第240話 ランスウッド商会

「……変だな」


 作戦卓を前に、各部隊から入ってくる報告をさばきながら、スリアンは腕を組んでつぶやいた。


「戦況が……思ったより悪くない?」


 十倍近い敵兵と対峙しているにしてはかなり善戦している。スリアンは各部隊の損耗状況を確認し、次々に飛び込んでくる戦況報告をまとめていく。


「やっぱり矢弾が不足気味か……うん?」


 つぶやきながら、ふと手に取った皮紙の切れ端に書かれたメモが目にとまる。


「なんだこれ? ウチは爆裂術式や雷撃魔方陣なんて使っていない。そもそも魔道士がいない」

「いえ、敵兵が術式攻撃を受けるのを複数の兵が目撃しているそうです」

「何かの見間違いじゃ?」

「いえ、魔法をよく知る王直騎士団の騎士が確認しましたので、万一にも間違いではないかと思いますが」

「あ!」


 まさにその瞬間、スリアンの視線のはるか遠方で、激しい空電音と共に数本の木々がなぎ倒された。近くにいた騎士の数人が慌てて馬に跨がり、確認のために駆けだして行った。


「もう一つ不思議なのは、魔方陣が陛下から敵兵を遠ざけるよう巧妙に仕掛けられているとしか思えない点です」

「どういうこと?」

「今のところ、わなをかいくぐって本陣の近くまで接近した敵兵は皆無です」

「うーん、オラスピアの魔道士が援護のために出張って来ているわけではないんだよね?」

「陛下がご存じないのであればそれはないと思われますが?」

「いや、本当にご存じないんだよ。オラスピアから式典に参加してたのはクーバリルって名前の行政長官だったし、女王も黒の魔道士も東方への対応にかかりきりだって聞いた。どうやら向こうでもやっかいごとが起きているらしくて」


 首をひねるうちに、先ほど現場の様子を見に行った騎士が駆け戻って来た。


「報告します! 現場には、誰もいませんでした」

「うん?」


 目を丸くするスリアンに、いまだ息を弾ませたままの騎士はさらに付け加える。


「複数の兵が野営をした痕跡だけが残っていました。どうやら開戦前から伏兵として潜んでいたようで、危うく陛下の御身を危険にさらすところでした」


 騎士は額の汗をぬぐいながらふうと安堵のため息をつく。


「他には?」

「ええ、これが現場に落ちていました」


 彼は言葉を切り、仲間の騎士から小さな木箱を受け取った。

 スリアンが慎重にフタをあけると、中には抽象的な文様が刻まれた、クルミの実ほどの大きさの魚のオブジェがおさまっていた。


「〝鉄魚〟!?」


 全員の目がその小さな鋳鉄の塊に注がれた。

 落雷を受けたように変色し半ば溶けかけたそれは、砂漠の民がヤカンやスープ鍋に放り込んで水や食材と一緒に煮込む、貧血防止のためのありふれた調理用品だ。本来こんな山奥の戦場に転がっているような代物ではない。

 だが、すでに引退して国を離れた〝雷の魔女〟と、いまだ行方不明のサイ。彼ら二人の魔道士は懐に忍ばせたこの安価な日用品を魔法で自由に飛ばし、指弾や魔法の起点イグナイターとして使う。

 そのことを知る人間は多くない。また、同じような道具を使う魔道士の噂も聞いたことがない。

 そこまで考え、スリアンは胸の動悸が抑えきれなくなった。


「もしかして——」


 だが、それ以上思いをはせる前に、新たな伝令が天幕に走り込んできた。


「陛下、ペンダスのランスウッド商会から使者が参りました」

「使者? こんな戦場に? それにランスウッドって……」


 スリアンには、姉との間で次期王位争いが起きるのを避けるため、病死を装って大陸南岸の商人国家ペンダスに隠れ、性別すらもいつわってランスウッド商会に身を寄せていた時期がある。


「はい、アスペン・ランスウッドと名乗っております」

「ええっ!! アスペン兄さん!!」


スリアンは思わず大声を上げて立ち上がった。





「君はすっかり美しい女性に成長したね。最後に会ったのはほんの数年前のはずだが? 一体どんな魔法を使ったんだ?」


 陣地に招かれた長身の青年は、天幕の入口をはね上げて飛び出してきたスリアンの姿を見て口元をほころばせた。

 暦の上では四、五年ほど前になるだろうか?

 当時まだサンデッガ領だったゼーゲルでサイに会う半年ほど前まで、彼とスリアンは本物の兄弟同然に親しく暮らしていた。


「兄さんこそ、もう商会は継いだの? 結婚は?」

「家督は継いだよ。しかし、さすがに結婚なんてできるわけないだろう? 僕はこんな醜男ぶおとこだぜ」


 彼は、髪の生え際から頬にかけ、顔の半分以上を覆い隠す仮面を爪の先でつつきながら自嘲気味に笑う。

 スリアンは一度もアスペンの素顔を見たことがない。幼い頃に乳母の手違いで顔面に熱湯を浴びてしまい、今も醜い火傷の痕が残るためだと聞かされている。

 そんな彼が大商会の家督まで継ぐことができたのは、見た目のマイナスを大きく上回る商才があったからだ。

 彼は十才かそこらで泥水を浄化して飲み水に変える機械や、取っ手を何十回か回すだけで一晩中明かりを放つ携帯ランプなど、画期的な機械を次々と発明した。

 大ヤケドを負って生家を追い出され、ペンダスの路頭で手作りの発明品を細々と売っていた彼をランスウッドの先代当主が保護し、その後すぐに養子にしたと聞いている。

 ほかにも、足踏み式の揚水井戸、耐火レンガ、鉄を作る溶鉱炉など、ランスウッドでしか取り扱っていない商品は数多く、各国の王家御用達でもある。スリアンが身を寄せることになったのも、元々そんなつながりがあったからだ。


「それより兄さん、こんな危険な場所に一体どうして?」

「ああ。本物の兄弟も同然に育った君が窮地に陥っていると聞かされてね。前回、サンデッガとの戦の時には家督を継ぐ前で僕は何もできなかったが、今回こそは君の力になろうかと」


 両手を広げるアスペンの背後には、ランスウッドの紋章が刻まれた大型の荷馬車がずらりと並んでいる。


「聞けば矢弾が尽きそうだと言うじゃないか。もしよかったら、僕の開発した新式弓銃クロスボウを使ってくれないか? もちろん矢弾も充分に用意してある」


 彼はそう言って太腿のホルスターから見慣れない小型の石弩を取り出してガチャガチャと広げると、腰のベルトからレンガ大の小箱を抜き取って石弩にはめ込んだ。


「見てて」


 引き金を引くと、矢羽根のない小型の矢が立て続けに発射された。

 矢は陣地内に生えていた人の太ももほどの太さの木の幹に横一列に深々と食い込み、やがてその部分から上がドウと音を立てて地面に落下した。


「どうかな? これと同じ物があと五百丁ある」


 彼はそう言うと、あっけにとられる一同の前でニコリと口元をほころばせた。

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