


「では、これにて散会とする。次の会議は各自担当する分野において魔法消失の影響を確認し、必要な代替技術の一覧を持ち寄ること」


 スリアンはそう会議を締めくくり、サイをともなって広間を後にした。





「さて、これからだね」


 ようやく執務室に落ち着いたスリアンがそう言うと、サイはしみじみと頷いた。


「ああ、長い道のりになるだろうね。僕一人じゃ途中でくじけてしまうだろう。でも……」

「でも?」

「……君と……一緒なら……」 

「一緒なら?」


 サイはついに覚悟を決めた。


「……二人なら、どんな困難でも乗り越えられる気がするよ」

「当然だよ。ボクはずっとそう言い続けてきた。ようやく信じてくれる気になったね」


 スリアンは得意そうにフフンと笑う。


「ボクは最後までずっと君と一緒だ。二人三脚で頑張ろう」


 スリアンはしっかりと頷きながらサイの手を握った。


 やわらかく温かな手の感触に、サイは幸せを感じながら瞳を閉じた。

 魔法が消えた世界。

 それは確かに不安な未来だ。

 問題は山積し、今はまだどう国の舵取りをすべきかもまったくわからない。

 しかし二人一緒なら、きっと新しい時代を切り拓いていけるはずだ。


 そう信じて……いや、信じるほかない。

 サイは大きく息を吐き、スリアンの瞳をじっと見つめた。

 スリアンもそんなサイをじっと見つめ返し、やがて厳かさの中にも暖かさを感じさせる口調でゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


「サイプレス・ゴールドクエストは死んだ。彼の抱えた鬱屈も、苦悩も、悲しみも、そして孤独も、彼の死と共にすべて消え去った。ボクは、君に彼の人生を忘れてしまえとは言わないけど、もうそろそろ、君は肩の重荷を下ろしてもいいと思うよ」


 サイはすぐには答えなかった。

 ゆっくりと瞳を閉じ、脳裏に浮かぶこれまでの半生をゆっくりと振り返る。

 救えなかったかつての婚約者。僕のために人生の大半を捧げてくれた女性ひと。そして、彼をどこまでも信じ、共に歩こうと言ってくれたスリアン


「一緒に行こう。もう悩まない。僕は、アスペン・ランスウッドとして、この先の人生を君と一緒に歩むと誓う」


 スリアンはやわらかく微笑んだ。目尻の涙がつっと頬をつたい、その熱いしずくはサイの指に優しくすくい上げられた。

 二人の顔がゆっくりと近づき、やがて一点で接した。


 そう。

 これは、魔法の残照が消えた後の、人々の新しい物語の始まりである。


(了)

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