第247話 炎上

 同じ頃、砦から少し離れた救護所の天幕で忙しく采配を振るうスリアンのもとに一頭の馬が猛スピードで駆けてきた。

 馬上の人物はスリアンもよく知る王直騎士団の女性騎士だった。


「陛下、至急お伝えしたいことが」

「うん? どうした?」

「ええ、焼け出された敵兵の中に、陛下に急ぎお目通りを願いたいという者がおりまして……」

「え? 今それどころじゃないんだけど?」


 目の回るような忙しさにかまけてぶっきらぼうな返事を返すスリアンだが、騎士の方もその返事は最初から覚悟していたのか、簡単には引き下がらない。


「しかし陛下、かの者の甲冑を見る限り、間違いなく指揮官クラス以上だと思います。国全体の存亡に関わる重要なお話とのことで……」

「えー、面倒くさいな。じゃあ、少しだけ」


 彼女はこんな時に無理や無茶を言い出す人間ではない。ため息交じりにスリアンが頷くと、騎士はスリアンの気が変わらぬうちに、と、すぐにその人物を引き連れてきた。


「このような場所での応対を詫びる。見ての通り傷病者があふれているのでな」


 無愛想なスリアンの言葉に、男はその場に片膝をつき、恐縮したように深々と頭を下げた。

 

「いえ、非常識なお願いをお聞き届け下さいまして誠に——」


 スリアンは彼を見下ろし、眉をひそめる。


「あいさつはいい。用件を端的に述べよ」

「はっ!」


 男はひゅっと身体を縮こまらせると、カラカラになった唇を舐めながら切り出した。


「私は、この地の領主代理を務めておりますクレインと申します。我が主はさきの戦ですでに身罷っており、今は私がとりまとめを担っております」

「悪いが、それについて詫びはしない。貴殿の主は我に弓を引いた。いかなる理由があろうと――」


 スリアンは苦虫を噛み潰したような表情でぴしりと釘を刺す。


「いえ、それは良いのです。そそのかされたとはいえ、我が主は道を誤りました」

「うん、それで? 何が言いたい?」

「はっ。実は、現在続いている火災について気になることが……」

「確かに、燃える物はあらかた燃えたのに、一向に火勢が衰えないな。むしろ——」

「我が領内には広範囲に瀝青アスファルトの鉱脈がありまして、恐らく砦の地下にも——」

「何だって!?」

「このままでは、大爆発の危険が…… 周辺の村々は壊滅し、多くの罪なき民が犠牲になります!」

「!!」

 スリアンは目を剥いた。

 瀝青はタースベレデ領内の主要道を舗装している粘り気のある黒い鉱石だ。

 高温で蒸留するとランプ用の油も抽出できる、可燃性の鉱石だ。だが、それだけではない。瀝青鉱山ではしばしば爆発性の気体が噴出し、過去には大規模な坑内爆発の記録もある。

 スリアンは舌打ちをした。

 目の前の戦闘に気を取られ、彼女はその事実にまったく気が回らなかった。


「なぜ、もっと早く教えてくれなかったのだ!」

「申し訳ございません……領主より口外を固く禁じられていたのです。瀝青鉱山を狙って他国や他領の人間が侵攻してくるのを恐れ……」

「……悪い。貴殿を責めるべきではなかった。許せ」


 スリアンは彼の言葉を遮った。今はそれを咎めている場合ではない。


「そんなことはどうでもいいか。とにかく、爆発だけは何としても防がねばならない! 可能性はどの程度なんだ?」

「はい。この周辺の村々と同様、砦の井戸にもしばしば油が浮くことがございました。まず間違いなく地下に相当量の瀝青鉱の埋蔵がございましょう。この火災で井戸の水もほとんど使い尽くされており、このままではいつ地下に火が回るやら——」

「おい! 誰か!!」


 先ほど男を率いて来た女性騎士がすぐに顔を出した。


「今すぐサイを呼んできて欲しい」

「サイ? ゴールドクエスト様でございますか?」

「ああ、ペンダス商人のアスペン・ランスウッド。彼がサイだ」

「は? え? ゴールドクエスト伯は現在南方鎮守台に——」


 事情を知らず困惑する女騎士をスリアンは急かす。


「いいから早く!! このままでは大事故が起きる!」





「それはやばいな。確かに何もない地面から直接炎が吹き上がっている場所も多いんだ。一体何でだろうと思っていたけど」


 サイはそれきり眉根を寄せて考え込んだ。

 恐らく、すでに地下の一部に火が入っている。自分たちは導火線に火の付いた巨大な火薬樽の上で踊っているのに等しい。いつどれほどの規模の爆発が起こるのか、まったく予想が付かない。

 ただ、間違いなく、その瞬間は刻一刻と迫っている。


「爆発を防ぐには、なるべく早く一気に炎を消し止めるしかない。どこかに少しでも炎が残れば、そこからまたすぐに広がってしまうだろうね。だが、あの規模の火災では……」

「何か方法はないの?」


 スリアンは焦燥感を隠せない。サイはしばし沈黙した後、重々しく口を開いた。


「あることはある……天候改変術式を使えば、このあたり一帯に大雨を降らせることができる。それだけの魔力は、何とか残っている」

「天候改変術式?」


 サイは無言で頷いた。サンデッガの大魔道士アルトカルが開発した大魔法だ。

 当時アルトカルの下働きを務めていたサイも開発に携わった。むしろ、彼の操る複合多重魔方陣こそが術式行使の鍵だ。


「サイだったら、できるの?」


 スリアンの目が輝く。だがサイは、言葉を続けるのをためらうように目を伏せた。

 原初の魔女アッシュの言葉は、十年を経た今でもはっきり覚えている。

 彼女は、この世界に魔法をもたらしているシステムの終焉が迫っていることをサイに告げた。

 魔女は、サイを十年前の世界に送り込む代わりに、この世界が魔法なしでもやっていけるように準備をすることをサイに求めた。

 以来、サイはペンダスの大商人の懐に入り込み、庶民に必須の魔道具を技術で置き換える発明を数限りなく積み重ねた。だが、とても十分とは言いがたい。


「あれほどの大規模な術式を使えば、僕の魔力は完全に枯渇する。多分だけど、、僕はもう二度と魔法を使えなくなる……」

「え!?」

「それだけじゃない。恐らく、だけど、この世界は魔法を失う。魔道士に支えられていた政治の仕組みも、民の生活も、すべてをゼロから建て直すしかない」

「そんな……」


 スリアンは息を飲んだ。

 いかに王族と言え、一人で決断するにはあまりにも重い内容だった。

 だが……

 目の前では、不規則に小爆発を繰り返し、じわじわと範囲を広げつつある炎の海が広がっている。どこかの時点で制御不能になくなるのは予想に難くない。


「……どうか、よろしくお願いします」


 スリアンは覚悟を決めた面持ちで深く頭を下げた。

 自分の決断が、目の前に立つ青年の半生を踏みにじることは十分理解していた。


「……わかった」


 サイもまた、力強く頷き返した。

 彼の瞳には、揺るぎない決意の色が宿っていた。スリアンは無言のまま、その手をぎゅっと握りしめる。


「たとえ魔力を失っても、サイはボクの……この国の、かけがえのない存在だよ」


 そのささやきに、サイは微笑みを浮かべた。

 炎に包まれた砦の向こう、夕日が沈みゆく。

 燃え盛る炎を背に、二人の影は長く伸びていた。

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