第246話 最後の戦い

その時、天幕の外から轟音が鳴り響いた。


「陛下! 敵の砦が何者かに攻撃されています!」


 突如として響き渡る爆発音と悲鳴にも似た叫び声に、スリアンとサイは驚愕の表情を交わし、慌てて天幕の外へと駆け出した。


「一体何が起きているんだ!?」


 しかし、その光景を目の当たりにした時、二人は言葉を失った。

 見上げる砦は、まるで炎の塔と化していた。

 矢を射るための小窓や通気口、屋上など、あらゆる隙間から炎と黒煙が猛烈な勢いで吹き出している。やがて、頑丈に閉ざされていた跳ね上げ式の門扉が、内側から砕け散った。

 炎と煙に包まれた敵兵達は我先にと飛び出し、水をたたえた堀に身を投げる。その背後では、逃げ遅れた兵士達が次々と紅蓮の炎に飲み込まれていく。


「熱い! 助けてくれ!」


「誰か、助けてくれ! 頼む!」


 兵士達の絶叫が、燃え盛る炎の轟音にかき消されそうになる。味方の兵士が水桶や火叩き棒を手に駆けつけようとするが、炎の勢いがあまりに強く、近づくことさえ困難だ。


「おかしいな……我々は火矢を放っていないはずだよな」


「そんなことをする必要はないよ。敵は籠城の構えだ。包囲して時間をかければ、いずれ……」


 籠城戦の勝敗を分けるのは、砦内に備蓄された物資の量だ。武器や矢弾はもとより、何より食料と水の備蓄が乏しければ、長期戦はおぼつかない。

 この砦は争いの少ない平和な地方領主のものであり、備蓄が潤沢とは言えないことは最初から予想されていた。

 だからこそ、スリアンは敵の籠城を見届けた上で、力攻めは避け、時間をかけて降伏を勧告するつもりでいた。


「じゃあ、この状況は、一体……?」

「敵が自ら砦に火を放ったのです。あまりに唐突で、我々も混乱を来しています」

「みんな落ち着くんだ! 今助けに行く!」


 スリアンは叫ぶと、早速水の入った桶を手に取った。


「スリアン、危険だ! 君は下がっていろ!」


 サイの制止も聞かず、スリアンは炎の中へと飛び込んでいく。


「くっ……! 僕らも行くぞ!」


 サイも兵士達を率いて、懸命の消火活動を開始した。

 必死の消火活動が続く中、サイはふと違和感を覚えた。


(おかしい……こんなに燃え広がるほど、砦内に可燃物があったのか……?)


 炎の勢いは容易に衰えない。


 その時、炎に包まれた建物が崩れ落ち、不自然なほどがらんとした砦の奥から、不気味な笑い声が響き渡った。


「ハハハハハ! どうだ、タースベレデの女王よ! これが我が力だ! とくと見よ!」


 見上げると、砦の中央にそびえる石造りの見張り塔。その最上階に、一人の男の姿があった。


「クラバック……!」


 怒りに燃えるスリアンの瞳。


「よくもこの国の民を。ボクの臣民を……! 許せない……!」


 駆け寄ろうとするスリアンを、サイが必死に引き止める。


「待て、スリアン! なんだか様子がおかしい!」


「でも……!」


「ハハハハハ! 今さら気づいたところで手遅れだ!」


 クラバックの血走った眼は、異様な興奮に輝いている。その手には、ガラスの小瓶に入った赤黒い液体が握られていた。


「まさか、あれは……!」


 サイの瞳が驚愕に見開かれる。


「……人の、血……?」


 クラバックが意味ありげに振るう液体は、禍々しくドロリとしていた。


「クラバック伯、まさかあなたは……!」


 サイの脳裏に、ゼーゲルでの出来事がよみがえる。

 ゼーゲルを占拠した魔道士達は、人質の中から黒目、黒髪の女を選り分け、欲望のままに蹂躙し、その血を抜き取り、我が物としていた。

 ヤーオの血こそが、強大な魔力の源泉となる。その血が濃ければ濃いほど、魔法の威力は増幅される。誰かがその秘密を暴いたのだ。


「ゼーゲルの魔道士にその秘密を明かしたのは……」

「そう! この私だ!」

「なっ!」


 スリアンの瞳が、怒りに染まる。


「一体何のために!?」

「単純なことだ。建国以来の名門、我がクラバック家こそが、タースベレデを支配するにふさわしい。その布石として仕組んだのだ。東西の要衝を握れば、この国の流通経済の全てを支配下に置くことができる!」


 クラバックはスリアンを見下ろし、侮蔑の眼差しで嘲笑する。

 クラバック伯の現在の領地は、タースベレデの東端に位置している。

 旧ドラク帝国との国境地帯であり、ひそかに帝国の残党と通じ合うのも容易だっただろう。

 さらに、西方の大国サンデッガの海の玄関口、港湾都市ゼーゲルの制圧にも成功すれば、ゼーゲル湾に出入りする北方航路の船を含めた国内の物流のほとんどが、彼の掌中に収まる。


