第242話 スリアン、襲撃を受ける

 夜明け前から始まった両軍の戦いは長引いた。

 太陽はすでに空のなかばを過ぎ、午後になっても戦いの行く末はいまだはっきりしない。

 そんな中、スリアンは馬にまたがったまま携行食にかぶりつき、灌木の林の向こうでぶつかり合う両軍の最前線を見極めようと背筋を伸ばしていた。


「スリアン、少し休んだ方が良くはないか?」


 隣に馬を寄せてきたアスペンの言葉に、護衛の騎士も同意の声を上げる。だが、スリアンは首を横に振った。


「昨夜からほとんど寝てないと聞いた。少しでいいから休んで——」

「ダメだよ! トップの人間が姿を見せないと兵士が不安に思う。それに、最前線とは言わずとも、自分だけ安全地帯に隠れて兵士だけ戦わせるのは違うと思うし……」

「そうかな? 君の心がけは立派だけど、敵軍あっちはトップがまったく姿をあらわさないじゃないか」

「クラバックのこと? 敵軍の大将は彼じゃないよ。あの男は派閥工作あんやくは得意だけど、ここまでの用兵ができるとは思えない。たぶん、彼の部下に経験豊富な武人がいるんだよ」

「……なるほど、相変わらずだ」

「何が相変わらずだって?」


 スリアンは携行食を食べ終わると、人差し指をペロリとなめながら聞き返す。


「い、いや、こっちのこと」


 アスペンは目をそらすと、両軍のぶつかり合う丘の下をのぞき込んだ。


「そんなことより、敵側もさすがに戦い方を変えてきたな」


 露骨に話題をそらすアスペンに微かな違和感を感じつつ、スリアンも前線に視線を向ける。


「……うん、ウチの戦法やりかたに慣れてきたようだね。部隊ごとの個別撃破は難しくなった」


 前半の戦いでは効果的だった敵部隊の攪乱、分断工作も、敵兵力が縮小し、戦場が一か所にまとまったことで神通力を失いつつあった。

 一方で、アスペンが提供した新式弓銃による一斉射撃は敵の兵力を着実に削っていた。女王軍の猛攻に、クラバック軍は戦線を維持できずズルズルと後退し、とある伯爵領の砦に次第に追い込まれつつあった。

 恐らく、まともに機能している兵力に限れば、すでにクラバック軍を上回りつつあるのではないか。スリアンはそう推測していた。


「陛下、敵の主力が後退して砦に逃げ込みました!」

「よし、歩兵部隊両翼に伝達! すみやかに前進し、敵のしんがりを包囲、殲滅するんだ!」

「はっ!!」


 伝令は弾かれるように駆け戻っていった。

 やがて両翼がゆっくりと張り出し、まるで馬蹄のように曲線を描いて敵軍を取り囲み始める。だが、主力が退いたことで敵軍の中央にぽっかりと空いていた空間に両翼から追い込まれた部隊が回り込み、砦に向かう最短ルートは再び閉ざされた。


「しまった。両翼の追い込みが早すぎたかな。敵の引いた穴に騎兵を突っ込ませるべきだったか」

「それはどうかな?」


 舌打ちをするスリアンにアスペンは異を唱えた。


「焦る必要はないと思うぞ。これまでと同じ、距離をとって地道に相手の戦力を削るべきだ」

「しかし、これ以上戦闘が長引くと兵が疲弊ひへいするんだよ。うちの兵は元々数が少なかったから深夜からずっと動きっぱなしなんだ。そろそろ体力の限界だ」

「え? 引き伸ばす方が有利じゃないか? 後方には王都からの援軍が控えているんじゃ——」

「それがね、背後の貴族領で足留めを喰らっているらしいんだ」

「ええ!?」

「表立っては逆らわないし兵も出さないけど、クラバックに加勢する貴族はいるんだよ」


 スリアンは心底げっそりした顔つきでグチる。


「どっちにもはっきりとは加勢せず、日和見ひよりみを決め込んでいるような計算高い連中だ。ボクはこの戦が決着したら、国内の貴族制度を一旦チャラにして、改めて叙爵し直した方がいいかもなって思い始めてる」


 渋い表情で乱暴なことを口走る彼女に、アスペンも苦笑いで応えた。


「まあ、無理だろうけどね。そんなことしたら貴族階級全体を敵に回しかねない。今度こそ国中を巻き込む反乱が起きるだろうね」

「おいおい、スリアン、目の前のこれは反乱とは言わないのか?」


 目をむくアスペンに、スリアンは眉尻を下げてへニョリと笑った。


「兄さん、僕はふがいのない女王なんだ」

「え?」

「たとえばサイなら、この程度の騒乱は一人でも鎮圧するよ」

「……サイ?」

「ああ、兄さんは知らなかったね。彼はとても優れた魔道士で、ボクの……婚約者だ」


 そう言いながら、彼女はひどく遠くの物を眺めるように目を細める。


「……そうか」


 アスペンの表情は感慨深げだった。


「数年前、ペンダスを出たときの君はまだ少年のようだったのにな。ほんのわずかな時間で立派なレディ、それに優れた指揮官に成長したようだ」

「まあね。ボクも色々あったんだよ。ここ数年、実際の年月より何倍も濃い時間を過ごしてきたから」

「……なるほど」


 まるで謎かけのようなスリアンの言葉に、アスペンは困惑気味に相づちを打った。





「敵襲っ!!」


 その時だった。

 両軍がにらみ合う前線を力まかせに突破し、数十騎の騎馬がまるで疾風のごとく一直線に丘を駆け上って来る。

 中央で長大な馬上槍ランスを構えているのはひときわ大柄な全身鎧の騎士。鎧の装飾と豪華な頭飾りを見る限り、彼がこの突撃部隊のリーダーだろう。

 敵軍全体を見渡しても相当の高位軍人であろうことが見て取れる。


「止めろ止めろ止めろっ!! 絶対に陛下に近づけるな!!」


 スリアンの護衛騎士たちが敵部隊の突進を押しとどめようと殺到する。

 敵味方が入り乱れ、弓銃による狙撃をためらっているうちに何騎かの騎馬が集団を抜けてさらに突進してきた。


「陛下! お覚悟をっ!!」


 化け物じみた膂力りょりょくで群がる騎士達を投げ捨て、はね飛ばし、矢弾を何発打ち込まれてもまったく速度を緩めず一直線に接近してきた全身鎧の大男は、叫ぶやいなやスリアンめがけ猛烈な勢いで馬上槍ランスを突き出した。


 

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