第239話 スリアン、覚悟を決める

「陛下、敵軍の一部が移動しはじめました」


 夜明けにはまだ遠い時刻。偵察に出ていた騎士が息せき切って天幕に飛び込んで来た。


「予想よりだいぶ早い。向こうも混乱しているみたいだね」


 スリアンは緩めていた軽鎧のバックルをきっちり締め上げると、傍らの兜を小脇にかかえて立ち上がった。


「隊長、早速だけど、部隊を三つに分けよう」

「しかし陛下、今以上に兵の数を減らすのは良策とは思えません!」

「今さらだよ。ボクらは規模じゃ勝てない。それは最初からわかりきっている」

「ええ、ですからいたずらに兵力を分散するのは——」

「相手はあちこちの貴族領から徴発した領兵の寄せ集めだ。それぞれの部隊は大きくても中隊規模しかない。やる気もないし、隊ごとの連携も不十分だろう。ボクらがつけ込むとしたら唯一そこしかない」

「いえ、ですが……」

「大軍に少人数で挑むならゲリラ戦だよ。今しか勝機はない。個別に敵を叩き、援軍が到着する前に高速で離脱するんだ。そのためには人数は少ない方がいい」

「しかし、万一連携されてしまえば挟撃されて——」

「逃げ切る自信がないかい?」


 煽り気味に尋ねられ隊長は絶句する。


「ところでリーダー」

「ん、なんだ?」


 スリアンはニヤニヤしながらその光景を眺めていた異世界兵のリーダーに顔を向ける。


「君ら五人には別働隊になってもらいたい。敵は連携を図るために伝令を走らせているはずだ。君たちにはそれらの行き来を徹底的に潰して欲しい」

「これはまた、我々に向かって死ねと言わんばかりのご命令で」

「イヤかな? どこかの部隊に組み入れられても逆にやりにくいと思うんだけど」

「……まあ確かに。つつしんで砂漠狼の役を引き受けよう」

「あと、夜が明けたら今度は手旗や狼煙のろしを使われる可能性がある。それも——」

「偽の手旗、狼煙で攪乱する。とにかく、敵部隊の合流を徹底的に妨害すればいいわけで?」

「うん、任せた」

「では早速」


 リーダーはスリアンに向かって異世界式の敬礼をすると、するりと天幕を出て行った。


「陛下、あの者たちを信用するのですか? 陛下をかどわかした連中ですよ?」

「まあ、本当の信用はこれからの働き次第。君たちだって疑心暗鬼のまま彼らを指揮下に入れるのはイヤだろ?」


 そこで言葉を切ると、スリアンは決心を決めるようにふうと息を吐く。


「とにかく、使えるものは何でも使う。どんな手段を使っても生きのびる。全てはそれからだよ」

「はっ」


 隊長は敬礼を返し、命令通り部隊を分けるために天幕を出て行った。

 一人きりになった途端、スリアンは折りたたみ椅子に崩れ落ちるように座り込んだ。

 部下の前では不安な様子を見せないよう、精一杯の虚勢を張っていたのだ。

 そんな緊張の糸が緩み、がっくりと頭を垂れると、彼女は消え入りそうな小声でつぶやいた。


「サイ……一体どこにいるんだよ。いつもみたいに、ボクを……助けてよ」





「なぜ一気にけりをつけられないのだ!?」


 夜が明けた。

 日の出と時を同じくして、両軍はオラテ川の水源になっている広大な森の中で激突した。だが、戦線はクラバックの思うようには動かなかった。

 報告を聞いたクラバックは目の前の指揮官に向かって、額に青筋を立てて声を荒らげる。


「森に引き込まれたとはどういう意味だ? これでは数の優位を生かせんではないか!!」

「しかし、敵の部隊は神出鬼没。右翼と思えば左翼、はたまた正面から我が方に痛撃を加えるかと思うと、こちらの迎撃体制が整う前にすばしっこく森の奥へ逃げてしまい……」

「女王の兵はわずかだ。両翼から一気に包み込んですり潰してしまえばよいではないか!!」