「だからゼーゲルにあれほどこだわっていたのか……まさか、南部山岳地帯にドラクの残党を送んだのも……」


 サイは合点がいったように、ぽつりとつぶやいた。

 南部の山脈地帯を山賊の脅威で封鎖し、その上東西国境の交通を断てば、タースベレデ王国の物流はもはやクラバックの思うがままだ。


「ゼーゲルで魔道士の反乱を扇動したのも、ヤーオ人を迫害させたのも、お前の仕業だったのか」

「ああ、その通りだ!」


 クラバックはサイを見下し、侮蔑の笑みを浮かべた。


「道理がわかればこんなに簡単なことはない。魔道の力は、高度な知識も長年の修練も必要ない。魔法結晶とヤーオの血、それさえあれば十分なのだ!」


 クラバックの高笑いが虚空に響く。その狂気に満ちた様子に、スリアンも戦慄した。


「そんなはずは……! 魔道の才能は生まれつきのもの……。後天的に得られるはずがないし、奪うことなど……」

「スリアン、それは違うんだ」


 クラバックの主張は、完全に的外れというわけではない。サイ自身、薄々感づいてはいた。

 この世界の空を巡る魔法衛星は元々、並行世界である理彩の地の支援衛星〝シンシア〟を原型とするものだ。

 遥か古代、この星の開拓と防衛のため、異世界から降り立った地球人をサポートする目的で投入されたのだ。

 だが敵対者への技術流出を避けるため、使用者の資格を何らかの形で制限する必要があった。その鍵の一つが、現在魔法結晶と呼ばれるデバイス。そしてもう一つ、幾世代を経ても変わらず継承される〝遺伝子〟そのものだ。

 すなわち、ヤーオ人とは、古代のこの世界に渡ってきた異世界人、とりわけ日本人開拓者の末裔だったのだ。彼らの血を引く者だけが、真の魔道の力を受け継ぐ。


「黙れ、この阿呆が!!」


 クラバックがスリアンとサイに向かって巨大な炎の弾を放つ。サイがその攻撃を弾き飛ばす。

 立て続けに炎弾を撃ち込むクラバックの力は、とても素人の魔法使いとは思えない。だが、炎弾の大きさは徐々に小さくなっていく。


「くそっ!」


 焦りを感じたのか、クラバックは手にしていた血の入ったフラスコを投げ捨て、懐からさらに一本の小瓶を取り出してぐいとあおる。


「ハハハハハ! 力が、力が満ち溢れてくる!!」


 クラバックの鼻や歯茎から血が噴き出し、充血し切った白目から血の涙が流れる。だがそれでも、彼は狂気の笑みを絶やさない。


「禁断の霊薬ヘクトゥースが、私の魔力をさらに高めた! もはやお前ごときでは敵わない! 喰らえ!」


 先ほどの数倍はある巨大な炎弾が、立て続けに二人に襲いかかる。あまりの威力に圧倒され、サイはスリアンを抱え込むようにして後退を余儀なくされた。


「ヘクトゥース……。あの忌まわしい麻薬が、未だに……」


 スリアンはこれまで、国内を浸食するヘクトゥースの撲滅に心血を注いできた。その努力が、今や無に帰そうとしている。


「クラバック……よくもそんな卑劣な真似を……!」


 憤怒に震えるスリアンに、クラバックは不敵な笑みを浮かべる。


「ハハハハハ! 卑劣だと? 力を求めるのに、手段など選んでいられるか! たとえ代償があろうと、お前たちさえ殺せればそれでいいのだ!」


「……正気を失っている」


 サイが低く呟く。ヘクトゥースの副作用は周知の事実だ。乱用はもとより、高濃度の使用は人格をも蝕み、使用者を狂人へと変貌させる。


 その犠牲になった幼馴染の面影を、サイは今も忘れられずにいた。二度と同じ過ちを繰り返すまいと奥歯を噛みしめる。


「……スリアン、クラバックは正気を失っている。奴は僕が止める。君は兵士の救出に専念してくれ」


「でも、サイ……!」


「頼む。君にしかできないことがあるはずだ。タースベレデの民の命を守るのが、女王たる君の務めだろう?」


 真摯な眼差しを受け、スリアンは逡巡いながらも、ゆっくりと頷いた。


「……わかった。サイ、どうか……無事に戻って」


「ああ、約束する」


 そう言い残し、サイはクラバックに向かって疾駆した。


 二人の戦いは、炎に照らし出された見張り塔を舞台に、熾烈を極めた。

 サイの冷静沈着な魔法と、クラバックの狂気に歪んだ強烈な一撃が、幾度となく交錯する。


 その最中、サイは周囲の状況を探っていた。クラバックの放つ炎弾は強力だが、明らかに乱発しすぎている。フラスコの血液、そしてヘクトゥースの蓄えが、既に限界に近いことは明白だった。


 サイは意識を研ぎ澄まし、クラバックの隙をうかがう。


(今だ……!)


 ついに、その時は訪れた。


 クラバックの炎弾がわずかに小さくなった瞬間、サイは全身全霊を込めて頭上に多重魔方陣を構築、そこから不可視の銀の槍を射出し、一気にクラバックの頭から心臓までを貫いた。


「ぐはっ……!」


 槍に全身を射抜かれ、クラバックは塔の上から転落した。その顔には、なおも狂気の残滓がこびりついていた。


 サイは大きく息をついて、燃え盛る砦を見渡した。


 炎は未だ収束しそうもない。それどころか、むしろ勢いを増しているようにも見える。このままでは、砦の全てが灰燼に帰してしまう。


「くっ……どうする……!」

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