第245話 十年越しの……
「偽名? じゃあ、本当の兄さんは……?」
スリアンの問いかけに、サイは小さく首を横に振った。
「アスペン・ランスウッドなんて人間はどこにもいないんだ。君をずっと騙していてすまなかった。でも……」
サイはゆっくりと切り出した。
「僕の時間で十年前のことだけど、この世界での時間軸ではほんの数日前、ということになるのかな。僕はクラバックの計略で南部の山中で生き埋めになった」
「生き埋め!」
「ああ、哨戒任務中に古い鉱山の坑道を見つけてね。山賊らしい男達を追って踏み込んだんだけど、その直後に入口を崩された。たぶん、最初から僕を謀殺するつもりで誘いこんだんだろう」
「……そう、だったんだ」
スリアンはわななく口元を左手で押さえ、小さくつぶやいた。
「ということは、ボクが探しに行ったときはもう……」
「あの坑道は魔法も阻害されていて、脱出できる見込みは万が一にもなかった。だが、坑道の一番奥でたまたま地下に通じる古い抜け穴を見つけたんだ」
「そこから脱出したの?」
「いや、その先にあったのは行き止まりの小さな小部屋だけだ。異世界に通じる古代の転移装置と……」
「と?」
「……いや、それだけだ」
サイは、原初の魔女の存在はあえて伏せた。彼女の話はこの世界で生まれ育った人達には酷な話だ。自分たちが、作り物の世界に送り込まれた異世界人の末裔だと知って誰が得をするというのだろうか。
「そこから異世界に転移して、またすぐ元の世界にはじき返された。でも、向こうとの時間の流れの違いから、戻ってきた僕は十年前に飛ばされることになったんだ」
「確かにそうだね。ボクとは条件がちょっと違うけど、時間の流れの差には確かに面食らったよ」
スリアンは小さくため息をつく
「説明では、てっきり向こうで過ごしたのと同じ時間がこちらでも過ぎていると思っていたのに、まさかほんの数日後に戻って来るなんてね。急に年を取った説明に困り果てたよ」
自称〝女神〟に頼んでスリアンを異世界に飛ばしたのは、転送の仕組みを利用して致命傷を負った彼女の肉体を健全な状態に〝巻き戻す〟ことが目的だった。
あの時は、命の灯火が消えようとする彼女を救うことが最優先で、それ以外のディメリットに気を払う余裕がなかったのだ。
「飛ばされた世界の違いで境遇が全然違うんだな」
サイは頷き、さらに言葉を続ける。
「僕の方は子供の身体で身寄りもない十年前の世界に身一つで放り込まれ、着る物はおろか食べ物にも困ったよ」
残飯を求めて立ち寄った酒場の裏通りで自称〝錬金術師〟を名乗るインチキ手品師に拾われ、無給の小間使いとして働きながら、寝る前のわずかな時間に発明家としての試行錯誤を繰り返した。サイはそう身の上を語った。
「幸い、あのインチキ
彼は小さく笑うと黒豆茶で口を湿らせ、手に持ったカップをゆらゆらと揺らしながらさらに続ける。
「でも、その生活は一年も続かなかった。
「……知らなかった。サイに発明の才能があったなんて」
称賛するスリアンの言葉に、サイは皮肉っぽい笑い声を立てた。
「前に話したことがあったよね。僕は一時期、この世界より文明の進んだ異世界でしばらく暮らしたことがある。そこで得た知識を利用してほんの少し
小さく首を振ると、彼はカップの底に残った黒豆茶を一気に飲み干した。
「で、僕は偽名を使ってランスウッド商会に近づき、この世界にはまだ存在しない数々の〝発明品〟を当主に披露した。そして、その才を見込まれて当主の養子におさまったというわけだ。君がペンダスにやって来る数年前のことだよ」
「そうだったんだ。じゃあボクらに提供してくれた新式の弓銃も……」
「ああ」
スリアンはサイの身の上話を聞き終え、複雑な表情を浮かべる。
「でも、どうして素性を隠したのさ? ボクがランスウッドを訪れたとき、サイはボクがボクだってことにとうに気づいていたんだよね? やっぱり、ボクには会いたくなかった? 迷惑だった?」
「違う! そんなわけない!!」
サイは即座に否定した。
「君に再会して嬉しくないわけない。でも、僕の持つ魔法結晶は、この世界に存在するもう一人の自分、つまり
「もう一人の自分?」
「ああ。もう一人の僕。田舎から王都に出て、ちょうど魔道士学校に入りたての頃だよ。あの頃の僕には魔法しか頼る物がなかった。だから僕は絶対に魔法を使うわけにはいかなかった」
「なるほど」
「それに、何の取り柄もない、しかも初対面の身元もはっきりしない異民族にいきなり親しげにされても気持ち悪いだけだろ? だから初対面を装った」
「……でも、ボクらは初っぱなから気があったじゃないか? 少なくともボクはひと目見てアスペン・ランスウッド兄さんが気にいったんだよ?」
むっとした表情で言い返すスリアン。
「そりゃあ、まあ。その数年後には婚約する程度には相性が良かった訳だし……」
「う……」
だが、それ以上言い返すことができず、彼女は顔を赤らめるとサイの腕を軽く叩いた。
「時系列を混乱させるようなことは言わないでくれよ」
「そう。坑道に閉じ込められた
「そっか……」
スリアンは、すべてを理解したように深く頷き、何かに引っかかったようにサイの目をのぞき込んだ。
「でも、ボクがこの世界に戻った後、どうしてすぐに王都に戻ってこなかったの? ボクはずっと……サイに会いたかったのに」
スリアンの瞳が潤む。
「すまない……君に顔向けできなかったんだ。君が美しく成長した姿を見て、どう接していいかわからなくて……臆病になっていたんだよ」
サイもまた、申し訳なさそうに目を伏せる。十年以上の時間を費やし、彼はようやく自分のちっぽけなこだわりに整理を付けることができた。
「バカ……」
そう言って、スリアンはサイの胸に飛び込んだ。
「ボクはずっと、サイに会いたかったんだよ。ずっと、ずっと……」
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