「もちろん私もそのつもりで兵を動かしております。しかし女王の用兵が思いのほか巧みで……」

「儂はグチを聞きたいわけではないっ!! それをなんとかするのが将軍たる貴様の仕事だろうが!!」


 頭ごなしに怒鳴られ、将軍は口をへの字にして押し黙った。

 もともとクラバック領の騎士団長であった彼は、数日前にいきなり〝タースベレデ解放軍〟とやらの将軍に任命され、クラバック子飼いのごろつきや、下級貴族からかき集めた寄せ集め兵団の指揮をとるよう命じられたのだ。

 だが、いきなり数倍の規模にふくらんだ兵団の統率は彼の思うに任せなかった。

 夜明け前、某男爵領が送り込んできた傭兵が功名心に駆られて突出し、そのせいで開戦場所は当初予定していた平原ではなく森の中にずれ込んだ。

 森はオラテ川の水源を守るために古来から人の立ち入りが禁じられており、うっそうと茂る木々のため極端に見通しが悪い。

 足場も悪く大人数の兵を素早く動かすのは困難で、一方で女王の軍は十人にも満たない少人数で突然現れてはこちらの兵をつまみ食いし、またすぐに姿を消す。まるで山賊のやり方のようだった。


「儂が与えた傭兵を使えばいいではないか! あいつらはもともとこの山中が縄張りだ。寄せ集めの領兵よりよほど役に立つ」

「お言葉ですが、あやつらは足手まといにしかなっておりません!」


 クラバック子飼いの山賊たちは確かに森の中での動きは巧みだった。だが、命令を守ろうとせず勝手に動き、あげくに巧妙に森の外れに誘い出され、待ち受けていた完全武装の騎兵や弓兵に取り囲まれた。おそらく、もうほとんど残っていない。


「傭兵といえばむしろ女王軍の別働隊が面倒です。我が方の伝令が妨害され、ほとんど機能しておりません」


 開戦以後、援軍要請は友軍にたどり着かず、送った命令は末端まで届かない。

 そのため戦場は混乱し、双方の勢力は森と平原のはざまでモザイクのようにぐちゃぐちゃにもつれ合っていた。


「うるさい!! と、とにかく、数の上では我々がはるかに有利なんだ。貴様はもう少しうまく指揮をとれ!」


 クラバックは一方的に言い捨てると、フンと大きく鼻を鳴らして天幕の中に引っ込んだ。将軍は乱暴に閉じられた幕布を見やりながらため息をつく。


「……あの、団長」


 背後から呼びかけられて振り向くと、騎士団時代から副官をつとめる女性騎士が直立不動の姿勢で立っていた。


「あ、いえ、将軍とお呼びすべきでしたか」

「いや、そのままで構わない」


 将軍は変わらぬ副官の態度にホッとして、いつの間にかぎゅっと握りしめていた拳の力を抜いた。


「何か?」

「ええ、ちょっと気になることが」


 副官は将軍の右耳に顔を寄せ、ささやくように続けた。


「どうやら、戦線に魔道士が紛れ込んでいるようです」

「魔道士?」

「ええ、魔法によると思われる爆裂わなや電撃わなが至る所にしかけれられています」


 将軍は耳を疑った。

 異世界兵のゼーゲル侵攻以降、市井に暮らす魔道士のほとんどがその力を失ったと言われている。

 それから三年。いまだ変わらず魔力を持ち続けているのは大魔道士と呼ばれるほんの一握りの人間だけだ。


「それはおかしい。クラバック様は、ゴールドクエスト魔導伯はもはや生きておらぬとおっしゃっていた」

「……生きていない?」

「ああ、詳しい説明はないが、何らか手を下されたらしい」

「なんてことを!」


 副官は口を両手で覆い、あきれたように声を上げる。


「では、陛下との和睦わぼくの道は……」

「ああ、もはや完全に閉ざされたな」


 将軍も顔をくもらせながら左右に首を振った。

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